10-1 王との対峙、頼朝を黙らせた魂の言葉
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年五月二十九日、早朝。激動の「富士の夜襲」から一夜明け、嵐は去った。だが、その爪痕はあまりにも深く、鎌倉幕府を揺るがしていた。
「……曾我の五郎を、これへ連れて参れ」
鎌倉殿の命が下った。捕縛担当の小平次が、五郎を縛る縄を引く。その様子を見ていた母方の伯父、小川三郎祐定がたまらず声を上げた。
「待て、小平次! 相手は山賊や海賊ではない。由緒ある武士だ。縄など解いて、堂々と歩かせてやれ。情けというものがないのか!」
だが、五郎は不敵に笑った。
「伯父上、お心遣いは嬉しいですが、無用です。俺がここに捕らえられたのは、泥棒や強盗をしたからじゃない。父上の仇を討った、名誉の証です。……この千筋の縄は、俺にとっては父上のために読み続けた『法華経の紐』も同然。恥じることなど、何一つありません」
五郎は胸を張り、毅然とした態度で頼朝の御前へと引き立てられた。その姿は、かつて大陸で囚われの身となった英雄、殷の湯王や周の文王にも比肩する、圧倒的な王者の風格を漂わせていた。
「――貴様が、曾我の五郎か」
源頼朝の鋭い視線が五郎を射抜く。周囲の警護兵たちが「返答せよ!」「平伏せ!」と怒号を飛ばし、五郎を無理やり座らせようとする。
「……見苦しいぞ、お前たち」
五郎はカッと目を見開き、取り囲む武士たちを睨みつけた。
「鎌倉殿が目の前にいらっしゃる。文句があるなら、俺は直接鎌倉殿に申し上げる。お前たちのような『通訳』はいらん。邪魔だ、そこをどけ!」
あまりの気迫に、周囲がしんと静まり返る。頼朝はわずかに口角を上げ、命じた。
「……神妙である。皆、下がれ。私が直接聞こう」
五郎は居住まいを正すと、朗々と語り始めた。十七年前、父・河津三郎を殺されてからの歳月。頼朝が上洛した際にも、酒匂の宿から京都の四条まで影のように付き従い、ひたすら祐経の首を狙い続けてきたこと。
「……ようやく昨夜、本意を遂げました。今さら命など惜しくありません。どうか、今この場で、俺の首を刎ねてください」
五郎が腰に帯びていた太刀を差し出すと、頼朝の表情が驚愕に変わった。
「……その太刀、どこで手に入れた」
「かつて兄・十郎と共に京都へ上った際、四条の町で買ったものです」
五郎は、育ての親である箱根の別当を守るため、咄嗟に「嘘」をついた。だが、頼朝は見抜いていた。
「……隠す必要はない。それは我が源氏の至宝、『髭切』だ。箱根の御山に秘蔵されていたはずの神器が、まさか復讐者の手に渡っていたとは……」
頼朝は自らその太刀を手に取り、押し頂いた。
「正八幡大菩薩の計らいか。この刀が巡り巡って、仇を討ったお前の手を経て私の元へ戻ってくるとは……。これこそが、源氏の天命というものか」
頼朝は太刀を錦の袋に入れ、自らの重宝として再び納めた。
「五郎よ、尋ねたいことがある」
頼朝が問う。
「この大事を、曾我の父母には知らせたのか? 家族を思えば、一言あっても良かったのではないか」
五郎はあざ笑うように答えた。
「日本一の大将軍が、なんという愚かなことを仰る。この世のどこに、継子が『これから暗殺を仕掛けてきます』と言って、『神妙なり、頑張ってこい』と喜んで送り出す親がいますか?ましてや母の愛は、山野の獣、江河の魚さえも持つ深い情です。二十歳を超えた息子が死にに行くと聞いて、喜ぶ母親などいるはずがない。……だから俺は、黙って来たのです」
