8-3 富士の裾野は「三百万騎」の戦場
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)5月。鎌倉殿・源頼朝が主催する、国家規模の超巨大軍事イベント「富士の巻狩り」は、いよいよそのクライマックスを迎えようとしていた。
集まったのは、畠山重忠、和田義盛、千葉常胤……歴史の教科書に名を刻む武将たちが、自らの武力と財力を誇示するために富士の裾野を埋め尽くしている。
だが、この華やかな「祭典」の影で、十七年の時をかけて復讐の牙を研ぎ続けてきた二人の男――曾我十郎と曾我五郎が、ターゲットである工藤祐経の首を獲るために、暗殺のチャンスを虎視眈々と狙っていた。
「昨日までの狩場とは規模が違う。富士野は広大だ。勢子が足りなければ話にならん。梶原景季、全軍に触れを出せ!」
源頼朝の号令が飛んだ。富士の裾野に集結したのは、まさに「全東国の精鋭」。武蔵の国から畠山重忠、和田義盛、三浦義澄。下総・下野の国から千葉常胤、宇都宮朝綱。相模・甲斐の国からは松田、川村、武田信義。
さらに若手のエリート侍たちが四百五十人以上。総勢、弓を持ち馬に乗る侍だけでも「三百万騎」に達するのではないかという、異次元の軍勢が富士の野を埋め尽くした。
その日の頼朝の装備は、富士松の風折立烏帽子。柳色の狩衣。熊の皮の行縢。五尺を超える伝説の名馬・連銭葦毛。その先導を務めるのは、怪力無双の五郎丸。三人かかりでやっと持ち上がる巨大な鉄棒を、まるで箸のように軽々と振り回し、御馬の先に立っている。
狩りが始まると、各所で武功が挙げられた。畠山重保が二頭、宇都宮朝綱が五頭……と次々に鹿を仕留めていく中、一人、夕暮れ時まで一頭も獲物を得られない男がいた。葛西六郎清重である。
「……一頭も仕留められぬまま日は暮れぬ。何としても!」
その時、一頭の鹿が茂みから飛び出した。葛西は馬を飛ばし、崖を一気に下る。だが、運悪く馬が巨大な岩に乗り上げてしまった。四肢を震わせ、今にも馬諸共、谷底へ砕け散るかという絶体絶命の瞬間――!
葛西は手綱をあえて捨て、馬を自由にして背後へ飛び降りた。馬はそのまま転がり落ちたが、葛西は弓を岩角に突き立てて踏ん張り、無傷で生還した。この「神回避」に頼朝は感激し、その場で常陸の国の領地を三千七百町も与えたという。
さらに凄まじいのは、伊豆の住人・新田四郎忠綱だ。
彼は、体長約3メートルを超える巨大な「山の神」の化身ともいえる大猪と遭遇した。
「よし、新田! やれ、忠綱!」
頼朝の直接の激励を受け、新田は馬を寄せる。だが、大猪の突進力は凄まじく、馬諸共跳ね飛ばされた。次の瞬間、新田は驚くべき行動に出た。
馬から大猪の背中へと直接飛び移り、しかも「逆向き」に跨ったのである。荒れ狂う猪の尻尾を掴み、振り落とされそうになりながらも、新田は腰の刀を抜き、猪の肋骨を三枚まとめて突き通した。
「山の神」を屠ったその勇姿に、富士の裾野は割れんばかりの歓声に包まれた。
(だが、この時殺したのは山の神の使いだった。新田はこの夜、曾我十郎に遭遇して重傷を負い、後に謀叛の疑いをかけられ、二十七歳の若さで命を落とすという「呪い」を受けることになるのだが……それはまた後の話)
一方、もう一つの「修羅場」が起きていた。梶原景季(源太)が射た鹿に、畠山重保(六郎)が同時に矢を放った。
