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三匹のこぶた、青春中  作者: まーサンタ


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11/22

第十話 狼が、初めて笑った。



 七月。


 梅雨の終わりを告げるように、朝から蝉が鳴いていた。


 校庭の隅では、濡れた土が少しずつ乾き始めている。


 夏休みまで、あと二週間。


 教室の空気も、どこか落ち着かない。


「暑い……」


 蓮が机に突っ伏した。


「朝からそれ?」


 樹が笑う。


「だって暑いだろ」


「まだ授業始まってないぞ」


「だから暑いんだよ」


「意味分かんない」


 後ろから岳が言った。


 蓮は顔だけを上げる。


「岳、今日なんか冷たくない?」


「いつも通り」


「それが冷たいんだよ」


 樹が笑う。


 そんな三人の様子を、少し離れた席から美咲が見ていた。


「いつも通りだね」


「何が?」


 蓮が聞く。


「三人」


「そりゃそうだろ」


 蓮は笑った。


 けれど、その笑顔の奥には、少しだけ落ち着かないものがあった。


 昨日も、美咲のことを考えてしまった。


 話したい。


 近くにいたい。


 でも、意識すると何を話していいのか分からなくなる。


 こんなのは初めてだった。


 そして――。


 そんな自分を、樹と岳には完全に見抜かれていた。


「蓮」


「何?」


「今日、白石と何話した?」


「なんで?」


「顔が変わるから」


「変わってない!」


「変わってる」


 岳まで頷く。


「……お前ら嫌い」


「はいはい」


 樹が笑った。


* * *


 放課後。


 樹はサッカー部の練習へ向かった。


 夏の大会が近づいている。


 グラウンドでは、いつも以上に激しい練習が続いていた。


「樹!」


 顧問の声が飛ぶ。


「もう一回!」


「はい!」


 樹は走った。


 ボールを追う。


 シュート。


 外れた。


「もう一回!」


「はい!」


 また走る。


 今度は入った。


 けれど、その直後。


「次、二年の木村と交代」


「……はい」


 樹はベンチに戻った。


 隣には、最近レギュラーに定着し始めた同級生が座っている。


 樹は横目で見た。


 そいつは、自分より練習量が多いわけでもない。


 特別に体格がいいわけでもない。


 それでも、試合では結果を出す。


 樹は自分の手を見つめた。


 ずっと信じていた。


 努力すれば、いつか届く。


 練習すれば、できるようになる。


 諦めなければ、きっと。


 でも。


「……なんでだよ」


 小さく呟いた。


 答えは返ってこなかった。


* * *


 一方、旧音楽室。


 蓮と岳、美咲が集まっていた。


「樹、遅いね」


 美咲が時計を見る。


「部活」


 蓮が答える。


「大会近いから」


 岳は黒板を見ていた。


 そこには、これまで見つけた手がかりが並んでいる。


 古い写真。


 校舎図。


 中庭の時計。


 そして、最近見つかった「三本の線」。


「岳?」


 美咲が声をかける。


「何?」


「さっきから何見てるの?」


「この印」


 岳が指差した。


「誰かが意図的に残してる可能性がある」


「また?」


 蓮が眉をひそめる。


「写真を撮られたことも偶然じゃないかもしれない」


「考えすぎじゃない?」


 美咲が言う。


「そうかもしれない」


 岳は認めた。


「でも、何も考えないよりはいい」


「岳って、本当に慎重だよな」


「慎重じゃない」


「じゃあ何?」


「疑ってるだけ」


 蓮が苦笑する。


「それ、もっと怖いだろ」


 そのとき。


 扉の外から声がした。


「……ここ、使ってるの?」


 三人が振り返る。


 そこに立っていたのは、一人の男子だった。


 黒い髪。


 細身の体。


 制服の袖を少しだけまくっている。


 クラスでは、いつも一人でいる。


 黒崎湊。


 誰かと話しているところを、あまり見たことがない。


「黒崎?」


 蓮が言った。


「うん」


 湊は部屋の中を見た。


「旧音楽室」


「見れば分かるだろ」


 蓮が答える。


 湊は少しだけ眉を動かした。


「……そうだね」


 それだけ。


 蓮は少し困った。


「何か用?」


「別に」


「じゃあ、何で来たの?」


「噂になってたから」


 岳が顔を上げた。


「何の?」


「ここ」


 湊は旧音楽室を見回した。


「秘密基地」


 蓮が苦笑する。


「もう秘密じゃないけどな」


「そうみたい」


 湊はそれだけ言って、立ち去ろうとした。


「待って」


 蓮が呼び止めた。


 湊が振り返る。


「入りたいなら、入れば?」


 樹のいない三人の秘密基地。


 そこへ、突然現れた「狼」。


 岳は蓮を見る。


 美咲も少し驚いている。


 湊はしばらく黙っていた。


「……いい」


「なんで?」


「別に、入りたいわけじゃない」


「そっか」


 蓮は笑った。


「じゃあ、またな」


 湊は返事をしなかった。


 ただ、扉を閉める直前。


 ほんの一瞬だけ。


 その口元が、少しだけ緩んだ。


* * *


 翌日。


