10-6 もう一人の弟、伊東の禅師
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
物語の舞台は建久四年。富士の裾野で巻き起こった日本史上最大の復讐劇、「曾我兄弟の仇討ち」。その熱狂と衝撃が冷めやらぬ中、鎌倉殿・源頼朝の「粛正」の手は、まだ終わっていなかった。
「――報告します。曾我兄弟には、まだ『芽』が残っています」
鎌倉、源頼朝の御所。冷徹な報告が響く。曾我十郎と五郎。あの夜、十万の軍勢を震撼させた兄弟には、もう一人の弟がいた。名は御房。後の伊東の禅師。
御房は父の死後に生まれた不義の子として、母に捨てられかけ、叔父の伊東九郎に育てられた「忌み子」だった。
幼い頃から他人の中で育ち、仏門に入った。兄たちが仇討ちを計画している間も、彼はただ静かに経を読んでいた。だが、兄たちが歴史に名を刻み、天下を騒がせたことで、彼の「隠遁生活」という名の安全圏は完全に崩壊したのである。
「禅師様、鎌倉殿からの召喚命令です。……お覚悟を」
武蔵の国にいた彼の元に、源氏の使いが現れた。兄たちの戦果を聞かされた十八歳の僧侶は、ただ愕然とした。
(……兄上。十郎兄上、五郎兄上。……なぜだ。なぜ俺を誘ってくれなかった。同じ血を引く兄弟なのに)
彼は、自分が蚊帳の外に置かれたことに、深い絶望と悔恨を覚えた。「仏門に入った身だから」と気遣われたのか。それとも「他人」として扱われたのか。だが、その血は確かに熱く、滾っていた。
「……後悔しても始まらん。だが、無様に引き立てられ、鎌倉で首を刎ねられるのは御免だ」
禅師は仏前で数珠をもみ、最後の祈りを捧げた。
「願わくは、法華経の功力により、刹那の妄執を消し去り、安楽世界へ導き給え――!」
彼は隠し持っていた剣を抜き、自らの左脇に突き立てた。右へ引き回そうとしたその瞬間――!
「何をする!」
同宿の僧たちが叫び、血まみれの彼を必死に抑え込んだ。
「離せ! 無様に捕らえられるより、清き自害を見せてくれるわ! 鎌倉に生け捕りにされるなど、寺の恥辱だ!!」
しかし、大勢の大人に取り押さえられ、自害は「半ば」で失敗。瀕死の重傷を負ったまま、彼は輿に乗せられ、鎌倉へと強制送還された。
鎌倉、頼朝の面前。十八歳の少年は、まともに起き上がることもできず、横たわったまま引き出された。
「……そなたが河津の子か」
頼朝が、見下ろすように問う。禅師は意識が朦朧とする中、必死に頭を持ち上げた。その瞳には、兄たちと同じ、射るような鋭い光が宿っていた。
「……然らばよ。伊東が孫、河津が子……伊東の禅師」
「兄たちが仇を討つことを知っていたか?」
「――お言葉ですが、鎌倉殿」
禅師は震える声で、しかしはっきりと嘲笑を浮かべた。
「俺が知っていたら、黒衣の身であろうと協力しないはずがない。……俺を『人ではない畜生』だと思っているのか? 御推察も過ぎますな」
頼朝の眉がぴくりと動く。
「……眼差しに殺気があるな。そなた、頼朝に意趣(恨み)があるのか」
「当り前だろう!」
禅師は吐き捨てるように言った。
「もし兄上が俺を誘ってくれていたなら、二人を祐経に向かわせ、俺はこの手で貴様の命を狙っていたはずだ! あの世へ行く前の、最高の手土産にしてやったものを!!」
御座所が凍りついた。十八歳の僧侶が、天下の主を公然と殺すと宣言したのだ。
「……貴様、何のために頼朝を狙う。宿怨でもあるのか」
