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三匹のこぶた、青春中  作者: まーサンタ


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13/22

第十二話 夏の終わりに、五人で見た空。



 八月。


 夏休みも、残り少なくなっていた。


 蝉の声は相変わらず大きい。


 空はどこまでも青く、雲はまるで動かない。


 けれど、夕方になると少しだけ風が涼しくなってきた。


 夏の終わりは、誰にも気づかれないように近づいていた。


* * *


「暑い……」


 旧音楽室の机に突っ伏しているのは蓮だった。


「さっきからそれしか言ってない」


 岳が呆れたように言う。


「だって暑いんだよ」


「夏だからね」


 美咲が笑う。


「美咲まで岳みたいなこと言うなよ」


「事実だから」


 樹は窓際で扇風機の向きを調整していた。


「これで少しは涼しくなるだろ」


「樹、神」


「大げさ」


 その隣で、湊は黙々と数学の問題を解いている。


「湊」


「何?」


「宿題終わった?」


「ほとんど」


「早っ!」


「普通」


「俺、まだ半分」


「それは遅い」


「岳まで言うな!」


 旧音楽室に笑い声が響く。


 夏休みに入ってから、五人はほとんど毎日のようにここへ集まっていた。


 宿題をする日。


 町の写真を整理する日。


 何もせずに話すだけの日。


 時には誰かが途中で寝てしまうこともあった。


 最初の頃、湊は一番端の席に座っていた。


 必要なこと以外は話さない。


 帰る時間になると、一番先に立ち上がる。


 けれど。


 今では違った。


「湊、これ分かる?」


 蓮が数学のプリントを差し出す。


「分かる」


「教えて」


「自分で考えて」


「冷たい!」


 樹が笑う。


「甘やかすなよ、湊」


「樹まで!」


 美咲が笑いながらプリントを覗き込む。


「蓮、これ、途中の式が違う」


「え?」


「ここ」


「あ、本当だ」


「だから言ったでしょ」


 蓮は美咲を見る。


「……ありがとう」


「どういたしまして」


 ほんの一瞬。


 二人の目が合う。


 蓮は急に恥ずかしくなって、視線を逸らした。


「……何?」


 美咲が聞く。


「いや、別に」


「顔赤いけど」


「暑いから!」


 樹と岳が同時に蓮を見る。


「……」


「……」


「何だよ!」


 蓮が叫ぶ。


 湊まで小さく笑っていた。


「湊!」


「何?」


「お前まで笑うな!」


「面白いから」


「最近、容赦なくなってない?」


「そう?」


「そうだよ!」


 また笑い声が起こる。


 湊はその輪の中にいた。


 いつの間にか。


 ごく自然に。


* * *


 ある日の夕方。


 樹は部活を終えてから旧音楽室へ来た。


「疲れた……」


「大会近いんだっけ?」


 蓮が聞く。


「うん。最後の大会」


「神谷先輩も?」


「そう」


 樹の表情が少し曇る。


 神谷直人。


 三年生で、樹が尊敬する先輩だ。


 練習では誰よりも真剣で、試合ではチームを引っ張る。


「先輩、進路で悩んでるみたい」


「そうなの?」


 美咲が聞く。


「うん」


 樹は椅子に座った。


「サッカーを続けるか、普通に高校へ行くか」


「先輩なら、どっちでもできそう」


 蓮が言う。


「そうなんだけど」


 樹は窓の外を見る。


「できるからこそ、迷うんだろうな」


 湊が静かに言った。


「選べるって、楽じゃないから」


 樹が湊を見る。


「……お前、たまにすごいこと言うよな」


「そう?」


「うん」


「じゃあ、たまにじゃなくていい?」


「調子乗るな」


 二人が笑う。


 その様子を見て、蓮は嬉しそうに笑った。


 湊と樹。


 最初は、こんなふうに話すなんて思わなかった。


 けれど今では。


 自然に隣に座っている。


* * *


 八月のある夜。


 町の夏祭りの日。


「遅い!」


