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新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚 〜  作者: 条文小説


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8-3 富士の裾野は「三百万騎」の戦場

挿絵(By みてみん)


 曽我物語そがものがたりは、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia

 建久四年(1193年)5月。鎌倉殿・源頼朝が主催する、国家規模の超巨大軍事イベント「富士の巻狩り」は、いよいよそのクライマックスを迎えようとしていた。


 集まったのは、畠山重忠、和田義盛、千葉常胤……歴史の教科書に名を刻む武将たちが、自らの武力と財力を誇示するために富士の裾野を埋め尽くしている。


 だが、この華やかな「祭典」の影で、十七年の時をかけて復讐の牙を研ぎ続けてきた二人の男――曾我十郎と曾我五郎が、ターゲットである工藤祐経の首を獲るために、暗殺のチャンスを虎視眈々と狙っていた。


 「昨日までの狩場とは規模が違う。富士野は広大だ。勢子が足りなければ話にならん。梶原景季、全軍に触れを出せ!」


 源頼朝の号令が飛んだ。富士の裾野に集結したのは、まさに「全東国の精鋭」。武蔵の国から畠山重忠、和田義盛、三浦義澄。下総・下野の国から千葉常胤、宇都宮朝綱。相模・甲斐の国からは松田、川村、武田信義。


 さらに若手のエリート侍たちが四百五十人以上。総勢、弓を持ち馬に乗る侍だけでも「三百万騎」に達するのではないかという、異次元の軍勢が富士の野を埋め尽くした。


 その日の頼朝の装備は、富士松の風折立烏帽子。柳色の狩衣。熊の皮の行縢むかばき。五尺を超える伝説の名馬・連銭葦毛。その先導を務めるのは、怪力無双の五郎丸。三人かかりでやっと持ち上がる巨大な鉄棒を、まるで箸のように軽々と振り回し、御馬の先に立っている。


 狩りが始まると、各所で武功が挙げられた。畠山重保が二頭、宇都宮朝綱が五頭……と次々に鹿を仕留めていく中、一人、夕暮れ時まで一頭も獲物を得られない男がいた。葛西六郎清重である。


「……一頭も仕留められぬまま日は暮れぬ。何としても!」


 その時、一頭の鹿が茂みから飛び出した。葛西は馬を飛ばし、崖を一気に下る。だが、運悪く馬が巨大な岩に乗り上げてしまった。四肢を震わせ、今にも馬諸共、谷底へ砕け散るかという絶体絶命の瞬間――!


 葛西は手綱をあえて捨て、馬を自由にして背後へ飛び降りた。馬はそのまま転がり落ちたが、葛西は弓を岩角に突き立てて踏ん張り、無傷で生還した。この「神回避」に頼朝は感激し、その場で常陸の国の領地を三千七百町も与えたという。


 さらに凄まじいのは、伊豆の住人・新田四郎忠綱だ。

 彼は、体長約3メートルを超える巨大な「山の神」の化身ともいえる大猪と遭遇した。


「よし、新田! やれ、忠綱!」


 頼朝の直接の激励を受け、新田は馬を寄せる。だが、大猪の突進力は凄まじく、馬諸共跳ね飛ばされた。次の瞬間、新田は驚くべき行動に出た。


 馬から大猪の背中へと直接飛び移り、しかも「逆向き」に跨ったのである。荒れ狂う猪の尻尾を掴み、振り落とされそうになりながらも、新田は腰の刀を抜き、猪の肋骨を三枚まとめて突き通した。


 「山の神」を屠ったその勇姿に、富士の裾野は割れんばかりの歓声に包まれた。


 (だが、この時殺したのは山の神の使いだった。新田はこの夜、曾我十郎に遭遇して重傷を負い、後に謀叛の疑いをかけられ、二十七歳の若さで命を落とすという「呪い」を受けることになるのだが……それはまた後の話)


 一方、もう一つの「修羅場」が起きていた。梶原景季(源太)が射た鹿に、畠山重保(六郎)が同時に矢を放った。

 