「宿業ですよ。伊東の家を滅ぼし、俺たちを奉公の道から外した。……貴方は一族の敵だ。……果報の勝劣がこれほど恨めしいことはない。俺はただ、貴方の威勢に押されて、こうして無様に転がっているだけだ。……だが、俺個人としては、源氏も平氏も、格など大差ないと思っているぞ」
頼朝は沈黙した。そして、この若者の強靭な精神を試すように、甘い言葉を投げかけた。
「……その傷でも、生きたいか? もし生きたいと願うなら、助けてやってもよいぞ」
禅師は、からからと力なく笑った。
「……はは、よくよく人を見誤られましたな、鎌倉殿。助けるつもりなら、なぜここまで俺を連れてきた? 『そう言えば俺が喜ぶ』とでも思われたのか? ……情けない。そんな言葉を掛ける相手は、選んでいただきたいものだ。心外ですな」
頼朝は、心底驚いたように目を見開いた。
(……この法師も、兄たちに劣らぬ怪物か。生かしておけば、必ず再び牙を剥く)
「……神妙なり。もはや、問うことはない」
「そうだ。……一刻も早く、首を跳ねろ。兄たちが三途の川で待っているんだ。待たせるのは、弟の礼儀に反する」
建久四年。伊東の禅師、十八歳。処刑。
「剛なる者の孫は、やはり剛なり」。頼朝はそう呟き、その早すぎる死に、人知れず涙を流したという。
物語の「その後」は、さらなる因果の残酷さを物語る。
伊東の二郎は五郎の処刑を担当した際、不手際を見せた彼は流刑地で「悪しき病」に侵され、五郎が死んだ四ヶ月後に二十七歳で命を落とした。
京の小二郎:は復讐に参加しなかったもう一人の兄。彼は八月、別件の謀叛に巻き込まれ、由比ヶ浜で重傷を負って曾我の里で死んだ。「どうせなら五月に、兄弟一緒に死ねればよかったのに」という言葉を遺して。
三浦の与一は兄弟に加担しなかった彼も、後に不興を買い、出家して表舞台から消えた。
復讐は終わった。だが、その火花に触れた者たちは、誰もが嵐に巻き込まれ、露と消えていった。
後に残ったのは、富士の裾野に降る、冷たい五月雨の音だけだった。
曾我物語 巻第十(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔禅師法師が自害の事〕
又、此の人々の弟に、御房とて、十八に成る法師有り。故河津三郎が忌の内に生まれたる子也。母、思ひの余りに、捨てんとせしを、叔父伊藤九郎養じて、越後の国国上と言ふ山寺に上せ、伊東の禅師とぞ言ひける。九郎、平家へ参りて後、親しきに依り、源の義信が子と号して、折節、武蔵の国に有りけるを、頼朝、聞こし召し、義信に仰せ付けて、召されければ、力無く、家の子郎等数十人下されし事、不便なりし次第也。大方、兄弟とは申しながら、乳の内より他人に養ぜられ、しかも、出家の身なり。是も、只普通の儀なりせば、彼等まで御尋ね有るまじきを、兄共の世に越え、名を万天に上げし故ぞかし。義信の使ひは、彼の本坊に来たりて、斯様の次第を言ふ。禅師聞きて、「心憂や、弓矢取りの子が、我が家を捨てて、他の親につく事は、努々 有るまじき事也。斯様の罪過は、其の源をただされけるをや。同じ死する命、兄弟三人、一つ枕に討死せば、如何人目もうれからまし」。今更後悔すれども適はず、仏前に参り、御経開き読まんとすれども、文字も見えざりければ、まきをさめ、数珠をさらさらと押し揉み、「南無平等大慧、一乗妙典、願はくは、法華読誦の功力に依り、刹那の妄執を消滅し、安楽世界に向かへ取り給へ」と祈誓して、剣を抜き、左手の脇につきたて、右手へ引きまはさんとする所を、同宿早く見付けて、「是は如何に」と、取り付き抑へければ、「のき候へ。まさなしや。人手にかからんより、清き自害して見せ申さん。