花鏡の使者 貳
貳
「塩見、じじくさい皺寄せてんなー。今日は一日中苦悩が顔に滲み出てたぞ。なんかあったのか?」
「……んー、ちょっとね」
今日何度目かの同じような科白を言ってきたクラスメートの会田に同じ返事をして、玄吾は横目をチラリと向けた。
学校には来たものの皇子と宝物が気になって、授業にはちっとも身が入らなかったのだ。下校時間となった今、さっさと帰りたくてそれどころじゃない。
そそくさと教科書を鞄に詰め込んでいる玄吾を見て、会田はやれやれといったように顔をしかめてきた。
「塩見さあ、顔は悪くないんだからもうちょっと愛想よくする練習しろよな。そんなんじゃ、彼女できないぜー?」
「いいよ彼女なんて。会田だった知ってるだろ。僕がいくら愛想よくしたって無駄だって」
「んなの分かんないだろー? 俺は、何でお前が敬遠されてんだか、不思議でならないぞ」
「そんなこと言ってるの、会田だけだよ」
玄吾は溜め息をついて、廊下にある自分のロッカーからコートを取り出した。
会田の筋金入りの鈍感が判明したのは、近隣小学校二校が集まった中学校入学式から間もなくのことである。
それは、玄吾でさえ大量にまとわりついてきた春の眷属に息苦しさを感じていた日だった。追い払う気力もなく、そのままにしておいた結果、クラスメートの大半が教室という密閉された空間に充満した眷属の気に中てられて体調を崩してしまったのだ。
そんな中、玄吾の前の席にいたにもかかわらず、会田だけがケロリとしていた。
小学校時代よりは玄吾の周囲にある何かを強烈に感じ取る敏感な子供は減っていたが、とかく流されやすい年代、一部が気味悪がっているお陰で、玄吾に積極的に接してくるクラスメートは、おそろしく鈍感な会田以外では皆無と言ってよかった。
「ほんと、会田だけだな」
しみじみ漏らした玄吾に、
「あーっ? なっさけねえこと言ってんなぁ。気の毒で涙が出てくるぜ」
と、会田は出てもいない涙を拭く仕草をする。
そんな会田に玄吾は苦笑し、救われる。会田が周囲から、よく塩見なんかと付き合えるなと言われているのを知っていた。
「僕のせいで友達少なくしてるんじゃないか?」
階段を降りる玄吾についてきた会田に何気に言うと、会田はムッとしたようだった。
「ふざけたこと言ってんなよ? そもそも塩見のせいで他の奴らがいなくなるんなら、俺はそれだけの奴ってことだ」
「うわ、自信過剰ー」
ふっふっ、と会田は笑ってくる。
「心配するな。俺様は友達だけは多いんだ」
「だけはね」
「そうだとも」
胸を張って言ってくる会田に、今度は玄吾が笑う番だった。
昇降口まで来たところで、会田は下駄箱には行かずに廊下から手を挙げた。
「俺、委員会だからこっちな」
風紀委員で校門付近に残る雪を片付けるらしい。
「そんなのまで風紀の仕事なんだ。大変だな」
「違うぜ、顧問の梨本のせいだ。風紀でやるとか言い出してさ。雪なんかほっときゃ溶けるっての」
言って会田は、うんざりしたように舌を出した。そうしてから会田が続けた言葉に、玄吾は下駄箱から靴を出す手を止めた。
「そういや数学ん時に兄貴からメールがあったんだよ。城跡公園の門のとこだけ丸く雪が溶けてたんだとさ。雪の中のミステリーサークルとか言って、テレビとか来て今朝はちょっとした騒ぎだったらしいぜ」
「――……城跡公園……」
「おー。兄貴が城跡公園の近くの高校に行ってんだ。公園の前を通ってきた友達に聞いたんだって」
学校さぼって見に行ったらしいけど、と言う会田の声は、もう玄吾の耳に入っていなかった。
*
――間違いない。
