11-4 100日の涙
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
富士の裾野で巻き起こった、日本史上もっとも過酷で美しい復讐劇。十七年の執念を遂げ、露と消えた曾我十郎祐成と五郎時致。
物語はついにその魂を浄土へと送るための最後の儀式。、「百箇日の法要」へと至る。
建久四年、秋。箱根の山は、色づき始めた紅葉と深い霧に包まれていた。
富士の夜討ちから百日。曾我兄弟の母と、十郎の最愛の女性・虎は、ようやくこの地に辿り着いた。
「――よくぞ参られた。待っておったぞ」
二人を迎えたのは、箱根権現の別当。彼は五郎の師であり、彼を我が子以上に慈しんできた男だ。別当はすぐさま、寺中に下知を飛ばした。
「僧たちを集めよ! 持仏堂を飾り立て、客殿の塵を払え! 今日は、わが愛弟子と、その兄のための最高の弔いを行う!」
虎は別当の熱い言葉を聞き、それまで凍りついていた心が、ほんの少しだけ解けていくのを感じていた。
数多の僧侶が集まり、儀式が始まった。読まれるのは、仏教における最高ランクの経典――『一乗妙典』全八巻。
「南無……妙法……蓮華経……」
重厚な読経の声が堂内に響き渡り、線香の煙が天へと昇っていく。読経が終わり、別当が高座に上がった。追善の鐘が鳴り響く中、彼は施主である母と虎の志を想い、まずは言葉にならぬ涙に咽んだ。
「……。………………」
しばらくの後、彼はようやく声を絞り出し、花を捧げて説法を始めた。
「二十三年の夢が、暁の月と共に空に隠れてしまった。
夕暮れの嵐に一人、雲となり雨となって消えた二人を想えば、哀憐の涙が乾くことはない。
悲しいかな、老いた親が子に後れ、恨めしいかな、若き妻が夫を失う。釈迦大士の教えも、閻魔法王の叱責も、今の我らの悲しみの前には霞んでしまう。
だが、聞きなさい。……命は水上の泡であり、魂は籠から放たれた鳥と同じ。消えた者は二度と見えず、去った者は二度と来ない。だからこそ、今ここで、すべての執着を祈りに変えるのだ」
別当は、母の恩を須弥山に、父の恩を大海に例え、その恩を捨ててまで父の仇を討った兄弟の「志」を、神仏もまた納受(受け入れ)してくださるはずだと説いた。
「……別当様。……あの子が、五郎が幼い頃に過ごしていた部屋を見せていただけないでしょうか」
法要を終えた母が、震える声で願い出た。別当は頷き、二人を古い宿坊へと案内した。
「あの子が大人になって山を下りてから、私はこの部屋に人を入れず、修理もせず、あの日から一歩も変えずに残しておきました」
ギィ……と古びた扉が開く。そこには、五郎(箱王丸)が過ごした当時のままの空気が止まっていた。軒先の忍草は、まるで主を待つように真っ赤に紅葉し、秋の時雨が静かに屋根を叩いている。
母と虎が部屋を見渡すと、壁の一角に、墨で書かれた筆の跡があった。それは、五郎が山を降りる直前、誰にも告げずに書き遺した「最後のメッセージ」だった。
『出でていなば 心かろしと言ひやせん 身の有様を 人の知らねば』
(黙って出ていけば、薄情な奴だと思われるだろうか。……けれど、俺が背負っている宿命を、誰も知らないのだから)
「……ああ、五郎……!」
母は壁に縋り付き、慟哭した。師匠に別れも告げず、誰にも行き先を教えず、たった一人で修羅の道へと踏み出したあの日の五郎の心。その寂しさと、退路を断った決意。
その筆跡は、まるで今書かれたばかりのように鮮明で、母の胸を激しく焼き焦がした。
名残は尽きない。しかし、時は無情にも過ぎていく。
「……母上。私は、大磯へ帰ります。そして一生をかけて、十郎様を弔い続けます」
虎は、かつて十郎が贈った「貝鞍」と「馬」を布施として寺に捧げ、静かに告げた。母もまた、富士の狩場から届いた「小袖」を布施として差し出し、別当の手を取った。
「別当様。……あの子たちが、貴方の弟子で本当に良かった」
別当は、涙を抑えて二人に語りかけた。