一つは、同朋達の思し召さるる所。空しく鎌倉へ取られん事は、寺中坊中の名をり、はなし給へ」と怒りけれ共、大勢なれば、いよいよ弱りはてにけり。人々は、数多有り、働かさず、自害を半にぞしたりける、無念と言ふも愚かなり。御使ひは、庭上に充満して攻めければ、力及ばず、上意黙し難くして、渡されにけり。口惜しかりし次第なり。御使ひ受け取り、輿に乗せて、鎌倉へこそ上りけれ。君聞こし召されて、御前へ召されければ、かかれて参りけり。君御覧ぜられて、「わ僧は、河津が子か」と、御尋ね有りければ、禅師は、前後も知らざりけるが、君の仰せを聞き、両の手をおして、おき上がらんと志しけれ共、適はで、頭を持ち上げ、「さん候、伊東が為には、孫候ふ」と申す。さて、「兄共が、敵打ちけるをば知らざりけるか」「おほそれながら、将軍の仰せとも存じ候はず。一腹一生の兄共が、親の敵打つとて知らせ候はんに、黒衣にて候ふとも、同意せぬ畜生や候ふべき。御推量も候へ」とぞ申し上げたりける。「汝が眼ざしを見るに、頼朝に意趣有りと見えたり。事を尋ねん為に召しつるに、楚忽の自害、所存の外也」「楚忽とは、如何でか承り候ふ。既に御使ひ賜はりて、召し取れとの御諚を承りて、其の用心仕らぬ事や候ふべき。哀れ、兄共が知らせて候はば、二人の者をば、祐経に押し向け、愚僧は、一人にて候ふとも、君を一太刀窺ひ奉りて、後生の訴へに仕るべきか」とて、御前をにらみ、言葉をはなちてぞ申しける。君聞こし召して、「頼朝には、何の宿意有りけるぞ」「我等先祖の敵、又は兄弟の敵にて候はぬか。果報の勝劣程、憂き物は候はず。只御威勢におされて、斯様に罷り成りて候ふ。おほそれながら、身が身にて候はば、源平両氏、何れ甲乙候ふべき」と申しければ、君、暫く物をも仰せられず、やや有りて、猶も心を見んと思し召しけん、「其の手にても、いきてんや。さも思はば、助くべき」由仰せ下されければ、禅師承りて、からからと打ち笑ひ、「よくよく人共思し召され候はざりける。御助け有る程ならば、如何で、是まで召さるべき。もしさもとや申す、聞こし召されん為か。まさなや、人に依りてこそ、然様の御言葉は候ふべけれ。口惜しき仰せかな」とぞ申しける。御寮聞こし召し、此の法師も、兄には劣らざりけり。助け置きなば又大事を起こすべき者也。よくぞ召し寄せたりけると思しける。禅師、重ねて申しけるは、「とても助かるまじき身、刹那のながらへも苦しく候ふ。急ぎ首を召され候へ」と、しきりに申しければ、生年十八にして、遂に切られにけり。無慙なりし次第なり。君、此の者の気色を御覧じて、「剛なる者の孫は、剛なり。哀れ、彼等に世の常の恩をあたへ、召し使はば、思ひ止まる事も有りなまし。弓矢取る者は、誰劣るべきにはあらねども、か程の勇士、天下にあらじ」と仰せも敢へず、御涙をこぼさせ給ひしかば、御前祗候の侍共、袖を濡らさぬ無かりけり。
〔京の小二郎が死事〕
又、此の人々に語らはれ、同意せざりし一腹の兄、京の小二郎も、同じ八月に、鎌倉殿の御一門、相模守の侍に、ゆらの三郎が謀叛起こして出でけるを、止めんとて、由比の浜にて、大事の傷を蒙り、曾我に帰り、五日をへて、死にけり。同じくは、さんぬる五月に、兄弟共と一所に死にたらんは、如何よかるべきとぞ申し合ひける。
〔三浦の与一が出家の事〕
三浦の与一も、与せざりしが、幾程無くして、御勘当を蒙り、出家してげり。人は只不孝の道をば、正しくすベき事や。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