「その鹿は、景季が仕留めたものだ」
「心得ぬことを。私の矢一発で止まった鹿だ。主は私だ」
二人の若武者は、馬を寄せ合い、一触即発の睨み合いとなった。景季はあざ笑うように言った。
「恋路に迷う『隠し文』。それを送った者こそが、その女の主というものだ」
(先に矢を当てた俺が主だ、という比喩)
重保は即座に返す。
「例えが甘いな。想いを読みもせず、虚しく返される文など価値はない。返信を受け取った者こそが主だ」
(トドメを刺した俺が主だ、という反論)
「ほう。ならば、吉野や立田の紅葉を誘い出す『嵐』は主ではないのか?」
「嵐が誘っても、立田川に流れて止まる『水門』こそが本当の主だ。流し去るだけの嵐に権利はない」
和歌と比喩を駆使した高度な相論。しかし、ついに二人とも「言葉ではラチがあかない」と悟り、太刀の柄に手をかけた。周囲の武将たちも二派に分かれ、あわや富士の巻狩りは「内乱」へと発展しかけた。
「……義盛、鎮めよ」
頼朝の命を受け、和田義盛が大音声で割って入ったことで、ようやく事態は収束した。だが、この不穏な空気こそが、曾我兄弟が待ち望んでいた「隙」だった。
「……五郎。来たぞ。工藤祐経だ」
曾我兄弟は、雑踏に紛れ、ついに父の仇・工藤祐経を視界に捉えた。祐経の装束は派手そのもの。金糸を贅沢に使った竹笠を嵐に靡かせ、白覆輪の鞍に跨り、鹿を追い回している。
「――今日という今日こそ、あの首を!」
十郎と五郎は、馬を並べて祐経へと突進した。十郎は、かつて父・河津三郎が射られた時と同じ「鞍の端」の隙間を狙い、十三束の大矢をつがえる。
五郎もまた、祐経の首の骨を真っ二つに叩き斬らんと、至近距離まで肉薄する。
ターゲットは目の前。あと数歩。しかし、運命はあまりにも残酷な状況を叩き出した。
バキィッ!!
十郎の乗った馬が、草むらに隠れていた倒木に足を取られ、真っ逆さまに転倒したのである。十郎は卓越した体術で馬の頭を飛び越えて着地したが、その隙に、祐経は悠々と馬を飛ばして逃げ去ってしまった。
「…………っ!!」
五郎は呆然とした。あともう少しだった。十七年の執念が、あと一呼吸で届くはずだった。
「……兄上。……俺たちは、これほどまでに敵に縁がないのか。やはり貧乏人の復讐など、神は見放しているのか! ――いっそ、ここで自害して悪霊となり、あいつを取り殺してやる!」
泣き崩れる五郎。だが、十郎は泥まみれの体で立ち上がり、静かに弟の肩に手を置いた。
「五郎……待て。焦るな。泰山の雨だれは、いつか石を穿つ。井戸の縄は、いつか木の滑車を切る。水はノミではなく、縄はノコギリではない。だが、積み重ねる力が不可能なことを可能にするんだ。……今夜だ。今夜、命を賭ける時を待とう」
日は暮れ始めた。重く垂れ込めた雲が、富士の裾野を闇に包んでいく。その様子を近くで見ていたのが、鎌倉一の賢者・畠山重忠だった。重忠は、曾我兄弟の悲痛な失敗と、その瞳に宿る異様な殺気を見て、すべてを察した。
(……彼らは、今夜やるつもりだな。ならば、教えてやらねばなるまい。このチャンスを逃せば、明日、鎌倉殿は富士を離れる。……もう、二度とチャンスはないのだと)
重忠は、周囲に聞こえるように、しかし兄弟に向けて一首の和歌を詠み上げた。
「まだしきに 色づく山の 紅葉かな この夕暮れを 待ちて見よかし」
