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三匹のこぶた、青春中  作者: まーサンタ


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第十五話 レンガの壁は、誰も入れない。



 十月。


 朝の空気は、はっきりと秋になっていた。


 校庭の隅にある木々が、少しずつ色を変えている。


 けれど。


 旧音楽室には、もう夏の頃のような笑い声はなかった。


 机は五つ。


 椅子も五つ。


 黒板には、今でも五人の名前が残っている。


 藤原蓮。


 木村樹。


 石田岳。


 白石美咲。


 黒崎湊。


 けれど。


 そこに集まる人数は、日によって変わっていた。


 湊は来ない。


 樹も、以前ほど来なくなった。


 美咲は時々来る。


 そして蓮は。


 ほとんど毎日来ていた。


 一人でも。


「……静かだな」


 誰もいない部屋で、蓮が呟く。


 返事はない。


 蓮は机の上に置かれた古い地図を見た。


 夏休みに五人で調べた町の資料。


 あの頃は、毎日のように誰かの声が聞こえていた。


「これ違うだろ」


「いや、こっちだって」


「お腹すいた」


「また?」


「ちょっと静かにして」


「……うるさい」


 そんな声が。


 今はない。


 蓮は椅子に座った。


「……戻ればいいのに」


 誰に言ったのか、自分でも分からなかった。


* * *


 同じ頃。


 教室では、岳が一人で本を読んでいた。


「石田」


 声をかけたのは、三浦恒一だった。


「何?」


「最近、蓮たちと一緒にいないじゃん」


「いるときもある」


「そう?」


「そう」


「なんかあった?」


「別に」


 岳は本から目を離さない。


「またそれ?」


「何が?」


「『別に』」


 岳はページをめくる。


「本当に何もない」


「……お前ってさ」


 三浦が机に手をつく。


「何でも一人で片付けようとするよな」


「そうかな」


「そうだよ」


「別に困ってない」


「そういうところ」


 三浦はため息をついた。


「困ってからじゃ遅いんじゃない?」


 岳は答えなかった。


 三浦はそれ以上何も言わず、自分の席へ戻っていった。


 岳は本を読んでいる。


 けれど。


 同じページから、先に進んでいなかった。


* * *


 放課後。


 岳は一人で家へ帰った。


「ただいま」


「おかえり」


 父親の声がする。


 食卓には、すでに夕食が用意されていた。


 岳が鞄を置く。


「今日、学校どうだった?」


「普通」


「テスト、来週だったな」


「うん」


「数学は問題ないか?」


「大丈夫」


「英語は?」


「大丈夫」


「次は五教科で四百五十点以上を目指せるだろう」


「……たぶん」


 父親は頷いた。


「高校のことも、そろそろ考えないとな」


「分かってる」


「今の成績なら選択肢は多い」


「うん」


「将来困らないためにも、今のうちに頑張っておけ」


「分かってる」


 岳は箸を動かした。


 会話は、それだけだった。


 父親は悪くない。


 岳を心配している。


 だからこそ。


 岳は何も言えなかった。


「学校の友達とはどうだ?」


 突然聞かれて。


 岳の手が止まった。


「……普通」


「そうか」


 父親はそれ以上聞かなかった。


 岳も。


 それ以上話さなかった。


* * *


 自分の部屋に戻る。


 机の上には参考書。


 問題集。


 模試の結果。


 進路希望調査票。


 そして。


 棚の隅に。


 一枚の写真があった。


 夏祭りの夜。


 五人で撮った写真。


 蓮が笑っている。


 樹が笑っている。


 美咲も。


 湊も。


 岳も。


 岳は写真を手に取った。


「……」


 五人でいるとき。


 自分は笑っていた。


 自分でも驚くほど自然に。


 なぜだろう。


 岳は写真を机の引き出しにしまった。