「……。では、祐経が街道を通る時、なぜもっと早く狙わなかった」
「狙わなかったのではない、狙えなかったのです! 奴が動く時は常に数十騎のガードがいる。対する俺たちは二人きり。……十七年、隙を探し続けて、ようやく昨夜の嵐が、神仏がくれた唯一のチャンスだったのです」
「……ならば、なぜ罪のない私の侍たちまで斬った。彼らはお前の敵ではないはずだ」
五郎は不敵に微笑んだ。
「それは理です。俺がこの本陣に突入すれば、たとえ一千万騎いようとも、道を塞ぐ者はすべて敵です。ですが、ご安心を。俺が斬った奴らは、俺の名乗りを聞いた瞬間に腰を抜かして逃げ出した臆病者ばかり。……後で傷を確認してみるがいい。背中には傷をつけてやりましたが、まともな武士の証である『面傷』は一人もいないはずですよ」
後に確認したところ、五郎の言う通り、負傷した者たちの傷はすべて背中に集中していた。鎌倉殿の精鋭たちが、一人の青年の殺気に背を向けて逃げた事実が証明されたのだ。
「最後に聞こう。……お前は、この頼朝をも敵と思っていたのか?」
最重量の問い。御座所の空気が氷つく。五郎は真っ直ぐに頼朝の瞳を見つめ、言い放った。
「――さん候。当然のことです」
周囲が息を呑む。
「父が死んだ後、俺たちの領地を没収し、奉公の道を閉ざしたのは貴方だ。俺たちを浪人の身に落とした貴方は、先祖代々の敵も同然。……もし、昨夜、祐経を討った後に余力があったなら、俺は貴方の首を獲り、冥土の土産にするつもりでした。『閻魔大王の御前で、日本の将軍、鎌倉殿を討ち取って参りました!』そう報告できれば、一世一代の最高の手柄。地獄での罪も許されるというものでしょう?」
あまりにも率直で、あまりにも恐れを知らぬ言葉。頼朝は一瞬の沈黙の後、双眼から大粒の涙を流した。
「……惜しいな。これほどの男を、なぜ敵に回さねばならなかったのか。千万人、百万人の侍がいようとも、私はお前のような男を一人、召し使いたかった……。惜しい武士を、失うものだ」
頼朝は袖で顔を覆い、男泣きした。周囲の和田・畠山ら名だたる武将たちも、五郎の美学に心を打たれ、一斉に涙を流した。
「……五郎よ。……兄、十郎の最期は、見ていたか」
頼朝の指示で、新田忠綱が十郎の首を運んできた。村千鳥の直垂に包まれた、兄の首。それまで豪語していた五郎の顔から、一瞬で色が消えた。彼は魂を抜かれたように呆然とし、次の瞬間、声を上げて泣き崩れた。その姿は、盛りの朝顔が陽に萎れるような、あまりにも無惨な悲劇だった。
「……兄上。……羨ましいですよ、先に逝かれるなんて。二人で同じ場所へ、一蓮托生と誓ったのに……。なぜ俺だけを、この汚らわしい世に残したのですか。……待っていてください、兄上。今すぐ、追い付きます。三途の川で手を繋ぎ、閻魔大王の宮殿へ、一緒に乗り込みましょう……!」
悲しみの中、一人の武士が空気も読まずに進み出た。昨夜、五郎に追い回されて垣根を破って逃げた新海荒四郎である。彼は自分の恥を上書きしようと、十郎の太刀を指差して嘲笑った。
「曾我の者どもは、敵こそ討ったが、持っていたのは安物の『エセ太刀』だな。だから新田殿との戦いで折れたのだ。そんなゴミを持って鎌倉殿の前に出るとは、笑わせる」
五郎は涙を拭い、荒四郎を蛇のように睨みつけた。
「……どの口がそれを言うか。その『エセ太刀』はな、平家の平教盛殿が八島の戦いで愛用し、源義経殿から拝領した、正真正銘の宝剣『奥州丸』だ!
