表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚 〜  作者: 条文小説


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

78/109

8-4 屋敷に潜入したら、酒宴に誘われて踊ることに

挿絵(By みてみん)


 曽我物語そがものがたりは、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia

 建久四年(1193年)五月二十八日、夕刻。鎌倉殿・源頼朝が主催する史上最大の軍事イベント「富士の巻狩り」は、ついにその運命の夜を迎えようとしていた。


 降りしきる雨、轟く雷鳴。曾我兄弟はついに、ターゲットである工藤祐経の陣屋を特定した。だが、兄の十郎祐成は、逸る弟の五郎を制した。


「五郎、お前はここで待て。二人で行けば怪しまれる。俺が一人で潜入し、屋形の内部構造を把握してくる」


 それは、復讐という名の「最終クエスト」の直前に、十郎が単身で敵の懐へ飛び込むという、心臓が止まるほどにスリリングな潜入ミッションの始まりだった。


 「……よし、行ってくる」


 曾我十郎祐成は、愛刀一振りを従者に持たせ、雨に煙る広大なキャンプ地へと歩み出した。そこは、源頼朝の旗の下に集結した東国武士たちの巨大なテント街。


 それぞれの幕には家紋が誇らしげに染め抜かれ、紋章の博覧会だった。その中を歩いていた十郎の足が、ある陣屋の前でピタリと止まった。


(……なんだ、あれは?)


 そこには、「二つ木瓜ふたつもっこう」の紋が打たれた幕があった。それは、曾我兄弟の本来の家系、伊東一族の由緒正しき家紋だ。伊東の正当な継承者は絶え、今やこの紋を掲げられる者などこの世にいないはず。十郎は幕のほころびから中を覗き見た。


 ……そこにいたのは、父の仇、工藤祐経だった。


(……汚らわしい。俺たちの家紋まで盗み、自分のものにしているのか。奴は土地だけでなく、俺たちの『血の誇り』まで奪い尽くしたというわけか……!)


 その時、祐経の嫡男・犬房丸いぬぼうまるが十郎の姿に気づいた。


「父上! あそこに曾我の十郎が通っております!」


「ほう、十郎か。面白い、こちらへ呼べ」


 逃げるわけにはいかない。十郎は覚悟を決め、陣屋の内へと足を踏み入れた。中では豪華な酒宴が繰り広げられていた。


 工藤祐経ターゲット、備前の大物である王藤内、絶世の美女と称される手越の少将、更には名高い遊女の黄瀬川の亀鶴。


 「さあ十郎殿、こちらへ座られよ」


 祐経が余裕の笑みで敷皮を指差す。十郎はそれを押し除け、末座に控えた。祐経の口から出たのは、耳を疑うような「善人ぶった言葉」だった。


「十郎殿。巷ではお前たちが私を仇と狙っているなどという噂があるが……。馬鹿げた話だ。あれは私のせいではない。お前たちの祖父、伊東祐親が私の所領を横領したから起きた悲劇なのだよ。私はむしろ被害者だ。だが、私は慈悲深い。従兄弟の息子であるお前たちのことは、息子のように思っているのだぞ?」


「どうだ、お前たちの馬は痩せ細っているそうじゃないか。伊東には名馬がたくさんいる。私に仕えるなら、領地も与えようし、馬の草飼い場も用意してやろう。……無駄な恨みなど捨てて、私の下で働かないか?」


 十郎の拳が、直垂の下で震えた。


(……黙れ。父を殺した張本人が、どの口でそれを言う……!)


 今すぐ盃を奴の面に叩きつけ、腰の「微塵」でその喉を掻き切りたい。だが、ここで仕損じれば、外で待つ五郎まで巻き添えになる。


「……お心遣い、痛み入ります」


 十郎は、血の涙を飲んで微笑んだ。


 「せっかくだ。十郎殿、お前は舞の名手だと聞いている。一曲舞ってくれ。客人たちへの接待だ」


 祐経の強引な要求にもかかわらず、十郎は立ち上がり、扇をパッと広げた。


「君が住む 亀の深山の 滝つ瀬は……」


 十郎は舞い始めた。しかし、その優雅な所作の裏側で、十郎の意識はフル稼働していた。


 夜襲の際、どの入り口から突入すべきか。この柱の影は死角になるか。祐経が寝る場所はどこか。逃走経路に障害物はないか。


 腕を差し、袖を翻すたびに、十郎の目は鋭く屋形の構造をスキャンしていった。半時ほどの舞。酔客たちは「見事な舞だ!」と喝采を送るが、彼らは気づいていない。それが、自分たちが数時間後に殺されるための「下見」であったことに。


