第3話 先生、夜の安全確認
夜の森は、昼間とはまるで別の場所だった。
月明かりが木々の隙間から差し込んでいる。
風が吹くたびに葉が揺れ、遠くから聞き慣れない獣の声が響く。
ナキは鉄パイプを肩に担ぎながら、ゆっくりと歩いていた。
「……ゴブリンの巣、ね」
村長から聞いた話を思い出す。
教会の近く。
数は不明。
夜になると森から出てくることがある。
「だったら、ちゃんと確認しないとな」
足元を見る。
折れた枝。
踏み荒らされた草。
そして、何かを引きずったような跡。
ナキは立ち止まった。
「……いるな」
空気が変わった。
森の奥から、かすかな物音がする。
複数。
ナキは鉄パイプを握り直した。
その少し後ろ。
木の陰から、小さな顔が覗いていた。
レンだった。
眠っていたはずのレンは、ナキが教会を出ていく気配に気づき、こっそり後を追ってきていた。
「……おにいさん」
小さな声。
けれどナキには届かない。
今のナキは、目の前の森に集中していた。
一歩。
また一歩。
進むたびに、気配が濃くなっていく。
やがて木々の向こうに、小さな明かりが見えた。
焚き火。
そして、その周囲に集まる影。
一つ。
二つ。
三つ。
……もっといる。
ナキは木の陰から様子を確認した。
緑がかった肌。
尖った耳。
黄色く濁った目。
粗末な布や毛皮を身につけ、手には棍棒や錆びた刃物を持っている。
数は十を超えていた。
「……結構いるな」
ゴブリンたちは焚き火の周囲で騒いでいる。
何かを食べている者もいる。
武器を手入れしている者もいる。
ナキは眉を寄せた。
この距離なら、放っておけば教会まで来る可能性がある。
レンがいる。
子どもがいる。
それだけで、ナキの表情が変わった。
「……やっぱり、安全確認しといて正解だったな」
鉄パイプを握る。
「さて」
一歩、前へ出た。
枝が鳴る。
ゴブリンたちが一斉に振り返った。
「ギャッ!?」
「ギャギャッ!」
何匹かが武器を手に取る。
ナキは鉄パイプを肩から下ろした。
「……来るなら来いよ」
声が低くなる。
「俺が相手してやる」
ゴブリンの一匹が棍棒を振り上げて飛びかかってきた。
ナキは横へ身体をずらす。
空振り。
その腕を鉄パイプで軽く打つ。
「ギャッ!」
棍棒が地面に落ちた。
ナキはすぐに距離を取る。
「武器は危ないから、置いとけ」
言葉が通じるはずもない。
別のゴブリンが襲いかかる。
今度は錆びた短剣。
ナキは鉄パイプで刃を弾き、そのまま足を払った。
「ギャッ!」
ゴブリンが地面に転がる。
ナキは追撃しない。
その横を別のゴブリンが狙う。
「おっと」
鉄パイプを横に振る。
腕を打たれたゴブリンが武器を落とした。
「よし」
ナキは構え直す。
「そのまま寝てろ」
次から次へとゴブリンが襲いかかってくる。
けれど、ナキは一匹も殺さない。
棍棒を持つ腕を打つ。
足を払う。
武器を叩き落とす。
向かってくる勢いを利用して地面へ転がす。
「ほら!」
一匹。
「次!」
二匹。
「まだ来るか!」
三匹。
ゴブリンたちは数で押し切ろうとする。
しかし、ナキにはそれが通じない。
細身の身体からは想像もつかないほどの力。
それ以上に厄介なのは、ナキが相手をよく見ていることだった。
武器を持つ手。
踏み込んでくる足。
攻撃の方向。
危険なところだけを狙って、戦える力を削っていく。
「……俺は、お前らを殺しに来たんじゃねぇ」
ナキが鉄パイプを構える。
「でもな」
一匹が飛びかかる。
ナキはその腕を受け流し、鉄パイプで手元を打った。
棍棒が吹き飛ぶ。
「子どもに手ぇ出すってんなら」
ゴブリンの足を払う。
地面に転がる。
「止めるからな」
静かな声だった。
怒鳴っているわけではない。
それなのに、周囲のゴブリンたちが一瞬だけ動きを止めた。
木の陰から見ていたレンは、息を呑んでいた。
「……すごい」
さっきまでの優しいおにいさんとは違う。
鉄パイプを握った姿は、怖い。
だけど。
誰も殺していない。
傷つけることだけが目的じゃない。
ただ、子どもを守るために戦っている。
レンは胸の奥が熱くなるのを感じた。
その間にも、戦いは続く。
最後の一匹が棍棒を振り上げた。
ナキは一歩踏み込む。
「遅ぇ」
鉄パイプが棍棒を弾き飛ばす。
ゴブリンは尻もちをついた。
ナキは鉄パイプを肩に担ぎ直した。
「……これで終わり」
辺りには、武器を失って座り込むゴブリンたち。
立ち上がろうとする者もいるが、もう向かってくる気配はない。
ナキは周囲を見回した。
「よし」
これなら、しばらくは教会に近づけないだろう。
そう思った、そのとき。
ゴブリンたちが一斉に顔を上げた。
「……?」
ナキも気づく。
森の奥。
何かが歩いてくる。
ズシ。
ズシ。
一歩ごとに地面が鳴る。
ゴブリンたちは道を開けるように左右へ退いていく。
ナキは鉄パイプを下ろした。
「……なんだ?」
木々の間から、大きな影が現れる。
他のゴブリンよりも、明らかに大きい。
肩幅も広く、腕も太い。
身体には傷跡がいくつも残っている。
手には、普通のゴブリンが持っていたものとは比べ物にならないほど大きな武器。
そして。
その目だけは、他のゴブリンとは違っていた。
鋭く、ナキを真っ直ぐに見据えている。
ナキも、その視線を受け止めた。
「……お前が」
鉄パイプを握り直す。
「こいつらの親玉か?」
大きなゴブリンが、一歩前へ出た。
そして。
低く唸るような声を上げた。
「……オレ、ゴブリンノ、オサ」
ナキの目が細くなる。
「……へぇ」
森の中に、二人の視線がぶつかった。
次の瞬間。
ゴブリンの長が、ゆっくりと拳を握った。




