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第41話 変装第四号

 修学旅行の新幹線で、白羽さんは便箋を数えていた。


「……四十八、四十九、五十」


 十月二十二日、火曜日の朝だ。


 向かい合わせにした三人がけの席で、白羽さんの膝の上に、和紙の便箋がきっちり積んである。


 テーブルには、筆ペンが十本、等間隔に並んでいた。


「白羽さん、それ、修学旅行の荷物?」


 同じ三班の斎藤が、窓側から身を乗り出す。


「……はい」


「筆ペン、十本も?」


「……念のため、です」


 また念のためか。


 先週の金曜の夜、便箋は念のためで三十枚から五十枚になった。


 筆ペンは、何本から十本になったんだろう。聞くのが怖い。


「京都で、何通書くつもりなんだ」


 俺が聞くと、白羽さんは便箋の角を、とんとそろえた。


「……書かない、ように、します」


「え?」


「……告白、されない、ように」


 右手の人差し指が、胸の前で動く。


  〈へ・ん・そ・う〉


 嫌な予感しかしない。


 四月の第一号は、サングラスとマスクとニット帽で、髪を押しこんだ帽子が倍にふくらんでいた。


 あれから半年で、変装は第三号まで出ていて、三つとも誰かに見破られている。


「……京都なら、うまく、いきます」


「根拠は?」


「……京都、なので」


 根拠になってないだろ、それ。


 そのとき、俺の席の肘かけが、通路から、とん、とん、とん、と三回叩かれた。


 三回のノックは、紅林だ。


「火曜日よ」


 紅林が、下書きの束を抱えて、通路に立っていた。


「赤ペン同盟は、火曜と金曜でしょう。新幹線の中は、火曜日に入らないの?」


 入る。たぶん入る。


 紅林は通路にしゃがみこんで、束のいちばん上の一枚を、俺の膝にのせた。


 俺が赤を入れているあいだ、紅林はテーブルの十本の筆ペンを眺めていた。


「京都は、告白の多い町よ。清水の舞台から飛び降りるつもりで、って言うでしょう」


「言うな」


「本当に言う子が、毎年いるの。……その便箋、五十枚で足りるかしら」


 白羽さんの背筋が、すっと一段伸びた。


 通路の向こうから、北条先生が歩いてくる。


「紅林。D組は、何号車だ」


「九号車です」


「ここは」


「……六号車です」


「帰れ」


 紅林は束を抱え直して、すたすた帰っていった。


 帰りぎわに、俺の赤が入った一枚は、ちゃんと回収していった。抜け目がなさすぎる。


 白羽さんは、膝の上の便箋を、もう一度数えはじめた。


「……一、二、三」


 誰も一枚も使っていないから、減ってないぞ。


 五十まで数えると、白羽さんは小さくうなずいて、筆ペン十本をまっすぐに並べ直した。


 どうやら、迎え撃つ気だ。


  ◇


「三班、点呼」


 JR稲荷駅を出たところで、俺はしおりを開いた。


 京都駅から奈良線でたった五分、駅を出たら、もう目の前に朱色の大きな鳥居が立っている。


 近い。心の準備くらいさせてくれ。


「斎藤」


「いる」


 残りの三人も手を挙げて、白羽さんは九十度で返事をした。点呼に礼は要らない。


 これで六人、三班はそろった。


 しおりによると、班長の仕事は三つある。点呼と、時間を守らせることと、それから。


  〔班員は、班長から離れないこと〕


 読み上げたとたん、白羽さんが一歩、俺のほうへ寄った。


 近い。三十センチくらいしかない。


「……離れ、ません」


「いや、そこまでくっつかなくても」


「……しおりに、書いて、あります」


 白羽さんにとって、しおりに書いてあることは法律と同じだ。


 参道を少し歩いたところで、白羽さんの足がぴたりと止まった。


 土産物屋の軒先に、白い狐の面がずらりと下がっている。


 目のまわりと口もとに、朱の線が引いてあった。


 白羽さんは一枚を選んで、お金を払う前に、もう店のおばさんに頭を下げていた。順番が逆だ。


「修学旅行?」


「……はい。……変装用、です」


 正直に言うな。


 店を出ると、白羽さんは空に書いた。


  〈き・つ・ね〉


  〈い・な・り〉


 稲荷には、狐がいる。だから、狐になれば目立たない。


 理屈は合っている。合っているのが、いちばん怖い。


 白羽さんは面を顔に当てて、ゴムを後ろに回した。


 腰までの黒髪の狐が、一匹できあがった。


 ところが、楼門の前まで来て、俺は自分の目を疑った。


 狐だらけだった。


