第5話 振られたい男子が後を絶たない
「白羽さん! 俺を、振ってください!」
告白には、たいてい、お願いの言葉がつく。付き合ってください。友達からでいいです。返事をください。
振ってください、は聞いたことがなかった。
俺は教室の後ろの扉を入ったところで、鞄を肩に掛けたまま止まっていた。
白羽さんの席は、窓側の前から二番目だ。白羽さんはそこに座り、いつもどおり背筋を伸ばして、机の前に並んだ三人を見上げていた。顔は動かなかった。教室にいた二十人ほどが、全員そっちを見ていた。
一秒。二秒。
三秒たった。
三秒は、吉岡が「瞬殺」と呼ばれた返事の長さだった。たぶん白羽さんも、数えていた。
白羽さんは、立ち上がった。
「……返事は、手紙で。来週の、金曜に」
そして、頭を下げた。
「っしゃあ!」
先頭の男子が両手を突き上げた。花束も一緒に突き上がった。赤いカーネーションだった。母の日の五日前なので、駅前の花屋では、それがいちばん手に入りやすかったのだと思う。彼は花束を机の上にそっと置き、「よろしくお願いします!」と頭を下げて、列の横にどいた。
二人目が前に出た。五円玉の男子だ。彼は五円玉を机の端に置き、二回頭を下げ、二回手を叩き、もう一回頭を下げた。作法は正しかった。机は神社ではなかった。
それから顔を上げて、付け足した。
「あ、好きです。たぶん」
たぶん、のつく告白も、はじめて聞いた。
白羽さんは、もう一度言った。
「……返事は、手紙で。来週の、金曜に」
三人目は、上履きのゴムが緑だった。この学校の上履きは学年で色が違う。緑は三年生だ。彼は合掌したまま目を閉じ、深く一礼した。
「第一志望、よろしくお願いします」
告白の締めくくりに、志望校の話が出た。この人が好きなのは、たぶん白羽さんではない。
「……返事は、手紙で。来週の、金曜に」
白羽さんは三回目を言い、三回目の礼をした。
三人が廊下へ出ていくと、教室の空気がいっぺんにゆるんだ。
「権田先輩、優勝したもんな」
「白羽さんに振られると、人生が好転するんだって」
「手紙で振られないと駄目らしいぞ。口だと効かない」
効く、効かないの話になっていた。何かの薬だと思われている。
俺はようやく、自分の席に鞄を下ろした。廊下側のいちばん後ろだ。ここからは、教室の全部と、前の扉の向こうの廊下までが見える。
白羽さんは、まだ座っていなかった。机の上のカーネーションと五円玉を、立ったまま見下ろしていた。
返事は、手紙で。
その手紙を書くのは、誰か。
俺だ。
引き受けるとは、まだ一言も言っていなかった。言う前に、増えた。
一時間目が終わると、ポケットが震えた。
柔道場の窓の外で通知音を鳴らしてから、俺のスマートフォンはマナーモードにしてある。
【白羽】拝啓 新緑の候、墨田様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
要約すると、三通増えた、申し訳ない、という内容だった。便箋三枚分あった。
読み終えて顔を上げると、白羽さんの机の前に、男子が二人立っていた。
二時間目のあとに、一人来た。三時間目のあとには、誰も来なかった。かわりに、机の端の五円玉が三枚に増えていた。誰が置いたのかは分からない。
LINEは、そのたびに届いた。二通目は薫風の候で始まり、三通目は立夏の候で始まった。
昼休みには、前の扉から廊下へ、三人の列ができていた。
七人目は、野球部の男子だった。坊主頭で、肩幅が広い。白羽さんの前まで来ると、いきなりしゃがんだ。膝を開き、かかとを浮かせ、左手を顔の前に構える。捕手の構えだった。
「ど真ん中に、お願いします!」
受ける気に満ちていた。
白羽さんは立ち上がり、「……返事は、手紙で。来週の、金曜に」と言って、頭を下げた。九十度まで下げると、しゃがんだ捕手と、頭の高さがちょうどそろった。二人はその高さのまま、しばらく動かなかった。
八人目は、韻を踏んだ。
「白羽さん、俺は岩城、MCガンキ! 振られに来たぜ、人生の転機!」