雪はすっかり片付けられていたが、玄吾は城跡公園の櫓門まで来ると、迷わずに北櫓の前を目指した。
車一台分ほどの広さに、微かに煌めく光粒の揺らめきが見えていた。教えられずとも花鏡がここで発見されたのは間違いはなく、今朝の積雪を溶かすほどの春気を放っていたのは、花鏡の残滓だった。
今朝の騒ぎの名残りか野次馬や近隣の高校生たちが数多くいたが、どうせ彼らには見えていないのだからと光粒の中に足を踏み入れた玄吾は、半眼を閉じて意識を集中させた。
儀式のためにひと月も前から潔斎を積んであった。立ち日も過ぎている。今なら天の息吹を身内に繋ぐことはできるはずだ。
息を吐き出し、静かに吸い込む。空にした身内に春気を呼ぶ気配に周囲の冬気が牙立つのに気付いたが、この際無視する。花鏡の残滓に囲まれていたからか、さほど苦もなく気を満たすと、玄吾は目を開けた。
「――集まれ。……来るんだ」
囁きに呪を込めて命じる。
揺らいでいた光粒がピタリと止まった。
玄吾は、コートのポケットに入れていた手を出し、開いた。
ざわりと空間そのものが揺れる気配に、堀を覗き込んでいた野次馬らが振り返った時には、光粒は残らず玄吾の手の中に収まっていた。
足早に門前を離れた玄吾は、手の中で形を変える光粒の塊に呼気を吹いた。
「我が呼気は我にあらず、天のものなり。今一度、力を与える。失われた欠片に戻るんだ」
囁きが終わらぬ内に、玄吾の呼気を得た光粒が空に舞い上がった。蛇のような形を作り、蛇行しながら北東を目指し始める。
「やっぱ、まだか」
玄吾は軽く舌打ちした。光竜が向かう方向に四方見亭はなく、それは未だ花鏡の欠片が見つかっていないことを示していた。おそらく皇子も見つかっていないのだろう。
光竜を追って走り出そうとした玄吾は、不意に圧迫を感じてよろめき、立木に手を掛けた。花鏡の残滓により退けられていた冬気が、玄吾の漏らした春気を駆逐しようと集まり始めていた。冬気を冒した春気に対する冬の眷属の怒りが、無数の針のように感じられる。
玄吾は口に手をあてて残りの呼気を払うと、一刻も早くその場から離れるために力の限りを振り絞って駆け出した。
かなりの距離を走って城跡公園を抜け、やっとのことで凍えた気配から逃れる。肩で息をしながら雪に埋もれた電柱にもたれかかった。
「くっそー、むかつくっ」
誰に言うでもなく悪態をつく。
すでに立ち日は迎えていた。皇子と宝物が四方見亭に揃っていれば、歌替え前であっても冬の眷属が春気を攻撃することは有り得ないのだ。
「さっさと宝物だけでも見つけ出して、エベで歌替えを済ませてやるっ」
そう強く心に決めて、玄吾は宙に浮遊する光竜の後を追いかけた。
*
四方見亭に仕える者たちの中には、使者の姿をぼんやりとでも見る者が多かったが、亭主と同等に使者を見、言葉を交わすことのできる者となると、いつの時代もたったの五人に限られていた。
各亭に各一人。亭主の代替わり、またはその力を持つ者が死んだ時に、亭に仕える一族の中から前触れもなくその力を手にした者が現れる。
池元幸輝もその一人だった。
春見亭亭主の玄吾が誕生したその日、幸輝は人に在らざるものを知る力を手に入れていた。
以来、幸輝は池元一族は元より、各亭に仕えているそれぞれの一族からも別格扱いされ、亭主だけが幸輝の主、幸輝に命令することができるのは亭主だけとなった。
だから、友人と談笑していようが、部活動があろうが、委員会があろうが、今日みたいに日直で先生の仕事を手伝っている最中だろうが、亭主大事とあらば全てを放り出して駆けつけるのが務めだ。