 鍵をかける。


 カチャン。


 そして。


 参考書を開いた。


* * *


 翌日。


 放課後の旧音楽室。


 蓮と美咲がいた。


「岳、今日も来ないね」


 美咲が言う。


「昨日も来てない」


「樹も」


「……うん」


 蓮は黒板を見る。


 五人の名前。


 その一番下に。


 湊の名前。


「なんでこうなったんだろうな」


 蓮が呟いた。


「誰にも分からないんじゃない?」


「美咲は?」


「私?」


「俺たち、また戻れると思う?」


 美咲はしばらく考えた。


「戻るんじゃなくて」


「え?」


「前と同じじゃなくても、また一緒になれるんじゃないかな」


 蓮は黙った。


「……そうかな」


「そうだよ」


 美咲は笑った。


「だって、まだ終わってないから」


 その言葉に。


 蓮は少しだけ救われた。


* * *


 その日の夜。


 岳のスマートフォンに通知が入った。


 旧音楽室のグループ。


 蓮からだった。


『明日、みんなで話そう』


 岳は画面を見つめた。


 続けて。


『湊にも声かける』


『樹も来るって』


『五人で話したい』


 岳は返信しようとした。


 けれど。


 指が止まった。


『分かった』


 と打って。


 消す。


 もう一度。


『明日は無理』


 と打つ。


 消す。


 そして。


 スマートフォンを伏せた。


 机の上には、進路希望調査票。


 その横に。


 夏祭りの写真。


 岳は写真を見た。


 五人でいる。


 楽しそうに。


 自分も。


 笑っている。


「……」


 岳は写真を裏返した。


* * *


 翌日。


 五人が集まるはずだった。


 けれど。


 旧音楽室に来たのは、蓮と美咲だけだった。


「樹は?」


「部活」


「湊は?」


「来てない」


「岳は?」


「……分からない」


 蓮はスマートフォンを取り出した。


 岳に電話する。


 呼び出し音。


 出ない。


 もう一度。


 出ない。


「……」


 蓮はスマートフォンを机に置いた。


「俺、行ってくる」


「どこへ?」


「岳のところ」


「待って」


 美咲が止めた。


「今は、やめた方がいいかも」


「でも」


「岳って、追いかけられると余計に閉じるから」


「……」


 蓮は黙った。


 美咲は岳のことをよく見ている。


 それは分かっていた。


 でも。


「俺たち、何もしないで待ってるだけなのか?」


 蓮の声が少し震えた。


「俺、もう嫌なんだよ」


「蓮……」


「三人だった頃に戻りたい」


 美咲は何も言わなかった。


「五人でも楽しかった」


 蓮は続ける。


「すげえ楽しかった」


「うん」


「なのに、なんで……」


 声が詰まる。


「なんで、こんな簡単に壊れるんだよ」


 窓の外で風が吹いた。


 木の葉が舞う。


* * *


 その頃。


 岳は学校の図書室にいた。


 誰もいない席。


 参考書を開いている。


 けれど。


 問題は一問も解けていない。


 スマートフォンを見る。


 蓮からの着信。


 美咲からのメッセージ。


『大丈夫?』


 岳は画面を閉じた。


 そのとき。


「石田」


 司書の先生が声をかけた。


「もう帰る時間だよ」


「……はい」


 岳は本を片付けた。


 図書室を出る。


 廊下を歩く。


 旧音楽室の前を通りかかった。


 扉の向こうから。


 誰かの声が聞こえる。


「……蓮?」


 岳が足を止める。


 扉を少し開ける。


 蓮と美咲がいた。


 岳は一瞬。


 中に入ろうとした。


 けれど。


 聞こえてきた言葉に。


 足が止まった。


「岳って、何考えてるか分からないよな」


 蓮の声だった。


「……」


 岳の表情が固まる。


「でも、あいつなりに――」


 美咲の声。


「分かってる」


「じゃあ……」


「たださ」


 蓮が言う。


「全部一人で抱えて、何も言わないからさ」


「……」


