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四方見亭咄 ~花鏡の使者~  作者: 藤栄


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3/5

花鏡の使者 参

          参



 闇と静寂が続いていた。

 剥き出しの肌に、寒くも暑くもない風を感じて振り返ると、視界の端で白く小さいものが背後へと飛んでいくのが見えた。慌てて目で追った時には、すでにそれは消え去っていた。


 玄吾(げんご)はもう一度、白いものが飛んできたと思われる方向に振り返り、今度は闇の中に立つ少女を見つけた。肩の上で切り揃えられた少女の髪が射干玉(ぬばたま)の黒を映しているのを見て、闇が仄かに藍色をしていたのに気付く。


 少女の顔は俯いているために前髪に半分隠されていたが、玄吾は、その顔を知っていると感じていた。意志の強さを感じさせるのに、どこか迷いを感じさせる目を持っているはずだ。


 玄吾が歩み寄ると、少女は崩れるようにして膝をついた。玄吾の足元に両手を揃え、頭を垂れてくる。

 額(ぬか)ずく少女の前に、玄吾は片膝をついて手を伸ばした。その細い肩に触れるか否かの瞬間、少女の姿が歪んだ。白く小さなものが勢いよく少女の体から噴き出していく。

 玄吾は思わず手で顔を庇い、目を閉じていた。頬を掠めて無数の小さいものが飛び散っていく――。


 次に目を開けた時には、薄紅の振り袖だけが玄吾の手の中に残されていた。

 周囲には、闇と静寂しか、ない。



          *



 パチリと炭の爆ぜる音に、玄吾(げんご)は目を開いた。歪んだ視界の中に格子枠で飾られた天井が浮かぶ。瞬きすると頬を温かいものが伝い、今度は天井の木目までもはっきりと見えるようになった。


 玄吾は泣いていた。新たな涙が湧き上がり、零れて落ちて筋となる。


 涙を拭いながら布団の上で体を起こした玄吾は、火鉢の近くに座る和装の男たちに気付いて視線を移した。炭を足していたクジの横で、額が上がり気味の黒髪をピタリと撫でつけて口髭を蓄えた老人が、鋭い目つきで玄吾をじっと見つめ返してきた。


「タイテ。……夢を見せたのは、あなたですか?」


 老人は目線だけで頷いた。タイテは夢や幻を操る使者で、毎春、皇子役についで一番早く春見亭を訪れる使者でもあった。


玄吾は前を向くと、止めどなく溢れる涙が顎の先からぱたぱたと落ちていく感触に意識を乗せた。

 涙は、玄吾のものではなかった。タイテが見せた夢の少女――皇子が涙を流し続けているのだ。


 玄吾は目を閉じた。

 夢といっても、タイテが見せたのは玄吾が感じ取ったもの中から深層面だけを引っ張り出してきたものにすぎない。自分を媒体としてまで現に流される涙には、何か意味があるに違いない。

 目を開けたところで障子戸が開いた。振り向くと、幸輝(さき)が目を丸くしていた。


「どうしたの?」


 素っ頓狂な声に、はっとする。


「僕じゃないよっ」


 皇子の涙だ、と弁明しながら玄吾は慌てて涙を拭った。

 そんな玄吾に、幸輝はさらに目を大きく見開いて部屋に入ってきた。


「皇子ですって? 玄吾くん、姫皇子に会ったの!?」

「多分……、ううん、彼女がそうだと思う」


バスに乗り込む寸前に足を止めて振り返った女生徒の姿は、思い出す努力も必要としないほど脳裏に鮮明に焼き付いていた。彼女のせいで身内に抑えてあった春気が勝手に呼び起こされたのは確かだ。

