9-6 潜入の極致。言葉で王を黙らせた聖者の智慧
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
物語の舞台は建久四年五月二十八日、深夜。激しい雨が降り続く富士の裾野。
復讐という大願を遂行するため、曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟は、十万の軍勢が眠る巨大な宿営地へと足を踏み入れた。
「――兄上、先ほどの庁南殿の家臣に成り済ました嘘、見事でした。ですが、なぜあんな嘘が通用したのでしょうか?」
雨音に紛れ、五郎時致が問いかける。十郎祐成は、闇の中で静かに微笑んだ。
「五郎よ、かつて天竺にも、言葉一つで王の殺意を消し去った男がいた。名は富楼那尊者。釈尊の弟子の中でも『弁舌第一』と謳われた伝説だ」
十郎は、潜入の緊張を解くように、その物語を語り始めた。
昔、釈尊が霊鷲山で法を説いていた時、コーサラ国の王・波斯匿王が参列した。富楼那はもともと王の臣下の子であったが、出家して悟りを開き、釈尊のそばにいた。だが、彼は修行に集中するあまり、かつての主君である王に目もくれず、挨拶もしなかったのだ。
王は激怒した。「あの富楼那め、私の前で知らぬ顔をするとは奇怪な! 次に会う時は、目に物見せてやる」と、数多の兵を連れ、復讐心を抱いて再び釈尊の元へ向かった。
「道中で王に呼び止められた富楼那は、少しも怯まず、こう説いたのだよ。
『王よ、私があなたを無視したのではない。真理を求めて瞑想にある時、そこには私もあなたもいない。すべては平等であり、王も臣下も区別はないのだ。万法一如――この世のすべては本来、空なのだから』と」
王はなおも「無礼であることに変わりはない!」と憤ったが、富楼那の言葉には、執着に縛られた自分を嘲笑うような、圧倒的な真理が宿っていた。
「『形や言葉にこだわるのは、自らを縄で縛るようなものだ』。富楼那にそう突きつけられた王は、ついに自らの傲慢がどれほど矮小なものかを悟り、その場で跪いて礼拝したという。
……五郎、言葉は刃だ。正しく使えば、十万の軍勢の怒りさえも消し去ることができる」
伝説の余韻を噛みしめる間もなく、二人の前に「現実」が立ちふさがった。
「……見ろ。あれが梶原の陣だ」
そこには、幕府の総奉行にして、兄弟を執拗にマークしている梶原源太景季の屋形があった。
梶原の郎等たちが篝火を幾重にも焚き、長具足を身にまとって整然と列を成している。木戸は厳重に閉じられ、道行く者への視線は文字通り「殺人的」だ。
「……最悪だな。梶原殿は俺たちの顔をよく知っている。ハッタリは通用しない」
五郎が太刀の柄を握る。
「引く道はない。……五郎、祈れ。俺たちの『復讐』が天に届いているなら、必ず道は開ける」
二人は、自分たちの育ての親とも言える箱根・三島の二所権現に、心の底から念じた。
(南無二所権現……。父上の仇を討つまで、どうか、敵の目から我らを隠し給え……!)
二人は、意を決して篝火の光の中へと踏み出した。そこは、本来なら数歩歩いただけで「曲者だ!」「曾我の兄弟だ!」と叫び声が上がるはずの死地。カシャン、カシャンと鎧が擦れる音が聞こえる。
衛兵たちの吐息が届くほどの距離。篝火の明かりが、十郎の「村千鳥」の直垂と、五郎の「蝶」の模様を鮮明に照らし出す。
(くるか……?)
