第十三話 風が、わらをさらっていく。
九月。
夏休みが終わった。
教室の窓から見える空は、まだ夏の名残を残している。
けれど、朝の風には少しだけ冷たさが混じっていた。
「おはよう!」
蓮が教室に入る。
「おはよう」
樹が手を上げる。
「宿題終わった?」
「終わった」
岳が即答する。
「早すぎだろ」
「夏休み中に終わらせた」
「それが普通」
「岳、それ言うと蓮が傷つく」
樹が笑った。
「傷ついてないし」
蓮も笑う。
いつもの朝。
いつもの三人。
けれど。
何かが少し違っていた。
夏休みの最後。
五人で見た花火。
来年も一緒に来ようと約束した。
その記憶が、まだ胸の中に残っている。
だからこそ。
蓮は何となく安心していた。
夏が終わっても。
自分たちは変わらない。
そう思っていた。
* * *
「ねえ、これ見て」
昼休み。
高橋玲奈がスマートフォンを見せてきた。
「何?」
蓮が覗き込む。
そこには、夏祭りの写真があった。
五人で撮った写真。
笑っている。
花火を背景にして。
その下には、短い文章。
『今年の夏、めっちゃ楽しかった!』
「誰が撮ったの?」
美咲が聞く。
「私じゃないよ」
玲奈が答える。
「誰かが送ってきた」
「どこから?」
「グループ」
蓮は写真を見つめた。
「……これ、誰が撮ったんだ?」
「知らない」
玲奈は笑った。
「でも、いい写真じゃん」
「うん……」
蓮も笑った。
そのとき。
別の男子が画面を覗き込んだ。
「五人って、仲良すぎじゃね?」
「そう?」
「旧音楽室にも毎日集まってるらしいじゃん」
「まあ……」
蓮が答えかけたところで。
「でもさ」
男子が笑った。
「黒崎って、途中から入っただけじゃん」
湊の名前が出た瞬間。
蓮の笑顔が少しだけ固まった。
「それが何?」
「いや、別に」
男子は肩をすくめた。
「ただ、五人っていうより、三人+二人って感じじゃね?」
蓮は笑った。
「そんなことないって」
「そう?」
「うん」
それ以上は何も言わなかった。
けれど。
その言葉は、妙に引っかかった。
* * *
放課後。
旧音楽室。
いつもの五人。
「今日、町の写真整理しよう」
美咲が言った。
「賛成」
樹が机を寄せる。
岳が資料を並べる。
蓮は椅子を持ってくる。
湊は窓を開けた。
風が部屋に入る。
「ちょっと寒くない?」
美咲が言う。
「もう秋だからな」
樹が答える。
「まだ九月だけど」
「九月は秋だろ」
蓮が言う。
「暦の上では」
岳が訂正する。
「そういう細かいところ!」
蓮が笑う。
五人が笑った。
いつも通り。
何も変わらない。
――そう思った。
そのときだった。
スマートフォンが鳴った。
美咲だった。
「……何これ」
画面を見て、表情が変わる。
「どうした?」
樹が覗く。
美咲は何も言わず、画面を見せた。
そこには。
旧音楽室の写真。
五人の名前が書かれた黒板。
そして。
『学校の立入禁止場所を勝手に使ってる人たち』
という文章。
「……誰がこんなの」
樹が眉をひそめる。
岳が写真を拡大する。
「この写真」
「何?」
「今日撮られたものじゃない」
「どうして?」
「黒板の文字」
岳が指差す。
「これ、先週の配置だ」
「つまり……」
「前から誰かが撮っていた」
部屋の空気が変わった。
蓮は笑おうとした。
「まあ、別に大したこと――」
「大したことあるだろ」
樹が言った。
蓮が黙る。
「勝手に写真を撮られてるんだぞ」
「でも、誰かが遊び半分で――」
「だからっていいのか?」
「……」
蓮は答えられなかった。
岳が冷静に言う。
「問題は、誰が撮ったか」
「湊じゃない?」
誰かが言った。
その瞬間。
湊の表情が変わった。
「……俺?」
「いや、違う!」
蓮がすぐに否定した。
「今のは俺たちじゃない」
岳が言った。
「僕は可能性を――」
「可能性とか言うなよ」
蓮が睨む。
「湊はそんなことしない」
