↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/50

第34話 紅林に、ばれた

 白羽さんの断り文句を書いているのが俺だと知っている人は、九月の終わりに、一人増えた。


 増えたことを、俺はまだ、白羽さんに言っていなかった。


 九月三十日、月曜日の朝。


 昇降口で、百瀬が拡声器を構えていた。


「週刊玉砕です! 文化祭の決勝戦、判定が出ました!」


 見出しは、大きかった。


  〔決勝戦は、引き分け! 続きは、墨田先輩の告白のあとで!〕


 百瀬は、文化祭の舞台で読まれた手紙を、俺がこれから書く告白への「返事の予告」だと思っている。


 だから決勝戦の続きは、俺の告白待ちになったらしい。


 勘弁してくれ。


 下駄箱の前で、俺はいつものように、紙の下半分を手のひらで隠した。


 上半分も隠したかったが、手が足りなかった。


 昼休み、二年B組の後ろの扉から、拡声器の先が、本人より先に入ってきた。


「失礼します! 一年A組、新聞部、百瀬うららです!」


 百瀬は、俺の机の横で止まった。


 見ているのは、俺の弁当だった。


「墨田先輩、告白はいつですか!」


 教室の三十九人が、いっせいにこっちを向いた。


 窓側の前から二番目の席で、白羽さんの箸が止まった。


「……あ、うん」


「近いうち、ですね! 了解です!」


 百瀬は、俺の「あ、うん」を、勝手に日付つきの返事にした。


 敬礼して、弁当に「失礼しました!」と言って、帰っていった。


 三十九人は、しばらく俺を見ていた。


 俺は、卵焼きを食べた。


 味はしなかった。


 白羽さんの背中は、いつもより、もう一段まっすぐだった。


  ◇


 放課後の文芸部室で、白羽さんは長机の向かいに座ると、まず鞄から四つ折りの和紙を出した。


 コロッケパン台帳だった。


 今日の分を、筆ペンで一行書き足した。


  〔九月三十日 一個〕


 未払いの数字は、一けたになっていた。


 止めも、はねも、払いも、手本どおりだった。


 うれしいときに跳ねる「は」も、怒ったときの刀のような払いも、どこにもなかった。


 九月の終わりから、白羽さんの字は、機嫌を見せなくなった。


 読めない理由は、汚いからではない。


 きれいすぎるからだ。


 明日は紅林が来る。


 本人が扉を開ける前に、俺から言わなければ。


「……紅林に、ばれた」


 白羽さんの筆ペンが、台帳の上で止まった。


「先週の火曜日、図書室のカウンターで。シラノの本を返しに来て、言われた。あなたの断り文句、全部読んだ、って」


 白羽さんの目が、俺の顔に来た。


 右手の人差し指が、ゆっくり動いた。


  〈ど・う・し・て〉


「七月の学食で、柱の陰で耳をふさいでたのを、見られてた」


 俺は、紅林の推理を、そのまま話した。


 署名のあとには、追伸がある。


 追伸は、白羽さんの字で、白羽さんの言葉。


 それを聞かないように耳をふさぐのは、本文を書いた人しかいない。


 それから、文化祭の舞台の下で、俺の名前が読まれたときに動いた上履き。


 白羽さんは、最後まで聞いた。


 聞き終えて、立ち上がった。


 長机の横に出て、深く頭を下げた。


 九十度だった。


「……ごめんなさい」


 間が長く、言い終えて、目を伏せた。


 辞典の①、謝罪の「ごめんなさい」だった。


 追伸を書いたのは、白羽さんだ。


 その追伸のせいで見つかった、と考えたらしい。


「白羽さんのせいじゃない」


 俺は言った。


「耳をふさいだのは、俺だ」


 白羽さんは、頭を下げたまま、しばらく動かなかった。


 それから、ゆっくり顔を上げて、座り直した。


「紅林は、誰にも言わないって言った」


 白羽さんの目が、少しだけ大きくなった。


「そのかわり、条件が三つある。一つ目は、誰にも言わないこと。二つ目は、勝負を続けること。三つ目は」


 そこで、少しだけ言いよどんだ。


「毎週、俺の下書きを全部見せること。紅林も、自分の下書きを俺に見せる。お互いに、赤を入れる」


 白羽さんは、黙った。


 十秒くらい、黙っていた。


 目が一度、右上を見た。


 考えるときの目だった。


 それから、右手の人差し指が、胸の前に上がった。


  〈わ・た・し・も〉


 いつもの空書きより、ずっと大きかった。


 向かい合っているので左右が逆だったが、大きすぎて、読めないふりはできなかった。


「……白羽さんも、来るってこと?」


 白羽さんは、うなずいた。


 一回だけ、深く。


 下書きを見せ合う場に、自分もいる、という意味らしい。


 断る理由は、なかった。


 見せる下書きのほとんどは、白羽さんが一文ずつうなずいてくれたものだ。


「……分かった。明日、紅林が来る」


 白羽さんは、もう一度うなずいた。


 それから、小さな声で聞いた。


「……紅林さんは」


 一語ずつ、置いた。


「……墨田くんの字、読めますか」


「たぶん、読めない。見たことがないはずだ」


 白羽さんの肩が、少しだけ上がった。


 顔は少しも動かなかった。


 肩だけが、少し得意そうだった。


 早見表を持っているのは、この学校で一人だけだ。


 白羽さんは台帳を四つに畳んで、鞄にしまった。


 畳むのが、いつもより少しだけ速かった。


 その夜、見せる下書きを選んだ。


 全部、と紅林は言った。


 四月からの断り文句の下書きを、机の上に積み上げた。


 靴箱くらいの厚さがあった。


 黒いノートの、表紙の裏のポケットも開けた。


 いつも、いちばん新しい自分宛ての断り文句を入れている場所だ。


 ポケットは、空だった。


 第十稿は、白羽さんが持っている。


 九月二十二日の文芸部室で、胸に押さえたまま、返してくれなかった。


 紅林には見せずに済む。


 そのかわり、いちばん見られたくない相手が持っている。


 ちっとも助かっていなかった。


  ◇


 十月一日、火曜日の放課後。


 白羽さんは、もう長机の向かいにいた。


 筆ペンと、和紙と、〔墨田くんの字 早見表〕が、長机の端に等間隔に並んでいた。


 四月に権田先輩の手紙を清書した日と同じ並べ方だった。


 果たし合いの前の侍の机だ。


 扉が、ノックされた。


 一回。


 二回。


 三回。


 白羽さんのノックは、いつも二回だ。


 百瀬は、ノックをしない。


 拡声器の先で扉を開ける。


 三回ノックする人を、俺は、この部屋で一人も知らなかった。


「どうぞ」


 扉が開いた。


 紅林が、下書きの束を両腕に抱えて立っていた。


 束は、辞書くらいの厚さがあった。


「来週から、と言ったでしょう」


 紅林は、部屋を見回した。


 古いソファと、長机と、座布団が一枚。


 それから、長机の向かいの白羽さんを見た。


「……あなたも、いるのね」


 白羽さんは立ち上がって、紅林に九十度で頭を下げた。


 九月二日の教室で、紅林の挑戦を受けたときと同じ礼だった。


 紅林の口の端が、少しだけ上がった。


「いいわ。公平にしましょう」


 紅林は、下書きの束を長机の真ん中に置いた。


 束が、どさっと鳴った。


 四畳半に、三人目が来た。


 座布団は、一枚しかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。