五郎はいつでも魔剣『友切』を引き抜けるよう、神経を尖らせた。
……だが。誰も、彼らを咎めなかった。数十人の精鋭たちが、目を見開いて辻を固めているというのに、彼らの視線は兄弟の体をすり抜けていくかのようだった。
一歩。二歩。
梶原の兵たちは、まるでそこに誰もいないかのように、虚空を見つめ、あるいは談笑を続けている。
三歩。
十郎と五郎は、静かに、しかし流れるような早足で、検問の真っ只中を通り抜けていった。それはもはや「潜入」ではなく、神仏が兄弟を覆い隠す加護が発動したとしか思えない現象だった。
「…………抜けたぞ」
梶原の陣を遠く離れ、闇の深淵に戻ったところで、十郎が短く囁いた。二人は顔を見合わせ、安堵と恐怖が入り混じった溜息を吐いた。
「……兄上。今の、一体何だったんですか? 誰も、誰も俺たちを見ていませんでした」
「神慮の助け……それ以外に説明がつかん。権現様が、俺たちの志を受け入れ、一時の間だけ世界の目を逸らしてくださったのだ」
神仏さえも味方した。十七年の執念は、ついに物理法則をも捻じ曲げたのだ。
だが、その奇跡が起きたということは、もう後戻りはできないということでもある。
「五郎。今の奇跡を無駄にするな。……次は、本丸だ」
「――はい。工藤祐経の枕元へ。最短ルートで行きましょう」
建久四年五月二十八日、深夜。
富士の裾野を包む五月雨は、いよいよ激しさを増し、落雷の音が腹に響く。十万の軍勢が眠る巨大な「屋形の迷宮」。
その最西端。灯火が消え、静まり返った一棟の屋形がある。
十郎と五郎は、雨に濡れた直垂を整え、獲物の柄に手をかけた。富楼那の弁舌も、権現の加護も、すべてはこの一瞬のために。
「……やるぞ、五郎」
「応っ!!」
闇を切り裂く一閃が、今、放たれようとしていた。
曾我物語 巻第九(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔波斯匿王の事〕
抑、富楼那の弁舌にて、くわうの怒りを止めける来歴を尋ぬるに、昔、釈尊、霊山にて法をとき給ひしに、波斯匿王、聞法結縁の為に、参らせられたり。富楼那尊者と申すは、弁舌第一の仏弟子にて坐しましけり。然れども、彼のくわうの臣下の子也。教法に心を染めて、くわうの方をだに見遣り給はざりける。くわう、怒りをなして曰く、「扨も、尊者は、自ら仏前に有りつるを、遂に其れとだにも見られざりつる奇怪さよ。此の度、参らむ時は、其の色みすべし」とて、幸臣数相具し、怨敵をふくみて、参られける時、富楼那尊者は、路中にて行き合ひ給ひ、「如何に尊者、何処へ」と問ふ。尊者聞き給ひて、殊の外に恭敬して、「過ぎにし仏の御説法の時、君参り給ひしか共、法門歓喜のみぎり、身を忘れ、他を知らざりし事なれば、其の礼更に無かりしなり」。くわうは、未だ真俗残り、是非に携はり給ひき。其れ又、理無きにあらず。御憤り黙し難し。王宮よりの御たくみ、さぞと知られて、急ぎ参りたる。「誠に此の理わきまへ給ふにや。真如、禅定の時は、無二亦無三ととかれてこそ候へ。然るにおきて、自も無く他も無く、法界平等なり。何者か有りて、しやうとも又正とも隔てん。万法一如にして、阿字本不生の観をなし給へ」と示し給ひければ、くわう、猶しも邪に入りて、「自らが言葉徒らに成りて、無礼にひとしく候ふべきにや」。いよいよ怒りを高くして、尊者の理に受け候はず。これ偏に驕慢瞋恚の外道と、あさましくこそ覚えけれ。其の時、富楼那、「「にやくいしきたんが、ひおんしんしやうくが、斯様の人は、まさに邪道を行じて、如来を見る事適ふべからず」とこそとかれて候へ。色にふける、言葉に尋ねんは、無縄自縛かんかんと見えたるをや」。くわう、猶承つて、「其の縄は誰か致しける」「其の心に帰りて尋ね給へど、外には無し」と宣ひける所に、くわう、一理を受けて、恭敬礼拝して、仏果に成じ給ふ。即ち、尊者引き具し、霊山に参り給ふ。「実にや、本文に、「私の志を忘れ、誠の恭敬によつて、波斯匿王も、方便の教化によれる、返す返す私無し」とこそしめされてこそ候へ。但し、梶原と言ふ曲者の屋形の前、如何すべき。我等を見知りたる者なり。然れども、帰るべき道にもあらず。浮沈、此処にきはまれり。運に任せよ」とて通る。案の如く、辻がための兵数十人、長具足立て並べ、誠に厳しく見えたり。詮方無くして、南無二所権現、助け給へ」と祈念して、知らぬ様にて通りける。然れども、神慮の御助けにや、咎むる者も無かりけり。「すはや、よきぞ」とささやきて、足早にこそ通りけれ。只事ならずとぞ見えける
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




