9-11 狂乱、本陣突入。
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
富士の裾野、嵐の夜。兄・十郎祐成は散った。だが、その遺志は弟・五郎時致の中に、さらに激しく、熱く燃え盛っていた。
「――頼朝ぉぉぉッ!! どこだぁッ!!」
豪雨と雷鳴を切り裂く絶叫。返り血で全身を真っ赤に染めた曾我五郎時致は、すでに人間ではなかった。兄を失った悲しみと、目的を完遂した後の虚無感が、彼を純粋な「暴力の化身」へと変えていた。
立ちはだかる近習・親家を追い回し、五郎はついに頼朝の御座所――その最深部へと足を踏み入れる。
周囲の武士たちは、あまりの殺気に腰を抜かし、近づくことさえできない。だが、その闇の奥。揺らめく灯火の下に、一つの影が静かに立っていた。
その影は、薄い衣を頭から被った「女性」のように見えた。五郎は、突入する直前の兄との会話を思い出す。
『五郎、女子供には決して手を出すな。武士の恥を晒すなよ』
(……女か。邪魔だ、どけ!)
五郎は、兄の遺言を守り、太刀の刃を返した。峰打ちで通り過ぎようとしたのだ。だが、これこそが頼朝の用意した「最悪のトラップ」だった。
その「女性」の正体は、五郎丸。京の叡山で育ち、十六歳で師匠の仇を討ったという、五郎と同じ「復讐者」の経歴を持つ稚児。
「――捕らえたぞ、曾我の五郎ッ!!」
五郎が横を通り過ぎようとした瞬間、五郎丸はその剛腕を伸ばし、五郎の腕をガッチリと掴んだ。
「なっ……貴様、女ではないな!?」
「主君を守るためだ。死ね、時致!!」
凄まじい力で引き寄せられ、五郎は御座所の床に叩きつけられた。
「えたりや、おう!! 敵を捕らえたぞ! 皆、続け!!」
五郎丸の声に応じ、闇に隠れていた者たちが一斉に飛び出してきた。相模の太郎丸。厩の小平次。弥平次。
次々と五郎の体に組み付いていく。五郎は七十五人分の力を誇る五郎丸を相手にしながらも、数人を蹴り飛ばし、大庭へ躍り出ようと暴れ狂った。
「――どけぇぇぇッ!! 貴様ら如きに……!!」
だが、不運が重なる。雨で濡れた板敷きに足を取られ、五郎の踏ん張りが利かなくなった。その隙に、小平次と弥平次が両足に食らいつき、さらに十数人の雑色が重なるように圧し掛かる。
それはまさに、「百足は死に至れど倒れず」という古語の如き、執念の物量作戦。いかなる英雄も、これほどの多勢に無策で挑めば、力尽きるのは必定だった。
「騒がしいな。……何事だ」
御座所の奥から、重厚な声が響いた。現れたのは、鎌倉幕府の支配者――源頼朝。彼は糸毛の腹巻を纏い、右手には源氏重代の家宝、魔剣『髭切』を抜き放っていた。
頼朝の瞳には、かつて自分も平家に命を狙われた「復讐される側の王」としての冷徹な光が宿っている。彼は自ら五郎の首を刎ねようと、一歩前へ踏み出した。
その時。頼朝の袖を、小さな手がグイと引き止めた。
「――お待ちください、鎌倉殿」
声を上げたのは、わずか十三歳の少年、一法師丸。
「日本国を統べるあなたが、このような端くれ者の暴動に、自ら刃を向ける必要はございません。……もしこれが、女を巡る争いや、酒席のつまらぬ喧嘩であれば、御座所から一歩も出ずに尋ねるのが王の威光というもの。まずは言い分を聞き召されては?」
少年の賢明な進言に、頼朝は足を止めた。
「大象は、ウサギの通る道では遊ばない」という古事の通り、頼朝は自らの手を汚すことを止め、五郎丸たちに命じた。
