↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/28

第7話 玉砕姫、通算七十九回目

 拡声器で告白された人を、俺ははじめて見た。

 拡声器で告白した人も、はじめて見た。


 学食の入口に立っていたのは、小柄な一年生だった。白羽さんより頭一つ低い。明るい茶色の髪を左右の高いところで結んでいて、毛先が四方に跳ねている。左腕に〔報道〕の腕章。首からはデジカメと、手のひらに収まるくらいの、銀色の小さな機械を下げていた。

 二百人が、箸を止めて彼女を見ていた。

「百瀬だ」

「玉砕姫だ」

「今度は白羽さんかよ」

 ざわめきの中に、「今度は」が混じっていた。どうやら、これがはじめてではないらしい。


 彼女は拡声器を構えたまま、テーブルのあいだを、まっすぐ歩いてきた。

 白羽さんは、野球部の長テーブルの前で、さっきの直角から戻ったばかりの姿勢のまま立っていた。彼女は白羽さんの一メートル手前で止まり、拡声器を下ろさずに言った。

「一年A組、新聞部、百瀬うららです!」

 一メートルの距離で、拡声器だった。白羽さんの前髪が、揺れた。

「先輩が、購買のおばちゃんに、九十度でお辞儀してるの、見ました! パン一個に、九十度! 好きです!」

 告白に、理由が一つ付いていた。顔のことでも、髪のことでもなかった。

 パン一個に九十度。そのパンの行き先を、俺は知っていた。柱の陰で、俺は少しだけ小さくなった。


 白羽さんは、百瀬を見下ろした。

「……ごめんなさい」

 間が短く、語尾が上がった。⑦だ。驚いている。当然だった。

 それから、白羽さんは一度だけ息を吸った。

「……返事は、手紙で。来週の、金曜に」

 名前と、好きです。両方そろっていた。あの一文は、今日も引き金を選ばなかった。


 百瀬の目が、丸くなった。

「手紙!?」

 拡声器ごと、一歩前に出た。

「振られるのに、手紙もらえるんですか!? 最高じゃないですか!」

 学食の天井で、その声がもう一度跳ね返った。

 白羽さんが、頭を下げた。九十度だった。

 その瞬間、フラッシュが光った。百瀬が、首から下げたデジカメを片手で構えていた。直角の白羽さんが、新聞に載ることが決まった瞬間だった。


 百瀬はデジカメを下ろすと、首から下げた銀色の機械に、親指をかけた。数取器だった。交通量の調査で、人がかちかち押しているあれだ。窓の数字は、〔78〕だった。

 親指は、押さなかった。

「カウントは、お手紙をいただいてからにします!」

 それから百瀬は、右手を額に当てて、きびきびと敬礼した。

「百瀬うらら、撤収します!」

 来たときと同じ速さで、テーブルのあいだを戻っていった。入口で一度振り返り、もう一度敬礼して、消えた。


 学食の隅で、きつねうどんを食べていた生徒会の役員が、首から下げたストップウォッチを見つめていた。反射で押してしまったらしい。

「……二十八秒」

 誰に言うでもなく、そうつぶやいた。整理券は持っていなかったはずだが、三十秒には収まっていた。


 ざわめきが戻ってきた。

 白羽さんは、顔を上げたまま、しばらく動かなかった。それから、ゆっくりと首を回して、券売機の横の柱を見た。

 俺のいる柱だった。最初から知っていたらしい。

 白羽さんは何も言わなかった。右手も動かなかった。ただ、少しだけ長く、こっちを見ていた。

 俺はノートを出して、正の字に一画足した。三つと、四画。

 十九通目は、拡声器でやってきた。


  ◇


 月曜の朝、昇降口で、拡声器が鳴っていた。

「週刊玉砕、最新号です! おはようございます! 週刊玉砕です!」

 百瀬は下駄箱の前に立ち、登校してくる生徒の一人一人に、B4の紙を一枚ずつ差し出していた。受け取る人も、受け取らない人もいた。受け取らない人にも、百瀬は同じ声で「おはようございます!」と言った。

 俺は受け取った。俺に紙を差し出したとき、百瀬は俺の顔を見なかった。俺の手元だけを見ていた。存在感がないというのは、こういうときも便利だ。


  週刊玉砕 第五号 玉砕カウンター78

  ◆編集長、二年の白羽ことは先輩に告白!