「……見事な供養であった。この志、必ずや過去の幽霊(二人)に届き、彼らは浄土で正覚を得ることだろう。大磯の客人(虎)よ、貴女の志は世に類を見ないほど深い。どうか、怠ることなく彼を弔い続けておくれ」
「……はい。あかぬ別れの道、いつまでも忘れません」
曾我の里へ戻る母。大磯へと帰る虎。そして、弟子の思い出と共に生きる別当。
復讐の物語は、血飛沫と怒号で終わったのではない。
こうして残された者たちが、それぞれの心に「愛」と「祈り」を灯すことで、ようやく一つの円環を閉じてゆく。
曾我物語 巻第十一 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔箱根にて仏事の事〕
ましてや、人の身として願はんに、何の疑ひ候ふべき。既に斯様の法者と成り給へば、身の為、他の為、未来永々 有り難き御事なり。法師とて、御導師に成るべき身にあらねども、有り合ひ、如何でか空しかるらん。其の上、五郎は、寵愛なじみにて、御思ひ、共に劣らねば、一入弔ひ奉るべし。誰か、僧達を請じ申せ。持仏堂の荘厳せよ。客殿の塵取れ」と、様々 下知し給ひけり。虎は、別当の教化を聞き、身ながらも嬉しくぞ思ひける。其の後、数の僧達集まり給ふ。御経多しと雖も、殊にすぐれたる一乗妙典八 巻、同音に読誦し給ふ。五十 展転の功力だにも有り難し。受持読誦の結縁頼もしかりけり。御経やうやうはてしかば、別当高座に上り、彼等が追善の鐘打ちならし、施主の志を計り給へば、先づ、御涙にむせびつつ、説法の御声も出だし給はず。やや有りて、別当涙を抑へ、花房を捧げ、「其れ、生死の道は殊にして、をつれをいづれの方にか通ぜん。分段境を隔つ、はいきをいつの時にか期せん。二十三年の夢、暁の月と空に隠れぬ。千万端の愁へ、夕の嵐、一人吟じて、雲と成り、雨と成り、哀憐の涙、かわく事無し。朝を向かへ、夕を送りて、懐旧の腸絶えなんとす。所作未だやまざるに、百日の忌景、既にみてり。悲しみ至りて悲しきは、おいて子におくれ、恨みの殊に恨めしきは、さかんにして夫におくるる程の愁へ無し。老少不定を知ると雖も、猶、前後の相違に迷ふ事、歎けども適はず、惜しめ共験無し。然れば、仏も愛別離苦ととき給ふ。一生は夢の如し、誰か百年の齢を保たん。万事は皆空し、いづれか常住の思ひをなさん。命は、水の上の泡の如し。魂は、籠の内の鳥、開くを待ちて、然るに同じ。きゆるものは、二度見えず、然る者は、重ねて来たらず。恨めしきかなや、釈迦大士の慇懃の教化忘れ、悲しきかなや、閻魔法王の呵責の言葉を聞く。名利は、身を助くと雖も、未だ北ばうの屍を養はず。恩愛の心悩ませども、誰黄泉の攻めをまぬかれん。是に依つて馳走す、所得幾何の利ぞや。是が為に追求す、所作多罪也。暫く目をふさぎて、往事を思ふに、きゆふ皆空し。指ををりて、薨人をかぞふれば、親疎多く隠れぬ。時移り、事さりて、今何ぞ渺茫たらんや。人止めて、我行き、誰か又しやうしやせん、三界無安、猶如火宅と見れば、王宮も、これ夢なり。天子と言ふも、四苦の身なり。況や、下劣貧賎の輩、などか其の罪かろかるべき。死に苦しみをまし、業に悲しみを添ふべし。思ひ取らぬぞ、愚かなる。「まさに今こんかく塵深くして、竹簡幾何の千巻ぞ。苔れう雲 静かにして、松風只一声、てんちうくわせつ、相伝ふるに、主を失ふ。七月半ばの盂蘭盆、のぞむ所、誰にかあらん」と、泣く泣く当座にぞ書きける。誠理きはまりけり。然れば、親の子を思ふ志の深き事、父の恩を須弥に例へ、母の恩を大海に同じと言へり。もし我一劫の間とく共、父母の恩、作る事無しと見えたり。胎内に宿り、身を苦しめ、心をつくし、月を重ね、日を送り、生まるる時は、桑の弓・蓬の矢を以て、天地 四方を射、身体髪膚を父母に受け、敢へてそこなひ破らざるを、孝の始めとす、襁褓の嚢に包まれしより、今に至るまで、昼夜に安き事無し。人の親の習ひ、我が身の衰へをば知らずして、子の成人を願ひしぞかし。此の恩を捨て、未ださかりにもみちずして、母に先立ちぬ。然れば、孝経に曰く、「君は尊くして親しからず、母は親しくして尊からず、尊親共に是をかねたるは、父一人なり」と雖も、四の恩の中には、二親なれば、母の歎きも切なれども、あたる所を恥ぢ、父の敵に身を捨て、各々命を失ふ。