ガンキと転機で、踏んでいた。白羽さんの返事は、踏んでいなかった。
九人目は、何も持っていなかった。眼鏡をかけた、細い男子だった。彼は白羽さんの前で一度だけ深呼吸をして、小さな声で言った。
「好きです。……振られてもいいので、言いに来ました」
九人の中で、振ってください、と言わなかったのは、この人だけだった。
「……返事は、手紙で。来週の、金曜に」
白羽さんは、九回言った。
九回とも、最初に「……」が一つ入る。そのあとは一度もつかえない。「手紙で」のあとに半拍。「金曜に」の「に」で、声がほんの少し下がる。九回とも、まったく同じだった。
ほかの言葉はいつも途中で迷子になるのに、その一文だけは、録音を再生しているように正確だった。
練習した文だ、と俺は思った。何回練習したのかは、知らない。
九回目が終わったとき、教室の誰かが、様式美、とつぶやいた。
昼休みの終わりに、四通目のLINEが届いた。青葉の候だった。
俺はこの日、五月の時候の挨拶を四つ覚えた。
それから、弁当を開けないまま計算した。権田先輩の一通には、調査に一日、下書きに三時間、清書に十五分かかった。
九を掛けた。
掛けなければよかった。
◇
放課後、二年B組の前の廊下が、通れなくなっていた。
振られに来た男子がいた。それを見に来た人がいた。それを見に来た人を見に来た人もいた。昼休みの九人の話は、午後の二時間で学年をひと回りして、三年の教室まで届いたらしい。
前の扉にも後ろの扉にも、人が詰まっていた。俺は廊下側のいちばん後ろの席で、鞄を抱えたまま出られなくなった。白羽さんは窓側の席で、背筋を伸ばして座っていた。出口は二つとも、彼女に用のある人でふさがっていた。
「失礼します。生徒会です」
よく通る声だった。
廊下のざわめきが、前のほうから順に静かになった。人垣が左右に割れて、その間を男子が一人、歩いてきた。
「会長だ」
「久世くんだ」
女子の声がいくつか、少し高くなった。
久世透。二年A組。生徒会長。背が高く、制服を校則どおりに着ている。第一ボタンまで留めているのは俺と同じなのに、俺とはまるで違って見えた。去年の秋、一年生のうちに会長に選ばれた人だ。
後ろに、腕章をつけた役員が二人ついていた。一人は小さな段ボール箱を抱え、もう一人は首からストップウォッチを下げていた。
久世は教卓の横まで進み、白羽さんの席に向かって一礼した。
「白羽さん。突然すみません。本日、二年B組の前の廊下において、通行の妨げが発生しています」
白羽さんは、久世を見上げた。
「生徒心得第八条により、廊下は通行のための場所です。また、生徒会規約第十二条により、生徒会は、生徒の学校生活に必要な措置をとることができます。よって、措置をとらせていただきたい」
白羽さんは、うなずいた。
久世は、廊下の人垣へ向き直った。
「まず申し上げます。告白は、生徒の自由です。生徒会は、これを妨げません」
廊下で、拍手が少し起きた。
「しかし、廊下の通行も、生徒の自由です。二つの自由を両立させるため、本日から、告白の整理券を発行します」
箱の役員が、ふたを開けた。中には、名刺くらいの大きさの紙が束になって入っていた。
久世はその一枚を取り、人垣に向かって高く掲げた。
いちばん後ろの席からでも、字が汚いのが分かった。字の汚さは、遠くからでも分かる。俺は詳しい。
久世はその一枚を、見本として白羽さんの机に置いた。白羽さんは整理券を見て、もう一度見た。目が、紙の上を三回往復した。
「……ごめんなさい」
間が違い、声が半音低かった。
読めません、のほうだった。あれを俺以外の人間が言われるのを、俺ははじめて聞いた。
久世は気にしなかった。意味が分からなかったのだと思う。
俺がその整理券を読んだのは、もっとあとのことだ。汚い字を読むのには慣れている。自分の字で。
〔告白整理券 見本〕
〔告白は昼休み、中庭の藤棚の下にて行うこと〕
〔一日三名まで。一名三十秒以内〕
