10-3 王の涙と非情な裁定
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年五月二十九日。富士の裾野を濡らした嵐は去り、眩いばかりの朝日が戦場を照らしていた。
父の仇、工藤祐経を討ち果たし、捕らわれの身となった曾我五郎時致。しかし、法は非情だ。どんなに美しい理由があろうとも、王の面前で刃を振るった罪は消えない。
「……曾我の五郎。貴様の言い分、すべてこの頼朝が聞き届けた」
御座所の静寂の中、源頼朝の声が響く。その瞳には、かつてないほどの敬意が宿っていた。
「正直に言おう。お前をこのまま召し抱え、私の側近にしたい。お前のような忠義と勇気を持つ者こそ、今の鎌倉には必要なのだ。……だが、それは叶わぬ」
頼朝は苦渋に満ちた表情で首を振った。五郎を生かせば、他の御家人たちが「狼藉を働いても理由があれば許される」と勘違いし、幕府の秩序が崩壊する。さらに、討たれた工藤祐経の一族との終わりなき報復合戦が始まるだろう。
「ゆえに、五郎。お前を処刑する。……恨むなよ」
五郎は深く頭を下げた。
「――滅相もございません。むしろ、これまで生かしていただき、この時致に語る場を与えてくださったこと、感謝の言葉もございません」
頼朝は静かに硯を引き寄せた。そして、自らの手で一筆の文書をしたためた。
『 曾我の別所二百余町を、曾我兄弟の供養のため、母の一生の間、領地として安堵する。 源頼朝(自筆・御判)』
「これは、お前たちの孝行への褒美だ。母上が一生、食べるに困らぬよう手配した。……心安く逝くがよい」
五郎は渡された文書を高く掲げ、涙を流した。
「……ありがとうございます。屍の上に賜ったこの御恩、来世までも忘れません」
「さあ、五郎。参ろうか」
執行人の小平次が五郎を連れ出そうとする。五郎は再び縄を打たれたが、その顔に悲壮感はない。
「小平次殿、そんなに申し訳なさそうな顔をしないでくれ。俺はこの縄を恥とは思っていない。……これは、父上のために読み続けた『法華経の紐』だ。俺を浄土へと導く、尊い綱なのだから」
五郎は意気揚々と歩き出した。見物する武士たちに向かって、彼は高らかに声を上げた。
「皆の衆! 俺の姿をよく見ておけ! 親のために捨てる命は、天も地も受け入れてくださる。この縄こそ、俺の勲章だ! 縁があれば、来世でまた会おう!!」
その堂々たる姿に、「天晴れなり……」と呟かぬ者はいなかった。
五郎の処刑が今まさに始まろうとしたその時。一人の少年が頼朝の前に飛び出した。昨夜五郎を殴った、工藤祐経の嫡子・犬房だ。
「鎌倉殿! お願いです! その男は、私の父の敵。……私に、父の敵を討たせてください!」
わずか九歳の童による、必死の請願。頼朝は沈黙の後、頷いた。
「……よかろう。五郎の身柄は、工藤の一族へ引き渡す」
五郎の身柄は、祐経の弟・伊豆二郎祐兼へと渡された。場所は、富士の裾野。浜辺に近い松崎という岩場。五郎は岩の上に静かに座り、死の瞬間を待った。
「……さあ、伊豆殿。早くやってくれ。兄上が三途の川で、俺が遅いとイライラして待っているはずだ」
五郎が微笑みながら促す。だが、執行役の祐兼は、五郎の圧倒的な覇気に呑まれ、手が震えて太刀を握ることさえおぼつかない。
「……くっ、曾我の五郎……。お前という男は……」
「どうした、伊豆殿。構えてよく斬ってくれよ。もししくじれば、俺は悪霊となってお前の一族を七代まで呪ってやるからな!」
その挑発に、一人の男が割り込んできた。筑紫の仲太という下級武士だ。彼は祐経の家来として訴訟を進めていたが、祐経が死んだことでその出世の道が閉ざされたことを逆恨みしていた。
「……どけっ、伊豆殿! そんな小僧に情けは無用だ。私が引導を渡してやる!」
仲太は、わざと切れ味の悪い「鈍ら刀」を抜き放った。
苦痛を与えて殺すという、卑劣極まりないやり方だ。
だが、五郎は顔色一つ変えなかった。
ギギギ……と、首筋を骨ごと削るような鈍い感触。