 よその学校の修学旅行生が、顔にも頭の上にも、白い狐の面をつけている。どこの学校も、参道で同じ軒先に吸いこまれたらしい。


 石の狐と、面の狐で、境内がいっぱいだ。長い黒髪の狐も、一匹や二匹ではない。


 白羽さんの理屈が、本当に通ってしまった。嘘だろ。


「あれ? 白羽さん、どこ行った?」


 斎藤が、狐の群れをきょろきょろ見回している。


「……ここ、です」


「うわっ、隣にいた!」


 ただ、どの狐が白羽さんかは、俺にはすぐに分かる。


 いちばん近くにいる狐だ。


 三十センチ隣で、白い狐の肩が、少しだけ得意そうに上がっていた。


  ◇


 本殿の奥から、千本鳥居が始まる。


 朱色の鳥居がすき間なく並んで、トンネルになっていた。


「これ、ほんとに千本ある?」


 斎藤が、後ろから聞いてくる。


「数えてみる」


 三十本でやめた。全部同じ朱色で、どこまで数えたか分からなくなる。


 トンネルの幅は、二人並んで歩くと、それでいっぱいになるくらいだ。


 白羽さんは、そのトンネルを、俺のすぐ隣で上っていく。


 前にも後ろにも、よその学校の狐が歩いている。


 これなら、ばれない。


 と、思った。


 前のほうで、大きな背中が立ち止まって、振り返った。


 大森だ。


 捕手の目が狐の列をすばやく見わたして、俺の隣の狐でぴたりと止まる。大森は小さくうなずいて、また前を向いた。


 隣には、岩城と吉岡もいる。


 後ろを振り返ると、五メートル後ろに、桂木と音無と田辺が、同じ歩幅でついてきていた。


「……前方、異常なし」


 大森が、前を向いたまま言った。


「……後方、異常なし」


 後ろから、桂木の低い声が返ってきた。


 異常なのは、お前らだ。


 振られ男子の会の、京都組の六人だ。先週、柔道場で権田先輩に「振られたやつが出たら、隣に座れっス」と頼まれた見守り係でもある。


 振られるやつが出るまでは、白羽さんから五メートルの外で見守ることにしたらしい。


 見守っているつもりなのは分かるが、どう見ても護衛だ。


 朱色のトンネルを、狐一匹と班長一人が、前後三人ずつの男子に挟まれて上っていく。要人の警護か。


「なあ、あの狐、守られてない?」


 すれちがった、よその学校の男子が、ひそひそ言った。


 後ろからは、天神坂の制服の声が聞こえてくる。


「あれ、振られ男子の会じゃん」


「大森と、桂木と……六人全員いる」


「あの六人が囲んでるってことは」


「まん中の狐、白羽さんだ」


 三分だった。


 三分で、千本鳥居の中の天神坂の二年生が、全員、狐の中身を知った。


 狐の面は、完璧だったのに。


 台なしにしたのは、護衛のほうだ。


 それでも、話しかけてくるやつは一人もいなかった。


 来られないのだ。


 前には大森たちがいて、後ろには桂木たちがいる。


 桂木が将棋の駒みたいに一マスずつ歩くので、細いトンネルでは誰も追い越せない。


 気がつくと、桂木の後ろに、天神坂の男子の行列ができていた。


 振られたい男子が、後を絶たない。千本鳥居の中でも。


 白羽さんは、まるで気づいていない。


 面の目の穴が小さくて、前しか見えないのだ。


 鳥居のトンネルを抜けたところで、白羽さんが、くるりと俺のほうを向いた。


 狐の顔のまま、右手の人差し指が、胸の前で動いた。


  〈ば・れ・て・ま・せ・ん〉


 いつもより速くて、ものすごく得意そうだった。


 後ろの行列は、まだ鳥居の中から出てこない。


 先に抜けた大森が、吉岡と並んで、こっちを見ていた。


「権田先輩の言ってた、班長が白羽さんの隣を歩く係って、逆だったな」


「ああ。白羽さんのほうが、班長の隣を歩いてる」


 吉岡が、俺を見て、肩をすくめた。


「墨田、言わないの?」


 斎藤が、小声で俺の肘をつついた。


「……何を」


「狐、ばれてるって」


「班長の仕事じゃない」


 しおりによれば、班長の仕事は、点呼と、時間と、班員を離さないことの三つだ。


 ばれていることを知らせる係は、どこにも書いていない。


 だから、言わなかった。


 三十センチ隣の狐が、あんまり得意そうだったからだ。


 その日は、ホテルに着くまで、六人の囲みが一度も崩れなかった。


 こうして変装第四号は、京都の一日目を、告白ゼロで乗りきった。


 狐の面のおかげでは、ちっともないけど。


 翌朝、清水の舞台で、五メートル向こうから叫んだやつがいた。


「清水の舞台から、飛び降りるつもりで来ました!」

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