――まさか本当に放り出すようなことが起こるとは、思ってもいなかったんだけど。
幸輝は、コートのポケットの中でスマホを握り締めたまま校門を出ると、駅とは逆方向に坂を上った。角を二回曲がって国道に向かい、停車帯に止まっていた白いセダンの後部席に乗り込んだ。
「――玄吾くんを捕まえそこねたって本当? 亭にも帰ってないの?」
ドアを閉めしな問うた時には、車は走り出していた。運転席から三十前半の眼鏡の男が答えた。
「申し訳ありません。亭主が裏門から出られたのに気付かずにいました」
「いいのよ、陽士さんのせいじゃないわ。とりあえず城跡公園にやって」
恐縮する池元陽士に幸輝は言うと、車のシートに体を預けた。
儀式中は元より、その一ヶ月前から玄吾には大事を取って池元の人間による車での送迎がつけられている。今朝方の騒ぎがあったとはいえ、よもや玄吾が勝手な行動を取るとは思っていなかっただけに、ノックアウトを喰らった気分だ。
「あの子の性格を考えるべきだったわ」
ひとりごちて幸輝は目を閉じた。
おそらく玄吾は、雪の消えたという櫓門の噂を聞きつけて、いてもたってもいられなかったのだろう。たとえそれが、祭儀のためにひと月も前から重ねてきた潔斎を台無しにする行為であったとしても、だ。
幸輝より二歳年下の玄吾は、思えば出会った当時から無謀な子供だった。幸輝八歳、玄吾六歳の時分である。
玄吾の周囲にある何とも言えない気配のせいで友達ができず、使者を見る自分は皆とは違うのだと悟って苦しんでいた子供は、ある日小学校の屋上から飛び降りてしまった。
四階の高さから何もないアスファルトに飛び降りて片足の骨折だけで済んだのは、近くにいた使者の助けがあればこその奇跡だ。
この時すでに幸輝が使者を見ることは知られており、亭主の相談相手にと春見亭に連れてこられた幸輝は、ふて腐れてハンストを起こしていた玄吾からとんでもない科白を聞かされることとなる。
『どうせ使者が助けてくれると思ったんだ。ちょっと当てが外れたけどさ』
玄吾は、使者が玄吾の体を浮かすなりなんなりして派手に助けてくれれば、みんなに使者の存在を知って貰えると考えていたのだった。
自分と同じ力を持った同年代の幸輝が一緒に住むようになってから玄吾も悩むことは少なくなったようだが、それでも楽天的な幸輝から見ればいつでも悩んでいるように見えていた。今期から一人で儀式を務めることになり、どこか吹っ切れたように取り組んでいた玄吾の姿が嬉しかったというのに、こんな事になるなんて。
城跡公園の駐車場に着いた幸輝は、車の中から櫓門を見て、案の定とも言える結果に軽く眉根を寄せた。
ゆうべ山名と来たものの回収しきれなかった花鏡の細かな破片が、跡形もなく消え去っていた。こんなことができるのは、花鏡を扱えるだけの清浄な春気を持った者、使者か玄吾だけ。やったのはもちろん玄吾だろう。
幸輝は車内の時計に目を走らせた。玄吾が電車を使ったとすれば学校から最寄り駅まで二十分、そこからここまで歩いて十分だ。デジタル表示が五時十六分に変わった。
「ねえ、玄吾くんが学校を出た時間は分かる?」
「四時半前後のようです」
「そう。時間的にまだ近くにいそうね」
幸輝は車から降りると周囲に意識を巡らせた。本人に自覚はないが、春気に恵まれた玄吾からはいつでも使者と変わらぬ春の香りがする。冬気の緊張が見られれば、そこに玄吾がいるはず……。
はっと気づいて幸輝は北東に振り返った。
「――信じらんないっ」
幸輝はスカートの裾を翻して車内に駆け戻った。
「道順は指示するから私の学校に向かってちょうだい。今度は住宅街を通るのよ!」
