11-1 主なき部屋、草茂る庭
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)の長月(九月)上旬。
あの日――富士の裾野で曾我兄弟が散った凄絶な夜から、季節は無情にも移ろい、厳しい夏が過ぎて秋の気配が漸く色濃くなっていた。
空をゆく雁の列が霜の降りた林へと飛び去り、良人の帰りを待つ妻たちが冬の衣を打つ音が響く。そんな寂寥感の漂う曾我の里に、一人の尼が姿を現した。
彼女は濃い墨染めの衣に同色の袈裟を纏い、一頭の葦毛の馬を引いていた。その馬には、かつて曾我十郎祐成が愛用した貝鞍が置かれている。
彼女こそ、十郎がその命を懸けて愛した女、大磯の虎であった。虎は曾我兄弟の母のもとを訪ねると、深々と頭を下げて告げた。
「曾我の若殿たちの百箇日の法要、本来ならば大磯の地で営むべきところですが……。箱根の御山で執り行われると聞き及んだため、ぜひ供養の列に加えていただき、私なりの弔いを捧げたく参上いたしました」
母は力なく微笑み、虎を迎え入れた。
「よくぞ、思い至ってくださいました。十郎の使っていた部屋へお入りなさい。今、参りますから」
虎が十郎の住まいだった部屋へ一歩踏み込むと、そこには残酷なまでの『時間』が止まっていた。かつては整えられていた庭の路には、いつの間にか草が膝まで茂り、人の踏んだ跡もない。床の上には塵が積もり、主を失った空間がただ静まり返っている。
(あの日、最期の別れの暁まで見慣れていた場所なのに……)
虎の目に涙が溢れた。自分はあの日と同じ自分なのに、ここにいたはずの彼はもういない。
「月は変わらず、春もまた巡るというのに、どうして貴方だけが……」
虎は床に崩れ落ち、枕に袖を押し当てて、声も出さずに泣き続けた。
しばらくして、母が部屋に現れた。母もまた、虎の姿を見るなり言葉を失い、袖を顔に押し当ててさめざめと泣き崩れた。二人は対面しながら、ただただ涙に暮れた。夫を亡くし、子を失った母の悲しみ。愛する人を奪われた恋人の嘆き。ようやく涙を抑えた母が、震える声で語り始めた。
「……十郎が生きていた頃に、もっと貴女を大切に、家族としてお迎えすべきでした。身分の違いや貧しさを言い訳にして、貴女を遠ざけてしまったことが、今更ながら悔やまれてなりません。あの子がこれほどまでに貴女を深く想っていたのだから、私にとっても、貴女はもう一人の十郎のようなものなのです」
虎もまた、涙を拭いながら答えた。
「身の程をわきまえ、お目にかかるのを遠慮しておりましたが……。この葦毛の馬と鞍は、十郎様が形見として遺してくださったものです。けれど、これを見るたびに胸が締め付けられ、仏様の名を唱えることさえできなくなってしまいます。ですから、この度の法要のお布施として、捧げさせていただきたく存じます」
母は頷き、自身の傍らにあった「小袖」に目を落とした。
「私も同じです。あの子たちが狩場から送ってきたこの小袖を見るたび、心が乱れて仕方がありません。これも、供養のために捧げましょう」
母の語りは、やがて次男・五郎への後悔へと移っていった。
「五郎……箱王のことも、悔やんでも悔やみきれません。あの子が法師にならぬと言い張った時、私はつい『不孝者』と突き放してしまった。あの子が死を覚悟して会いに来たあの日も、三日と寄り添ってやらず、追い返すようにしてしまった……」
母は、五郎が最後に見せた「嬉しそうな顔」を思い出していた。出陣の直前、十郎に連れられてやってきた五郎。母が「もう許しましょう」と一言告げた時、あの子が見せたあの輝くような笑顔。
「あの子は、私が許したことを、何よりの喜びとして死んでいったのでしょう。けれど、あれが最期の別れになると知っていたら、どうしてあんなに冷たくできたでしょうか。凡夫の身の悲しさよ、夢にも知らずに……。いつの世になれば、再びあの子たちに会い、この胸の内を語れるのでしょうか」
母は再び突っ伏して泣いた。虎もまた、その悲しみに寄り添い、二人の心は秋の夜の闇に沈んでいった。
