↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
47/50

第45話 自販機の前で

 京都の川べりでは、みんな、なぜか等間隔に座るらしい。


 十月二十四日、木曜日の夕方五時。ホテルのそばの鴨川に下りてみたら、本当に、カップルが等間隔に座っていた。


「……隣に、聞こえない、距離です」


 狐の面の中から、白羽さんが小さく言った。


「……調べたの?」


「……ガイドブックの、すみに、ありました」


 しおりどころか、ガイドブックのすみまで読んできたらしい。予習が細かい。


 七通の返事を渡す場所は、白羽さんが決めた。振られるところを、誰にも聞かれずに済むからだ。


 七人への知らせは、班長の俺が斎藤に頼んだ。


「五時に鴨川ね。一人ずつ? 了解!」


 十五分で、七人に届いた。顔が広いと、伝言も速い。


 川べりを見ると、七人とも、ちゃんと等間隔に座っている。


 そのあいだに、振られ男子の会の六人も、五メートルおきに座っていた。見守り係が、すっかり景色になっている。


 一人目は、C組の山岳部だ。


 白羽さんは、渡す前に、狐の面を頭の上にずらした。返事は、顔を出して渡すらしい。


 両手で差し出された和紙を、山岳部はその場で開いた。


  〔山が好きだと、聞きました〕


「……斎藤か」


 山岳部はぽつりと言って、手紙をもう一度見た。


「でも、山のことを書いてもらったの、はじめてだ」


 二人目は、F組の行列好きだ。おととい、音羽の滝の行列で、順番が来る前に告白している。


「……斎藤ですね」


 開いて二秒で言った。早い。


「次は、順番が来てから言います」


 行列の決まりには、うるさいらしい。


 三人目は、D組の数学だ。


 読み終わると、D組は顔を上げて、川べりをきょろきょろ見回した。


「……斎藤は?」


 指さされた先で、斎藤は、等間隔をまるで無視して、よその学校の制服の輪のまん中にいた。


「おーい、墨田! この人たち、福岡から来たんだって!」


 もう友だちになっている。京都に来て三日で、顔の広さが県をこえたのか?


 本気の四人は、誰も斎藤とは言わずに、黙って二回読んだ。


 A組の背の高いやつは、手紙を胸ポケットにしまうと、川のほうを向いたまま、しばらく動かなかった。


 七通目は、清水坂でしおりのメモ欄を破り、〔好きです〕と書いて掲げたC組の三人目への返事だ。便箋は、金色でホテルの名前が刷ってある。


「……ホテルの、便箋だ」


 C組の三人目は、そう言って、少し笑った。


 それから、しおりの次のページに何か書いて、掲げた。


  〔ありがとうございました〕


 白羽さんの和紙は、もう一枚もない。


 白羽さんは少し迷ってから、人差し指で空に書いた。


  〈は・い〉


 向こうからは左右が逆に見えるはずなのに、C組の三人目は、ちゃんとうなずいた。


「……七通、お渡し、しました」


 白羽さんの報告で、配達完了だ。


 白羽さんが、狐の面を、すっと顔に戻す。


 出張代筆、京都支店は、本日で店じまいです。


  ◇


 夜の九時半。消灯の三十分前に、LINEが一行だけ来た。


  【白羽】自販機のところに、います


 拝啓も、時候の挨拶も、敬具もない。四月から、白羽さんのLINEはいつも便箋三枚分だったのに、今夜は一行だ。


 白羽さんの文が短くなるのは、急いでいるときだけだ。


 まさか、八件目の告白か?


 俺は二〇五号室を飛び出して、階段を一階まで駆けおりた。


 自販機コーナーの長椅子に、ジャージの白羽さんが座っていた。


 背筋はいつもどおりまっすぐで、ジャージのポケットだけが、両方ともふくらんでいる。


「……どうした? 何かあった?」


「……消灯まで、三十分、なので」


 それで、拝啓を省いたらしい。


「……おにぎりの、お返し、です」


 白羽さんは、右のポケットからお茶を一本出して、俺に差し出した。


 明日はもう奈良で、そのまま帰る。お返しは今夜のうちに、ということらしい。もらいっぱなしには、しないのだ。


 受け取ったら、手のひらがひやっとした。


「……冷たい」


 自販機を見る。青い字で、つめた〜い。赤い字で、あたたか〜い。


 白羽さんが押したのは、どう見ても青いほうだ。しかも二本とも。


「……ごめんなさい」


 間が短くて、声がいつもより低い。辞典の①、本当に謝るほうの「ごめんなさい」だ。


 白羽さんは俺の手からお茶を取り返すと、左右のポケットに一本ずつ入れて、両手でぎゅっと押さえた。


「……温め、ます」


 コンビニの店員か?


