8-4 屋敷に潜入したら、酒宴に誘われて踊ることに
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)五月二十八日、夕刻。鎌倉殿・源頼朝が主催する史上最大の軍事イベント「富士の巻狩り」は、ついにその運命の夜を迎えようとしていた。
降りしきる雨、轟く雷鳴。曾我兄弟はついに、ターゲットである工藤祐経の陣屋を特定した。だが、兄の十郎祐成は、逸る弟の五郎を制した。
「五郎、お前はここで待て。二人で行けば怪しまれる。俺が一人で潜入し、屋形の内部構造を把握してくる」
それは、復讐という名の「最終クエスト」の直前に、十郎が単身で敵の懐へ飛び込むという、心臓が止まるほどにスリリングな潜入ミッションの始まりだった。
「……よし、行ってくる」
曾我十郎祐成は、愛刀一振りを従者に持たせ、雨に煙る広大なキャンプ地へと歩み出した。そこは、源頼朝の旗の下に集結した東国武士たちの巨大なテント街。
それぞれの幕には家紋が誇らしげに染め抜かれ、紋章の博覧会だった。その中を歩いていた十郎の足が、ある陣屋の前でピタリと止まった。
(……なんだ、あれは?)
そこには、「二つ木瓜」の紋が打たれた幕があった。それは、曾我兄弟の本来の家系、伊東一族の由緒正しき家紋だ。伊東の正当な継承者は絶え、今やこの紋を掲げられる者などこの世にいないはず。十郎は幕の綻びから中を覗き見た。
……そこにいたのは、父の仇、工藤祐経だった。
(……汚らわしい。俺たちの家紋まで盗み、自分のものにしているのか。奴は土地だけでなく、俺たちの『血の誇り』まで奪い尽くしたというわけか……!)
その時、祐経の嫡男・犬房丸が十郎の姿に気づいた。
「父上! あそこに曾我の十郎が通っております!」
「ほう、十郎か。面白い、こちらへ呼べ」
逃げるわけにはいかない。十郎は覚悟を決め、陣屋の内へと足を踏み入れた。中では豪華な酒宴が繰り広げられていた。
工藤祐経、備前の大物である王藤内、絶世の美女と称される手越の少将、更には名高い遊女の黄瀬川の亀鶴。
「さあ十郎殿、こちらへ座られよ」
祐経が余裕の笑みで敷皮を指差す。十郎はそれを押し除け、末座に控えた。祐経の口から出たのは、耳を疑うような「善人ぶった言葉」だった。
「十郎殿。巷ではお前たちが私を仇と狙っているなどという噂があるが……。馬鹿げた話だ。あれは私のせいではない。お前たちの祖父、伊東祐親が私の所領を横領したから起きた悲劇なのだよ。私はむしろ被害者だ。だが、私は慈悲深い。従兄弟の息子であるお前たちのことは、息子のように思っているのだぞ?」
「どうだ、お前たちの馬は痩せ細っているそうじゃないか。伊東には名馬がたくさんいる。私に仕えるなら、領地も与えようし、馬の草飼い場も用意してやろう。……無駄な恨みなど捨てて、私の下で働かないか?」
十郎の拳が、直垂の下で震えた。
(……黙れ。父を殺した張本人が、どの口でそれを言う……!)