〔本券は譲渡できません〕
〔天神坂高校生徒会〕
最後の行に、朱肉で生徒会の印が押してあった。印だけが、まっすぐだった。
俺は生まれてはじめて、自分より字の汚い人間に会った。少しうれしかった。
「本日すでに告白を済ませた九名には、一番から九番を、さかのぼって交付します」
規則は、さかのぼって適用された。
「十番以降の方は、こちらに一列に並んでください。一日三名ですので、十番の方は明日の昼休みになります」
人垣が、ざわざわと列の形になり始めた。
「三十秒は短い、と思われるかもしれません」
久世は、ストップウォッチの役員に目で合図した。
「白羽さんの昼休みは四十五分です。昼食の時間を確保していただくには、一名三十秒が上限です。また、三十秒あれば、告白には十分です。見本を示します」
役員が、ストップウォッチのボタンに親指をかけた。
久世は廊下の列に向かって背筋を伸ばし、はっきりと言った。
「白羽さん、好きです。付き合ってください」
かちっ、と役員がボタンを押した。
「四秒です」
「このように、三十秒あれば」
「……返事は、手紙で。来週の、金曜に」
教室が、静かになった。
久世の後ろで、白羽さんが立ち上がり、頭を下げていた。九十度だった。
久世は振り向き、直角の白羽さんを見た。一度、口を開けて、閉じた。
「……いえ。今のは、見本です」
白羽さんが、顔を上げた。
「……ごめんなさい」
謝罪だった。間違えようがなかった。
あの一文は、名前と「好きです」が並ぶと、勝手に出てくるらしい。練習しすぎた文は、引き金を選ばない。
久世は咳払いを一つして、説明に戻った。耳が、少し赤かった。
整理券は、十番から二十二番までが、五分で出ていった。
列ができると、廊下はあっけなく通れるようになった。券をもらった男子たちは、それを生徒手帳に挟み、大事そうに胸ポケットにしまって帰っていった。
久世は白羽さんにもう一度一礼し、役員を連れて教室を出ていこうとした。扉のところで、ストップウォッチの役員が、遠慮がちに言った。
「会長。見本のあとも、計っておきました」
「何を」
「会長の説明です。二分五十秒でした」
一名三十秒の決まりを作った人は、二分五十秒しゃべっていた。
◇
文芸部室に着いたのは、四時を過ぎてからだった。
五分後、扉が二回ノックされた。
白羽さんは入ってくるなり、頭を下げた。
「……ごめんなさい」
謝罪だった。今日のLINEの分を合わせると、俺が受け取った謝罪は、便箋で十枚をこえていた。
「白羽さんが謝ることじゃないよ」
白羽さんは顔を上げ、長机の向かいに座った。それから鞄を開け、紙を二枚出して、机の上に並べた。
一枚は、さっきの見本の整理券だった。もう一枚はルーズリーフで、整理券と同じ字がびっしり並んでいた。
「これは」
「……名簿、です。一番から、九番の」
宛名がないと、手紙は書けない。白羽さんはここへ来る前に生徒会室へ寄って、九人の名前を教えてほしいと頼んできたのだという。頼み方は、もちろん手紙だった。
生徒会は、さかのぼって交付するために、九人の名前をもう調べてあった。久世はその場で名簿を書き写して、渡してくれたらしい。親切だった。
白羽さんには、読めなかった。
俺は名簿を手に取った。
久世の字は、崩れ方に癖があった。「口」がほとんど点になる。「木」の左右の払いを省く。それ以外は、だいたい俺と同じ崩れ方だった。
俺は一番から順に読み上げた。名前とクラスが九つ。三番は三年の早瀬進で、合掌の人だった。七番は野球部の大森拓海、八番は岩城大河。本人が名乗ったとおりだった。整理券の文面も、このとき読んだ。
読み終えて顔を上げると、白羽さんがこっちを見ていた。
「……ごめんなさい」
間が短く、語尾が上がった。これまでに聞いたことのない「ごめんなさい」だった。驚いた、だと思う。辞典に書く項目が、また一つ増えそうだった。
白羽さんの目が、名簿と、机の上に開いてある俺のノートとのあいだを、二回往復した。