 五百ミリのペットボトルを二本、自分の体温で、消灯までの三十分で温めるつもりらしい。間に合うわけがないのに、本人はいたって真剣だ。


「……俺、温かいの、買ってくるよ」


 ポケットから小銭を出したら、白い紙が一枚、いっしょに床へ落ちた。


 昨日、安井金比羅宮で貼らずに持って帰った、俺の形代だ。


 白羽さんが拾ったその紙には、俺の字で、期待、と書いてある。


「……期待」


 読まれた。四月から俺の下書きを全部読んできた白羽さんには、この字が読める。


 白羽さんは形代を両手で持ったまま、長いあいだ黙っていた。


 それから、一語ずつ置いた。


「……どうして、期待を、切るん、ですか」


 いまの期待のことは、言えるわけがない。


 でも、期待しないと決めた理由なら、言える。


 頭の中で、下書きを始めかけた。いつもなら十二稿まで直して、口から出るのは「あ、うん」だ。


 今夜は、それをやめた。


 下書きなしで、しゃべる。


「……ちょっと、長くなるけど」


 白羽さんが、小さくうなずいた。


「中二の夏に、恋文を書いたんだ」


「親友に頼まれて。野々村っていう、いいやつで」


「相手は、同じクラスの早川って子だった」


 頭の中の赤ペンが、ここから先は要らない、と言った。


 無視した。


「……俺も、ちょっと、気になってた子だった」


 白羽さんは、何も言わない。ポケットの上に両手を置いたまま、まっすぐ俺を見ている。


「早川は、その手紙を読んで、真っ赤になった。それで、野々村と付き合い始めた」


「赤くなったのは、俺の文章でだ。でも、早川が好きになったのは、野々村だった」


「二人は、今も続いてる。高校は別だけど、毎年、連名で年賀状が来るんだ」


  〔文也のおかげです♡〕


「早川の字で、そう書いてある。ハートの右の線が、ちょっと長い」


 そんなところだけ、しっかり覚えているのが我ながら情けない。


 赤ペンが、また、要らない、と言った。


 また無視した。


「それで、分かったんだ。俺の書いた言葉は、好かれる。俺は、好かれない」


「だから、恋文だけは書かない。期待も、しないことにしてる」


 三回目の「要らない」は、来なかった。赤ペンのほうが、先に黙った。


 白羽さんは、最後まで、一度も口を挟まなかった。


 五月の雨の日に、文芸部室で、白羽さんは三十二分、自分の家の話をした。俺は、そのあいだ一度も口を挟まなかった。


 今夜は、それが逆になった。


 自販機の上の時計を見ると、十一分たっていた。


 三十二分の、三分の一だ。短い。それでも、俺が生まれてからいちばん長くしゃべった十一分だ。


「……最後まで、聞きました」


 白羽さんが言った。


 第十稿の一行を、思い出した。白羽さんの声で、俺が書いた一行だ。


  〔最後まで聞いてもらえると、わたしの言葉は、間に合います〕


 下書きなしの言葉が、本当に、最後まで出た。


「……うん」


 白羽さんが、左のポケットからお茶を出して、形代といっしょに、俺の手にのせた。


「……ぬるい」


 つめた〜い、と、あたたか〜い、のあいだの、自販機にはないボタンの温度だ。


 十一分で、ここまで温めたのか?


 白羽さんは、人差し指を上げて、空に何か書きかけた。


 横に一本、線を引いたところで指が止まり、手は膝の上に下りた。


「……おやすみ、なさい」


 白羽さんは立ち上がって、背筋をまっすぐにしたまま、階段を上がっていった。


 もう一本のお茶は、右のポケットに入れて持っていった。


  ◇


 午前二時。


 二〇五号室の枕元の明かりだけつけて、俺は黒いノートを開いた。


 自分宛ての断り文句、第十一稿。期待しそうになった夜に、白羽さんの声で書いて、期待をつぶしてから寝る、あれだ。


 書き出しは、いつもと同じだ。


  〔お手紙、ありがとうございました〕


 次の行が、なかなか書けない。


 左手には、ぬるいお茶をまだ持ったままだ。


 隣のベッドで、斎藤が寝返りを打った。


「……情報提供、斎藤……」


 寝ても顔が広いのか、お前は。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。