今すぐ盃を奴の面に叩きつけ、腰の「微塵」でその喉を掻き切りたい。だが、ここで仕損じれば、外で待つ五郎まで巻き添えになる。
「……お心遣い、痛み入ります」
十郎は、血の涙を飲んで微笑んだ。
「せっかくだ。十郎殿、お前は舞の名手だと聞いている。一曲舞ってくれ。客人たちへの接待だ」
祐経の強引な要求にもかかわらず、十郎は立ち上がり、扇をパッと広げた。
「君が住む 亀の深山の 滝つ瀬は……」
十郎は舞い始めた。しかし、その優雅な所作の裏側で、十郎の意識はフル稼働していた。
夜襲の際、どの入り口から突入すべきか。この柱の影は死角になるか。祐経が寝る場所はどこか。逃走経路に障害物はないか。
腕を差し、袖を翻すたびに、十郎の目は鋭く屋形の構造をスキャンしていった。半時ほどの舞。酔客たちは「見事な舞だ!」と喝采を送るが、彼らは気づいていない。それが、自分たちが数時間後に殺されるための「下見」であったことに。
十郎は舞い終えると、「夜勤の宿直の仕事がありますので」と嘘をついて、悠然と陣屋を後にした。
十郎はそのまま立ち去らず、陣屋の外の小柴垣に身を潜めた。中から、祐経と王藤内の話し声が漏れてくる。
「……祐経殿、本当にお前があの男たちの父親を殺したのか?」
王藤内が問う。
「ああ、そうだ。あの河津の三郎(兄弟の父)は、私の領地を奪った憎き男だった。だから刺客を送って消したのさ。……今の曾我の兄弟か? ははは! あんな貧乏浪人どもが、この私に挑もうなんて、蟷螂が斧を振って巨大な車を止めようとするようなものだ。クモが網を張って鳳凰を捕まえようとするようなものだよ。哀れなやつらだ、南無阿弥陀仏!」
祐経の高笑い。十郎の瞳に、冷酷な殺意が宿った。
(……決めた。一の太刀は工藤祐経。そして二の太刀は、一緒になって笑った王藤内、貴様だ)
五郎の元へ戻った十郎は、待っていた弟にすべてを伝えた。
「――待たせたな、五郎」
「兄上! 遅いですよ! まさか敵と酒を飲んでいたなんて!」
「落ち着け。……すべて見てきた。敵の配置も、屋形の構造も、すべて俺の頭の中に叩き込んである」
十郎は扇を開き、地面に富士キャンプ地の「地図」を描き出した。その規模は、都をも凌駕するスケールだった。
総建物数は 108,000間であり軒を並べた巨大な仮設都市だった。中央に四方を瑠璃で飾り、五十九間の広さの源頼朝の御座所。脇に北条時政、武田、里見、山名などの一門が本陣を固める。
東には梶原景時、和田、畠山、比企などの重臣軍団。
西の最果てに我らがターゲット、工藤祐経の屋形。
「……敵は、自分たちが十万の兵に守られていると過信している。さらに祐経は、俺たちをカマキリか何かのように侮っている。……これ以上の好機はない」
五郎は兄の報告を聞き、武者震いをした。
「宝の山に入って、手ぶらで帰る(逸って殺す)ことなく、完璧な偵察を遂げた……。さすがは兄上です。……いよいよですね」
「ああ。……南無阿弥陀仏。これが現世での、最後の酒宴だ」
深夜。富士の裾野を包んでいた霧が、激しい雨へと変わった。雷光が走るたび、二人の兄弟の影が巨大な岩のように地面に映し出される。
十郎は母の小袖を、五郎は魔剣『友切』を。十七年の怨念を詰め込んだ二人の「死神」が、十万の軍勢が眠るキャンプ地へと、音もなく滑り出していった。
曾我物語 巻第八(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔屋形まはりの事〕