 蓮が駅前で待っていた。


「まだ約束の時間じゃないでしょ」


 美咲が笑う。


「五分前行動だよ」


「蓮が早すぎるだけ」


 樹が言う。


「岳は?」


「もう来てる」


 岳は少し離れた場所に立っていた。


「お待たせ」


 湊もやって来た。


 普段とは違う。


 白いTシャツに、薄い色のシャツを羽織っている。


「……なんだよ」


 湊が四人を見る。


「いや」


 蓮が笑う。


「ちゃんと祭りっぽい」


「それ、褒めてる?」


「たぶん」


 美咲が笑った。


「行こう」


 五人は祭りの会場へ向かった。


* * *


 神社の境内は、人でいっぱいだった。


 屋台。


 浴衣。


 提灯。


 焼きそばの匂い。


 遠くから聞こえる祭囃子。


「すごいな」


 樹が言う。


「何食べる?」


 蓮が周囲を見回す。


「たこ焼き!」


「早い」


「じゃあ、焼きそば」


「同じじゃん」


 美咲が笑う。


 五人で屋台を回る。


 射的。


 かき氷。


 輪投げ。


 金魚すくい。


 そして。


「蓮、絶対それ無理」


 美咲が言った。


「できるって!」


 蓮が金魚すくいのポイを構える。


「見てろよ」


 一匹。


 逃げた。


 二匹。


 逃げた。


 三匹。


 紙が破れた。


「……」


 美咲が笑いをこらえる。


「笑うな」


「ごめん」


「今絶対笑っただろ!」


「うん」


「正直!」


 樹が腹を抱えて笑う。


「蓮、才能ないな」


「うるさい!」


 岳も小さく笑っている。


 湊は――。


「……」


「湊?」


「何?」


「笑ってる?」


「笑ってない」


「いや、笑ってる」


「笑ってない」


「絶対笑ってる!」


 湊は少しだけ顔を逸らした。


 けれど。


 口元は笑っていた。


* * *


 人混みの中で、いつの間にか二手に分かれていた。


「蓮」


 美咲が呼ぶ。


「ん?」


「こっち」


 美咲が人の少ない道を指差す。


「少し歩こう」


 二人で歩く。


 祭りの喧騒が、少し遠くなる。


「なんか静かだな」


「うん」


 蓮は妙に緊張していた。


 いつもなら何でも話せる。


 でも。


 今は何を話していいのか分からない。


「蓮」


「何?」


「最近、変だよね」


「え?」


「私と話すとき」


「……」


「前はもっと普通だった」


「普通だよ」


「嘘」


 美咲が笑う。


「顔に出てる」


「樹と岳にも言われた」


「やっぱり?」


「……うん」


 二人の間に沈黙が落ちる。


 蓮は夜空を見上げた。


「俺さ」


「うん」


「最近、美咲といると……」


 そこで言葉が止まった。


「いると?」


「……なんでもない」


「何それ」


 美咲が笑う。


「最後まで言ってよ」


「無理」


「なんで?」


「恥ずかしいから」


 美咲は少しだけ黙った。


 そして。


「そっか」


 小さく笑った。


「じゃあ、いつか聞かせて」


 蓮は美咲を見る。


「……うん」


 それだけで。


 胸がいっぱいになった。


* * *


 一方。


 少し離れた場所では、樹と湊が並んで歩いていた。


「蓮、分かりやすいな」


 樹が言う。


「うん」


「お前もそう思う?」


「思う」


「だよな」


 二人で笑う。


「湊」


「何?」


「お前、変わったよな」


「そう?」


「前は一人だったじゃん」


「今も一人でいることはある」


「でも、ここにいる」


 湊は少し考えた。


「……うん」


「楽しい?」


 湊は答えなかった。


 しばらくして。


「楽しいと思う」


 樹が笑う。


「そっか」


「樹は?」


「俺?」


「楽しい?」


「……うん」


 樹は祭りの明かりを見た。


「楽しいよ」


 少しだけ寂しそうに。


「だから、終わってほしくないな」


 湊は何も言わなかった。


 ただ。


 その言葉を覚えておこうと思った。


* * *


 少し離れたベンチ。