「僕だって、湊がやったと言ってるわけじゃない」
「でも疑ってるじゃん」
「疑うことと決めつけることは違う」
樹が二人の間に入った。
「二人とも落ち着けよ」
けれど。
湊は立ち上がっていた。
「もういい」
「湊?」
「俺、帰る」
「待てよ」
蓮が追いかける。
「違うから」
「何が?」
「お前を疑ってるわけじゃない」
「分かってる」
「じゃあ――」
「でも」
湊は振り返った。
「俺がいるから、こうなったのかもしれない」
「……え?」
「俺がここに来るようになってから、写真が増えた」
「そんなの関係ない」
「そうかもしれない」
湊は少し笑った。
でも。
その笑顔は、夏祭りの夜に見せたものとは違っていた。
「じゃあ、今日は帰る」
扉が閉まった。
* * *
残った四人。
誰も話さなかった。
「……俺、追いかけてくる」
樹が言う。
「待って」
岳が止める。
「今は一人にした方がいい」
「でも」
「落ち着いてない」
蓮は二人を見る。
「……俺が悪かった」
「蓮?」
「俺、岳に怒ったけど」
蓮は俯いた。
「岳が言ってることも分かる」
岳が顔を上げる。
「でも」
蓮は続けた。
「湊が疑われるのが嫌だった」
「……うん」
美咲が静かに言った。
「それは分かる」
「でも、俺……」
蓮は拳を握った。
「なんか、全部怖いんだよ」
「蓮」
「この場所がなくなるのも」
声が震える。
「みんなが離れていくのも」
美咲が何も言わずに蓮を見る。
「だから、笑ってれば大丈夫だと思ってた」
樹が黙って聞いている。
「でも……」
蓮は顔を上げた。
「笑ってても、どうにもならないことってあるんだな」
初めて。
蓮は笑わなかった。
* * *
翌日。
さらに大きな噂が広がった。
「旧音楽室で勝手に遊んでるらしい」
「先生に怒られたって」
「五人で何か隠してるんだって」
実際には、先生にはまだ何も言われていない。
それでも噂だけが先に広がっていく。
玲奈は困ったように言った。
「私、そんなつもりじゃなかったんだけど……」
三浦が言う。
「じゃあ、何で広めた?」
「私はただ、面白いかなって……」
「それで広まったんだろ」
「……ごめん」
玲奈は俯いた。
悪意はなかった。
だからこそ。
余計に厄介だった。
誰かを傷つけようとしていなくても。
言葉は、人から人へ渡っていく。
そして。
最後には誰のものか分からなくなる。
* * *
放課後。
蓮は一人で旧音楽室へ向かった。
扉を開ける。
誰もいない。
静かな部屋。
机。
椅子。
黒板。
五人の名前。
蓮は黒板の前に立った。
そして。
自分の名前を見る。
藤原蓮。
その横に。
木村樹。
石田岳。
白石美咲。
黒崎湊。
「……五人」
呟いた。
夏祭りの夜。
五人で見た花火。
来年も一緒に来ようと約束した。
あのときは。
ずっと続くと思っていた。
蓮は椅子に座った。
窓から風が入ってくる。
紙が一枚。
机から落ちた。
蓮が拾う。
それは、夏祭りの日に五人で撮った写真だった。
蓮は笑っている。
樹も。
岳も。
美咲も。
湊も。
五人とも。
楽しそうに笑っている。
蓮は写真を見つめた。
「……来年もって」
小さく笑う。
「約束したのにな」
そのとき。
風が強く吹き込んだ。
蓮の手から写真が離れる。
「あっ」
写真が宙を舞った。
窓へ向かう。
蓮は慌てて追いかける。
けれど。
間に合わなかった。
写真は窓の外へ飛んでいった。
風にさらわれ。
校庭の向こうへ。
蓮は窓から見つめた。
写真は小さくなり。
やがて見えなくなった。
「……」
蓮は何も言えなかった。
ただ。
窓から入る風だけが。
いつまでも部屋の中を吹き抜けていた。
夏の夜に見た、優しい風とは違う。
少し冷たい。
少し強い。
秋の風。
そして――。
それはまるで。
五人で築いたばかりの「家」に吹きつける。
最初の風のようだった。