 玄吾は、床の間に置かれた水盤に水が張ってあるのを見ると、布団から立ち上がった。


「――うあ!?」


 ちゃんと立ち上がったつもりが、横に大きく傾いて襖に突っ込んでしまう。何が起こったか分からないでいると、幸輝が呆れ顔で近付いてきた。


「まだ安静にしていなくちゃ駄目よ。玄吾くんってば、もう少し見つけるの遅かったら凍死するところだったんだからね」


 迎えをまいた罰よ、と、耳に痛い科白を聞きながら、玄吾は幸輝の手を借りて布団に戻った。

 肩に綿入れ半纏(はんてん)を掛けてくる幸輝に、玄吾は水盤を示した。


「あれは汲み置き?」

「違うわ。タイテが術に使うのに、さっき替えたばかりよ」


 そう答えた幸輝は、玄吾が何をしたいのか察したようだ。振り返った幸輝と玄吾に、タイテも察して頷いた。


「では、お願いいたします」


 幸輝が慎重に運んできた水盤を膝に乗せると、玄吾は片手を水面にかざした。

 すぐに水面が打ち震えて丸い波紋が浮かび、霧がまいたように白く光り出した。タイテの術により、その中央に、玄吾の記憶をさらって少女の顔が映し出された。


「彼女が皇子だよ。宝物の欠片も持ってる」

「ええ? 間違いないの? この人、隣のクラスの青山さんよ!?」


 水盤を覗き込んだ幸輝が叫ぶように言った。


「この人、パパ活してるって噂があるのよ。お酒も煙草もやるって聞くし、清浄な姫皇子が憑依できるような人じゃないわ」


 意外な言葉に玄吾はドキリとする。動揺を受けた水盤の水が波立ち、少女の姿を消した。

 思わず口走ってしまったせいで気まずそうにしている幸輝から視線を逸らして、玄吾はタイテに目を向けた。


「どう思いますか? 僕は、彼女に間違いないと思うんです」


 タイテは玄吾に鋭い眼差しを向け、しばし玄吾の記憶を見透かすように視線を合わせると、重々しく口を開いた。


「人であれ、若き女子は春気を宿すものだ。その中に潜んでいるのであろう」

「では、彼女の持つ春気の中に?」


 うむ、とタイテは顎を引いた。


「人の穢れで覆い隠されていれば、姫皇子の春気といえど辿れぬものだ。冬の者らが見つけ出せぬのも致し方あるまい」

「穢れって……」


ぞっと震えがきた。不浄に侵された皇子にお役を任せることはできない。やはりエベに潔斎させて良かったと心底感じていた玄吾に、タイテは言った。


「姫皇子が不浄に冒されることはない。我らと違い、人は一時的に春気の宝珠を身内の片隅に留めているに過ぎぬのだ。不浄に囲まれても、人の内にある間は春気と不浄の交わりはあるまいよ」

「では皇子と宝物の欠片が戻れば、歌替えはすぐにでもできるんですか?」

「いかにも」


 確実な返答を得て玄吾は安堵に息を漏らした。よし、と拳を握り締める。皇子と宝物の無事が分かった今、ぼやぼやしている暇はない。

 玄吾は、布団の上に正座し直し、水盤を床の間に戻していた幸輝に顔を向けた。


「幸輝さん、エベに潔斎をやめてここに来るよう伝えてください。皇子がいなくなった時の状況を訊きたいので。そのあと四方見亭へ行って青山という生徒のことを教えてきてください」

「かしこまりました」


 亭主として命じた玄吾に、幸輝は仕える者として頭を下げてきた。それを視界の端で見ながら、玄吾は静かに控えていたクジを振り返った。


「クジは冬見に協力して、女生徒の居所を明らかにしていただけますか」


 その言葉に、クジはすぐにでも飛び出せるくらいに身を乗り出してきた。


「お連れせずとも?」

「構いません。皇子の真意が分かりませんので、見つけた後は悟られないようにしていてください」

「その後の首尾はいかに」

「僕が迎えに行きます」

「なりませんっ。亭主にこれ以上のご無理はさせられません。心配でしたら、私が参ります」


 鋭い声をあげた幸輝の大きな目が、絶対に行かせないと言葉以上に告げている。

 玄吾は首を振った。


「皇子は、なにか憂いを抱えているようだったんだ。それが晴れなければ、たとえ皇子が戻ったとしても呪歌(しゅか)を歌うことはできないと思う。なるべく早くお会いして、憂いの元がなんなのか確かめないといけない」

