11-2 大磯の虎と母、箱根の山で見つけた『救い』の言葉
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年、長月。富士の裾野に散ったあの日から、百日という月日が流れようとしていた。
「――虎殿、参りましょう。あの子たちが待っています」
母の言葉に、大磯の虎は重い腰を上げた。
庭先には、一頭の馬が用意されている。鞍はかつて十郎が愛用した豪華な貝鞍。だが、その上に乗るべき主はもういない。
一行は、曾我の里を後にした。道すがら、慣れ親しんだ景色が遠ざかるにつれ、虎の心は上の空へと消えていきそうになる。まるで木幡山にこもる霞のように、実体のない悲しみだけが彼女を包んでいた。
かつて、十郎が彼女の元へ通うために何度も渡った河。荒立つ波を蹴立てて渡る馬の脚並みを思い出し、虎は眩暈を覚えた。
「あの日、十郎様もこの波を見ていたのでしょうか……」
道は険しさを増し、一行は湯坂峠へと差し掛かる。そこは、箱根の山を越えるための難所であり、同時に兄弟が何度も往復した思い出の道でもあった。道端にそびえ立つ、巨大な老杉。
「あぁ……。十郎様も、五郎様も、この道を歩まれたのですね」
虎は杉を見上げた。かつて、この木の枝に矢を射立てて、運命を占ったという兄弟。梢を揺らす風の音さえ、彼らの囁きのように聞こえてくる。
「もしかしたら、あの時射た矢が、まだこの枝のどこかに残っているのではないか」
そんな淡い期待を抱きながら、一行ははるばる山路を越え、ついに箱根の宿坊へと辿り着いた。
一行を迎えたのは、箱根権現の最高責任者であり、五郎(箱王丸)の師でもあった別当であった。
「あぁ……よくぞ参られた。百日の間、さぞかし嘆き悲しまれたことだろう」
別当の声もまた、沈んでいた。母が、共に連れてきた虎を紹介すると、別当は彼女の墨染めの袖に宿る深い哀しみを見て、自らも衣の袖を涙で濡らした。
「法師であるこの私も、お二人と同じく……いや、それ以上に嘆いております」
別当は、静かに説法を始めた。
「世の中に、老いた親が盛りの子に先立たれること、若い妻が夫に遅れること……それは、珍しいことではありません。しかし、『師に先立つ弟子』というのは、これほど稀で、悲しいことはないのです」
別当は、古の歴史を引き合いに出した。顔回、聖人・孔子の高弟でありながら、二十五歳で先立った。慈覚大師の弟子、師よりも早く世を去った。
「私一人が嘆いているわけではありません。誰もがこの別れを悲しむのは当然のこと。……泣きなさい。今は、気の済むまで嘆くべきです」
別当は、はらはらと涙を流しながらも、虎の瞳をじっと見つめた。
別当の言葉は、やがて虎の魂を救うための「厳しい忠告」へと変わっていった。
「大磯の客人……虎殿。貴女の志は、誠にありがたい。だが、聞きなさい。あまりに深く嘆きすぎてはなりません」
「……どういうことでしょうか、別当様」
「貴女のその深い悲しみ、そして『相手を恨む心』は、瞋恚の妄執となります。仇を討った側も、討たれた側も、それを恨み続ければ、その魂は輪廻の業から抜け出せなくなるのです」
別当は、女性特有の執着心の深さを危惧していた。
「自ら手を下して殺さずとも、心の中で『あいつが憎い』と願うことは、殺生の罪を犯しているのと同じこと。構えなさい。悪念を捨てなさい。第一の戒めは、心を穏やかに保つことです。女の執念は、三途の川の業火を消えさせぬほど深いという。……聞きなさい、虎殿。貴女が本当に十郎殿を想うなら、その『恨み』を捨てることが、彼を浄土へ導く唯一の道なのです」
別当の言葉は、虎の心に冷たい水のように染み込んでいった。今まで、ただ「彼を奪った世界」を恨んでいた自分。だが、その恨みが彼を縛り付けているのだとしたら――。
「……わかりました、別当様。私は、十郎様のために、この心を空にいたします」
虎は、自分の墨染めの衣を握りしめた。
外は、秋の夕暮れ。箱根の山々に、法要の開始を告げる鐘の音が響き渡る。曾我の里の母。大磯の虎。そして、弟子を失った別当。
復讐劇の後に残された三人の、静かな、しかし強固な連帯。彼らの祈りは、富士の裾野から空へと昇り、きっとあの兄弟の元へと届いているはずだ。
嵐の後の、あまりにも静かな夜が明けていく。
曾我物語 巻第十一(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔母と虎、箱根へ上りし事〕
あれぬる宿とは思へ共、枕並べし睦言の、出でぬる別れ路は、今も打ち添ふ心地して、おきもせず、ねもせで、物を思ひ居たる所に、馬に鞍おきひつ立つる、使ひは来たり木幡山、君を思へば心から、上の空にや籠るらん。母も立ち出でて、急ぐと言へば、打ち出でぬ。自づから成る道の辺、我が方遠く成り行けば、其処とも知らぬ鞠子河、け上げて波や渡るらん。湯坂峠を上るにも、別れし人、此の道を、かくこそ通ひなれしと、思ひ遣らるる梓弓、矢立の杉を見上げつつ、其の人々の射ける矢も、此の木の枝に有るらんと、梢の風もなつかしく、山路はるばる行く程に、箱根の坊につきけり。やがて、別当出で合ひ給ひて、「さても、御歎きの日数の、哀れにて」と仰せられければ、此の人々にも、仏事の本意を申しけり。別当、虎を見給ひて、「何処よりの客人にや」と問ひければ、母、有りの儘に語り奉る。別当も、有り難き志とて、墨染の袖を濡らし給ふ。やや有りて、別当、涙を止めて、仰せられけるは、「法師が思ひとて、方々に劣り奉らず。さかりなる子を先に立つる親、わかうして夫におくるる妻、世の常多しと申し候へ共、師に先立つ弟子は、稀なり。其れも先規無きにあらず。遠く震旦を思へば、顔回は、貫首の弟子にて、才智並ぶ人無かりしかども、二十五 歳にて、先立ち給ふ。我が朝の慈覚大師の御弟子、大師に先立ち奉る。西方院の座主院源僧正は、りやうゐん大徳におくれ給ふ。斯様の事を思ひ出だせば、愚僧一人が歎き也。げにげに曠劫をへても、相見ん事有るまじき別れの道、歎き給ふも、理なり。歎くべし歎くべし」とて、御涙をはらはらと流し給ふ。「思へば、誰も劣るべきにはあらね共、大磯の客人の御志こそ、誠有り難くこそ候へ。相構へて、深く歎き給ふべからず。是を誠の善知識として、他念無く菩提心を起こし給へ。一念の随喜だにも、莫大にて候ふぞかし。斯様に思ひ切り、誠の道に入り給ひ候はば、余念無く行じ給ひ候へよ。仏も六年、仙人に給仕きやうしてこそ、法花をば授かり給ひし。構へて、悪念を捨て給ふべし。人々を打ちける人を恨めしと思ひ給はば、瞋恚の妄執と成りて、輪廻の業つくべからず。あながち、手を下ろして殺し、行きて盗まざれども、思へば、其の科ををかすにて候ふぞ。構へて構へて、殺生を心にのぞき給ふべし。然れば、第一の戒にて候ふぞ。女は、殊に執情深きに依りて、三途の業つきず候ふぞや。聞き給へ。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