(まだ時期が早いのに色づいてしまった紅葉のようだ。……だが、焦るな。この『夕暮れ』が深まるのを待ってから、本番に挑むがいい)
そばにいた梶原景季が不審そうに問う。
「重忠殿。今の歌はどういう意味だ? まだ五月だというのに紅葉とは」
「……夕日の光が夏山に残っているのが、初紅葉のように見えただけですよ」
重忠は冷たくあしらったが、十郎はその「真意」を完璧に理解した。
(……畠山殿。……感謝します。……『今夜が最後だ、腹を決めろ』。そう仰るのですね)
夜。頼朝が井出の屋形に入り、各将たちがそれぞれの陣屋へと引き上げていく。富士の裾野には、激しい雷雨が降り始めた。
叩きつける雨音は、忍び寄る者の足音を消し、夜を切り裂く雷光は、刃の輝きを隠す。十郎と五郎は、粗末な柴の庵の中で、静かに武装を整えていた。
「兄上。準備はいいですか」
「ああ。……畠山殿も教えてくれた。今夜が、俺たちの十七年の終着駅だ」
十郎は、母から授かった白い小袖を直垂の下に着込んだ。五郎は、箱根で譲り受けた魔剣『友切』の柄を握りしめる。
建久四年五月二十八日、深夜。激しい雷鳴と共に、二人の影が闇へと溶けていった。
目指すは、工藤祐経の寝所。ついに、復讐のカウントダウンがゼロになる。
曾我物語 巻第八(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔富士野の狩場への事〕
御寮は、合沢の御所に坐しましける。梶原源太左衛門を召して、仰せ下されけるは、「昨日の狩場より、富士野はひろければ、勢子少なくては適ふまじ。其の由、相ふれよ」。承りて、人々にふれ、射手を揃へけり。先づ武蔵の国には、畠山の庄司次郎重忠、三浦和田の左衛門義盛、三浦介義澄、下総国の国には、千葉介、古郡左衛門兼忠、武田の太郎信義、下野の国には、宇都宮の弥三郎朝綱、横山の藤馬允、相模の国に、松田、川村の人々を先として、以上、三百余人なり。若侍には、畠山の二郎重保、梶原源太左衛門景季、朝比奈の三郎義秀、同じく彦太郎、御所の太郎、毛利の五郎、林の四郎、小山の三郎、葛西の六郎、板垣の弥三郎、本間の彦七、渋谷の小五郎、愛甲の三郎を始めとして、四百五十余人なり。総じて、弓持ち、馬に乗る侍、三百万騎も有るらんと見えし。其の後、勢子を山へ入れけるに、東は足柄の峰をさかひ、北は富士野裾野を限り、西は富士川を際として、引きまはされけり。勢子は、雲霞の如し。峰に上り、谷に下り、野干を平野に追ひ下し、思ひ思ひに射止めけり。御寮の其の日の御装束には、羅綺の重衣の富士松の、風折したる立烏帽子、御狩衣は柳色、大紋の指貫に、熊の皮の行縢、芝打長に召し、連銭葦毛なる馬の五尺に余りたるに、白鞍置かせ、厚総の鞦掛けてぞ召されたる。御剣の役、江戸の太郎、御笠の役は、豊島の新五郎、沓の役は、小山の五郎、御敷皮、金子の十郎なり。其の外、一人当千の兵六七百人、御馬まはりと見えたりし。其の中に、殊にすぐれて見えたりしは、五郎丸なり。萌黄威の胴丸に、一尺八寸の大刀差し、四尺八寸の太刀をはき、鉄の棒の、三人して持ちけるを、本かろげにつきて、御馬の先にぞ立ちたりける。御陣の左右には、和田・畠山、何も鷹をぞ据ゑさせける。馬うち静かにして、又並ぶ人無くぞ見えし。其の外、数千騎の出立、花ををり、月を招く装ひ、ひろき富士野も、所無く見えし。