道にて、十郎が申す様は、「御所は、屋形へ帰り給ふべし。二人つれては、人もあやしく思ひなん。祐成計行きて、屋形の案内見て帰らん」とて、太刀ばかり持たせ、屋形屋形をめぐりけり。思ひ思ひの幕の紋、心々の屋形の次第、中々 言葉も及ばれず。此処に、二つ木瓜の幕打ちたる屋形有り。誰が幕やらん、是は、我等が家の紋也、近き頃は、伊東の一門、御敵と成り滅びぬ、伊東と名乗る者無ければ、此の幕打つべき者無し、誰なるらんと、不思議にて立ち寄り、幕のほころびより見入れて見れば、敵左衛門が屋形なり。是は如何に、一木瓜の幕をこそ打つべきに、心得ぬ物かな、誠や、人々にあらず、知るを以て人とし、家家にあらず、何処を以てか家とす、つぐべきをばつがで、すずろなる曾我のなにがしと呼ばれぬる上は、家の紋入るべからず、祐経は、誠とやらん、我々が先祖の知行せし所領を知るに依りて、斯様に成り行く物をや、哀れ昔、斯様には無かりし物をと、見入れて通りけるに、 祐経が嫡子犬房見付けて、「只今、此の前を十郎殿通り候ふ」。左衛門聞きて、「玉井の十郎か、横山の十郎か」と問ふ。「曾我の十郎殿」と言ふ。「是は、祐経が屋形にて候ふ。立ち寄り給へ」と言はせければ、祐成、少しも憚らず、屋形の内へ入り見れば、手越の少将は、左衛門の尉が君と見えたり。黄瀬川の亀鶴は、備前の国吉備津宮の王藤内が君と見えたり。嫡子犬房に酌とらせ、酒盛しける折節也。幾程の栄華なるべき、今宵の夜半に引きかへん事の無慙さよと思ひながら、座敷にぞなほりける。祐経、敷皮をさりて、「是へ」と言ふ。十郎、「かくて候はん」とて、押しのけ居たり。祐経が初対面の言葉ぞこはかりける。「誠や、殿原は、祐経を敵と宣ふなる。努々 用ひ給ふべからず。人の讒言なりと覚えたり。差しあたる道理に任せて、人の申すも理なり。伊東は、嫡々 なる間、祐経こそもつべき所を、面々祖父伊東殿横領し、一所をも分けられざりしかば、一旦は恨むべかりしを、第一養父なり、第二に叔父なり、第三に烏帽子親也、第四に舅なり、第五に一族の中の老者なり、一方ならざるに依りて、こらへて過ぎしに、是は只、「高きにのぞみ上らざれ、賎しきをそしり笑はざれ」と言ふ本文を捨てて、我等を員外に思ひ給ふ故なり。面々の父河津殿、奥野の狩場帰りに打たれ給ひぬ。猟師多き山なれば、峰ごしの矢にやあたり給ひけん。又は、伊豆・駿河の人々、多く打ち寄り、相撲取りて、遊び給ひけるに、股野の五郎と勝負を争ひ、当座にて喧嘩に及びしを、御寮の御成敗に依り鎮まりぬ。然様の宿意にてもや、打たれ給ひけんを、在京したる祐経に掛けて、申されけるなれども、更に知らず。剰へ、祐経が郎等共、数多失ひぬ。其の時分、やがて対決を遂げたりせば、逃るべかりしを、幾程無くして、当御代と成りて、面々 親しき人々、皆御敵とてそんし給ひぬ。只祐経一人に成りて、遂に此の事さんだんせずしてやみぬ。然れば、只祐経がしたるに成りて、年月をへ候ふ。是、不祥と言ふも余り有り。よく聞き給へ、十郎殿」。祐成聞きて、とかく言ふに及ばず、只つしんで居たり。「是なる客人をば知り給ふにや」「今日始めて、見参に入り候へば、如何でか見知り奉るべき」「あれこそ、備前の国吉備津宮の王藤内とて、然る人なるが、今年七年、君の御不審を蒙り、所領召されて有りつるを、此の三が年、祐経取り継ぎ申しつる間、御免を蒙り、所領に安堵して、蒲原まで下り給ひぬるが、祐経に名残惜しまんとて、帰り給ふ。斯様に、他人にだにも、申し承れば、親しく成るぞかし。まして、殿原と祐経は、従兄弟甥と言ふ者なれば、今は親とも思ふべし。便宜然るべく候はば、上様へ申し入れ候ひて、奉公をも申し、一所賜はりて、馬の草かひ所をもし給へ。殿原は、祐経が思ひ奉る様には思ひ給はじ。北条は、つねに越えて遊び給へ共、何を恨みてか、更に伊豆へは見え給はず。しもたてぬ賢人せんよりも、我等にむつびて、若き者共に背かれずして坐しませ。面々の馬の様を見るに、やせ弱り候ふ。伊東に駒共数多候へば、乗り付けて乗り給へ。なましひに人の言ふ事について、祐経打たんと思ひ給はん事、今生にては適ふまじ。曾我殿原」とぞ広言しける。如何思ひけん、言葉をかへて言ひけるは、「酔狂の余り、言失仕ると覚えたり。今より始めて、互ひの遺恨をたやして、親子の契たるべし」とて、盃取り寄せ、客人なればとて、王藤内に始めさせ、其の盃、珍しさとて、十郎にさす。其の盃、少将にさす。其の盃、祐経にさす。其の盃、亀鶴にさす。其の盃を十郎にさす。