昨夜、俺たちがこれ一本で何百人をなぎ倒したと思っている。……おい、荒四郎。そんな『エセ太刀』に追い回されて、小柴垣を破って尻をまくって逃げ出したのは、どこのどいつだ? 貴様のその立派な刀は、ただの飾り物か!?」
周囲の武士たちがドッと爆笑した。荒四郎は真っ赤になり、一言も返せずに逃げ去った。
五郎時致、二十歳。彼は頼朝の慈悲さえも拒み、武士としての誇りを貫き通した。
曾我物語 巻第十(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔五朗御前へ召し出され、聞こし召し問はるる事〕
扨も、仰せを承りて、小平次罷り出で、御馬屋の下部、総追国光、五郎を預かり、既に御馬屋の柱にしばり付けて、其の夜、守り明しければ、「大将殿より尋ね聞こし召さるべき事有り。曾我の五郎つれて参れ」との御使ひ有りければ、小平次、縄取りにて参りけるを、母方の伯父、伊豆の国の住人、小川の三郎祐定申しけるは、「如何に小平次、侍程の者に、縄付けず共、具して参れかし。山賊海賊の族にもあらざれば、逃げうすべきにもあらず。事に依り、人にこそよれ。むげに情無し」と言ひければ、五郎笑ひて、「誰一言の情をも残す者の無きに、御分の芳志嬉しさよ。さりながら、御分、時宗に親しき事は、皆人知れり。斯様の身に成りて、親類入るべからず。詮無き沙汰して人に聞かれ、方人したと言はれ給ふな。人の上をよく言ふ者は無きぞとよ。時致、盗み強盗せざれば、千筋の縄は付くとも恥ならず、是は、父の為に読み奉りし法花経の紐よ」とて、事とも思はざる気色して、御坪の内へぞ引き入れられける。「其の上、敵の為にとらはるる者、時致一人にも限らず、殷湯は、夏台にとらはれ、文王は、羑里にとらはる。是、更に恥辱にあらず」とて、打ち笑ひてぞ居たりける。哀れとは言はぬ者ぞ無き。五郎、御前に参りければ、君御覧ぜられて、「是が曾我の五郎と言ふ者か」「某が事候ふよ」とて、立ち上がり、縄取りを宙に引きたてければ、警固の者共、狼籍也とて、引き据ゑたり。其の時、相模の国の住人あらうみ四郎真光、伊豆の国の住人狩野介宗茂、座敷を立ちて、「申し上ぐる事あらば、急ぎ申し候へ」と言ふ。時致聞きて、大の眼を見出だして、彼をはたとにらみて、「見苦しし、人々、御前遠くは、さも有りなん、近ければ、直に申すべし。さ様なれば、問はれて申す白状に似たり。問はるるに依りて、申すまじき事を申すべきにあらず。面々、骨折にのき候へ」とて、あざ笑つてぞ居たりける。君、聞こし召され、「神妙に申したり。各々のき候へ。頼朝、直に聞くべし」と仰せ下されけり。扨、五郎居なほり、顔振り上げて、たからかに申しけるは、「兄にて候ふ十郎が、最後に申し置きて候ふ。我等が父を祐経に打たせ候ひしより此の方、年月狙ひ候ひし心の内、如何ばかりとか思し召され候ふ。其れに付きては、一年君御上洛の時、酒匂の宿よりつき奉りて、祐経が御供して候ひしを、泊々にやすらひ、便宜を窺ひ候ひしかども、適はで京に上り、四条の町にて、鉄よき太刀をかひ取り、昨夜の夜半に、御前にて本意を遂げ候ひぬ。今は、何を思ひ残して、命も惜しく候ふべき。御恩には、今一時も、とく首をはねられ候へ」とぞ申しける。京へは上らざりしかども、箱根の別当に契約せし故に、太刀の由来をも隠し、又は別当の罪科もやと思ひ、斯様にぞ申したりける。君聞こし召され、「此の太刀の出所、隠さん為にこそ申すらん。更に別当の科にあらず。先祖重代の太刀、箱根の御山に込めし由、予てより伝へ聞き、如何にもして取り出ださばやと思ひしを、神物に成る間、力及ばざりつるに、只今、頼朝が手に渡る事、偏に正八満大菩薩の御はからひと覚えたり。斯様の事無くは、如何にして二度主に成るべき」とて、自ら御頂戴有りて、錦の袋に入れ、深くをさめ給ふ、御重宝の其の一つなり。代々伝はりけるとかや。やや有りて、君仰せられけるは、「此の事、曾我の父母に知らせけるか」。