かくて、山より鹿共多く追ひ下ろし、思ひ思ひに止めて、御寮の御見参にぞ入れにける。畠山の六郎重保、左手右手に相付けて、鹿二頭止む。宇都宮は、五頭、一条・板垣、五頭、武田・小山の人々も、五頭こそ止めけれ。其の狩場の物数は、此の人々とぞ聞こえし。此処に、葛西の六郎清重、日の暮れ方に至るまで、鹿一頭も止めずして、勢子にもるる鹿もやと、しげみしげみに、目を懸けてまはりける折節、左手のしげみより、鹿一頭出で来たる。願ふ所と見渡せば、矢ごろに少しのびたり。鐙に鞭を打ち添へて、下り様にぞ落としける。既に二三段ぎり違へて、弓打ち上げて、引かんとする所に、思はぬ岩石に馬を乗り掛けて、四足一つに立て兼ねて、わななきてこそ立ちたりけり。下ろすべき様も無く、又上すべき所も無く、進退此処にきはまれり。上下万民、是を見て、只、「それそれを」とぞ申しける。今は、馬人諸共に、微塵に成るとぞ見えたりける。清重、手綱を静かに取り、とねりなしを結びおき、かがみの鞭を打ち添へて、二つ一つの捨て手綱はちて、後ろに下り立つたり。馬は、手綱を捨てられて、まなごと共に落ちて行く。主は、つきたる弓の本、岩角にゑりたてて、しばしこらへて、立ちなほる。諸人、目をこそ澄ましけれ。「乗りたり、下りたり、すへたりや、こらへたり」と、しばしなりも鎮まらず。君の、御感の余りにや、常陸の国小栗庄三千七百町下されけり。時の面目、日の高名、何事か是にしかんと、感ぜぬ人こそ無かりけれ。 斯かる所に、上のしげみより、鹿一頭出で来たり、梶原源太ひかへたる左手を取つてぞ下りける。景季、幸ひにやと喜びて、鹿矢を打ちつがひ、よつぴいてはなつ。おつさま、筋違ひに首を掛けずつつとぞ射抜きたる。され共、鹿は物ともせず、思ふしげみに飛び下り、二の矢を取つてつがひ、鞭打ち下す所に、伏木に馬を乗り掛けて、足並乱るる所に、下り立ちて馬ひつ立つ。其の隙に、畠山の六郎重保、馳せ並べて、よつぴいてはなつ。源太には、したたかにいられぬ。鹿は、少しも働かず、二つの矢にてぞ止まりける。重保、馬打ち寄せ見る所に、源太が馬も掛け寄せて、「其の鹿は、景季が止めて候ふぞ」。重保聞きて、「心得ぬ事を宣ふ物かな。鹿は、重保が矢一つにて止めたる鹿を、誰人か主有るべき」。源太、弓取り直し、あざ笑ひて申す様、「狩場の法定まれり。一の矢、二の矢の次第有り。矢目は二つもあらばこそ、一二の論も有るべけれ」。景季も、まさしく射つる物をとて見れば、実にも矢目は一つならでは無かりけり。さりながら、抑へて取らるる物ならば、時の恥辱に思ひければ、源太、大きに怒りをなし、「勢子の奴原は無きか。よりて此の鹿取れ」。重保も、駒打ち寄せ、「雑人は無きか。重保が止めたる鹿の皮たて」。源太も、然る者なりければ、少しもひるむ気色は無し。「臆したる奴原かな。景季が止めたる鹿の皮たて、書きて取れ」。重保、然らぬ体にて、駒掛けまはし、「雑色共は、など鹿をば取らぬぞ」と、はや事実なる詰論なり。源太、手綱かいくり、駒打ち寄せ、小声に成りて言ふ様、「恋路に迷ふ隠し文、遣る者こそ主候ふよ」。重保聞きて、「やさしく宣ふ例へかな。思ひの色の数、読まで空しく返すには、返し得たるぞ、主と成る」。源太打ち笑ひ、「吉野・立田の花紅葉、誘ふ嵐は主ならずや」。重保聞きて、「言はれずや、誘ふ嵐も其の儘に、遂につれて行かばこそと宣ふ。