9-1 和田義盛との密会、梶原景季の密告。
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)五月二十八日。鎌倉殿・源頼朝が主催する、史上最大の軍事イベント「富士の巻狩り」の決行前夜。
降りしきる五月雨と轟く雷鳴。十七年の時をかけて復讐の刃を研ぎ続けてきた兄弟、曾我十郎祐成と曾我五郎時致は、ついに「その時」を迎えようとしていた。
だが、死地へ踏み込む直前、彼らにはどうしても会っておかなければならない男がいた。それは、かつて大磯で一触即発の危機を救い、自分たちを影ながら見守ってくれた幕府の重鎮――和田義盛。
「……一度旅立てば、二度と帰らぬのが冥土の別れ。五郎よ、俺たちの死を嘆く者は多いだろうが、この日本で俺たち以上に『悲惨な運命』を辿る者も、そうはいないだろうな」
富士の裾野、深夜のキャンプ地。兄の十郎祐成は、雨音に紛れるように呟いた。弟の五郎時致は、魔剣『友切』を抱えたまま聞き返す。
「兄上、俺たち以上に不遇な者など、いるのですか?」
「ああ。……今夜、俺たちが祐経と一緒に斬るつもりの、あの王藤内だ」
十郎の言葉には、復讐者特有の冷徹さと、一抹の哀れみが混じっていた。
「奴は七年もの間、頼朝様に睨まれて所領を没収されていた。だが今回、祐経のとりなしでようやく許しが出たんだ。今頃、故郷の備前では親類が集まり、『やっと帰ってこれる!』と祝宴を上げているだろう。……そこへ、俺たちが奴をブチ殺したという知らせが届く。喜びの絶頂から地獄の底へ突き落とされる家族の嘆きを思えば……皮肉なものだよな」
一度は王藤内を助けてやろうかとも思った十郎だったが、昼間の酒宴での奴の暴言を思い出し、首を振った。
「……いや、やはり余さず斬る。五郎、一人も漏らすな」
「承知いたしました。……さて、兄上。夜が深まるまで、あの御方のところへ行きませんか?」
二人が訪れたのは、侍所別当・和田義盛の陣屋だった。義盛は、深夜の訪問者を見て、すぐにすべてを察した。
「……曾我の殿原か。よく来たな。富士の狩場はどうだ? 初めて見る光景に、驚いたのではないか」
義盛は豪快に笑いながら、二人を奥へと招き入れた。十郎は扇を真っ直ぐに持ち直し、畏まって答えた。
「はい。あまりの面白さに、『斧の柄が腐る』のも忘れるほど見惚れてしまいました。故郷の曾我へ使いを出しておりますが、その待ち時間にお顔を拝見しに参りました」
「斧の柄が腐る」――それは、仙人の囲碁に見惚れている間に下界では何百年も過ぎていたという伝説に基づく隠語。(俺たちは復讐のチャンスを狙って時を忘れている。……もう、引き返すつもりはない)という十郎の決意表明だった。
義盛は、その覚悟を受け取った。
「……そうか。ならば、最後の一杯だ。飲め」
義盛は自ら酒を注いだ。三三九度の盃が巡る。義盛は声を低め、二人だけに聞こえるトーンで告げた。
「――いいか。『狭く、よくやれ』。し損じれば、お前たちだけでなく、俺たち一族の恥辱にもなる。……後のことは、この義盛が引き受けてやる。俺を信じて、思い切り暴れてこい」
「狭く」とは、標的を絞り、確実に仕留めろという意味の軍事アドバイス。
その時だった。陣屋の外から、冷ややかな声が響いた。
「……何やら物騒な話ですな、和田殿。曾我の浪人どもに『狭くよくやれ』とは、穏やかではない。今の言葉、鎌倉殿のお耳に入れた方がよろしいかな?」
現れたのは、梶原平三景時の嫡男、梶原源太景季。曾我兄弟にとっては、昼間の狩場で相論を繰り広げた不倶戴天のライバルであり、幕府随一の「監視役」だ。
義盛の顔色がサッと変わったが、彼は即座にアドリブで返した。