「……虎さん。これは、あの子たちが最後、富士野の狩場から送ってきた文です。読もうとしても、涙で文字が滲んで見えません。どうか、貴女の口から聞かせてはくれませんか」
母が差し出した文。それは十郎が最後に書き遺した言葉だった。虎はそれを震える手で受け取り、胸に抱きしめた。
「……っ、十郎様……」
文字を目で追おうとするが、虎の目もまた涙で曇り、一行も読み進めることができない。ただ、その紙の感触に、彼の指先が触れた証を探すことしかできなかった。
「今夜はここに泊まり、ゆっくりと昔語りをしましょう。明日の暁には、箱根へ向けて出発します。……鎌倉殿からは、あの子たちの供養のためにと所領も賜りました。仇討ちを成し遂げたのみならず、その志が認められたこと、それだけがせめてもの救いでございます」
母は、古の和泉式部が娘に先立たれた時の歌を引き、自らの境遇を重ねた。
『諸共に 苔の下にも くちずして 埋もれぬ名を聞くぞ悲しき』
(共に死ぬこともできず、あの子たちの誉れ高い名ばかりが世に広まっていく。それが何よりも悲しいのです)
「法要の導師は、五郎の師であった箱根の別当様にお願いしてあります。あの方も、五郎を我が子のように思っておられましたから」
母が去った後、虎は一人、十郎の部屋で夜を明かすことになった。一人、荒れ果てた家で伏していると、軒端にかかる月が涙で曇って見える。
秋の夜を告げる鹿の声、枕元で弱々しく鳴く秋の虫の声。荻を吹く風の音が、かつて愛した人がここにいたことを、これでもかとばかりに思い出させる。あまりにも長い夜。
せめて夢の中でもいいから会いたいと願うが、浅い眠りの中に彼の姿はない。ただ、枕を濡らす涙が、明け方の草に置く露のように重なっていくばかり。
暁を告げる雁の声さえ、連れ立って飛ぶ姿が羨ましく思えてしまう。どこからか聞こえる砧の音、そして遠くの寺の鐘が響く空に、白々と夜が明けていく。
最愛の人を失った虎の、本当の修行がここから始まろうとしていた。
曾我物語 巻第十一(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔虎が曾我へ来たる事〕
抑、建久四年長月上旬の頃、つながぬ月日も移り来て、昨日今日とは思へ共、憂き夏も過ぎ、秋も漸々 立ちぬれば、賓鴈書を掛けて、上林の霜にとぶ、貞女何処んにか有る、くはんしよ衣を打ちて、良人未だ帰らざる所に、せんき尼一人、濃き墨染の衣に、同じ色の袈裟を掛けて、葦毛なる馬に、貝鞍おき、引かせて来けり。何者ぞと見れば、十郎が通ひし大磯の虎也。彼等が母のもとに行き、間近き所に立ち入り、使ひして言ひけるは、「此の人々の百ケ日の孝養、大磯にても、形の如く営むべけれ共、箱根の御山にて有るべしと承り候へば、此の仏事をも聴聞申し、我が身の営みをも、其の次にして、一しゆの諷誦をも捧げばやと思ひ、参り候ふ」と言ひければ、母聞きて、「嬉しくも思ひ寄り御座します物かな。十郎有りし方へ入らせ給へ。やがて見参に入るべし」と、あれたる住み処の扉をあけて、呼び入りにけり。虎は、十郎が住み所へ立ち入り見れば、いつしか庭の通ひ路に草茂り、跡踏み付くる人も無し。塵のみ積もる床の上、打ち払ひたる気色も見えず。今はの別れの暁まで、見なれし所なれば、変はる事は無けれども、主は無し。思ひしより、過ぎ方のゆかしく、我が身はもとの身なれども、心は有りし心ならず。月やあらぬ、春や昔のかこち草、古き名残の尽きせねば、泣くより外の事ぞ無き。まろび入りたる其の儘にて、しばしはおきも居ざりけり。枕も袖もうくばかり、立ち添ふ物は面影の、其れとばかりの情にて、涙も更に止まらず。やや暫く有りて、母出で合ひけり。虎を一目見しより、何と物をば言はで、袖を顔に押し当てて、さめざめと泣きけり。虎も、母を見付けて、有りし顔ばせの残り止まる心地して、打ち傾き、声も惜しまず泣き居たり。夫の歎き、子の別れ、さこそは悲しかりけめ、推し量られて、哀れ也。母、涙を抑へて言ひけるは、「かく有るべしと思ひなば、十郎が有りし時、恥づかしながら、見奉るべかりし物を、身の貧なるに依り、親しむべきにもうとし、語らふべきにも、さもあらで、万思ふ様にも候はで、打ち過ぎし事の悔しさよ。