「俺たちが何を言っても、壁作るじゃん」


 岳は扉の外で立ち尽くした。


 その言葉は。


 間違っていなかった。


 むしろ。


 正しかった。


 だからこそ。


 痛かった。


 岳は扉から離れた。


 誰にも気づかれないように。


 廊下を歩く。


 そして。


 階段を下りる。


「……壁」


 小さく呟く。


 昔から。


 自分はそうだった。


 何かを言う前に考える。


 傷つく前に距離を取る。


 期待する前に諦める。


 誰かに頼る前に。


 自分で全部やる。


 それなら。


 誰にも迷惑をかけない。


 誰にも傷つけられない。


 そう思っていた。


 けれど。


 気づけば。


 自分の周りに作った壁は。


 自分自身まで閉じ込めていた。


* * *


 家に帰ると。


 父親が机の上の進路希望調査票を見ていた。


「岳」


「何?」


「ここ、第一志望が空欄になっている」


「まだ決めてない」


「そろそろ決めた方がいい」


「分かってる」


「将来何になりたい?」


「……」


 答えられなかった。


「まだ決まってないなら、まずは成績を維持しろ」


「うん」


「勉強しておけば、選択肢は増える」


「……うん」


「友達と遊ぶのもいいが、今は大事な時期だ」


 岳の指が止まる。


「……友達?」


「ああ」


「父さんは」


 岳は初めて顔を上げた。


「俺が誰といるか、知ってる?」


 父親は少し驚いた。


「……学校の友達だろう?」


「名前も?」


「そこまでは知らない」


 岳は黙った。


 父親は困ったように言う。


「岳」


「何でもない」


 岳は部屋へ戻った。


 ドアを閉める。


 机の引き出しを開ける。


 夏祭りの写真。


 五人で笑っている。


 岳は写真を見つめた。


「……友達」


 その言葉を。


 口の中で転がした。


 そして。


 写真を破ろうとした。


 指に力を入れる。


 紙が少しだけ曲がる。


 けれど。


 破れなかった。


「……できない」


 岳は写真を机の上に置いた。


* * *


 翌朝。


 岳は学校へ行った。


 教室に入る。


 蓮が気づいた。


「岳!」


 岳は足を止めた。


「昨日、電話――」


「ごめん」


 岳が言う。


「今日は部活の用事があるから」


「でも――」


「また今度」


 岳は席へ向かった。


 蓮は追わなかった。


 美咲も何も言わなかった。


 ただ。


 少し離れたところから見ていた。


 岳は椅子に座る。


 鞄から教科書を出す。


 いつも通り。


 何も変わらない。


 でも。


 その日から。


 岳は旧音楽室へ行かなくなった。


* * *


 放課後。


 蓮は一人で旧音楽室にいた。


 窓の外を見る。


 樹はグラウンド。


 湊は一人で帰っていく。


 岳はいない。


 美咲も今日は来ていない。


 五つの椅子。


 四つが空いている。


 蓮は一番奥の椅子に座った。


「……秘密基地じゃないじゃん」


 笑おうとした。


 でも。


 笑えなかった。


 そのとき。


 風が吹いた。


 黒板に残された五人の名前。


 そのうち。


 岳の名前の上に貼っていた紙が。


 ゆっくりと剥がれた。


 床に落ちる。


 蓮は拾わなかった。


 ただ。


 そこに残った名前を見つめる。


 石田岳。


 レンガの家。


 頑丈で。


 壊れにくくて。


 誰にも踏み込ませない。


 ずっとそうだった。


 でも。


 その壁は。


 風を防いでいるだけじゃなかった。


 今は。


 蓮たちの声さえ。


 中に届かなくなっていた。


 そして。


 岳自身も。


 壁の向こうから。


 こちらを見ることができなくなっていた。


 ――レンガの壁は。


 誰も入れない。


 そして。


 中にいる本人でさえ。


 外へ出られない。

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