 十郎は舞い終えると、「夜勤の宿直とのいの仕事がありますので」と嘘をついて、悠然と陣屋を後にした。


 十郎はそのまま立ち去らず、陣屋の外の小柴垣に身を潜めた。中から、祐経と王藤内の話し声が漏れてくる。


「……祐経殿、本当にお前があの男たちの父親を殺したのか?」


 王藤内が問う。


「ああ、そうだ。あの河津の三郎(兄弟の父)は、私の領地を奪った憎き男だった。だから刺客を送って消したのさ。……今の曾我の兄弟か? ははは! あんな貧乏浪人どもが、この私に挑もうなんて、蟷螂カマキリが斧を振って巨大な車を止めようとするようなものだ。クモが網を張って鳳凰を捕まえようとするようなものだよ。哀れなやつらだ、南無阿弥陀仏!」


 祐経の高笑い。十郎の瞳に、冷酷な殺意が宿った。


(……決めた。一の太刀は工藤祐経。そして二の太刀は、一緒になって笑った王藤内、貴様だ)


 五郎の元へ戻った十郎は、待っていた弟にすべてを伝えた。


「――待たせたな、五郎」


「兄上! 遅いですよ! まさか敵と酒を飲んでいたなんて!」


「落ち着け。……すべて見てきた。敵の配置も、屋形の構造も、すべて俺の頭の中に叩き込んである」


 十郎は扇を開き、地面に富士キャンプ地の「地図」を描き出した。その規模は、都をも凌駕するスケールだった。


 総建物数は 108,000間であり軒を並べた巨大な仮設都市だった。中央に四方を瑠璃で飾り、五十九間の広さの源頼朝の御座所。脇に北条時政、武田、里見、山名などの一門が本陣を固める。


 東には梶原景時、和田、畠山、比企などの重臣軍団。

西の最果てに我らがターゲット、工藤祐経の屋形。


「……敵は、自分たちが十万の兵に守られていると過信している。さらに祐経は、俺たちをカマキリか何かのように侮っている。……これ以上の好機はない」


 五郎は兄の報告を聞き、武者震いをした。


「宝の山に入って、手ぶらで帰る(逸って殺す)ことなく、完璧な偵察を遂げた……。さすがは兄上です。……いよいよですね」


「ああ。……南無阿弥陀仏。これが現世での、最後の酒宴だ」


 深夜。富士の裾野を包んでいた霧が、激しい雨へと変わった。雷光が走るたび、二人の兄弟の影が巨大な岩のように地面に映し出される。


 十郎は母の小袖を、五郎は魔剣『友切』を。十七年の怨念を詰め込んだ二人の「死神」が、十万の軍勢が眠るキャンプ地へと、音もなく滑り出していった。




曾我物語 巻第八(明治四十四年刊 國民文庫本)