立田の川波に、ちりて雲は花の雪、紅葉の錦渡りなば、中や絶えなん、さりながら、流れてとまる所こそ、誠の主と思はるれ」「実に故有りて聞こえたる。波にもつれて行かばこそ。斯かる堰も、主なるべき」「堰も、止めはてばこそ。流れてとまる水門こそ、誠の主とは覚えたれ」。源太、此の言葉を打ち捨てて、「ふけ行く月の傾くをも、ながらむる者こそ主となれ」。重保聞きて、たからかに打ち笑ひ、「世界をてらす日月を、主と宣ふ、過分也」「過分は、人による物を、御分一人に帰すかと」。重保、たまらぬ男にて、「一人に帰すか、帰せざるか、手並の程を見せん」とて、既に矢をこそ抜き出だす。源太も、しらまぬ者なれば、「案の内よ」と言ふ儘に、既に中差抜き出だす。梶原が郎等は言ふに及ばず、時の綺羅並ぶ物無かりしかば、知るも知らぬも押しなべて、梶原方へぞ馳せ寄りける。三浦の人々も、是を見て、源太に意趣有る上は、秩父方へは所縁なり、みはなすまじとて、馳せ寄りける。いけの人、児玉の人々は、梶原方へぞ寄り来ける。みま・本間の人々は、秩父方へぞ与力する。駿河の国の人々は、梶原方へぞよりにける。伊豆の国の人々は、北条殿を先として、秩父方へぞ馳せ寄りける。安房と上総の侍は、二つにわれてよりにける。常陸・下総国の人々は、秩父方へぞ集まりける。東八ケ国のみにあらず、日本国中に知らるる程の侍、魚鱗に重なり、鶴翼に連なりて、ひたひしめきにひしめきける。畠山殿は、始めより知り給ひしが、如何思はれけん、知らぬ由にてぞ坐しましける。頼朝、是を御覧じて、「あれあれ、義盛、鎮め候へ」と仰せ下されければ、和田殿、両陣の間へ馬掛け入れ、「上意にて候ふぞ。鹿論の事、互ひに其の理有り。所詮、鹿をば上へ召され候ふ。両人御前へ参られよとの御諚にて候ふ」と、大音声にて言ひ、其の後、勢子を召し、彼の鹿をかかせ、六郎と源太と引きつれ、御前差して参られけり。扨こそ、両陣は破れにけり。危ふかりし事也。然ればにや、君の御恵みあまねく、御哀れみの深くして、事鎮まりぬ。 曾我の人々は、哀れ、事の出で来たれかし、方人する風情にて、狙ひ寄りて、一刀差さんとて思ひける。かくて、日も暮れ方になりしかば、今日を限りと、傾く日影を惜しみける。此処に、伊豆の国の住人新田の四郎忠綱、未だ鹿にあはずして、落ち来る鹿を相待所に、幾年ふる共知らざる猪が、ふし草かか十六つきたるが、主をば知らぬ鹿矢共、四五立つたりしが、大きにたけつて掛けまはる。例へば、養由が術弓、李廣しんへんも、及ぶべしとは見えざりけり。近付く者をたければ、落ちあふ者も無くして、徒らに中をあけてぞ通しける。忠綱、是を幸ひと掛け寄せけり。御前ちかうなりければ、「よしや、新田、よしや、忠綱」とぞ仰せ下されけり。人もこそ多き中に、斯様の御諚かうむる事、生前の面目、何事か是にしかんと存ずる間、鉄銅をまろめたる猪なりとも、余さじ物をと思ひければ、大の鹿矢を抜き出だし、只一矢に問ひ来てはなつ所に、矢よりも先に飛び来たり、乗りたる馬を主共に中にすくうて投げ上げ、落ちば掛けんとする所に、適はじとや思ひけん、弓も手綱も打ち捨てて、向かう様にぞ乗り移る。され共、逆様にこそ乗りたりけれ。