「その鹿は、景季が仕留めたものだ」


「心得ぬことを。私の矢一発で止まった鹿だ。主は私だ」


 二人の若武者は、馬を寄せ合い、一触即発の睨み合いとなった。景季はあざ笑うように言った。


「恋路に迷う『隠し文』。それを送った者こそが、その女の主というものだ」

(先に矢を当てた俺が主だ、という比喩)


 重保は即座に返す。


「例えが甘いな。想いを読みもせず、虚しく返される文など価値はない。返信を受け取った者こそが主だ」

(トドメを刺した俺が主だ、という反論)


「ほう。ならば、吉野や立田の紅葉を誘い出す『嵐』は主ではないのか?」


「嵐が誘っても、立田川に流れて止まる『水門みなと』こそが本当の主だ。流し去るだけの嵐に権利はない」


 和歌と比喩を駆使した高度な相論レスバ。しかし、ついに二人とも「言葉ではラチがあかない」と悟り、太刀の柄に手をかけた。周囲の武将たちも二派に分かれ、あわや富士の巻狩りは「内乱」へと発展しかけた。


「……義盛、鎮めよ」


 頼朝の命を受け、和田義盛が大音声で割って入ったことで、ようやく事態は収束した。だが、この不穏な空気こそが、曾我兄弟が待ち望んでいた「隙」だった。


 「……五郎。来たぞ。工藤祐経だ」


 曾我兄弟は、雑踏に紛れ、ついに父の仇・工藤祐経を視界に捉えた。祐経の装束は派手そのもの。金糸を贅沢に使った竹笠を嵐に靡かせ、白覆輪の鞍に跨り、鹿を追い回している。


「――今日という今日こそ、あの首を!」


 十郎と五郎は、馬を並べて祐経へと突進した。十郎は、かつて父・河津三郎が射られた時と同じ「鞍の端」の隙間を狙い、十三束の大矢をつがえる。


 五郎もまた、祐経の首の骨を真っ二つに叩き斬らんと、至近距離まで肉薄する。

 

 ターゲットは目の前。あと数歩。しかし、運命はあまりにも残酷な状況を叩き出した。


 バキィッ!!


 十郎の乗った馬が、草むらに隠れていた倒木に足を取られ、真っ逆さまに転倒したのである。十郎は卓越した体術で馬の頭を飛び越えて着地したが、その隙に、祐経は悠々と馬を飛ばして逃げ去ってしまった。


「…………っ!!」


 五郎は呆然とした。あともう少しだった。十七年の執念が、あと一呼吸で届くはずだった。


「……兄上。……俺たちは、これほどまでに敵に縁がないのか。やはり貧乏人の復讐など、神は見放しているのか! ――いっそ、ここで自害して悪霊となり、あいつを取り殺してやる!」


 泣き崩れる五郎。だが、十郎は泥まみれの体で立ち上がり、静かに弟の肩に手を置いた。


「五郎……待て。焦るな。泰山たいざんの雨だれは、いつか石を穿つ。井戸の縄は、いつか木の滑車を切る。水はノミではなく、縄はノコギリではない。だが、積み重ねる力が不可能なことを可能にするんだ。……今夜だ。今夜、命を賭ける時を待とう」


 日は暮れ始めた。重く垂れ込めた雲が、富士の裾野を闇に包んでいく。その様子を近くで見ていたのが、鎌倉一の賢者・畠山重忠だった。重忠は、曾我兄弟の悲痛な失敗と、その瞳に宿る異様な殺気を見て、すべてを察した。


(……彼らは、今夜やるつもりだな。ならば、教えてやらねばなるまい。このチャンスを逃せば、明日、鎌倉殿は富士を離れる。……もう、二度とチャンスはないのだと)


 重忠は、周囲に聞こえるように、しかし兄弟に向けて一首の和歌を詠み上げた。


「まだしきに 色づく山の 紅葉かな この夕暮れを 待ちて見よかし」

(まだ時期が早いのに色づいてしまった紅葉のようだ。……だが、焦るな。この『夕暮れ』が深まるのを待ってから、本番に挑むがいい)


