11-5 長者の万燈より貧女の一燈
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
富士の裾野に轟いた復讐の咆哮から、早三ヶ月。
箱根の御山。法要を終えた大磯の虎と曾我の母を前に、別当は静かに、かつて天竺で起きた伝説を語り始めた。
「――昔、天竺の阿闍世王が、お釈迦様のために万もの燈明を灯したことがあった。王宮から精舎まで、国中の油を集めて夜を昼のように照らしていた」
その豪華絢爛な光景の片隅に、一人の貧しい女がいた。彼女もまた、お釈迦様を供養したいと願ったが、日々の食べ物にも事欠く身。油を買う金など一文もない。
「彼女はどうしたと思いますか? 彼女は自らの豊かな黒髪を切り、わずか二文の銭に変えた。それで買った一滴の油で、消え入りそうな一燈を灯したのです」
その時、激しい山風が吹き荒れた。王が灯した万もの豪華な燈明は、一度にすべて吹き消されてしまった。
――しかし、たった一つ。あの貧しい女が灯した小さな火だけは、風に負けず、煌々と輝き続けていた。
「お釈迦様の弟子、目連が不思議に思い、袈裟を扇いで消そうとしても火は消えなかった。お釈迦様は仰いました。『王の万燈の光も立派だが、この女の「志の深さ」には及ばない。ゆえにこの火は消えないのだ』と」
別当は優しく二人を見つめました。
「虎殿、母上。貴女たちが捧げた祈りは、あの貧女の一燈と同じです。数多の宝を積むよりも、その誠の心が、何よりの供養となるのです」
別当の教えに、二人の心は洗われるようだった。
「自分たちの小さな祈りでも、あの兄弟に届いているのだ」と。別れの時。母が虎の手を取り、寂しげに言った。
「虎殿、もしよければこのまま曾我の里へ来てください。私を母だと思い、十郎の形見として側にいてはくれませんか」
虎の瞳に涙が浮かびます。しかし、彼女の心にはすでに固い決意があった。
「……母上、そのお言葉だけで救われます。ですが、私には果たさなければならない使命がございます」
「私がいなければ、この祈りが途絶えてしまいます。大磯へ帰り、一筋にこの道を歩みたいのです。どうかお許しください」
母はその壮絶なまでの愛の深さに打たれ、ただ頷くしかありませんでした。
「……わかりました。お互い、決して祈りを絶やさぬようにしましょう。問われ、問い返す縁を大切にしましょうね」
さて、人間たちのドラマが感動の終焉を迎える一方で、あの日、兄弟が命を散らした富士の裾野では、異常事態が発生していた。
頼朝が引き揚げた後、そこには屋形の一つも残っていなかったが、夜になると不可解な現象が起きるようになった。
「――我こそは! 曾我の十郎祐成なり!!」
「――五郎時致なり!! いざ、勝負!!」
暗闇の中から響き渡る、兄弟の咆哮。そして、太刀と太刀がぶつかり合う激しい金属音。
かつての英雄は、死してもなお復讐の熱が冷めず、怨念の化身となってその場に留まり続けていた。
「……不便なことよ」
この凶報を聞いた源頼朝(鎌倉殿)は、胸を痛めた。
自分が処刑を命じたとはいえ、五郎のあの潔い言葉、十郎の鮮烈な最期。彼らが成仏できずに戦い続けていることは、頼朝にとっても耐え難いことだ。
「誰か、この怨念を鎮められる者はおらぬか」
そこで召喚されたのが、当時、稀代の徳高い高僧として知られた養行上人だった。
「……上人、どうにかしてくれ。富士の裾野が、もう手が付けられない状況だ」
「――鎌倉殿、驚くには当たりません。我が国には古来より、強すぎる想いを抱いて死んだ者が、神へと至る前例が数多くございます」
「まずは、菅丞相――菅原道三郎・道真公です。讒言によって左遷され、怒りの中で亡くなった道真公は、火雷天神となって都を恐怖のどん底に陥れました。しかし、天台の座主がその威光を鎮め、今は『天満大自在天神』として、学問と至誠の神となり、絶大な信仰を集めておられます」
上人は続ける。
「承平の乱の平将門、弘仁の変の藤原仲成……。彼らもまた、一度は国を騒がせる怨霊となりましたが、正しく祀ることで『神』となり、その強大なエネルギーを国の守護へと転換してきたのです。……曾我兄弟も同じ。その並外れた執念、神として仰ぐべき器なのです」
頼朝は深く頷いた。
「怨霊として恐れるのではなく、守護神として味方につける」という、日本独自の「逆転の発想」である。
「よし。すぐに兄弟を神として祀れ。彼らの名は、今日から『勝名荒人宮』だ!」
富士の裾野、兄弟が散った「松風」の地。 頼朝により、広大な所領が永代にわたって寄進さ、 養行上人を開山(初代)とし、寺僧、禰宜、神主が正式に配置。された。
毎年、五月二十八日――兄弟が仇討ちを決行した日には、盛大な読経、神楽、そして色とりどりの奉幣が捧げられることになる。
神社が完成し、正しく祭祀が行われ始めると、驚くべき変化が起きた。夜な夜な響き渡っていた「十郎だ!」「五郎だ!」という戦いの叫び声が、ピタリと止んだのだ。
漆黒の闇に包まれていた松風の地は、清浄な空気に満ちた聖域へと姿を変えた。そしてある夜、神社の神人の夢に、兄弟が姿を現した。
そこには、血にまみれた修羅の姿ではなく、光輝く高貴な装束を纏った二人が、穏やかな表情で立っていたという。彼らは厚い供養を受け、ついに悟りを得たことを伝えた。