 樹は朝から元気がなかった。


「どうした?」


 蓮が聞く。


「別に」


「嘘」


「……」


 樹は机に鞄を置いた。


「昨日、練習で外された」


「レギュラー?」


「うん」


 蓮は言葉を探した。


「でも、まだ大会まで時間あるだろ」


「分かってる」


「練習すれば――」


「それは分かってるって!」


 樹の声が少し大きくなった。


 教室が静かになる。


「……ごめん」


 樹は俯いた。


 蓮は何も言えなかった。


 いつもなら、笑わせる。


 適当なことを言って、空気を軽くする。


 でも今は、それをしてはいけない気がした。


 岳が静かに言った。


「悔しいなら、悔しいって言えばいい」


「……」


「無理に前向きになる必要はない」


 樹は少しだけ顔を上げた。


「岳って、たまに優しいよな」


「たまに?」


「たまに」


「失礼」


 三人の間に、小さな笑いが生まれた。


* * *


 放課後。


 樹は一人で校舎裏にいた。


 練習まで少し時間がある。


 フェンスにもたれて空を見上げる。


「……努力って、何なんだろうな」


 誰もいないと思っていた。


「知らない」


 突然、声がした。


「うわ!」


 樹が振り返る。


 そこに湊がいた。


「黒崎……?」


「うん」


「いつからいた?」


「さっき」


「驚かすなよ」


「ごめん」


 湊は樹の隣に立った。


「落ち込んでる?」


「……悪いかよ」


「別に」


「なら聞くな」


「聞いてない」


「……」


 しばらく沈黙が続いた。


 蝉の声だけが響く。


「努力しても、うまくいかないことってある?」


 樹が聞いた。


 湊は少し考えた。


「あるんじゃない?」


「簡単に言うなよ」


「簡単じゃない」


 湊は空を見た。


「努力したら絶対に勝てるなら、負ける人はいなくなる」


「……」


「でも」


 湊が続ける。


「負けたら終わりでもない」


「何だよ、それ」


「次がある」


 樹は苦笑した。


「簡単に言うなって」


「じゃあ」


 湊が少し考える。


「次も失敗すればいい」


「は?」


「失敗したら、また次がある」


「……お前、変なやつだな」


 樹は思わず笑った。


 湊も。


 ほんの少しだけ笑った。


「……お前、笑うんだな」


「笑うよ」


「初めて見た」


「失礼」


 樹はまた笑った。


「なんか、お前って狼みたいだな」


「狼?」


「一人でいるし、怖そうだし」


「ひどいな」


 湊が笑う。


 その顔を見て、樹も笑った。


 いつの間にか。


 さっきまで胸にあった重さが、少しだけ軽くなっていた。


* * *


 その日の放課後。


 旧音楽室。


 蓮、樹、岳、美咲の四人が集まっていた。


「遅かったな」


 蓮が樹を見る。


「ちょっと話してた」


「誰と?」


「黒崎」


「黒崎?」


 岳が顔を上げる。


「うん」


「何話した?」


「いろいろ」


 樹は笑った。


「意外と面白いやつだった」


 蓮が驚く。


「黒崎が?」


「うん」


「へえ……」


 そのとき。


 コンコン。


 扉を叩く音。


 四人が振り返る。


 扉が開く。


 湊だった。


「……ここ、入っていい?」


 四人は顔を見合わせた。


 蓮が笑った。


「もちろん」


 湊が中に入る。


「ただし」


 蓮が言う。


「お菓子持ってきたなら歓迎」


「持ってない」


「じゃあ次から」


「考えとく」


 樹が笑う。


「座れば?」


 美咲が椅子を指した。


 湊は少し迷ってから、空いている椅子に座った。


 岳は黒板を見る。


 そこには四人の名前が書かれている。


 蓮。


 樹。


 岳。


 美咲。


 蓮がチョークを手に取った。


 そして、その横にもう一つ名前を書いた。


黒崎湊。


「……」


 湊がそれを見る。


「俺、別に仲間になるつもりないけど」


「じゃあ、とりあえず遊びに来る人」


 蓮が笑った。


「……それでいい」


 湊も、ほんの少し笑った。


 五人になった旧音楽室。


 誰かが話し。


 誰かが笑い。


 誰かが黙って聞いている。


 それだけの時間。


 けれど。


 三匹のこぶたの「家」は、少しずつ大きくなっていた。


* * *


 夕方。


 五人が帰った後の旧音楽室。


 窓から風が入ってくる。


 黒板に書かれた五つの名前が揺れるカーテンの向こうで静かに残っていた。


 しばらくして。


 廊下から、足音がした。


 誰かが扉の前で立ち止まる。


 そして。


 黒板に書かれた文字を見た。


 蓮。


 樹。


 岳。


 美咲。


 湊。


 その人物は、黒板の端に新しい文字を書いた。


『三匹じゃなくなったね。』


 その下に。


 三本の線。


 そして――。


 そのうち一本が、ゆっくりと消された。


 誰が書いたのか。


 誰にも分からない。


 ただ。


 旧音楽室の外では、夏の風が強く吹いていた。


 三匹のこぶたの家に。


 新しい仲間が加わった。


 けれど同時に。


 その家を見つめる「狼」の影も、また一つ増えていた。

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