酒を八分に受けて、思ひけるは、にくき敵の広言かな、身不肖なり、何事か有るべきと、思ひこなし、初対面に散々に言ひつるこそ、奇怪なれ、此の君共が耳こそ、東八か国の侍の聞く所、日頃は親の敵、只今は日の敵、襖に衣を重ねても、逃すべきにあらず、哀れ、受けたる盃、敵の面にいつ掛けて、一刀差し、如何にもならばやと、千度百度すすめども、心をかへて思ふ様、まてしばし、兄弟と言ひながら、祐成・時致は、父の敵に志深くして、一所にてとにもかくにもと契りしに、心はやりの儘に、祐成如何にもなるならば、五郎空しく搦められ、恨みん事こそ不便なれ、此処はこらふる所と思ひ鎮めて、止まりしは、情深くぞ覚えける。左衛門の尉、神ならぬ身の悲しさは、我を心にかくるとは、夢にも知らずして、「十郎殿、盃如何にほし給はぬ。御前達、数多坐しませば、肴待ち給ふと覚えたり。今様うたひ給へ」と言ひければ、二人の君、扇拍子を打ちながら、蓬莱山には千年ふる千秋万歳重なれり松の枝には鶴住み巖の上には亀遊ぶと言ふ一声を返し、二辺までこそうたひけれ。其の時、盃取り上げて、三度までこそほしたりけれ。其の土器祐経こうて、「方々は何とか思ひ給ふらん、知らねども、今日よりして、親子の契約有るべし。あの童めを弟と思し召され、汝も兄と思ひ奉れ。他人の悪しからんは、恨みにあらず。親しき中のうときをば、神明もにくみ給ふ事なれば、今より後、互ひに憚り有るべからず。其の御盃賜はりて、いはひ候はん。但し、所望候ふぞや。十郎殿は、乱拍子の上手と聞けども、未だ見ず。一つ舞ひ給へ。一つは客人の為、一つは祐経がいはひのあやにく、如何有るべき。御前達、面白く候ふ、はやはや」と攻めければ、犬房、はやしぞたてたりける。祐成、子細に及ばずして、持ちたる扇さつと開きて、「君がすむ亀のふか山の滝つ瀬は」と言ふ一声を上げて、しばし舞ひけるが、父に心を通はして、とやせん、かくやせんと、思ひ乱るる舞の手に、夜ふけば入り候ふべき道、つがひはづさん、長舞に、此処より入り、彼処にめぐらん、彼処はつまり、此処は通ひ路、忍びて入らば、音は立たじ、入る共知らじ、さす腕、袖の返しに目を使ひ、半時ばかりぞ舞ひたりける。座敷に連なる人々は、見知る証の無き儘に、興を催す計也。君共を始めとして、はやすも覚えぬ風情なり。かくて、十郎舞ひ入りければ、祐経、盃思ひ返しとて、十時に差したりければ、十郎取り上げ、三度ほして、扇取り直し、畏まつて申しけるは、「今宵は、是に御宿直申したく候へども、北条殿に申し合はする子細候ふ。いかさま、明日参りて、つねづね宿直申すべし」と、暇こうて出でにけり。祐成、案者第一の男なり、敵何とか言ふらんと思ひ、小柴垣に立ち隠れ聞く事は知らず、王藤内、「此の殿原の父をば、誠打ち給ひけるか」と問ふ。左衛門の尉聞きて、「今は、彼が聞かばこそ。以前、つぶさに申しつる様に、我等嫡孫にてもつべき所領を、彼等が祖父に横領せられぬ。某在京ながら、田舎の郎等共に申し付けて、彼等が父河津の三郎と言ひし者打たせしなり。人もやさぞ知りて候ふらん。此の者共の子孫、皆謀叛の者、君に失はれ奉り、今祐経一人に罷りなる。然れども、君不便の者に思し召され、先祖の所領拝領の上は、祐経に狭められ、思ひながらぞ候ふらん。彼が此の頃分限にて、祐経に思ひかからんは、蟷螂が斧を取りて、隆車に向かひ、蜘蛛が網をはりて、鳳凰をまつ風情也。哀れなる」とぞ申しける。王藤内聞きて、「其れこそ僻事よ。世に有る人は、所領財宝に心がとまり、思ふ事はとどこほるなり。然れば、寸の金を切る事無し。貧なる侍と鉄とは、あなづらぬ物をや。何とやらん、悪様に仰せつる時に、しきりに目を懸け奉り、刀の柄に手を掛け、片膝押したてつる時、事出で来ぬと見えしが、され共、色には少しも出ださず。よき兵かな」とぞほめたりける。左衛門の尉、是を聞き、「何程の事か仕るべき。竜ねぶりて、本体を現す。人酔ひて、本心を現す。思ふ事こそ言はれ候へ。南無阿弥陀仏」とぞ申しける。後に思ひ合はすれば、是や最後の念仏と、哀れにぞ覚えし。十郎、かく言ふを立ち聞きて、即ち、屋形への内に走り入り、如何にもならばやと思ひしか共、五郎に憂き身の惜しまれて、只空しくて帰りける、心の内こそ、無慙なれ。