「もはや我らに、恨みはない。これからは、願いを抱く者たちの標となろう」
この知らせを聞いた頼朝、そして曾我の母や虎。彼らはようやく、胸のつかえが取れる思いで富士の山を仰ぎ見た。
こうして、曾我兄弟はただの「復讐者」から、『心願成就の神』へと転生を遂げた。
「何としても成し遂げたい望みがあるなら、曾我の神に参れ」
「敵を討たんとする志があるなら、富士の裾野の荒人宮に誓え」
噂は瞬く間に日本中に広がった。遠国からも、近国からも、深い想いや願いを抱いた人々が、この神社を目指して歩みを運ぶようになった。
上下万民、誰もがこの「逆転の英雄」を仰ぎ、自らの背中を押してもらうために祈りを捧げる。
かつて兄弟を冷たくあしらった武士たちさえも、今はその威光に跪いた。
曾我物語 巻第十一(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔貧女が一燈の事〕
其の古を思ふに、天竺の阿闍世王は、常々仏を請じ奉り、数の宝を捧げ給ふ。或る時、仏の御帰り、夜に入りければ、王宮より、祇園精舎まで、十方国土の油を集めて、万燈をともし給ひけり。此処に、貧なる女有り、如何にもして、此の燈明の数に入らばやと思ひけれども、朝夕の営みだにも無き貧女なれば、一 燈の力も無し。涙を流し、如何にもと方便すれども、適はで、東西に馳走し、自ら髪を切り、銭二 文にぞうりたりけり。是にてもやと思ひければ、油を彼の銭にてかひ、わぶわぶ一 燈ともして、くどきけるは、「我、前業如何なりければ、百千 燈をだにともす人の有るに、一 燈をだにともし兼ねたる、憂き身の程の恨めしさよ」とて、彼の燈明の下に泣き伏しけり。此の志を現さん為にや、折節、山風あらくふきて、数の燈明を一度にふき消しけり。然れば、貧女が一 燈ばかりは消えず。目連、不思議に思し召し、袈裟にて仰がせ給ひけれども、消えざりけり。其の時、目連、仏に問ひ給ふ、「多くの燈明の消ゆる中に、如何なれば、一 燈消えざる」と申させ給へば、仏宣はく、「阿闍世王が万燈の光、愚かにはあらね共、貧女が志の深き事を現さむが為に、万燈は消えて、一 燈は残り」と示し給ふ。然ればにや、此の貧女成仏して、須弥燈光如来と申すは、此の貧女の事なり。「長者の万燈より、貧女が一 燈」と申し伝へたるは、此の事也。御志をはげまし候へ。返す返す」と仰せられければ、虎も、母諸共に、深き追善し、諸仏哀れみ給ふらんと嬉しくて、各々(おのおの)暇申して、帰りにけり。母申しけるは、「今より後は、常々来たり、我はを御覧候へ。自らも又、十郎が名残に見奉りなん。暫く曾我に坐しまして、慰み給へ」などと語りて行きけるが、虎申しけるは、「嬉しくは承り候へ共、此の人々の御為に、毎日法花経六部あて六人して、第三年まで六部の志候ふ。我は無くては、無沙汰有るべし。詳しく申し付けて参るべし」と申しければ、母は、「誠の御志、有り難くこそ候へ。構へて構へて、絶えず問ひ問はれ参らすベし」とて、泣く泣く打ち別れにけり。実にや、有為転変の世の習ひ、花は根に帰り、鳥は、古巣に入り、日月天に傾き、松柏の青き色も、遂には五衰の時有り、蜉蝣のあだなる形、芭蕉風に破るる例、歎きても余り有り、悲しみてもたへず。只一筋に仏道を願ふ時は、草木国土悉皆成仏とぞ見えける。さても、大将殿御出に依り、富士の裾野の御屋形、甍を並べ、軒を知りて、数有りしかども、御狩過ぎしかば、一宇も残らず、元の野原になりにけり。然れども、残る者とては、兄弟の瞋恚執心、或る時は、「十郎祐成」と名乗り、或る時は、「五郎時致」と呼ばはり、昼夜戦ふ音絶えず。思はず通り合はする者、此の装ひを聞き、忽ちに死する者も有り、やうやういきたる者は、狂人と成りて、兄弟の言葉を移し、「苦悩離れ難し」と歎くのみなり。君聞こし召されて、不便なりとて、ようぎやう上人とて、めでたき法者を請じ、「如何せん」と仰せられければ、
〔菅丞相の事〕
上人聞こし召し、「昔も、然る例こそ多く候へ。忝くも、菅丞相の昔、讒言の瞋恚、くはういとなり給ひて、都を傾け給ひけるを、天台の座主、一字千金の力を以て、やうやうなだめ奉り、神といはひ奉る、威光あらたに坐します、天満大自在天神、此の御事なり。其の外、怒りをなして、神と崇められ給ふ御事、承平の将門、弘二の仲成此の方、其の数多し。此の人々をも、神にいははれ候へ」と仰せられければ、
〔兄弟、神にいははるる事〕
「然るべし」とて、即ち勝名荒人宮と崇め奉り、やがて富士の裾野に、まつかぜと言ふ所を、長く御寄進有りけり。よつて、彼の上人を開山として、寺僧を定め、禰宜・神主をすゑ、五月二十八日には、殊に読経、神楽、色々(いろいろ)の奉幣を捧ぐる事、今に絶えず。其れよりして、彼の所の戦ひ絶えて、仏果を証する由、神人の夢に見えけり。あらたに尊し共、言ふ計り無し。然れば、今に至るまでも、敵打たんと思ふ者は、此の神に参り、祈誓すれば、思ひの儘なりとて、遠国・近国の輩、歩みを運びけり。上下万民、仰がぬは無かりけり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