五郎承りて、「日本の大将軍の仰せとも存じ候はぬ物かな。当代ならず、いづれの世にか、継子が悪事くはたてんとて、暇こひ候はんに、「神妙也、急ぎ僻事して、我惑ひ物になせ」とて、出だし立つる父や候ふべき、又、母の慈悲は、山野の獣、江河の鱗までも、子を思ふ志の深き事は、父には母はすぐれたりとこそ申し候へ。況や、人界に生を受けて、二十余りの子供が、命死なんとて、母に知らせ候はんに、急ぎしにて物思はせよと、喜ぶ母や候ふべき。御景迹」とぞ申しける。「さて、親しき者共には、如何に」「身貧にして、世に有る人々に、かくと申し候はんは、只手を捧げて、是をしばらせ、首を延べて、是をきれとこそ申し候はんずれ。誰かは頼まれ候ふべき。愚かなる御諚候ふかな」とぞ申しける。君、実にもとや思し召しけん、「父母類親に至るまでも、子細無し。又、祐経は、伊豆より鎌倉へ、しげく通ひしに、道にては、狙はざりつるか」「さん候、此の四五ケ年の間、足柄・箱根・湯本・国府津・酒匂・大磯・小磯・砥上原・もろこし・相模河・懐嶋・八的原・腰越・稲村・由比の浜・深沢辺にやすらひ、野路・山路・宿々・泊々にて狙ひしかども、敵のつるる時は、四五十騎、つれざる時も、二三十騎、我々は、つるる時は、兄弟二人、つれざる時は、只一人、思ひながらも、空しく今までのび候ひぬ」。又、「祐経は、敵なれば、限り有り。何とて、頼朝がそぞろなる侍共をば、多く切りけるぞ」「其れこそ、理にて候へ。御所中に参りて、斯かる狼藉を仕る程にては、千万騎にて候ふとも、余さじと存ずる所に、こざかしく、「敵は何処に有るぞ」と尋ね候ふ間、公には忠をつくし、忠には命を捨つる習ひ、神妙に存じて、「是に有り」と申す声に驚きて、足のたて所も知らず、逃げ候ひし間、罪作りと存じて、おひて切り殺すに及ばず、只かうばかりの側太刀、形の如くあてたるまでにて候ふ。面傷はよも候はじ。只今召し出だして御覧候へ」と申しければ、やがて、御使ひして、聞こし召されけるに、申す如く、面の傷は稀なり。面目無くぞ聞こえける。又、「王藤内を何とて打ちける」「恐れ入りて候へ共、年頃の傍輩のうたれ候ふを、見捨てて逃ぐる不覚人や候ふべき。誠にけなげに振舞ひ候ひつる物をや。「人と見て、古郷に帰らざるは、錦をきて、夜行くが如し」と言ふ古き言葉をや知りけん、所領安堵の証に、本国へ下りしが、祐経に暇こはんとて、道より帰りての討死、不便なり」とぞ申しける。此の言葉に依り、「神妙也。是も、頼朝が先途に立ちけるよ」とて、「本領、子孫において子細無し」と、御判重ねて下されける。是も、兄の十郎が屋形を出でし時、「王藤内が妻子、さこそ歎かんずらん、無慙なり」と、言ひし言葉の末にぞ申しける。偏に、時宗が情に依つて、所領安堵す、有り難しとぞ感じける。やや有りて、「頼朝を敵と思ひけるか」と御尋ね有りければ、五郎承りて、「さん候、身に思ひの候ひし時は、木も草も恐ろしく、命も惜しく存じ候ひしが、敵打つての後は、如何なる天魔疫神なり共と存じ候ふ。まして其の外は、いきたる者とも思ひ候はず。然れば、千万人の侍よりも、君一人をこそ思ひ掛け奉りしかども、御果報めでたき御事に渡らせ給へば、御運におされて、斯様に罷り成りて候ふ」と申したりければ、君聞こし召され、「敵打つての後、身をかろく思ふは理也。頼朝をば、何とて敵と思ひけるぞ」「自業自得果とは存じ候へ共、伊藤入道が謀叛に依り、我等長く奉公をたやすのみならず、子孫の敵にては渡らせ給はずや。又は、閻魔王の前にて、「日本の将軍鎌倉殿を手に掛け奉りぬ」と申さば、一の罪や許さるべきと、随分窺ひ申して候ひつれ共」と申す。「扨、五郎丸には、如何にしていだかれけるぞ」「其れは、彼の童を女と見成し、何事候はんと存じて、不慮に取られて候ふ。斯様なるべしと存ずる物ならば、只一太刀の勝負にて候はんずる物をと、後悔益無し。是、偏に宿運のつきぬる故也。