   五月十日(金)昼、学食にて。返事は、なんと、手紙! 受け取りは来週金曜の予定。振られ心地は、来週号で詳しく報告します!

  ◆振られ予報

   来週金曜の編集長 玉砕確率百パーセント。晴れ。

  ◆お知らせ

   生徒会の整理券は、一年生には配られていないそうです。編集長は持っていません。ごめんなさい!


 最後の一行で、俺は少し立ち止まった。俺の書く断り文句には一度も出てこない言葉が、新聞の隅に、感嘆符つきで、軽々と載っていた。

 題字の横の玉砕カウンターは、78。数取器の窓と同じ数字だった。


  ◇


 バックナンバーは、図書室にあった。

 新聞棚の、地元紙の隣に、紙ばさみが一冊差してあった。背に、柳先生の字で〔週刊玉砕〕。毎週一部ずつ、綴じているらしい。

 放課後、俺はいつもの壁向きの机で、第一号から順に読んだ。


 第一号は、四月の半ばの号だった。〔編集長紹介〕の欄に、こう書いてあった。〔一年A組 百瀬うらら。中学までの玉砕、通算七十五回。高校でも元気に玉砕します!〕。七十五回の内訳は、どこにも書いていなかった。

 同じ号の〔今週の玉砕〕は、校長だった。


   校長先生、好きです! 毎朝、校門で、生徒の名前を一人ずつ呼んで「おはよう」と言ってくれるところが好きです! 六百人、全員の名前を覚えているそうです! 告白したら「ありがとう。でも校長先生には、校長先生の奥さんがいます」と言われました! 玉砕! 七十六回目!


 第二号は、購買のおばちゃんだった。


   購買のおばちゃん、好きです! パンを入れた紙袋の口を、毎回、二回折ってくれるところが好きです! 一回だと開いちゃうから、だそうです! 告白したら「はい、焼きそばパン」と言われました! 返事が焼きそばパンでした! 玉砕! 七十七回目!


 俺は、読む目を止めた。

 四月十九日、体育倉庫の陰で、白羽さんにもらったコロッケパンの紙袋。口が、きっちり二回折ってあった。俺はあれを、白羽さんの几帳面さだと思っていた。

 違った。おばちゃんだった。

 毎日あの袋を受け取っていた何百人のうち、二回折ってあることに気づいて、それを好きだと言ったのは、たぶんこの一年生だけだった。


 第三号の〔今週の玉砕〕は、一行だけだった。〔今週は、好きなものを探していました! 来週に期待!〕

 第四号は、コーンスープの自販機だった。


   本館一階のコーンスープの自販機、好きです! 最後の一本まで、ちゃんと熱いところが好きです! 告白した瞬間に、売り切れのランプが点きました! 正直! 玉砕! 七十八回目!


 カウンターの中で、柳先生の肩が震えていた。今日の分の地元紙を整理するふりをして、手元に第四号のコピーを広げていた。

 図書室では静かに、と俺は言わなかった。


 俺は紙ばさみを閉じて、しばらく天井を見た。

 校長。購買のおばちゃん。自販機。好きの相手は、めちゃくちゃだった。軽い、と言われても仕方がない。自販機に告白する人の「好き」は、たぶん、誰が聞いても軽い。

 でも、どの「好き」にも、理由が一つずつ付いていた。名前を呼ぶ声。二回折る袋の口。最後の一本まで熱いスープ。誰も気にしていなかった良いところを、一つだけ見つけて、それを好きだと言っていた。