 そばにいた梶原景季が不審そうに問う。


「重忠殿。今の歌はどういう意味だ? まだ五月だというのに紅葉とは」


「……夕日の光が夏山に残っているのが、初紅葉のように見えただけですよ」


 重忠は冷たくあしらったが、十郎はその「真意」を完璧に理解した。


(……畠山殿。……感謝します。……『今夜が最後だ、腹を決めろ』。そう仰るのですね)


 夜。頼朝が井出の屋形に入り、各将たちがそれぞれの陣屋へと引き上げていく。富士の裾野には、激しい雷雨が降り始めた。


 叩きつける雨音は、忍び寄る者の足音を消し、夜を切り裂く雷光は、刃の輝きを隠す。十郎と五郎は、粗末な柴の庵の中で、静かに武装を整えていた。


「兄上。準備はいいですか」


「ああ。……畠山殿も教えてくれた。今夜が、俺たちの十七年の終着駅だ」


 十郎は、母から授かった白い小袖を直垂の下に着込んだ。五郎は、箱根で譲り受けた魔剣『友切』の柄を握りしめる。


 建久四年五月二十八日、深夜。激しい雷鳴と共に、二人の影が闇へと溶けていった。

 

 目指すは、工藤祐経の寝所。ついに、復讐のカウントダウンがゼロになる。




曾我物語 巻第八(明治四十四年刊 國民文庫本)