鹿は乗られて、腹をたて、馬を彼処へ掛け倒し、雲霞に分け入りて、虚空をとんでまはりしは、周の穆王、釈尊の教法を聞かんと、八匹の駒に鞭を上げ、万里の道、刹那に飛び付きしも、是には如何で勝るべき、新田は、習ひし綱の様、腰もきれよとはさみ付け、尾筒を手綱に取り、楽天の伝へし三頭、王良が秘せし手綱、是なりけりと、こらへけれ共、詮方無くぞ見えたりけり。鹿は、いよいよたけりをかき、木の下、草の下、岩、岩石を嫌はずして、宙に取つてまはりしかば、烏帽子・竹笠・沓・行縢、一度にきれて落ちにけり。大童に成りて、只落ちじとばかりぞこらへける。大きに猛き猪も、数多手はおひぬ。新田が威にやおされけん、御前近き枯株に、つまづき弱る所に、過たず腰の刀なを抜き、胴中につきたて、肋骨二三枚かき切りければ、鹿は、四足を四五寸土に踏み入れて、立ちずくみにこそなりにけれ。新田は、急ぎ飛び下りて、数の止めをさす。上下の狩人、是を見て、「前代未聞の振舞ひかな。面白くも止めたり。乗りも乗りたり、こらへたり」と、感ぜぬ者こそ無かりけれ。君も、此の由御覧じて、「狩場の内の高名は、是にしかじ」と、御感有り。富士の下方にて、五百余町を賜はりにけり。勢余りてぞ見えし。然れども、此の鹿は、富士の裾、かくれいの里と申す所の、山の神にてぞ坐しましける。凡夫の身の悲しさは、夢にも是を知らずして、止めにけり、御咎めにや、やがて、其の夜、曾我の十郎に打ち合ひ、数多手負ひ、危ふかりし命、幾程無くて、田村の判官が謀叛同意の由、讒言せられて、打たるべかりしを、重保に付き申し開き、御目にかからんとて、参じける折節、召しの御馬離れたりしが、御庭狭しと馳せまはる。日本一の荒馬なれば、追ひまはす人々、是を見て、「よしや、新田、取れや、忠綱、縄を掛けよ、過ちすな」と、声々(こゑごゑ)に呼ばはりて、庭上騒動す。新田が郎等、門外に集まりて、「我等が主、只今搦め取らるるぞや。主の打たるるを捨てて、何処まで逃るべき」とて、思ひ切りたる兵二三十人抜きつれて、御前差してきつて入る。新田が運の極め也。御所方の人々、是を見て、「新田が謀叛誠也。余すな、方々(かたがた)」とて、日番・当番の人々出で合ひて、火出づる程こそ戦ひけれ。御所方の人々、数多打たれしかば、新田が陳法逃れずして、二十七にて打たれけり。不便なりし事共なり。是も、しかしながら、富士の裾野の猪の咎めなりと、舌をまかぬは無かりけり。 梶原源太左衛門景季は、未だ鹿にあはずして、落ち来る鹿を待ち掛けつつ、掛け並べ、よつぴきてはなつ。され共、上を遙かに射こして通しけり。景季、取り敢へずかくこそ申しけれ。夏草のしげみが下を行く鹿のそての横矢は射にくかりける君聞こし召して、神妙なりとて、是も富士の裾野百余町をぞ賜はりけり。人々、是を見聞きて、「鹿射はづし、歌詠みてだに、恩賞に預かる。まして、よく止めたらん輩は如何に」とぞ申しける。御寮は、左衛門の尉祐経を召して、「不審なる事有り、用心せよ」と仰せ下されければ、畏まり存じ候ふ由を申しける。此処に、梶原源太景季、侍の所司にて、総奉行なる上、わざん第一の者にて、上の御諚を承り、曾我の人々を近付けて申しけるは、「神妙に御供申されて候ふ。奉公は、いづれも同じ事、御宿に、大事の御物の具有り。留守の御宿直申されよ。いか様、今度鎌倉へ入らせ坐しまして、御免蒙り給ふべし。奉公心に入れられよ。」と申しければ、祐成、是非に及ばずして、「畏まり入り候ふ。よき様に御申候へ。頼み奉る」とぞ、返事しける。