 〔屋形やかたまはりのこと


 みちにて、十郎じふらうまうやうは、「御所ごしよは、屋形やかたかへたまふべし。二人つれては、人もあやしくおもひなん。祐成すけなりばかりきて、屋形やかた案内あんないかへらん」とて、太刀ばかりたせ、屋形やかた屋形やかたをめぐりけり。おもおもひのまくもん、心々の屋形やかた次第しだい、中々 言葉ことばおよばれず。此処ここに、ふた木瓜もつかうまくちたる屋形やかたり。まくやらん、これは、われいへもんなりちかころは、伊東いとう一門いちもん、御敵とほろびぬ、伊東いとう名乗なのものければ、まくつべきものし、たれなるらんと、不思議ふしぎにてり、まくのほころびよりれてれば、かたき左衛門さゑもん屋形やかたなり。これ如何いかに、一木瓜ひとつもつかうまくをこそつべきに、こころものかな、まことや、人々にあらず、るをもつて人とし、家家いへいへにあらず、何処いづくもつてかいへとす、つぐべきをばつがで、すずろなる曾我そがのなにがしとばれぬるうへは、いへもんるべからず、祐経すけつねは、まこととやらん、我々が先祖せんぞ知行ちぎやうせし所領しよりやうるにりて、斯様かやうものをや、あはむかし斯様かやうにはかりしものをと、れてとほりけるに、 祐経が嫡子ちやくし犬房いぬばうけて、「只今ただいまの前を十郎じふらう殿どのとほさうらふ」。左衛門さゑもんきて、「玉井たまのいの十郎か、横山よこやまの十郎か」とふ。「曾我そが十郎じふらう殿どの」とふ。「これは、祐経すけつね屋形やかたにてさうらふ。たまへ」とはせければ、祐成すけなりすこしもはばからず、屋形やかたうちれば、手越てごし少将せうしやうは、左衛門さゑもんじようきみえたり。黄瀬川きせがは亀鶴かめづるは、備前びぜんくに吉備津宮きびつみや王藤内わうとうないきみえたり。嫡子ちやくし犬房いぬばうしやくとらせ、酒盛さかもりしける折節をりふしなりいくほど栄華えいぐわなるべき、今宵こよひ夜半やはんきかへんこと無慙むざんさよとおもひながら、座敷ざしきにぞなほりける。祐経すけつね敷皮しきがはをさりて、「これへ」とふ。十郎じふらう、「かくてさうらはん」とて、しのけたり。祐経が初対面しよたいめん言葉ことばぞこはかりける。「誠や、殿とのばらは、祐経すけつねかたきのたまふなる。努々 もちたまふべからず。人の讒言ざんげんなりとおぼえたり。しあたる道理だうりまかせて、人のまうすもことわりなり。伊東いとうは、嫡々 なるあひだ祐経すけつねこそもつべきところを、面々祖父おほぢ伊東いとう殿どの横領わうりやうし、一所をもけられざりしかば、一旦いつたんうらむべかりしを、第一だいいち養父やうぶなり、第二だいに叔父をぢなり、第三に烏帽子親えぼしおやなり、第四にしうとなり、第五だいご一族いちぞくの中の老者おとななり、一方ひとかたならざるにりて、こらへてぎしに、これただ、「たかきにのぞみのぼらざれ、いやしきをそしり笑はざれ」と本文ほんもんてて、われ員外いんぐわいおもたまゆゑなり。面々のちち河津かはづ殿どの奥野おくの狩場かりばかへりにたれたまひぬ。猟師れうしおほき山なれば、ごしのにやあたりたまひけん。又は、伊豆いづ駿河するがの人々、おほり、相撲すまふりて、あそたまひけるに、股野またの五郎ごらう勝負しようぶあらそひ、当座たうざにて喧嘩けんくわおよびしを、御寮れう御成敗ごせいばいしづまりぬ。然様さやう宿意しゆくいにてもや、たれたまひけんを、在京ざいきやうしたる祐経すけつねけて、まうされけるなれども、さららず。あまつさへ、祐経が郎等らうどうども数多あまたうしなひぬ。時分ぶん、やがて対決たいけつげたりせば、のがるべかりしを、幾程いくほどくして、たう御代とりて、面々 したしき人々、みな御敵かたきとてそんしたまひぬ。ただ祐経すけつね一人にりて、つひことさんだんせずしてやみぬ。しかれば、ただ祐経すけつねがしたるにりて、年月としつきをへさうらふ。これ不祥ふしやうふもあまり。よくたまへ、十郎じふらう殿どの」。祐成すけなりきて、とかくふにおよばず、ただつしんでたり。「これなる客人きやくじんをばたまふにや」「今日始はじめて、見参げんざんさうらへば、如何いかでかたてまつるべき」「あれこそ、備前びぜんくに吉備津宮きびつみや王藤内わうとうないとて、る人なるが、今年ことし七年、きみ御不審ふしんかうぶり、所領しよりやうされてりつるを、の三が年、祐経取まうしつるあひだ御免ごめんかうぶり、所領しよりやう安堵あんどして、蒲原かんばらまでくだたまひぬるが、祐経すけつね名残なごりしまんとて、かへたまふ。