「……神妙な進言だ。よかろう。小平次、五郎を搦め取っておけ。十郎の遺体も回収せよ。……夜が明け次第、この男の口から『十七年の真実』を聞くとしよう」
捕縛され、縄を打たれた五郎。だが、その顔に後悔の色はなかった。仇は討った。兄の遺言も守った。そして今、自分は天下の主・源頼朝の目の前に立っている。
「……兄上。見ていてくれ」
富士の裾野を包んでいた嵐が、ゆっくりと引いていく。夜明けの光が差し込む中、曾我五郎時致の「最後の戦い」――言葉による復讐が、これから始まろうとしていた。
曾我物語 巻第九(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔五郎召し取らるる事〕
此処に、五郎丸とて、御寮の召し使ふ童有り。もとは、京の者なりしが、叡山に住して、十六の年、師匠の敵を打ち、在京適はで、東国に下り、一条の二郎忠頼を頼みたりしに、忠頼、御敵とて打たれ給ひて後、此の君に参りたりしが、究竟の荒馬乗りの者、七十五人が力持ちけり。宵の程は、夜討と雖も、音もせず。御前近く祗候せしに、五郎が親家をおうて入るを見て、薄衣引きかづき、幕の際に立ちけり。五郎は、一目見たりけれども、屋形を出でし時、「女房に手ばしかくるな」と、兄が言ひし言葉有りければ、太刀の背にて、通り様に、一太刀あててぞ過ぎける。五郎丸と知るならば、只一太刀に失はんと、危ふくこそ覚えけれ。時致は、猶も親家を手どりにせんとおふ所を、五郎丸、我が前を遣り過ごし、続きて掛かる、腕をくはへて取り、「えたりや、おう」とぞいだきける。五郎は、大力にいだかれながら、物ともせず、「こは如何に、女にては無かりけり、物々しや」と言ひつつ、引きて中へぞ入りにける。五郎丸、適はじとや思ひけん、「敵をば、かうこそいだけ、斯様にこそいだけ」と、高声也ければ、彼等が傍輩、相模の国のせんし太郎丸走り寄り、「にがすな」とて取り付く。其の後、屋の小平次を始めとして、手がらの者共走り出でて、五四人 取り付きけれども、五郎は、物ともせず、二三人をばけころばかし、大庭に躍り出でんと志けるが、板敷こらへずして、五郎は、足を踏み落とし、立たん立たんとする所に、小平次・弥平次おき上がり、左右の足に取り付きければ、其の外の雑色共、「余すな、もらすな」とて、かなぐり付く。是や、文選の言葉に、「百足は、死に至れども、たはふれすな」と也。心は猛く思へども、多勢に適はずして、空しく搦め取られけり。無慙なりし有様也。君も、此の由聞こし召して、糸毛の御腹巻に、御住代の鬚切抜き、出でさせ給ひける。相模の国の住人、大友の左近将監が嫡子、一法師丸とて、生年十三になりけるが、御前然らぬ物なるが、こざかしく、御寮の御袖をひかへ奉り、「日本国をだにも、君は居ながら従へ給ふべきに、是は、わづかなる事ぞかし。いか様、若き殿原の酔狂か、女又は盃 論か、宿 論か。いづれにて候はんに、御座ながら、尋ね聞こし召され候へ」と止め申しければ、実にもとや思し召し候ひけん、止まり給ひけり。さしも出でさせ給ひて、五郎に見え給ふ物ならば、危ふくぞ覚えけり。後に、御恩賞にぞ預かりける。古き言葉を見るに、大象兎径に遊ばず、君子文旨にかかはらずと言ふ事こそ思ひ知られたり。其の後、小平次、御前に参り、畏まつて申し上げけるは、「曾我の五郎をば搦め取りて候ふ。十郎は打たれて候ふ」と申したりければ、「神妙に申したり。五郎をば、汝に預くるぞ」と仰せ下されけり。哀れなりし次第なりけり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