人の親の子を思ふ闇に迷ふ道、愚かなる子もいとしほしく、かたはなるも悲しきに、此の人々は、弓馬の家に生まれ、武略共にかしこし。後代に止む事、遠きも近きも、知らぬ人無し。同じ兄弟と雖も、中の悪しきも有るぞかし。此の殿原は、幼少竹馬の昔より、なれむつぶる事、類無し。浄蔵・浄眼の古にも恥ぢず、早離・速離の昔にも似たり。遂に富士の裾野にして、同じ草葉の露と消え給へり。彼の一条摂政謙徳公の二人の御子、前少、後少将とて御座しける、朝夕に失せ給へり。斯かる例もあれば、生死無常の理、始めて驚くべきにあらず。今、開眼供養の御経、人々の手跡の裏也。斯様に書き置きしを、余所にて見るだにも悲しきに、まして御身にあて、御心中、さぞ思し召すらめ。是は、親子の別れの事、兄弟の契りのわり無きを、一 言述べて候ふ。又、夫に別るる歎き、今一入色深き事なり。虚弓止まりて、閨に寄せ立つ、上弦の月、空に暮れぬ。三年のなじみ、忽ちつき、孤枕床に上りて、虞氏が古にあらねども、数行が涙、袂をうるほすらん。しやう蘭のにほひ、そらだき物とぞなりにける。宵暁の鐘の声、枕を並べし音には似ず、おきゐに見れば、なれ来し人はよも添はじ。山の端出づる月影を、心苦しく待ち得ても、見し面影にはことなれば、是ぞ、慰み給ふ事あらじ。誠、夫婦の別れ、忍び難けれども、昔今も、力に及ばざる道なれば、思ひ慰み給ふべし。彼の唐の玄宗の楊貴妃も、はつかに事を蓬莱宮の波に伝ふらん、穆公の弄玉をおもんぜしも、徒らに鳳凰台の月によす。彼を思ひ、是を思ふに付けても、昔を今になずらへて、一仏浄土の縁を結び、願はくは、九品往生ののぞみを遂げ、七世の父母、六親眷属成仏」と、回向の鐘をならし、別当高座を下り給ふとて、定め無き浮き世といとど思ひしに問はるべき身の問ふに付けてもと詠じ給ひければ、聴聞の貴賎、哀れを催し、袖を絞らぬは無かりけり。供養もやうやう過ぎしかば、僧達も、皆々(みなみな)帰り給ひぬ。やや暫く有りて、「急ぎ下り度候へ共、たまたま上りて候へば、五郎が幼くて住み候ひし方を見候はん」と申されければ、別当宣ひけるは、「男に成りて後、其の形見と思へば、人をも置かず、わざと破れをも修理せず、昔に少しも違はず候ふ。いざさせ給へ。墓所をもつきて候へば、御覧ぜよ」とて、つれて行き、立ち寄り見給へば、墓の上に草おひけるを、別当見給ひて、「君見ずや、北ばうの暮の雨、でうでうたる青塚の色を。また見ずや、とうはうの秋の風、歴々たる白楊の声を」と、古き詩を思ひ出で給ふ。是は、もとの住み処と宣へば、軒の荵は、紅葉して、思ひの色を現せり。歎きは、いつも尽きせねば、しげる甲斐無き忘れ草、其の名計は、由ぞ無き。長月上旬の事なれば、よもの紅葉の色は、袖の涙を染むるかと見え、世に古里は苦しきに、安くも過ぐる初時雨、羨ましくぞ覚えけり。壁に書きたる筆のすさみを見れば、出でていなば心かろしと言ひやせん身の有様を人の知らねばと言ふ古歌の端を、「箱王丸」とぞ書きたりける。師匠に暇をもこはず、人にも行方を知らせず、只一人出づる事、思ひ寄りて語り、幼かりし面影、只今の心して、由無き所へ来たりけると、絶え焦がれければ、胸を焦がす焔は、咸陽宮の夕の煙にことならず。袂に落つる涙の、竜門原上の草葉を染むる、おもての涙とも言ひつべし。名残は尽きすまじ。さてしも有るべきにあらざれば、泣く泣く母は、曾我に下り、虎は、大磯に帰らんとす。別当も五郎に別るる心して、「扨も、此の度の御仏事、有り難くこそ候へ。過去幽霊、定めて正覚なり給ふべし。又、大磯の客人の御志こそ、世にすぐれては候へ。構へて構へて、怠らず弔ひ給へ」と仰せられければ、虎も、涙を抑へて、「仏事と承り候へば、誠に恥ぢ入る心し、あかぬ別れの道、いつかは怠り候はん」と申しければ、「数多の宝をつまんより、誠の志にはしかずと承る。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