抑、只今の言葉共、よくよく思へば、只王藤内が言はする言葉也。今夜は、落ちば落とさんと思ひつれども、今の言葉の奇怪なれば、一の太刀には左衛門、二の太刀には王藤内と思ひ定めて、屋形よりこそ帰りけれ。 五郎、兄を待ち兼ねて、心許無くして、たたずみける所へ、十郎来たりて、「如何に待ちどほなるらん」。五郎聞きて、「然らぬだに、人を待は悲しきに、愚かにや思し召す」「祐成も、さ存ずるを、敵左衛門が屋形へ呼び入れられ、酒をこそのみたりつれ」「さて、如何に候ひける。便宜悪しく候ひけるか」「言ふにや及ぶ。乱舞の折節、哀れと思ひしかども、御分一所にこそと存じて、こらへつる志、推し量り給へ」。五郎も聞きて、「御ふちは然る事にて候へども、是程よりつかずして、心をつくす。便宜よく候はば、御うち候ふべき物を。さりながら、一太刀づつともどもに切りたく候ふぞかし。其の屋形の次第、道すがらの様、御覧じ候ひけるにや」「其の為、案内は、よく見おき候ひぬ。但し、屋形の数多くして、見知りたる人は、所々(ところどころ)にこそ候ひつれ」。扇開きてこそはかぞへけれ。「先づ、君の御屋形に並べて打ちたりしは、北条の四郎時政、御一門に、一条・板垣・逸見・武田・小笠原・南部・下山・山名・里見の人々、石山・やまかた・梶原、屋形並べて候ふなり。東には、和田・畠山・黒戸・姉崎・本田・榛沢・池辺・児玉・小沢・山口・丹・横山・紀清の両党・岡部・はんさう・金子・村山・むらおり・なかさや・おかはら・比企・中条・三田・むろの人々、屋形を並べて候ふなり。常陸の国には、佐竹・山内・志太・同地・鹿島・行方・こくは・宍戸・森山・ちちわの殿原、下総国の国には、千葉介常胤・相馬の二郎師胤・武石の三郎胤盛・国分の五郎胤通・東の六郎胤兼・葛西の三郎清重・あふ・猿島・大原・小原、屋形を並べ候ふなり。上野の国には、伊北・伊南・庁北・庁南・印東・金岡・小寺・深栖・山上・大こし・大室、上総の国には、桐生・黒川・多胡・片山・新田・園田・玉村、安房の国には、安西・神余・東条、信濃の国には、内藤・片桐・くろた・すわう・さいたう・村上・井上・高梨・海野・望月、屋形を並べて候ふ也。下野の国には、小山・宇都宮・結城・長沼・氏家・塩谷・木村・皆河・あしから・まのたの人々、屋形を並べ候ひぬ。相模の国には、座間・本間・土屋・愛甲・土肥の二郎父子・糟屋藤五・渋谷・さとう・波多野の右馬丞・岡崎・三浦の人々、伊豆の国には、入江・藁科・吉川・船越・大森・葛山、遠江の国には、いしあま・しとつ、三川の国には、設楽・中条、尾張の国には、大宮司・宮の四郎・関の太郎、美濃の国には、高嶋・まつ井、近江の国には、山本・柏木・たつい・錦織・佐々木党、屋形を並べ候ふ也。当番の人々には、結城の七郎・河越・高坂・大胡・おしむろ・難波の太郎・上総介父子、屋形を並べし也。坂東八か国、海道七か国のみにあらず、三年の大番、訴訟人と言ふ程の者の屋形、雲霞の如くなり。さて、君の御座所をばまん中に、四角四面に瑠璃を延べ、五十九間に飾られたり。面々思ひ思ひの屋形づくり、色々(いろいろ)の幕の紋、金銀をちりばみてこそ飾られけれ。凡そ屋形の数、二万五千三百八十余間也。総じて上下の屋形の数、十万八千間、軒を並べて小路を遣り、甍を並べて打ちたりけり。東にそうたるは、梶原平三景時、西のはづれは、左衛門の尉祐経が屋形なり。幾程とこそ思ひけん」。五郎聞きて、「さて、客人は、何処の国、如何なる人にて候ひける」「備前の国の住人吉備津宮の王藤内、手越の少将、黄瀬川の亀鶴を並べ置きて、酒盛半ばなりしに呼び入れ、祐成も、舞を舞ふ程の事なりつるに、面にあてて、広言共しつる無念さよ。一刀差し、如何にもと思ひつるを、わ殿に命が惜しまれて、手に握りたる敵を逃しつるこそ、無念なれ」。五郎聞きて、「是や、宝の山に入りて、手を空しくする風情なり。嬉しくも、御こらへ候ふ物かな。余し候ふべきにも候はず、南無阿弥陀仏」とぞ申しける。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