斯様かやうに、他人たにんにだにも、まううけたまはれば、したしくるぞかし。まして、殿とのばら祐経すけつねは、従兄弟甥いとこをひものなれば、いまおやともおもふべし。便宜びんぎしかるべくさうらはば、上様さままうさうらひて、奉公ほうこうをもまうし、一所賜たまはりて、馬の草かひどころをもしたまへ。殿とのばらは、祐経すけつねおもたてまつやうにはおもたまはじ。北条ほうでうは、つねにえてあそたまどもなにうらみてか、さら伊豆いづへはたまはず。しもたてぬ賢人けんじんせんよりも、われにむつびて、わかものどもそむかれずしてしませ。面々のうまやうるに、やせよわさうらふ。伊東いとうこまども数多あまたさうらへば、けてたまへ。なましひに人のことについて、祐経すけつねたんとおもたまはんこと今生こんじやうにてはかなふまじ。曾我そが殿とのばら」とぞ広言くわうげんしける。如何いかがおもひけん、言葉ことばをかへてひけるは、「酔狂すひきやうあまり、言失ごんしつつかまつるとおぼえたり。いまよりはじめて、たがひの遺恨いこんをたやして、親子おやこの契たるべし」とて、さかづきせ、客人きやくじんなればとて、王藤内わうとうないはじめさせ、さかづきめづらしさとて、十郎にさす。さかづき少将せうしやうにさす。さかづき、祐経にさす。さかづき亀鶴かめづるにさす。さかづき十郎じふらうにさす。さけ八分ぶんけて、おもひけるは、にくき敵の広言くわうげんかな、身不肖ふせうなり、何事なにごとるべきと、おもひこなし、初対面しよたいめんに散々にひつるこそ、奇怪きくわいなれ、きみどもみみこそ、とう八か国のさぶらひところ日頃ひごろおやの敵、只今ただいまかたきあをころもかさねても、のがすべきにあらず、あはれ、けたるさかづき、敵のおもてにいつけて、一刀かたなし、如何いかにもならばやと、千度ちたび百度ももたびすすめども、こころをかへておもやう、まてしばし、兄弟きやうだいひながら、祐成すけなり時致ときむねは、ちちかたきこころざしふかくして、一所ひとところにてとにもかくにもとちぎりしに、こころはやりのままに、祐成すけなり如何いかにもなるならば、五郎ごらうむなしくからめられ、うらみんことこそ不便ふびんなれ、此処ここはこらふるところおもしづめて、とどまりしは、なさけふかくぞおぼえける。左衛門さゑもんじようかみならぬかなしさは、われこころにかくるとは、ゆめにもらずして、「十郎じふらう殿どのさかづき如何いかにほしたまはぬ。御前ごぜんたち数多あまたしませば、さかなたまふとおぼえたり。今様いまやううたひたまへ」とひければ、二人のきみ扇拍子あふぎひやうしちながら、蓬莱山ほうらいさんには千年ちとせふる千秋せんしう万歳ばんぜいかさなれり松のえだにはつるいはほうへにはかめあそぶと一声せいかへし、二辺へんまでこそうたひけれ。ときさかづきげて、三度さんどまでこそほしたりけれ。土器かはらけ祐経すけつねこうて、「方々はなにとかおもたまふらん、らねども、今日けふよりして、親子しんし契約けいやくるべし。あのわつぱめをおととおぼされ、なんぢあにおもたてまつれ。他人たにんしからんは、うらみにあらず。したしきなかのうときをば、神明しんめいもにくみたまことなれば、いまよりのちたがひにはばかるべからず。御盃さかづきたまはりて、いはひさうらはん。ただし、所望しよまうさうらふぞや。十郎じふらう殿どのは、乱拍子らんびやうし上手じやうずけども、いまず。ひとたまへ。ひとつは客人きやくじんためひとつは祐経すけつねがいはひのあやにく、如何いかがるべき。御前ごぜんたち面白おもしろさうらふ、はやはや」とめければ、犬房いぬばう、はやしぞたてたりける。祐成すけなり子細しさいおよばずして、ちたるあふぎさつとひらきて、「きみがすむかめのふか山のたきは」と一声せいげて、しばしひけるが、ちちこころかよはして、とやせん、かくやせんと、おもみだるるまひに、夜ふけばさうらふべき道、つがひはづさん、長舞ながまひに、此処ここよりり、彼処かしこにめぐらん、彼処かしこはつまり、此処ここかよしのびてらば、おとたじ、ともらじ、さすかひな、袖のかへしに使つかひ、半時はんしばかりぞひたりける。座敷ざしきつらなる人々は、しるしままに、きようもよほばかりなりきみどもはじめとして、はやすもおぼえぬ風情ふぜいなり。