「でしたら、なおのこと皇子が戻るまでお休みください。皇子がお役を務められずに仮の皇子を立てることになったら、次の儀式で亭主の負担が大きすぎます。今はどうか」

「いえ。これは春見亭亭主としての僕の仕事です。……そろそろ歌替えを目指して使者たちの天降りが始まりますから、幸輝さんは、僕の代わりに使者を迎えてください」


 お願いします、と頭を下げると、まだ何か言いたげな幸輝は、形のいい唇を震わせてからきゅっと閉じ、膝の前に指先をついた。


「――かしこまりました。こちらは、万事お任せください」


 ですからどうぞと、幸輝は手をついたまま顔を上げた。


「無理しないでください。皇子が戻られても、亭主がいなければ歌替えは進みませんから」


 まさかそこまで私に代わりをしろなんて言わないわよね、と幸輝は真面目な顔して冗談交じりに釘を打ってきた。玄吾は軽く笑った。


「わかってる」


 幸輝は、諦めの混じったような曖昧な笑みを見せると、クジと部屋を出て行った。


 ほどなくして潔斎の白装束をつけたまま現れたエベは、障子戸を閉めるなり、がばりと叩頭した。


「タイテ殿、申し訳ござらん。護衛にありながら姫皇子を失跡させたは、某(それがし)の不備ゆえに、罰はいかようにもお受け致す所存にて」


 玄吾の時とは打って変わって低姿勢なエベの姿に、玄吾は唖然とした。

 使者に詳しい話を訊くことは憚られ、未だに使者たちの繋がりや背後関係、仕組みなど分からないことの方が多いが、この状況ではタイテがエベより立場が上なのは明確だった。しかし、年齢的なものだけなのかもしれないとも思う。


 そんなことを考えていた玄吾の前で、タイテは細めた目をエベに向けると、顔を上げるように言った。緊張した面持ちのエベが背を正すのを待って、玄吾に視線を移してきた。


「亭主よ、我らは今期の皇子に花音(かいん)のサホが選ばれた時より、何か事が起こるのではないかと懸念していた。ゆえに此度(こたび)の騒動は、我らの手落ちが招いたものだ」


 すまなかった、と神妙な顔つきのタイテと、何か堪えているような緊張を浮かべたエベが、まっすぐに玄吾の目を捉えてきた。

 使者の目は、いつでもまっすぐに玄吾に向けられる。この頃ではその曇りのない目に戸惑いを覚え、視線を逸らしたくなる衝動に駆られることもあったが、そんなことに怖じ気づいている場合ではない。

 玄吾は使者の目をしっかと受け止めると、使者の正面に向き直った。


「理由を訊かせてください。皇子は、なぜ宝物を壊したんですか? 宝物がなければ春はままならず、他の季節にも影響を及ぼすのを知っていて、なぜ欠片を持って逃げるんです」

「……それをご存じか」


 微かに顔を険しくさせたタイテに、玄吾は頷いた。

 夢の中で皇子は泣いていた。花鏡を完全体にはさせられないと強い意志を持ちながら、宝物がないために後に訪れる厄災で苦しむ人を思って涙を流していたのだ。

 タイテの目配せを受けたエベが、しばしの沈黙のあとに口を開いた。


「道中、サホは亭主の節目の年を知り、亭主の神あがりを拒まれたのだ」


 それは目指す四方見亭が近くなり、気の緩みからエベが不用意に発した言葉が発端だった。

『見よ、亭は豆粒ほどにしか見えぬというに、この様な所にまで亭主の持つ春気の輝きが届いておるわ』

『おう。今生の亭主は気が伸びやかで、春気との相性がいいのだ。年追う毎に光は増し、我らに安寧を与える。佳きことよ』

『まことに。加えて今期亭主は数え十五のおん年と言うぞ。重ねてめでたきことこの上ない』

『エベ! しぃっ』


 クジが気付いてエベの口を閉じにかかった時には、もう遅かった。


『……そう、でしたのね』


 眉根を寄せた姫皇子はひと言言い残して、宝物の入った筺を胸に抱えたまま身を翻していた。

皇子は立ち日の最初に渡るため、前の季節の気を荒立たせないよう護衛はエベとクジしかついておらず、万一を考え皇子自身も武装と動きやすい姿をしていたのが災いした。

 それでも何とかクジが取り押さえた時、姫皇子は苦し紛れに紐解いた筺の中から、花鏡を取り出して放り投げていた。


『なんたることをしでかすのだ! 正気か!?』


 腕を掴んで怒鳴ったクジに、今期姫皇子のさほは悲痛に顔を歪めて叫んだ。


『朱義様を失いたくないのです!!』


 その瞬間、春気とともに強烈な情感を叩き付けられたクジとエベは自失に陥らされたあげく、姫皇子に逃げられてしまったのだった。



          *



「――アキヨシ?」


 玄吾は、どこか聞き覚えのあるその名を呟いて記憶を探り、すぐに思い当たってはっとした。


「僕の三代前の春見亭亭主だった、塩見朱義(しおみあきよし)のことですか!?」


 玄吾には、三人の御霊(ごりょう)が付いていると聞かされていた。

 前亭主の白李(はくり)とその前の青也(せいや)。そしてさらに前の朱義(あきよし)の三人である。

 新しい亭主が一人で儀式を納められるようになるまで力添えするために現世に残った御霊は、亭主が数え十五の年に行う春招(しゅんしょう)の儀のあとに、宝物により開かれる天への途を通って神あがり(昇魂)できるのだが、病弱の短命続きでこの御霊送りは長と行われていなかった。