血が溢れ、意識が遠のいていく。
「…………兄上………………今…………行きます…………」
建久四年五月二十八日(あるいは二十九日)、早朝。
曾我五郎時致、二十歳。散る。
かつて、中国の英雄・紀信は主君のために身代わりとなって死に、武士たちはその武勇を讃えた。曾我兄弟もまた、同じだ。彼らが命を懸けて成し遂げたのは、単なる暗殺ではない。
親への「孝」、兄への「情」、そして武士としての「意地」。そのすべてが凝縮されたこの一夜の出来事は、後に「日本三大仇討ち」の筆頭として、千年の時を超えて語り継がれることになる。
富士の裾野。兄弟が流した血は、雨に洗われ、土に還った。だが、彼らが駆け抜けたあの嵐の夜の輝きは、今もなお、私たちの心の中に「美学」という名で生き続けている。
曾我物語 巻第十(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔五郎が切らるる事〕
君仰せられけるは、「汝が申す所、一々に聞き開きぬ。然れば、死罪をなだめて、召し使ふべけれ共、傍輩是をそねみ、自今以後、狼藉たゆべからず。其の上、祐経が類親多ければ、其の意趣逃れ難し。然れば、向後の為に、汝を誅すべし。恨みを残すべからず。母が事をぞ思ひ置くらん、如何にも不便にあたるべし。心安く思へ」とて、御硯を召し寄せ、「曾我の別所二百余町を、彼等兄弟が追善の為に、頼朝一期、母一期」と自筆に御判を下され、五郎に頂かせ、母が方へぞ送られける。実にや、心のたけさ、情の深き事、人にすぐるるに依り、屍の上の御恩有り難と感じける。是や、文選の言葉に、「晋の文王は、其の仇を親しみて、諸侯を悟り、斉の桓公は、其の仇を用ひて、天下をただす」とは、今の御世に知られたり。五郎、詳しく承りて、「首を召されんにおいては、逃るる所有るべからず。暫くもなだめられ申さん事、深き愁へと存ずべし。母が事は、忝く仰せ下され候へ共、故郷を出でし日よりも、一筋に思ひ切り候ひぬ。御恩に、今一時もとく、首を召され候へ。兄が遅しと待ち候ふべし。急ぎ追ひ付き候はん」とすすみければ、力無く、御馬屋の小平次に仰せ付けられ、切らるべかりしを、犬房が、「親の敵にて候ふ」とて、ひらに申し受けければ、渡されにけり。口惜しかりし次第也。祐経が弟に、伊豆の二郎祐兼と言ふ者有り。五郎を受け取りて、出でにけり。時致、東西を見渡し、「某が姿を見ん人々は、如何にをこがましく思ふらん。さりながら、親の為に捨つる命、天衆地類も納受し給ふべし。付けたる縄は、孝行の善の綱ぞ。各々 結縁にて掛け候へ」と申しければ、実にもと言はぬ人ぞ無き。其の後、五郎を浜すかにつれて、松崎と言ふ所の岩間に引きすゑ、切らんとす。時宗見帰り申しけるは、「構へてよく切り候へ。人もこそ見るに、悪しく切り給ひ候はば、悪霊と成りて、七代まで取るべし」と言ひければ、祐兼聞きて、誠に切り損じなば、如何なる悪霊にも成るべしと思ひしより、膝振るひ、太刀の打ち共覚えざりける所に、筑紫の仲太と申しけるは、御家人訴訟の事有りて、左衛門の尉につきけるが、訴訟適ふべき頃、祐経打たれければ、是等が所為とや思ひけん、わざと太刀にては切らで、苦痛をさせん為に、にぶき刀にて、かき首にこそしたりけれ。さしたる親類・知音にあらざる者も、別れを惜しみ、名残を悲しまずと言ふ事無し。然るに、勇士のいたつて猛きは、破り館落とし、軍の先をかくる故に、敵の為に取らるると雖も、芸を感じ、身を助け、情をかくるは、先規なり。伝へ聞く、紀信が軍車に乗りしも、武意を感じ、楚王、将になさんと言ひしかども、自ら死をのぞみ、沛公、軍を破り、片時もいきん事を悲しみて、戦場の石に、脳を砕きて失せにき。よつて、勇士、敵の為に、命を暫くも又失せざるは、古今の例なり。然れば、五郎も、宵にや失せんと思ひけん、覚束無し。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