 岳は一人で座っていた。


 四人の姿を眺める。


 蓮と美咲。


 樹と湊。


 楽しそうに笑っている。


 岳は少しだけ笑った。


「……騒がしいな」


 でも。


 その声は、どこか嬉しそうだった。


 少し前まで。


 自分は一人でいる方が楽だと思っていた。


 誰かといると面倒だ。


 気を使う。


 傷つく。


 だから。


 自分の周りに壁を作っていた。


 でも。


 今は。


「……悪くない」


 そう呟いた。


* * *


 やがて。


 夜空に一発目の花火が上がった。


 ドン――。


 大きな音。


 五人が空を見上げる。


 赤。


 青。


 緑。


 白。


 夜空いっぱいに花が咲く。


「すげえ……」


 樹が呟いた。


「綺麗」


 美咲が言う。


「写真撮る?」


 蓮がスマートフォンを取り出す。


「撮るより見よう」


 岳が言った。


 蓮は少し考えて。


「……そうだな」


 スマートフォンをしまった。


 五人で空を見る。


 誰も話さない。


 ただ。


 同じ空を見ていた。


 何発目かの花火が上がったとき。


 蓮が言った。


「なあ」


「何?」


 樹が見る。


「来年も、またみんなで来ような」


 樹が笑った。


「当たり前だろ」


 美咲も笑う。


「うん」


 岳は少し考えてから、


「予定が合えば」


 と言った。


「そこは素直に『うん』って言えよ」


 蓮が笑う。


 そして。


 湊を見る。


「湊は?」


 湊は空を見上げたまま黙っていた。


 花火が一つ。


 夜空に開く。


 そして消える。


「……たぶん」


「たぶん?」


 蓮が笑う。


「そこは『絶対』だろ」


「……絶対」


 湊が言った。


 蓮が笑った。


 樹も。


 美咲も。


 岳も。


 そして湊も。


 笑った。


* * *


 花火が終わった。


 祭りの明かりが少しずつ消えていく。


 帰り道。


 人の流れに沿って、五人は歩いていた。


 蓮。


 樹。


 岳。


 美咲。


 湊。


 五つの影が、街灯の下に伸びている。


 けれど。


 しばらく歩くと。


 湊だけが少し後ろになった。


 人混みの中で。


 いつもの癖のように。


 一人になる。


 誰かと一緒に歩くことに慣れていない。


 だから。


 少しだけ距離ができた。


 美咲が振り返る。


「湊」


 湊が顔を上げる。


「何?」


「早く」


 美咲が笑った。


「みんな待ってるよ」


 湊は四人を見る。


 蓮が手を振っている。


「湊、早く!」


 樹も笑っている。


「置いてくぞ」


 岳は何も言わない。


 でも。


 待っている。


 湊は少しだけ目を細めた。


「……うん」


 走る。


 四人のところへ。


 五人が並ぶ。


 誰も急かさない。


 誰も特別なことを言わない。


 ただ。


 五人で歩く。


 夜の町を。


 夏祭りの余韻を残した道を。


 そのとき。


 湊が、ほんの少しだけ笑った。


 誰にも見られていないと思っていた。


 でも。


 蓮は見ていた。


 何も言わなかった。


 ただ、自分も笑った。


* * *


 その夜。


 家に帰った蓮は、自分の部屋の窓を開けた。


 遠くの空に。


 まだ少しだけ煙が残っている。


「来年も……か」


 呟く。


 来年も。


 五人で。


 旧音楽室に集まって。


 くだらない話をして。


 夏祭りに行って。


 花火を見る。


 そんな未来が。


 当たり前のように続くと思っていた。


 樹も。


 岳も。


 美咲も。


 湊も。


 きっと同じだった。


 ――この夏が。


 五人にとって、


 最も幸せな夏になることを。


 まだ誰も知らなかった。


 そして。


 夏の終わりを告げるように。


 夜風が、少しだけ強く吹いた。

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