 学食で白羽さんに言ったのも、顔のことではなかった。パン一個に九十度。

 俺がこの一か月、断り文句の二段落目でやっていることと、同じだった。

 この一年生は、良いところを見つける天才だった。そして、見つけたものを、大声で本人に言いに行く。俺には、そっちができない。


  ◇


 十三番から十八番の六通は、月曜と火曜で片づいた。量産体制は、もう体に入っていた。

 白羽さんは月曜に、筆ペンを箱で買ってきた。十本入りだった。予備の考え方が、先週から変わったらしい。


 水曜の放課後、残ったのは百瀬の一通だけだった。

 俺は最初、百瀬の声で書いた。相手の言葉に合わせるのは、いつものやり方だ。捕手には捕手の言葉で、韻には韻で返した。新聞の人には、新聞の調子で返せばいい。

「読むよ」

 白羽さんがうなずいた。

「百瀬さん! 学食での告白、しっかり受け取りました!」

 白羽さんの首が、横に振られた。

 一文目だった。

「……わたしは」

 白羽さんは、小さな声で、はっきり言った。

「……びっくりマークを、使いません」

 俺は、ルーズリーフを見下ろした。感嘆符が、一枚に十四個あった。

 これは、白羽さんの名前で出す手紙だった。百瀬の声に化けたら、白羽さんの声のほうが、嘘になる。韻は中身だから踏めた。でも、白羽さんの文に、感嘆符は出てこない。

 俺はルーズリーフを裏返した。感嘆符十四個ぶん、遠回りをした。


「白羽さん、これ、読んでみて」

 俺は柳先生に借りてきた紙ばさみを、長机に置いた。週刊玉砕の、第一号から第五号まで。

 白羽さんは一号ずつ、ゆっくり読んだ。手書きではなく活字なので、白羽さんにもちゃんと読める。校長の号で、少し目が止まった。購買のおばちゃんの号で、もっと長く止まった。

 白羽さんは、自分の右手を見た。

 それから、もう一度、紙面を見た。

「……袋」

「二回、折ってあった」

「……知りません、でした」

 白羽さんは、それきり黙った。

 黙ったまま、紙面の〔二回折ってくれるところが好きです!〕の一行を、指でなぞった。四月十八日に、封筒の宛名をなぞったときと、同じ指の動きだった。

 部室が、しばらく静かだった。窓の外の中庭で、誰かが笑う声がした。

「……この人は」

 白羽さんが、やっと言った。

「……見て、から、好きって、言う人、です」

 俺も、そう思った。


 感嘆符のない下書きは、一時間でできた。

 俺は一文ずつ読み、白羽さんは一文ずつうなずいた。一度も首を横に振らなかった。ある一文のところで、うなずくのが、いつもより少し遅かった。遅かったけれど、深かった。

 清書は、新しい箱の一本目でした。


   百瀬うららさんへ


   学食で、気持ちを伝えてくれて、ありがとうございました。

   大きな声でした。あんなに大きな声で、好き、と言われたのは、はじめてです。


   あなたの新聞を、第一号から読みました。

   校長先生の、名前を呼ぶ声。購買のおばちゃんの、二回折る袋の口。自動販売機の、最後の一本まで熱いスープ。あなたが好きになったものには、ほかの人が気づかなかった良いところが、一つずつ書いてありました。

   わたしも、あの袋を受け取ったことがあります。二回折ってあることに、気づきませんでした。

   あなたは、好きと言う前に、ちゃんと見る人だと思います。


   だから、わたしは、あなたの好きを、軽いとは思いません。

   あなたの好きは、軽くない。だから、ちゃんと断ります。

   わたしは、あなたとお付き合いすることはできません。

   それは、あなたのせいではありません。でも、わたしの気持ちは、あなたと同じではありません。


   あなたが次に見つける良いところを、また、新聞で読ませてください。


   白羽ことは


 五つの約束は、全部守れていた。「ごめんなさい」も、感嘆符も、一つもない。

 清書した和紙を、俺は頭から読んだ。止めとはねを見るのは、癖になっている。

 「軽」の字だけ、筆圧が強かった。墨が、ほかの字より少しだけ濃く、紙に沈んでいた。軽い、という字を、白羽さんは、いちばん重く書いていた。


  ◇


 五月十七日、金曜日の昼休み。学食は、満席だった。

 食べていない人もいた。立っている人もいた。月曜の週刊玉砕に「受け取りは来週金曜の予定」と書いてあったせいだ。先週と違って、今週は二百人全員が、これから何が起きるかを知っていた。