十郎、浅からず思ひ奉りし事なれば、只十郎に向かふ心地して、なつかしく思ふ」と、泣く泣く語りければ、虎も又、「身の数ならぬに依りて、御見参申さず」とて、是も涙を流しけり。「形見とて残し置かれし馬・鞍、見る度ごとに、目もくれ、仏の御名を唱ふる障りとなり候へば、なき人の御為も然るべからず。此の度の御仏事の御布施に思ひ定めて候ふ」と、言ひもはてず、打ち傾きけり。「仰せの如く、形見は由無き物にて、是等が狩場より返したる小袖を見る度に、殊に心乱れ候ふぞや。是も、此の度の御布施に思ひ向けて候ふ。御身は、十郎が事ばかりこそ歎き給へ。童ほど罪深き者は候はじ。河津殿におくれたりし時、一日片時の命もながらへ難かりしに、つれなき身のながらへ、百日の内に、数多の子におくれたり。如何ばかりとか思し召す。殊に彼等二人は、身をはなさで、左右の膝にすゑ育て、父の形見と思へば、憂き時も、彼等にこそは慰みしか。今より後は、誰を見、何に心の慰むべき。箱王は、法師にならざりしを、仮初に「不孝」と言ひし其の儘、「許せ」と言ふ人も無し。身の貧なるに、何と無く打ち過ぎ、月日を送り、年頃添はざりし、今更悔しく候ふぞとよ。打ち出でし時、兄がつれて来たり、限りと思ひてや、「許せ」と申せしに、「然らば」と言ひし言の葉を、嬉しげなりし顔ばせの、現れたりし無慙さよ。親ならず、子ならずは、おいたる童が言葉の末、誰か重く思ふべきと、頼もしく思ひて、つくづくと罷りしに、盃取り上げ、傾く程、涙うかみて候ひしを、不孝を許す嬉しさの涙と思ひて候へば、斯様に成るべきとて、限りの涙にて候ひけるを、凡夫の身の悲しさは、夢にも知らで、なつかしかりける顔ばせ、何しに年月不孝しけんと、過ぎにし方まで悔しきに、せめて三日打ち添はで、帰れとばかりのあらましを、如何に哀れに思ひけん。いつの世にか相見て、憂きを語りてまし」とて、又打ち伏して泣きけり。虎も、涙にむせびつつ、しばしは物をも言はざりけり。互ひの心の内、さこそと思ひ遣られたり。「是なる御経は、彼等が最後に富士野より送りたる文の裏にかき奉りて候ふ。此の文を読まんとすれば、文字も見えず。近く居寄りて読み給へ。聞き候はん」とて差し出だす。十郎が文と聞けば、なつかしくて、読まんとすれば、目もくれ、いつを其処とも見えわかず、只胸にあてて、泣くばかりにてぞ有りし。流れをたつる習ひ、か程の志有るべしとは思はざりしを、やさしくも見ゆる也けりと思ふに、涙ぞまさりける。「今宵は、是に止まりて、心静かに物語申すべきを、箱根への用意させ候ふべし。暁に出で候ふべし。聞き給ひぬるや、是等が孝養せよとて、君よりは所領賜はり候ふ。世には、敵打つ者こそ多く候ふなれども、心様人にすぐるるに依り、斯様の御恩に預かり候ふ。如何に言ふ甲斐無しとも、彼等が安穏ならんこそ、嬉しくも」とて、「是や昔、上東門院の御時、和泉式部が、娘小式部の内侍におくれて、悲しみけるに、君、哀れに思し召して、母が心を慰めんと思し召し、衣を下されしに、和泉式部、諸共に苔の下にもくちずしてうづもれぬ名を聞くぞ悲しき斯様に詠みたりし事まで思ひ知られて、忝く覚え候ふぞや。其れにつき候ひては、此の度仏事、心の及び、営むべきにて候ふ。此の辺には、さりぬべき導師も候はねば、別当を導師に定め参りて候ふ。五郎が事忘れず、御歎き候へば、一入懇ろなるべし。暁は、伴ひ奉るべし」とて、帰りにけり。虎は、母が後姿を見送り、十郎が装ひ思ひ出でられて、是も名残は惜しかりけり。然らぬだに、秋の夕は寂しきに、一人ふせ屋の軒の月、涙にくもる折からや、折知り顔の鹿の声、枕に弱る蟋蟀、軒端の荻を吹く風に、古里思ひ知られつつ、時しも長き夜もすがら、明かし兼ねたる思ひねの、あふ夢だにも無ければや、形しく閨の枕に置き添ふ露の重なれば、現の床もうくばかり、明け方の雁がねの友を語らひ泣く声も、羨ましくぞ思ひ遣る。余所の砧を聞くからに、身にしむ風のいとどしく、鐘聞く空に明けにけり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




