9-8 武士の作法 ―― 『トドメ』の儀式
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年五月二十八日、深夜。
富士の裾野を叩く豪雨と、絶え間なく轟く雷鳴。ついに十七年の怨念が、一振りの太刀となって放たれた。
曾我十郎祐成。そして、弟の曾我五郎時致。彼らはついに、父の仇・工藤左衛門尉祐経をその寝所において討ち果たした。
だが、復讐は「首を獲った」だけでは終わらない。武士には武士の、そして修羅には修羅の「作法」がある。怨念が理性を上回った凄惨なトドメの儀式。
工藤祐経の体に、曾我兄弟の太刀が深く突き立てられた。血飛沫が天井まで舞い、男の絶叫は豪雨の音に消えていく。
「……五郎、待て」
返り血を浴びた十郎が、一度身を引いた弟を呼び止めた。
「祐経に、まだ『止め』を刺していないのではないか。敵を討つには法がある。実検(検分)の際、止めの痕がなければ、正当な仇討ちとは認められんぞ」
兄の冷徹な指摘に、五郎の瞳が再び獣のようにギラリと光った。
「……然らば、今一度。確実に息の根を止めてやりましょう」
五郎は横たわる祐経の骸に歩み寄り、その馬乗りになった。彼は懐から一腰の短刀を抜き払う。それは、かつて祐経から「いつか俺を討ちに来い」と嘲笑と共に与えられた、あの因縁の刀だった。
「……祐経殿! お前から賜ったこの刀、確かにお返しするぞ! 受け取らぬとは言わせん!!」
五郎は短刀を祐経の顔面に突き立てた。
一撃。二撃。十撃。
怒りと怨念に任せて何度も、何度も、狂ったように刺し貫く。
あまりの凄まじさに、祐経の口と耳は一続きに裂け、顔の造作は跡形もなく崩れ去った。宵のうち、兄弟を「カマキリ」と笑ったその口は、二度と言葉を発せぬ無惨な裂け目へと変わり果てた。
五郎は血の海の中で立ち上がり、血塗れの刀を鞘に収めた。ふと、彼の脳裏に箱根での修行時代、権現様に祈り続けた日々が去来する。
「……兄上。これで、終わりました」
兄弟は、無惨な肉塊となった祐経に対し、意外な行動に出た。二人は西に向かって手を合わせ、静かに念仏を唱え始めたのだ。
「……我ら、過去の因縁ゆえ、この世では敵味方に分かれた。だが、慚愧と懺悔の力により、今ここにすべての因果を断ち切る。……願わくは、来世においては一念の菩提心を違えず、同じ蓮の上で再会せんことを。阿弥陀仏……」
仇を討ちながらも、その魂の救済を祈る。それは、地獄へ落ちる覚悟を決めた者だけが持てる、残酷で美しい「武士の慈悲」だった。
屋形を出た二人は、激しい雨の降る中、庭の真ん中に立った。もはや隠れる必要はない。自分たちが何者であり、何をしたのかを、歴史に刻みつける時が来たのだ。
「――遠からん者は音にも聞け!! 近からん者は目にも見よ!!」
十郎の声が雷鳴を裂く。
「我ら、伊東祐親が孫! 曾我の十郎祐成、および五郎時致!!今、この瞬間、頼朝様の御屋形の御前において、父の仇・工藤左衛門尉祐経を討ち取った!!我らこそが勝者なり! 勇敢な武士であると思う者は、前へ出て我らを討ち取り、手柄にせよ!!」
だが、期待した反応は返ってこなかった。
昼間の狩りに疲れ果て、酒に酔いしれた御家人たちは、この大音声が「現実」であると信じられず、寝床で唸るばかりだ。
三浦義澄の陣屋は、最初から兄弟の意図を知っていたため、あえて静観を決め込んでいる。
さらに、名将・畠山重忠は、騒ぎ出そうとする部下たちを厳しく制した。
「……騒ぐな。曾我の兄弟が、ついに本意を遂げたのだ。あやつらは今、最高の喜びに浸っているはずだ。若者が命を懸けて成し遂げたこと……。今は静かに、させてやれ」
重忠の粋な計らいにより、兄弟の周囲には奇妙な「静寂」が保たれていた。
誰も出てこない。雨の音だけが響く中、ふと十郎が口を開いた。
「……五郎。誰も追ってこないな。……いっそ、このまま一度曾我へ戻らないか?」
「……。兄上、今、何と?」
「一度、母上に会いたいんだ。本意を遂げたと報告し、もう一度だけ言葉を交わしたい。……もし逃げ切れるなら、そのまま出家して、父上の供養のために山深くで一生を終えてもいい。そう思わないか?」
十郎の言葉は、二十二歳の若者としての本音だった。だが、五郎は激しい嫌悪感を露わにし、兄を睨みつけた。
「――兄上! あなたともあろう人が、なんという未練を!!」
五郎の声は、雨音を切り裂くほど鋭かった。
「武士が一度足を踏み出せば、逃げるなど恥辱の極み!命が惜しいから出家する? 冗談はやめてください。それに、俺たちが逃げれば母上はどうなる! 頼朝様は必ず母上を捕らえ、『息子の行き先を吐け』と拷問にかけるでしょう。罪のない母を、俺たちの不手際で死なせるつもりですか!?」
五郎はさらに畳み掛ける。
「いいですか。東は奥州の外ヶ浜から、西は九州の鬼界ヶ島、南は熊野の山、北は越後の荒海……。この日本に、鎌倉殿の権威が及ばない場所など一寸たりともありません!俺たちは網に掛かった鳥であり、釣られた魚なのです。天に昇るか地に入るかしなければ、逃げ場所などどこにもない。……俺は、この太刀の目釘が折れるまで、向かってくる敵と戦って死ぬ! それが俺の『本意』です!!」