「……フン、景季か。相変わらず耳ざとい奴だ。今の話を聞きたいか? こいつら、若いくせに黄瀬川で遊女と遊び呆けていてな。合沢の御所に鎌倉殿が到着したというのに、手土産の一つも用意していなかったのだ。だから俺が教えてやったのだよ。『土産の予算をケチるな、いい格好をしろ! しくじれば俺の顔に泥を塗ることになるぞ!』とな! なあ、十郎?」
「……はは、左様でございます。和田殿の厳しいお叱りを受けていたところでして」
十郎も合わせるが、景季の疑いの眼差しは消えない。
「ふうん……一興ですな。和田殿は私と会うと、いつも角を立てて仰る。まあ、いいでしょう。土産選び、精々頑張る勇姿を期待しておりますよ」
景季は含み笑いを残して立ち去った。だが、彼は確信していた。
(……間違いない。奴らは今夜、何かを仕掛けるつもりだ。報告すれば、俺の手柄になるな)
「……あの野郎。兄上、今すぐ追いかけて首をねじ切ってやりましょう」
五郎の瞳が、獣のようにギラリと光った。義盛の制止も聞かず、五郎は太刀に手をかける。
「アイツは俺たちの『大力』と『狂気』を知っている。ここで喧嘩を売れば、警備が増強されて本命(祐経)に辿り着けなくなる。……兄上、アイツだけでも今、殺しておくべきです!」
だが、十郎は弟の肩を強く抑えた。
「待て、五郎。……義盛殿の仰る通り、景季は『曲者』だ。今ここで暴れれば、俺たちの十七年は水の泡になる。……景季の首など、祐経の首に比べればゴミ同然だ。ここは耐えろ」
義盛も頷く。
「……すまんな、曾我の。景季の奴、すでに御所へ報告に向かったかもしれん。……相構えて、し損じるなよ」
義盛はそう言い残し、自らも御所へと向かった。兄弟は、雨の降りしきる闇夜へと戻っていった。
「……兄上。梶原の奴、絶対に追っ手を差し向けてきますよ」
陣屋に戻った五郎が、苛立ちを隠さずに言う。十郎は冷静に、装備を確認しながら答えた。
「分かっている。……だから、今すぐこの『屋形』を捨てるぞ」
「捨てる?」
「ああ。敵が攻めてくる場所で待っている馬鹿はいない。……五郎、俺たちは今から『死人』になる。表の入り口ではなく、馬屋の壊れた隙間から出入りし、場所を移す。……梶原が兵を連れてここに来た時、そこにはもぬけの殻の陣屋があるだけだ」
十郎は、昼間にリサーチした「十万八千間のキャンプ地マップ」を脳内で展開した。
北条時政の陣:は守りが固すぎる。回避。和田・畠山の陣は 協力者だが、巻き込めない。工藤祐経の陣がゴール。
「……よし。五郎、行くぞ。……十七年の執念、雨に流させはしない」
建久四年五月二十八日、深夜零時。落雷が富士の山肌を白く焼き、激しい雨が地上の篝火を次々と消していく。
頼朝の巨大な軍事キャンプが、深い眠りと雨音に包まれる中、屋形を捨て、闇に溶けた二人の兄弟は、ついに工藤祐経の寝所へと指呼の距離まで迫っていた。
「兄上……。あの明かりの消えた部屋です」
「……ああ。……行くぞ、五郎」
復讐の夜襲。最終フェーズ――突入。
曾我物語 巻第九(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔和田の屋形へ行きし事〕
「来たつて暫くも止まらざるは、有為転変の里、さりて二度帰らざるは、冥途隔生の別れなり。哀傷恋慕の悲しみ、今に始めぬ事なれ共、日本国に我等程物思ふ者あらじと案ずるに、劣らず歎きをする者の有るべきこそ、不便なれ」。五郎聞き、「誰やの者か、我等に勝りて候ふべき」「然ればこそとよ、備前の王藤内が、七年御不審を蒙り、此の度、安堵の御下文を給はると言ふ使ひ、先に下り、かくと言はば、国に止まる親類集まり、喜び合はん所に、又人下りて、打たれぬと言ふならば、さこそ歎かんずらんと、深き言葉を案ずるに、人としてのふ有る物は、天の加護に依り、人としてさい有る者は、歎きによると見えたり。然れば、王藤内助けばやとは思へども、雑言余りに奇怪なれば、祐成におきては余すべからず。