第四話 レンガの家には、鍵がある。
放課後の図書室は、静かだった。
窓の外から、運動部の掛け声が聞こえてくる。
その声を遠くに聞きながら、石田岳は一人、机に向かっていた。
開いているのは数学の問題集。
その横には国語の参考書。
さらに、その隣には英単語帳。
時計を見る。
午後五時十二分。
岳はシャープペンを置いた。
「……今日はここまで」
問題集を閉じる。
立ち上がったところで、図書室の司書が声をかけた。
「石田くん、今日も遅くまで頑張るのね」
「家に帰ってもやることがないので」
「勉強以外は?」
「特に」
司書は少し笑った。
「中学生らしくないわね」
岳は返事をしなかった。
図書室を出る。
廊下には誰もいない。
階段を下りようとしたところで、スマートフォンが震えた。
画面を見る。
蓮からだった。
『今日、旧音楽室集合な』
岳はすぐに返信する。
『何時?』
すぐに返ってきた。
『今!』
岳はため息をついた。
「……本当に暇なんだな」
そう呟きながら、旧音楽室へ向かった。
* * *
「遅い!」
扉を開けるなり、蓮の声が飛んできた。
「まだ五分しか経ってない」
「五分は大きいぞ」
「樹は?」
「部活」
蓮は古い机に腰を掛けていた。
「今日は俺と岳だけか」
「そうみたい」
「じゃあ、二人で探すか」
「何を?」
「大切なもの」
「手がかりは?」
「ない」
「……」
「だから面白いんじゃん」
岳は呆れた。
「非効率」
「またそれかよ」
「重要だろ」
「じゃあ、岳は何だと思う?」
「何が?」
「この学校で大切なもの」
岳は少し考えた。
「時間」
「へえ」
「学校で過ごせる時間は限られてる」
「なんか意外」
「何が?」
「もっと『勉強』とか言うと思った」
「勉強は家でもできる」
「じゃあ、友達は?」
「……」
岳は答えなかった。
蓮は少し笑った。
「図星?」
「違う」
「じゃあ、何?」
「友達というものが、よく分からないだけ」
「……」
珍しく、蓮が黙った。
岳は窓の外を見る。
校庭では、部活動を終えた生徒たちが帰っていく。
「僕は、一人でいるほうが楽なんだ」
「どうして?」
「気を遣わなくていいから」
「でも、寂しくない?」
「寂しいと楽しいは別」
「難しいこと言うなあ」
蓮が笑った。
「俺は一人だと無理だな」
「どうして?」
「つまんないから」
岳は蓮を見る。
蓮は笑っていた。
いつもの笑顔。
けれど、その笑顔を見ながら、岳はふと思った。
――この人は、本当に誰とでも仲良くなれるのだろうか。
* * *
翌日。
四時間目の授業が終わった。
岳は廊下を歩いていた。
「石田くん」
声をかけてきたのは白石美咲だった。
「何?」
「昨日、藤原くんと一緒だった?」
「うん」
「仲いいの?」
「普通」
「木村くんとも?」
「普通」
「三人とも?」
「普通」
「……石田くんって、『普通』しか言わないの?」
「そんなことない」
「今も普通じゃん」
美咲が笑う。
岳は少しだけ困った。
「三人で何かやってるんでしょ?」
「……」
「秘密?」
「まだ決まってない」
「何が?」
「探してるもの」
美咲の表情が変わった。
「何それ」
「分からない」
「本当に?」
「本当に」
岳は歩き出した。
美咲はその背中を見ながら、小さく呟いた。
「変な三人……」
けれど、その声には少し楽しそうな響きがあった。
* * *
夕方。
岳が家に帰ると、父親がリビングにいた。
「おかえり」
「ただいま」
「学校はどうだった?」
「普通」
「成績表、見せてもらえるか?」
「まだ」
「そうか」
父親は新聞に目を戻した。
「来月、模試がある。そろそろ三年を意識して勉強しておけ」
「分かってる」
「高校についても考えておきなさい」
「うん」
「できれば県内上位の学校を――」
「分かってるって」
少し強い声が出た。
父親が顔を上げる。
「……どうした?」
「何でもない」
岳は自分の部屋へ向かった。
扉を閉める。
机の上に参考書を置く。
そして、椅子に座った。
静かだった。
誰にも邪魔されない。
誰にも何も聞かれない。
自分で決めて。
自分で考えて。
自分で答えを出す。
それが一番楽だった。
岳は壁を見る。
そこには、志望校の名前が書かれた紙が貼ってある。
父親が選んだ学校。
先生が勧めている学校。
成績なら十分届く学校。
岳自身が行きたい学校なのか。
その答えだけは、まだ書かれていなかった。
「……別に、いいだろ」
誰に言うでもなく呟く。
岳は参考書を開いた。
そのとき、机の端に昨日の紙があることに気づいた。
――この学校で、本当に大切なものを三つ見つけろ。
岳は紙を見つめた。
そして、初めて思った。
もしかすると、この問いは――
自分自身に向けられているのかもしれない。
レンガの家は強い。
雨にも風にも負けない。
でも。
その家に鍵をかけているのが自分自身なら、
誰かが中へ入ってくることはない。
岳はまだ、その鍵を開けるつもりはなかった。
ただ。
ポケットに紙をしまった。
なぜそうしたのかは、自分でも分からなかった。