源太、重ねて申す様、「御給仕に依りて、本領子細あらじと存じ候ふ」と言ひてこそ、帰りにけれ。時致、是を聞きて、「哀れ、源太、我々(われわれ)をすかさんと思ひたる気色の差し現れたる奴かな。蛇は一寸を出だして、其の大小を知り、人は一言を以て、其の賢愚を知る。狐の子は、子狐より、父が孫を継ぎて、此の冠者が面の白さよ。いつの奉公に依りてか、御気色もよかるべき。定めて、御寮の仰せには、其の冠者原は、誰が許して、狩場へは出でけるぞ。よくよくすかし置きて、首をきれとの御諚か、流罪せよとの仰せにてぞ有るらん。実にや、古き言葉を案ずるに、国の賢を以て興し、へつらひを以て衰ふ。君は忠もて安じ、偽りを以て危ふし。人は、たくみにして偽らむよりも、つたなうして誠有るにはしかず。此の者の振舞ひ・言葉、世のわづらひともなりぬべし。其の上、奉公申すべき為ならず。哀れ、身に思ひだに無かりせば、此の冠者が面、一太刀きつて慰まんずる物を」とぞ申しける。さて、兄弟は、見えがくれにつれつ離れつ、心をつくし狙ひけるこそ、無慙なれ。十郎が其の日の装束には、萌黄にほひの裏打ちたる竹笠、村千鳥の直垂に、夏毛の行縢脇深く引きこうで、鷹うすべうの鹿矢、筈高に取つて付け、重籐の弓のまん中取り、葦毛なる馬に、貝鞍置きてぞ乗りたりけり。五郎が其の日の装束には、薄紅にて裏打つたる平紋の竹笠、まぶかにきて、唐貲布に、蝶を三つ二つ所々(ところどころ)に付けたる直垂に、紺小袴、秋毛の行縢、たぶやかにはき下し、鶴の本白の征矢、筈高に追ひ成し、二所籐の弓のまん中取り、鹿毛なる馬に、蒔絵の鞍を聞きて乗りたり。遙かに遠く敵を見付けて、十郎に告げ、互ひに、心を通はしけり。人は皆、鹿に心を入れ、如何にもして、上の見参に入らんと、峰に上り、谷に下り、野を分け、里を尋ねけれ共、余所目如何と思ひしに、勢子を破りて、鹿こそ三頭出で来たりけれ。是は如何にと見る所に、彼の祐経こそ、おつすがひては落としけれ。其の日の装束、花やかなり。浮線綾の直垂に、大斑の行縢に切斑の矢おひ、吹寄籐の弓のまん中取り、金紗にて裏打ちたる浮紋の竹笠、嵐にふき靡かせ、くろき馬の太くたくましきに、白覆輪の鞍置きてぞ乗りたりける。馬も聞こふる名馬なり、主も究竟の乗り手なり。三つ有る鹿に隔たりぬ。馬の掛け場もよかりける。十郎、是を見て、「此の鹿は、埒の外に、勢子を破りて落ち来たるにや、追つ返して奉らん」とて、十三束の大の中差取りてつがひ、矢所多しと雖も、奥野の狩の帰り様に、父の射られけん鞍の山形の端、行縢の引き合はせ、むくいの知らする恨みの矢、余の所をば言ふべからず。如何なる金山鉄壁とも、志のなどか通らざらんと、左手になしてぞ下りける。五郎も、同じく中差取りてつがひ、左衛門の尉が首の骨に目を懸け、大磐石を重ねたりと言ふとも、などかきつて捨てざらんと、鞭に鐙をも見添へて、右手に相付け馳せ並べ、三つ有る鹿と左衛門をまん中に取り込め、矢先を左衛門に差し当てて、引かんとする所に、祐経がしばしの運や残りけん、祐成が乗りたる馬を、思はぬ伏木に乗り掛けて、真逆様にころびけり。過たず弓の本をこして、馬の頭に下り立つたり。五郎は、是を知らずして、矢筈を取り立ち上がりける。兄の有様一目見て、目もくれ、心も消えにけり。此の隙に、敵は、遙かに馳せのびぬ。鹿をも、人に射られけり。