比べないでほしかった。
俺は、ノートの新しいページを開いた。
「九通、書くよ」
白羽さんの手が止まった。鞄の中から、何かを出しかけていたところだった。
出てきたのは、四つ折りの和紙だった。白羽さんは少し迷ってから、それを開いて、俺の前に置いた。
〔九通 お願いできますか〕
字が、いつもより小さかった。「九」の最後のはねが、縮こまっていた。止めも払いもたしかに白羽さんの字なのに、紙の上で、肩をすぼめているように見えた。
申し訳ない、という字だった。
「もう、書くって言ったよ」
白羽さんは、それでも頭を下げた。
引き受ける理由は、口にしなかった。今朝、白羽さんは三秒のところで立ち上がった。あれを見たあとで、断れるわけがなかった。
「ただ、一つ問題がある」
白羽さんが顔を上げた。
「ルールの二つ目」
断り文句に、嘘は書かない。
「たとえば三番の、早瀬先輩」
俺は、権田先輩の手紙で決めた、断る理由の言い方を思い出しながら言った。
「それは、早瀬先輩のせいではありません。でも、わたしの気持ちは、早瀬先輩と同じではありません」
白羽さんは、首を横に振った。
それから、小さな声で言った。
「……同じ、です」
「え」
「……わたしも、早瀬先輩を、好きじゃない、ので」
俺は口を開けたまま、しばらく閉じられなかった。
完璧な指摘だった。早瀬先輩は、白羽さんを好きではない。白羽さんも、早瀬先輩を好きではない。二人の気持ちは、同じだった。
俺の決まり文句は、相手が本気でないと、嘘になる。
頭の中で、赤ペンを探した。今日、直されるのは俺のほうだった。
「じゃあ、どう書くか」
俺は、半分は自分に向かって言った。
好きでもない相手に、わたしもあなたを好きではありません、と書く。それは断り文句ではなく、ただの確認だ。あなたも本気じゃないでしょう、と書けば、相手を責めることになる。四つ目の約束に反する。
俺は、今朝からの九人を、頭の中で並べ直した。カーネーション。五円玉と「たぶん」。合掌と第一志望。ど真ん中の構え。人生の転機の韻。
それから、三年生の声を思い出した。
「第一志望、よろしくお願いします」
ふざけた声ではなかった。目を閉じて、手を合わせて、本気で頼んでいた。
「あの人には、好きなものがある」
白羽さんが、少し首をかしげた。
「白羽さんじゃないだけで。早瀬先輩は、第一志望が、本気で好きなんだ。その好きは、嘘じゃない」
俺はノートに書いた。
〔本当に好きなもの〕
「嘘を書かずに断るなら、そっちを書けばいい。白羽さんへの好きじゃなくて、その人の、本当の好きのほうを」
白羽さんは長いあいだ、ノートの一行を見ていた。読めているのかどうかは分からなかった。
それから、うなずいた。
白羽さんの指が、名簿の上で止まった。
九番だった。眼鏡の、細い男子。
「……この人は」
白羽さんは一度言葉を切り、それから言い直した。
「……同じじゃ、ない、です」
振ってください、と言わなかった人だ。振られてもいいので、言いに来ました、と言った人だ。
九人の中で、決まり文句が嘘にならないのは、一人だけだった。白羽さんは、それをちゃんと聞き分けていた。
「分かった。九番は、権田先輩と同じ書き方でいく」
ほかの八人は、それぞれの本当に好きなものを、見つけるところから始める。四番から六番の三人は、俺がLINEを読んでいるあいだに来て、帰っていった。顔も、ちゃんと見ていない。
白羽さんは筆箱を開けて、筆ペンの本数を数えていた。いつもの一本と、予備が三本。
俺はノートに、日付を書き出した。来週の金曜まで、十日。土日を除けば、今日を入れて、放課後は八回ある。
八回で、九通。
一回に一通では、一通足りない。
それに、明日からは整理券の十番が来る。白羽さんはあの一文で答える。来週の、金曜に。十一番も、十二番も、同じ金曜に。
今度は、掛ける前にやめた。
放課後は八回。手紙は九通。
俺の汚い下書きと、彼女の筆ペンは、追いつくだろうか。