実にや、「羅網の鳥は、高くとばざるを恨み、呑鉤の魚は、海を忍ばざるを歎く」とは、要覧の言葉なるをや、今こそ思ひ知られたる。君の御佩刀の鉄の程をも見奉り、時宗がくたり太刀の刃の程をもためし候はんずる物を」と、言葉をはなちてぞ申しける。君聞こし召されて、「猛将勇士も、運のつきぬるは」と仰せられ、双眼より御涙を流させ給ひて、「是聞き候へ。日来は、更に思はぬ事なれ共、今、頼朝に問はれて、当座の構への言葉なり。適はぬまでも、逃れんとこそ言ふべきに、露程も命を惜しまぬ者かな。世に有りなば、思ひ止まる事も有りぬべし。余の侍、千万人よりも、斯様の者をこそ、一人なりとも召し使ひたけれ。無慙の者の心やな。惜しき武士かな」とて、御袖を御顔に押し当てさせ給ひければ、御前祗候の侍共、心有るも無きも、涙を流さぬは無かりける。やや有りて、君御涙を抑へさせ給ひて、十郎が振舞ひを聞こし召すに、「何れを分けて言ひ難し。誠に打たれたるやらん」と仰せられければ、「新田に御尋ね候へ。黒鞘巻に赤胴作の太刀、村千鳥の直垂ならば、誠に候ふ」と申す。「然らば実検有るべし」とて、新田の四郎を召されければ、黒鞘巻に赤胴作の太刀、村千鳥の直垂に、首を包みて、童に持たせ、五郎が左手の方を間近く、首を見せてぞ通りける。五郎、今までは、思ふ事無く、広言して見えけるが、兄が首を一目見て、肝魂を失ひ、涙にむせぶ有様は、さかりなる朝顔の、日影にしをるる如くにて、無慙と言ふも余り有り。やや有りて申しける、「羨ましくも、先立ち給ふ物かな。同じ兄弟と申しながら、幼少より、親の敵に志深くして、一所とこそ契りしに、如何なれば、祐成は、昨夜夜半に打たれ給ふに、時宗が心ならず、今までながらふる事の無念さよ。誰か此の世にながらへはて候ふべき。死出の山にて待ち給へ。追つ付き奉り、三途の河を、手と手を取り組みて渡り、閻魔王宮へは諸共に」と、言ひもはてず、涙にむせびけり。袖にて顔をも抑へたけれ共、高手小手に戒められければ、左手の方へ傾き、右手の方へうつぶき、こぼるる涙をば、膝に顔を持たせ、只おめおめとこそ泣き居たり。和田・畠山を始めとして、皆袖をぞ濡らされける。斯かる所に、十郎がをり太刀を御侍に取り渡し、「よきぞ、悪しきぞ」と申し合ひけり。中にも、昨夜追つたてられて、柴垣破りて逃げたりし新海の荒四郎真光、すすみ出でて申しけるは、「曾我の者共は、敵をば打ちて、高名はしたれ共、太刀こそわるき太刀を持ちたれ。是程の太刀を持ちて、我が君の御前にて、斯かる大軍しける不思議さよ」と言ひければ、時宗聞きて、眼を見出だして、荒四郎をはたとにらみて、「何処を見て、其れをえせ太刀とは申すぞ。只今、御前にて申して、無用の事なれども、男のわろき太刀持ちたるは、恥辱にて候ふ間、申すなり。其れこそ、や、殿、よく聞け、平家に聞こえし新中納言の太刀よ。八嶋の合戦に、如何しけん、船中に取り忘れ給ひしを、曾我の太郎取りて、九郎判官へ参らせしを、義経、「神妙なり、さりながら、御分、高名して、取りたる太刀なれば、汝に取らする」とて、賜はりたる太刀也。奥州丸と言ふ太刀よ。祐成が元服せし時、曾我殿のたびたるぞとよ。其れに付きては、思ひの儘に、敵を打ち取りぬ。兄弟して切り止むる者、一二百人もこそ有るらん。是程こらへたる太刀を、如何でかえせ太刀なるべき」。真光、猶も止まらで、「既に太刀をれぬる上は」と言ひければ、五郎、からからと打ち笑ひ、「人の太刀わろしと言ふ人、定めてよき太刀は持ちぬらん。あのえせ太刀におはれて、小柴垣を破りて逃げしは如何に。御分のよき太刀も、心にくからず」と言ひければ、聞く人、皆汗を流さぬは無かりけり。真光は、なましひなる事を言ひ出だし、赤面してぞ立ちにける。是や、三思一言、思慮有るべきにや。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