五郎、空しく引き返し、急ぎ馬より下り立つて、兄を介錯しける心の内こそ悲しけれ。「哀れ、実に我等程、敵に縁無き者あらじ。只今は、さりともとこそ思ひしに、馬強かりせば、斯様には成り行かじ。是も、只貧より起こる事なり。人を恨むべきにもあらず。適はぬ命ながらへて、物を思はんよりも、自害して、悪霊死霊にも成りて、本意を遂げん」とぞ悲しみける。十郎、是を聞きて、「暫く待ち給へ。夫れ泰山の霤は、石をうがつ。つるべのなわは、幹を立つ。水は、石鑽にあらず。索は、木の鋸にあらず。せんひのしからしむる所なり。只心を述べて、功をつみ給へ。今宵は命を待ち給へ」とて、馬引き寄せ打ち乗りけり。 其の後は、人々如何に見るらんとて、十郎かくれば、五郎ひかへ、五郎行けば、十郎止まり、余所目をも包みけりは、時移り、事のび行きければ、其の日も、既に暮れなんとす。畠山殿は、程近く坐しませば、兄弟の有様をつくづくと御覧じて、今まで本意を遂げぬぞや、哀れ、平家の御代と思はば、などか矢一つ訪はざらん。当君の御代には、斯様の事も適はず、重忠も、若き子供を持ちぬれば、人の上とも思はずして、誠無慙に覚えたり。梶原触状には、明日、鎌倉へ入らせ給ふべきなれば、今宵、打たでは適ふまじ、此の由知らせんと思ひ給へども、人々数多有りければ、歌にてぞ弔ひ給ひける。まだしきに色づく山の紅葉かな此の夕暮を待ちて見よかしとながめ給ひて、涙ぐみ給ひけり。折節、梶原源太左衛門がちかうひかへたりしが、「何事にや、曾我の殿原に、「まだしきに色づく」と詠じ給ふは、心得ず」。重忠聞きて、「夏山に夕日影の残る、風情、初紅葉に似ずや。此の夕暮こそ、猶も移り行かば、誠秋にや成り行かん」。源太は、猶も言葉有り顔なりしを、君より急ぎ召されしかば、掛け通るとて、「重忠の御歌の不審残りて」と言ひながら、馳せ付きければ、人々聞きて、「今に始めぬ梶原が和讒とは言ひながら、殊にかかりて見えぬるをや」と申し合ひける。重忠仰せけるは、「「命を養ふ者は、病の先に薬を求め、代ををさむる者は、乱れの先に賢を習ふ」と、さんふろんに見えたり。其れまでこそ無くとも、斯様のえせ者を近く召し使ひて、末の世如何」とぞ仰せける。其の後、曾我の人々を近付けて、「今夜、重忠が所へ坐しませ。歌の物語申さん」と宣へば、畏まり存ずる由、返事して、十郎、弟に言ひけるは、「畠山殿は、情を以て、はや、此の事を知り給ひけるぞや。「耳を信じて、目を疑ふ者は、耳の常の弊なり。尊みて、近付くを賎しむる者は、人の常の情」と、抱朴子に見えたり。然れば、歌の心は如何に」と問へば、「知らず」と言ふ。十郎は、万に情深くして、歌の心をえたり。「「思ふ事あらば、今宵限り」と告げ給ふぞや。君は明日、伊豆の国府、明後日、鎌倉へ入らせ坐します由、其の聞こえ有り。思ひ定め給ふべき」と言ふ。「珍しくも思ひ定め候ふべきか」「申すにや及ぶ」とぞ申しける。元来剛なる時宗が、重忠にいさめられ、いよいよ今宵を限りとぞ定めける。予てより思ひ定めし事なれ共、差しあたりての心細さ、思ひ遣られて無慙なる。日暮、君、井出の屋形へ入り給ひしかば、国々の大名・小名、御供してぞ帰りける。曾我の兄弟も、人なみなみに、柴の庵へぞ帰りける。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