十郎は、弟のあまりにも鮮烈な正論に、苦笑いした。
「……はは、そうだな。五郎、お前を試したんだ。……すまなかった。俺の心も、最初からお前と同じだ。一歩も引くつもりはない」
二人は再び向き合い、豪雨の中で笑い合った。
それは、この世での最後の、そしてもっとも清々しい笑顔だった。
「……来たぞ。ようやく、目覚めた奴らが集まってきたようだ」
闇の向こうから、無数の松明の火がこちらへ向かってくる。「曲者だ!!」「曾我を討て!!」という怒号が、嵐を突き抜けて響き渡る。
「よし、五郎。……これが、俺たちの最後の大暴れだ」
「応っ!! 兄上!!」
曾我十郎祐成、二十二歳。曾我五郎時致、二十歳。日本史上もっとも愛され、もっとも過酷な運命を辿った兄弟の、伝説の「ラスト・スタンド」。
曾我物語 巻第九(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔祐経に止め差す事〕
十郎言ひけるは、「祐経に止めを差さざりけるか。止めは、敵を打つての法也。実検の時、止めの無きは、敵打ちたるにいらず」「然らば、止めをさし候はん」とて、五郎立ち帰り、刀を抜き取りて抑へ、「御辺の手より賜はりて候ふ刀な、確かに返し奉る。取らずと論じ給ふな」とて、柄も拳も通れ通れとさす程に、余りにしげく差しければ、口と耳と一つになりにけり。扨こそ、後に人の申しけるは、「宵に悪口せられし其のねたに、わざと口をさかるる」とぞ申しける。「幼少より、敵を見んと、箱根に祈誓申し、御前にて祐経を見染むるのみならず、一腰の刀をえたる、今止めを差したる刀、是也。権現の御恵みとて感じける。さすがに離れぬ一門の中、哀れとや思ひけん、「我、過去の宿業と言ひながら、一念の瞋恚に依り、敵御方とは隔たるなり。慚愧懺悔の力に依り、六根の罪障を消滅し、因果の輪廻を只今つくしはてて、一念の菩提心誤り給はで、一蓮の縁となし給へ。阿弥陀仏」と回向して、屋形をこそ出でたりけれ。十郎は、庭上に立ちて、五郎を待ち得て言ひけるは、「我名乗りて、人々に知られん」「もつとも」とて、大音声にて罵りける。「遠からん人は、音にも聞け。近からん者は、目にも見よ。伊豆の国の住人伊藤の二郎祐親が孫、曾我の十郎祐成、同じく五郎時致とて、兄弟の者共、君の屋形の前にて、親の敵、一家の工藤左衛門の尉祐経を打ち取り、罷り出づる。我と思はん人々は、打ち止め高名せよ」と雖も、昼の狩座につかれければ、音もせず。小柴垣のもとに躍り寄り、猶声を上げて、呼ばはりけれども、東西南北に音もせず。三浦の屋形には、予てより知りたれば、わざと出づる者も無し。次の屋形に聞き付けて、榛沢・あかさは・柏原を始めとして、むねとの者共、出でんとする所を、重忠聞き、「余りな騒ぎそ。一定、曾我の人々が、本意をとぐると覚えたり。如何に嬉しく思ふらん。心静かによくさせよ。然らぬだに、若き者は、心騒ぎて、し損ずる事有りぬべし。鎮まり候へ」と有りければ、出づる者こそ無かりけれ。兄弟の人々は、しばしやすらひ、敵をまて共、無かりければ、十郎言ひけるは、「いざや時宗、ひとまづ落ちて、今一度母にあひ奉り、思ふ事をも語り申し、猶事のびば、髻切り、如何ならん野の末、山の中にも閉籠し、父の孝養をもせん。其れ適はずは、心静かに念仏申し、自害するまで」と言ひければ、五郎聞き、余りのにくさに音もせず、やや有りて、「此の仰せこそ、条々(でうでう)然るべしとも覚えず候へ。弓矢取る者の習ひには、仮初にも一足も逃ぐると言ふ事、口惜しき事にて候ふ。命の惜しき者こそ、入道をもし、山林に閉籠し候はんずれ。幼少より思ひし事はとぐるなり。何事を思ひ残して、落ち候ふべき。母に対面の事、科を奉るべき為か。させる孝養報恩こそ贈らざらめ、科も無き母さへいたまれ、「子供の行き方知らぬ事あらじ」とぞ攻め問はれ、禁獄死罪にも行はれば、我等が出ださずして適ふまじ。なましひに逃げ隠れて、彼処此処より搦め出だされ、剰へ諸国の侍共に、「幾程の命惜しみて、曾我の物共が髻切り、乞食をす」と、沙太せられん事は恥づかし。其の上、一旦隠れ得たりと言ふとも、東は奥州外浜、西は鎮西鬼界島、南は紀伊路熊野山、北は越後の荒海までも、君の御息の及ばぬ所有るべからず。天に掛けり、地に入らざらん程は、一天四海の内に、鎌倉殿の御権威の及ばざる事無し。只羅網の鳥、つりをふくむ魚の如し。真実の仰せとも覚えず。時宗におきては、向かふ敵あらば、太刀の目釘のこらへん程は、命こそ限りなれ」と申しければ、十郎聞きて、「わ殿が試みんとてこそ言ひたれ、祐成が心も、予てより知りぬらん。一足も引き候ふまじき」と語らひ、よする敵を待ち掛けたり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