 俺は先週と同じ、券売機の横の柱の陰に立った。


 百瀬は、学食の真ん中のテーブルの前に立っていた。首に数取器とデジカメ。拡声器は、今日は足元に置いてあった。

 白羽さんが入口に現れると、学食が端から静かになった。白羽さんは、まっすぐ百瀬の前まで歩いた。百瀬は、気をつけの姿勢をとり、敬礼した。

「百瀬うらら、受け取りに参りました!」

 白羽さんが、白い封筒を両手で差し出した。腰から上を倒していく。九十度。

 百瀬は、封筒を両手で受け取った。


 その場で開けた。

 二百人が、身を乗り出した。百瀬うららなら、声に出して読む。誰もがそう思っていた。俺もそう思っていた。たぶん、拡声器で読む。

 百瀬は、読まなかった。

 声に出さずに、読み始めた。

 学食が、静かになった。さっきまでの静かさとは違った。誰かが、持ち上げかけた湯のみを、音を立てないように机に戻した。

 百瀬の目が、便箋の上を下りていった。

 ある行で、止まった。

 それから、もう一度、いちばん上から読み直した。

 唇が一度だけ、何かの形に動いた。声にはならなかった。

 十秒。二十秒。三十秒。

 百瀬うららが黙っているのを、俺は、このときはじめて見た。


 百瀬は、手紙を畳んだ。

 白羽さんが折ったとおりの折り目に、指を一本ずつ沿わせて、ゆっくり三つに畳んだ。それから、鞄の中から透明なクリアファイルを一枚出した。何も入っていない、新品だった。手紙を封筒に戻し、その封筒を、クリアファイルの真ん中に、角をそろえて入れた。

 クリアファイルを胸に抱えて、百瀬は顔を上げた。

 足元の拡声器を拾った。

「振られ心地!」

 学食の天井が、びりっと鳴った。

「星、五つ!」

 親指が、数取器を押した。

 カチッ。

 窓の数字が、〔79〕になった。

「七十九回目! 玉砕です!」

 二百人が、いっせいに息を吐いた。それから、誰からともなく拍手が起きた。振られた人への拍手は、先週の投手五人から、二百人に増えていた。


 拍手がまだ鳴っているうちに、百瀬は拡声器を構え直した。

「白羽先輩!」

 学食が、もう一度静かになった。

「『好きと言う前に、ちゃんと見る人』って、書いてくれました! 二回読みました! だから、来週までに、先輩のこと、もっとちゃんと見てきます! 取材です!」

 一拍、置いた。

「好きです! 付き合ってください!」

 振られて、十秒後だった。

 白羽さんは、まばたきを一つした。名前と、好きです。そろっていた。

「……返事は、手紙で。来週の、金曜に」

「はい! 来週も、受け取りに来ます!」

 百瀬は敬礼し、クリアファイルを抱えたまま、来たときと同じ速さで学食を出ていった。


 こうして、金曜の昼の学食は、毎週の儀式になった。

 百瀬が前の週の返事を受け取り、数取器を押し、その場で次の告白をする。来週は、八十回目だ。

 柱の陰で、俺はノートを開いた。正の字の横に、小さく〔百瀬 毎週〕と書いた。書いてから、それがどういう意味か考えて、少しだけ気が遠くなった。

 それでも、あの三十秒の沈黙を思い出すと、首の後ろが痒くなった。俺の書いた文の前で、あの声の大きな一年生が、黙った。

 嫌な痒さでは、なかった。


  ◇


 月曜の朝、昇降口の掲示板の前に、人だかりができていた。

 人垣の向こうに、B4の紙が一枚、四隅を画鋲でとめて貼ってあった。いつもの週刊玉砕より、見出しの字が倍くらい大きかった。


  〔週刊玉砕 号外〕

  〔白羽ことは先輩の断り文句、全文掲載!〕


 その下に、俺の書いた文章が、一字一句そのまま、活字で並んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。