かくて、十郎じふらうりければ、祐経、さかづきおもかへしとて、十時にしたりければ、十郎じふらうげ、三度さんどほして、あふぎなほし、かしこまつてまうしけるは、「今宵こよひは、これ御宿直おんとのゐまうしたくさうらへども、北条ほうでう殿どのまうはする子細しさいさうらふ。いかさま、明日参まゐりて、つねづね宿直とのゐまうすべし」と、いとまこうてでにけり。祐成すけなり案者あんじや第一だいいちをのこなり、敵何なにとかふらんとおもひ、小柴垣こしばがきかくことらず、王藤内わうとうない、「殿とのばらちちをば、まことたまひけるか」とふ。左衛門さゑもんじようきて、「いまは、かれかばこそ。以前いぜん、つぶさにまうしつるやうに、われ嫡孫ちやくそんにてもつべき所領しよりやうを、かれ祖父おほぢ横領わうりやうせられぬ。それがし在京ざいきやうながら、田舎ゐなか郎等らうどうどもまうけて、かれちち河津かはづ三郎さぶらうひしものたせしなり。人もやさぞりてさうらふらん。ものども子孫しそんみな謀叛むほんものきみうしなはれたてまつり、いま祐経すけつね一人にまかりなる。しかれども、君不便ふびんものおぼされ、先祖せんぞ所領しよりやう拝領はいりやううへは、祐経すけつねせばめられ、おもひながらぞさうらふらん。かれごろ分限ぶんげんにて、祐経すけつねおもひかからんは、蟷螂たうらうをのりて、隆車りうしやかひ、蜘蛛ちちゆうあみをはりて、鳳凰ほうわうをまつ風情ふぜいなりあはれなる」とぞまうしける。王藤内わうとうないきて、「れこそ僻事ひがことよ。る人は、所領しよりやう財宝ざいほうこころがとまり、おもことはとどこほるなり。れば、すんかねことし。ひんなるさぶらひくろがねとは、あなづらぬものをや。なにとやらん、悪様あしざまおほせつる時に、しきりにたてまつり、かたなつかけ、片膝かたひざしたてつるときことぬとえしが、されどもいろにはすこしもださず。よき兵かな」とぞほめたりける。左衛門さゑもんじようこれき、「何程ほどことつかまつるべき。りゆうねぶりて、本体ほんたいあらはす。人酔ひて、本心ほんしんあらはす。おもことこそはれさうらへ。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」とぞまうしける。後におもはすれば、これや最後の念仏ねんぶつと、あはれにぞおぼえし。十郎じふらう、かくふをきて、すなはち、屋形やかたへのうちはしり、如何いかにもならばやとおもひしかども五郎ごらうしまれて、ただむなしくてかへりける、こころの内こそ、無慙むざんなれ。そもそも只今ただいま言葉ことばども、よくよくおもへば、ただ王藤内わうとうないはする言葉ことばなり。今夜は、ちばとさんとおもひつれども、いま言葉ことば奇怪きくわいなれば、いち太刀たちには左衛門さゑもん、二の太刀たちには王藤内わうとうないおもさだめて、屋形やかたよりこそかへりけれ。 五郎ごらうあにねて、こころもとくして、たたずみけるところへ、十郎じふらうたりて、「如何いかちどほなるらん」。五郎ごらうきて、「らぬだに、人をまつかなしきに、おろかにやおぼす」「祐成すけなりも、さぞんずるを、かたき左衛門さゑもん屋形やかたれられ、さけをこそのみたりつれ」「さて、如何いかさうらひける。便宜びんぎしくさうらひけるか」「ふにやおよぶ。乱舞らつぶ折節をりふしあはれとおもひしかども、御分ごぶん一所にこそとぞんじて、こらへつるこころざしはかたまへ」。五郎ごらうきて、「おんふちはことにてさうらへども、これほどよりつかずして、こころをつくす。便宜びんぎよくさうらはば、おんうちさうらふべきものを。さりながら、一太刀づつともどもにりたくさうらふぞかし。屋形やかた次第しだいみちすがらの様、御覧ごらんさうらひけるにや」「ため案内あんないは、よくおきさうらひぬ。ただし、屋形やかたかずおほくして、りたる人は、所々(ところどころ)にこそさうらひつれ」。あふぎひらきてこそはかぞへけれ。「づ、きみ御屋形やかたならべてちたりしは、北条ほうでう四郎しらう時政ときまさ御一門いちもんに、一条いちでう板垣いたがき逸見へんみ武田たけだ小笠原おがさわら南部なんぶ下山しもやま山名やまな里見さとみの人々、石山いしやま・やまかた・梶原かじはら屋形やかたならべてさうらふなり。