*
その頃、玄吾は宙を泳ぎ続ける光竜を追って、十分以上も走り続けていた。国道を越える少し前から緩やかな上り坂になっており、もうほとんど拷問である。
住宅街から続いて商店街を抜け、ぜいぜいと苦しい胸を押さえて立ち止まった玄吾は、道路の向こうに見慣れた学生服の集団に目をとめた。
明るい緑系の襟なしブレザーに、丈の短いチェックのスカート。それぞれが着ているコートに隠れて分からないが、ブラウスの襟はセーラーカラーになっているはずだ。
「なんだよ……」
幸輝が通う高校のすぐ近くまで来ていることに気付いて、大きく息を吐き出した。幸輝がすでに花鏡の欠片を回収して保管しているのだろう。
だが、ほっとした途端に玄吾は青ざめた。迎えをまいてこんな所にいるのを知られたら、幸輝にめちゃくちゃに怒られるに決まっているのだ。春見亭の中で、幸輝だけが玄吾に容赦なかった。
幸輝に会う前に帰った方が賢明だと即座に結論づけると、玄吾はもと来た道を引き返す前にもう一度光竜を見ようと顔を上げた。
「やばっ」
光竜が姿を消し、微かな春気までも消え去ろうとしていた。幸輝がそばにいるに違いない。
玄吾は、脇道とも言えないような雪掻きもしていない細い路地に身を滑り込ませた。幸輝に気取られないように気配を抑えて、そうと知っていなければ分からないような微かな春気が通り過ぎるのを待つ。
立ち止まることなく遠ざかっていく春気を確かめてから、一応の確認をしようと通りを覗いた玄吾は眉をひそめた。学校に行く時、派手に髪を巻いていく幸輝は、後ろ姿でもかなり目立ったが、それがどこにも見あたらない。しかし春気は、玄吾から十メートルと離れていないバス停に集まる学生たちの中から発せられている。
「なんだよ、どうなってるんだ?」
人が多すぎて春気の出所がはっきりと分からない。おまけに、たしか幸輝はバスでなく電車通学ではなかったかと思い出す。玄吾が焦っている間にも、到着したバスに学生らが白い息を吐きながら乗り込んでいった。
不意に、ステップに足をかけた女子学生が振り返った。
道路を渡り、バス停に駆け寄った玄吾は、少女と目があって足を止めていた。
目を逸らした少女がステップを上がっていくと、肩の上で切りそろえられた髪がさらりと揺れ、ほっそりとした白い首筋を見せた。そのあとを続いて何人もの学生がバスに乗り込んでいく。呆然と立ち尽くす玄吾を置いて、学生を飲み込んだバスは発車した。
玄吾は、ブオッとアクセルをふかしたバスの排気音で我に返った。知らず止めていた息を大きく吐き出す。
何とも言えない戸惑いが胸を貫いていた。バスを追わなくてはと急かすのは気持ちばかりで、足は地に縫い止められたように動かせないのだ。そればかりか、光粒を集めた時に身内にためた春気が勝手に動き出すのを止めることができない。
遠ざかるバスに引きずられるように玄吾から漏れだした春気を察して、冬気が急速に集まり始めた。
手足の先や肩、顔があっという間に凍えを感じて痺れ出し、走ったために滲んだ汗が肌の上で凍りついていくのが感じられる。吐く息に霜が降ったのを目にして、玄吾は震える両腕で体を抱き締めた。
「玄吾くん!」
いきなり掛けられた呼び声に、玄吾はのろのろと顔を上げた。対向車のないことを幸いに、派手にUターンして路肩に急停車した車のドアが、勢いよく開けられた。
「何があったの!? しっかりしてよ、ほらっ」
「……幸ちゃ……ん?」
コートの袖を掴んできたのが辛うじて幸輝だと気付いた玄吾は、引かれるままに車内に倒れ込んだ。