御分ももらすな」と申しければ、「承る」とぞ言ひける。「かくて、夜のふけん程待たんも、遙かなり。いざや、和田殿の屋形へ行き、最後の対面せん」「然るべし」とて、二人打ちつれ、義盛の屋形へぞ行きける。やがて、義盛出で合ひて、「如何に殿原達、遙かにこそ存ずれ。狩座の体、是が始めにてぞ坐しますらん。何とか思ひ給ひけん。見物には上や有るべき」。十郎、扇笏に取り直し、畏まつて、「さん候。斯様の事は、珍しき見事、末代の物語に、あの冠者に見せ候はん為、二三日の用意にて、罷り出で候ふが、余りの面白さに、斧の柄のくつるを忘れ、曾我へ人おこして候ふ、其の程と存じて、参りて候ふ」と言ひければ、和田聞きて、なんでふ其の儀有るべき、日頃の本意を遂げんとするが、一家の見はてに、義盛に今一度対面せんとてぞ来たりぬらんと、哀れに思ひければ、「さぞ思すらん、数多見て候ふだにも、面白く候ふ。まして、若き人々の始めて見給はんに、さぞ思し召すらん。嬉しくも来給ふ物かな。予てより知り奉りなば、始めより申すべかりつるを」とて、酒取り出だし、すすめられけり。盃二三度めぐりて後、和田宣ひけるは、「相かまひて、せばよくし給へ。し損じなば、一家の恥辱なるべし。後楯にはなり申すべし。頼もしく思ひ給へ」とて、盃差されけり。折節、梶原源太、屋形の前を通りけるが、かく言ふを聞き付けて、「何事ぞや、和田殿。曾我の人々(ひとびと)に、「せばよくせよ」と仰せられつる、不審なり。御耳にや入れ候ふべき」と言ふ。和田殿聞きて、こは如何に、曲者通りけるよ、さりながら陳じて見んと思ひければ、「自然の物語、何と聞きて、御分、御耳に入れんとは宣ふぞ。此の面々、我に親しき事、上にも知ろし召されたり。其れに付き、「御狩と承り、必ず召しは無けれども、末代の見物に、忍びて御供仕り候ふ。若き者の習ひ、黄瀬川にて、女共と遊びて候ひしが、君合沢の御所に御入の由承り、急ぎ参り候ひし間、引出物をせず候ふ。帰りに何にても候へ、とらせん」と申し候ふ間、「道の者は恥づかしきぞ。引出物せばよくせよ、し損じなば一家の恥ぞ」と申しつるが、此の事ならでは、何申したりとも覚えず、急ぎ御申し有りて、義盛失ひ給へ」と、高声也ければ、景季も、「一興にこそ申し候へ。何とてか、和田殿は、某にあひ給へば、由無き事にも、角をたてて宣ふらん。是は苦しからぬ事なり」とて、そら笑ひして通りけり。猶も和讒の者にて、何とか言ふと思ひ、しばしたたずむ。是をば知らで、和田宣ひけるは、「水をよく泳ぐ者はむもれ、馬によく乗る物は落ち、日はちう中に移る、月はみつるに傾く、高天にせくぐまれ、厚地に抜き足せよと有るをや。此の者は、十分に過ぎて、如何ぞと覚ゆる」。五郎、是を聞きて、「御陳法を用ひず、通る者ならば、何程の事すべき。しや細首ねぢ切りて、捨て候ふべきを」と申しければ、梶原立ち聞きて、誠や、此の者は、朝比奈にみぎは勝りの大力、をこの者と聞きたり、此処にて、喧嘩し出だし、勝負せんよりも、上へ申し上げて、我が力もいらで失はん事、安かるべしと思ひ定めて、聞かざる由にて、帰りにけり。和田宣ひけるは、「今暫くも候ひて、こまかに物語申したけれ共、源太と申す曲者が、御前に参りつるが、いか様にか申し上げ候はんずらん。相構へてし損じ給ふな」と言ひ置きて、和田は、御前へぞ参られける。此の人々は、屋形に帰る。夜のふくるを待ちけるが、やや有りて、十郎申しけるは、「件の梶原が、御分が言ひつる事を立ち聞きけるが、いか様、大勢にて寄せぬと覚ゆる。屋形をかへん」と言ひければ、五郎聞きて、「源太程の奴、何十人も候へ、一々に切りふせなん」と申す。十郎聞きて、「身に大事だに無くは、言ふに及ばず。只某に任せ候へ」とて、
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