ひがしには、和田わだ畠山はたけやま黒戸くろど姉崎あにさき本田ほんだ榛沢はんざは池辺いけのべ児玉こだま小沢おざは山口やまぐちたん横山よこやま紀清きせい両党りやうたう岡部をかべ・はんさう・金子かねこ村山むらやま・むらおり・なかさや・おかはら・比企ひき中条ちゆうでう三田みた・むろの人々、屋形やかたならべてさうらふなり。常陸ひたちくにには、佐竹さたけ山内やまのうち志太しだ同地どうち鹿島かしま行方なめかた・こくは・宍戸ししど森山もりやま・ちちわの殿とのばら下総国しもつふさくにには、千葉介ちばのすけ常胤つねたね相馬そうま二郎師胤もろたね武石たけし三郎さぶらう胤盛たねもり国分こくぼ五郎ごらう胤通たねみちとう六郎ろくらう胤兼たねかぬ葛西かさい三郎さぶらう清重きよしげ・あふ・猿島さしま・大原・小原はら屋形やかたならさうらふなり。上野かうづけくにには、伊北いほう伊南いなん庁北ちやうほく庁南ちやうなん印東いんどう金岡かなをか小寺こでら深栖ふかず山上やまがみ・大こし・大室むろ上総かづさくにには、桐生きりう黒川くろかは多胡たんご片山かたやま新田につた園田そのだ玉村たまむら安房あはくにには、安西あんざい神余かなまる東条とうでう信濃しなのくにには、内藤ないとう片桐かたぎり・くろた・すわう・さいたう・村上むらかみ・井上・高梨たかなし海野うんの望月もちづき屋形やかたならべてさうらなり下野しもつけくにには、小山をやま宇都宮うつのみや結城ゆうき長沼ながぬま氏家うぢいへ塩谷しほのや木村きむら皆河みながは・あしから・まのたの人々、屋形やかたならさうらひぬ。相模さがみくにには、座間ざんま本間ほんま土屋つちや愛甲あいきやう土肥とひ二郎じらう父子ふし糟屋かすや藤五とうご渋谷しぶや・さとう・波多野はだの右馬丞むまのじよう岡崎をかざき三浦みうらの人々、伊豆いづくにには、入江いりえ藁科わらしな吉川きつかは船越ふなこし大森もり葛山かつらやま遠江とほたふみくにには、いしあま・しとつ、三川みかはくにには、設楽しだら中条ちゆうでう尾張をはりくにには、大宮司ぐうじみや四郎しらうせきの太郎、美濃みのくにには、高嶋たかしま・まつ井、近江あふみくにには、山本やまもと柏木かしわぎ・たつい・錦織にしごり・佐々木党ささきたう屋形やかたならさうらなり当番たうばんの人々には、結城ゆうきの七郎・河越かはごえ高坂たかさか大胡おうご・おしむろ・難波なんばの太郎・上総介かづさのすけ父子ふし屋形やかたならべしなり坂東ばんどう八か国、海道かいだう七か国のみにあらず、三年みとせ大番おほばん訴訟人そしようにんほどもの屋形やかた雲霞うんかごとくなり。さて、きみの御座所をばまんなかに、四角かく四面めん瑠璃るりべ、五十九間にかざられたり。面々おもおもひの屋形やかたづくり、色々(いろいろ)のまくもん金銀きんぎんをちりばみてこそかざられけれ。およ屋形やかたの数、二万五千三百八十にまんごせんさんびやくはちじふ余間よけんなりそうじて上下の屋形やかたかず十万八千間じふまんはつせんげんのきならべて小路をり、いらかならべてちたりけり。ひがしにそうたるは、梶原かじはら平三へいざう景時かげとき西にしのはづれは、左衛門さゑもんじよう祐経すけつね屋形やかたなり。幾程いくほどとこそおもひけん」。五郎ごらうきて、「さて、客人きやくじんは、何処いづくの国、如何いかなる人にてさうらひける」「備前びぜんくに住人ぢゆうにん吉備津宮きびつのみや王藤内わうとうない手越てごし少将せうしやう黄瀬川きせがは亀鶴かめづるならきて、酒盛さかもりなかばなりしにれ、祐成すけなりも、まひほどことなりつるに、おもてにあてて、広言くわうげんどもしつる無念むねんさよ。一刀かたなし、如何いかにもとおもひつるを、わ殿とのに命がしまれて、手ににぎりたるかたきのがしつるこそ、無念むねんなれ」。五郎ごらうきて、「これや、たからの山にりて、手をむなしくする風情ふぜいなり。うれしくも、おんこらへさうらものかな。あまさうらふべきにもさうらはず、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」とぞまうしける。

〜参考記事〜

国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室

https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