 ゆえに、残された御霊は玄吾に繰り越されているという事態になっている。

 だが使者の姿を見る玄吾でさえ、守護者となっているという前亭主の姿を見たことがなく、本当に前亭主が守護者になって側にいるのかどうか、玄吾自身は疑問に思うところなのだ。


「どういうことですか? もしかして、朱義の御霊は本当にここにあるんですか?」


 戸惑う玄吾に、そこに、と、タイテは玄吾の胸を――身内を指した。


「亭主の内にいるのだ。我らは亭主を外より護り、亭主は亭主を内より護っている」

「そんな……」


 見たことないわけである。前亭主たちの御霊は、玄吾の中にあるというのだ。

 玄吾は不意に思い至った。


「まさか皇子は、彼の御霊送りをさせないためだけに宝物を……――あっ……」


 唐突に溢れ出した涙に、玄吾は焦って手を顔にあてた。脳裏では、音のない声が同じ科白を繰り返し始めていた。


 ――……お許しください。いかようにも償いは致します。だからどうか……彼を……朱義様を消さないで……――。


 零れる涙の一粒一粒に、玄吾の未だ知らないせつない感情が乗せられてくる。涙をはらおうと目を閉じた瞬間、玄吾はぼんやりと霞んだ白い闇の中にいる錯覚に囚われていた。


 遠くに、祭服姿の少年と巫女装束の少女が向き合う姿があった。見つめ合うだけで、歩み寄ることも手を差し出すこともないが、濃密な空間が二人の間に淡い色彩を生み出していた。

 その間にも少女の纏(まと)う千早(ちはや)の袖が風に流され、端から徐々に細かく千切れて飛んでいく。少女の姿の全てがそうして飛ばされ消えたあとに、ようやく少年は動きを見せた。

 少年は、足元に散らばる白い少女の破片を掬い取って手の中に握り込むと、愛おしむようにその拳に頬を押しあてていた。


 ――……あぁっ。


 たったそれだけの光景に、玄吾は激しく揺さぶられ、苦しさに目を閉じた。――否、開いた。

 じっとりとした汗が滲んでいた。

 胸が張り裂けそうに痛く、苦しい……。


「……タイテ、やめてください。夢の続きは、もういいですから」


 絶えられずに漏らした玄吾に、タイテは軽く首を横に振った。


「わしは何もしておらぬ。亭主が夕刻に逢ったサホの春気に引きずられておるのだ」

「……僕が……?」

「エベらがサホをみすみす逃がしてしまったのも、それのせいだ。人の身では苦しかろう。断ち切ってしんぜる」


 タイテが言い終わると同時、呪縛が消えていた。緊張が解けてどっと脱力し、玄吾は布団に両手をついた。


 ――なんてくだらない理由。


 言い知れぬ怒りが湧いた。震える拳を強く握りしめる。

 たった一人の死人の魂を留めておきたいがために、生きとし生けるものたちの営みを犠牲にしようというのか。馬鹿げている。こんなことは絶対に許してないけない。

 そう思うのに、身内を通された感情はまるで自身のものであったかのように心を痺れさせていた。宝物が元通りになれば、二度と逢えなくなるのだ……。


 ポタリ……と、ひと雫の涙が膝に落ちた。

 それは玄吾が流した涙だった。

 皇子への同情が強くなる反面、悔しさも増していた。誰かを求めて止まないせつない思いを、こんな風に他人の感情で知りたくなかった。

 玄吾は下を向いたまま、タイテとエベに告げた。


「皇子がなぜこの様なことをしでかしたのか、おおよその理由は分かりました」

「――亭主」

「でも分かっただけです。僕には、彼女の気持ちは理解できません」


 そう言ったのは、もしかしたら嫉妬だったのかもしれない。だが理解したと口に出してしまえば、宝物を取り戻すために皇子を迎えに行く決心が揺らぎそうだった。

 じっと見つめてくる使者を前に、玄吾は毅然と顔を上げた。


「皇子を連れ戻して宝物の修復が済み次第、御霊送りを済ませ、歌替えに間に合わせます。皇子がお役務めできない時は、先の予定通りエベが代役を務めてください。よろしくお願いします」

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