 〔富士野ふじの狩場かりばへのこと


 御寮れうは、合沢あひざは御所ごしよしましける。梶原かぢはら源太げんだ左衛門さゑもんして、おほくだされけるは、「昨日きのふ狩場かりばより、富士野はひろければ、勢子せこすくなくてはかなふまじ。よしあひふれよ」。うけたまはりて、人々にふれ、射手いてそろへけり。武蔵むさしくにには、畠山はたけやま庄司しやうじ次郎じらう重忠しげただ三浦みうら和田わだ左衛門さゑもん義盛よしもり三浦介みうらのすけ義澄よしずみ下総国しもつふさくにには、千葉介ちばのすけ古郡ふるこほり左衛門さゑもん兼忠かねただ武田たけだ太郎信義のぶよし下野しもつけくにには、宇都宮うつのみや弥三郎やさぶらう朝綱ともつな横山よこやま藤馬允とうまのじよう相模さがみくにに、松田まつだ、川村の人々をさきとして、以上、三百余人よにんなり。若侍わかさぶらひには、畠山はたけやま二郎じらう重保しげやす梶原かぢはら源太げんだ左衛門さゑもん景季かげすゑ朝比奈あさいな三郎さぶらう義秀よしひでおなじく彦太郎ひこたらう御所ごしよの太郎、毛利もり五郎ごらうはやし四郎しらう小山をやま三郎さぶらう葛西かさい六郎ろくらう板垣いたがき弥三郎やさぶらう本間ほんま彦七ひこしち渋谷しぶや小五郎ごらう愛甲あいきやう三郎さぶらうはじめとして、四百五十余人よにんなり。そうじて、弓持ち、うまさぶらひ、三百万騎もるらんとえし。の後、勢子せこを山へれけるに、東は足柄あしがらみねをさかひ、北は富士野裾野すそのかぎり、西は富士川ふじがはきはとして、きまはされけり。勢子せこは、雲霞うんかごとし。みねのぼり、たにくだり、野干やかん平野ひらのくだし、おもおもひにとどめけり。御寮れうの日の御装束しやうぞくには、羅綺らき重衣ちようい富士松ふじまつの、風折かざをりしたる立烏帽子たてえぼし御狩衣かりぎぬやなぎ色、大紋もん指貫さしぬきに、くまかは行縢むかばき芝打長しばうちながし、連銭葦毛れんぜんあしげなるうま五尺しやくあまりたるに、白鞍しろくらかせ、厚総あつぶさしりがひけてぞされたる。御剣けんやく江戸えどの太郎、御笠かさやくは、豊島としま新五郎ごらうくつやくは、小山をやま五郎ごらう御敷皮しきがは金子かねこの十郎なり。ほか一人いちにん当千たうぜんつはもの六七百人、御馬まはりとえたりし。の中に、ことにすぐれてえたりしは、五郎丸ごらうまるなり。萌黄威もよぎをどし胴丸どうまろに、一尺しやく八寸すん大刀差し、四尺しやく八寸すんの太刀をはき、くろがねぼうの、三人してちけるを、もとかろげにつきて、御馬のさきにぞちたりける。御陣ぢん左右さうには、和田わだ畠山はたけやまいづれたかをぞゑさせける。むまうちしづかにして、またなら人無くぞえし。ほか、数千騎の出立いでたちはなををり、月をまねよそほひ、ひろき富士野も、所無えし。かくて、山より鹿しか共多おほろし、おもおもひにとどめて、御寮れう御見参ごげんざんにぞれにける。畠山はたけやま六郎ろくらう重保しげやす左手ゆんで右手めてあひけて、鹿しか二頭かしらとどむ。宇都宮うつのみやは、五頭かしら一条いちでう板垣いたがき五頭かしら武田たけだ小山をやまの人々も、五頭かしらこそとどめけれ。狩場かりば物数かずは、の人々とぞこえし。此処ここに、葛西かさい六郎ろくらう清重きよしげ、日のがたいたるまで、鹿しか一頭かしらとどめずして、勢子せこにもるる鹿しかもやと、しげみしげみに、けてまはりける折節をりふし左手ゆんでのしげみより、鹿しか一頭かしらたる。ねがところわたせば、ごろにすこしのびたり。あぶみむちへて、くださまにぞとしける。すで二三段だんぎりちがへて、ゆみげて、かんとするところに、おもはぬ岩石がんぜきに馬をけて、四足あしひとつにねて、わななきてこそちたりけり。ろすべきやうく、またのぼすべきところく、進退しんだい此処ここにきはまれり。上下万民ばんみんこれて、ただ、「それそれを」とぞまうしける。今は、馬人諸もろともに、微塵みぢんるとぞえたりける。清重きよしげ手綱たづなしづかにり、とねりなしをむすびおき、かがみのむちへて、ふたひとつの手綱たづなはちて、うしろにつたり。馬は、手綱たづなてられて、まなごとともちてく。ぬしは、つきたる弓のもと岩角いはかどにゑりたてて、しばしこらへて、ちなほる。諸人しよじん、目をこそましけれ。「りたり、りたり、すへたりや、こらへたり」と、しばしなりもしづまらず。きみの、御感ぎよかんあまりにや、常陸ひたちくに小栗庄おぐりのしやう三千七百町ちやうくだされけり。時の面目めんぼく、日の高名かうみやう何事なにごとこれにしかんと、かんぜぬ人こそかりけれ。 かるところに、うへのしげみより、鹿しか一頭かしらたり、梶原かぢはら源太げんだひかへたる左手ゆんでつてぞくだりける。景季かげすゑさいはひにやとよろこびて、鹿矢ししやちつがひ、よつぴいてはなつ。おつさま、すぢちがひにくびけずつつとぞきたる。されども鹿しかものともせず、おもふしげみにくだり、二の矢をつてつがひ、むちくだところに、伏木ふしきむまけて、足並あしなみみだるるところに、ちてうまひつつ。の隙に、畠山はたけやま六郎ろくらう重保しげやすならべて、よつぴいてはなつ。源太げんだには、したたかにいられぬ。鹿ししは、すこしもはたらかず、ふたつのにてぞとどまりける。重保しげやすうまところに、源太げんだが馬もせて、「鹿ししは、景季かげすゑとどめてさうらふぞ」。重保しげやすきて、「こころことのたまものかな。鹿ししは、重保しげやすひとつにてとどめたる鹿しかを、誰人たれびとぬしるべき」。源太げんだ弓取なほし、あざわらひてまうやう、「狩場かりばほふさだまれり。いちの矢、二の次第しだいり。矢目やめふたつもあらばこそ、一二のろんるべけれ」。景季かげすゑも、まさしくつるものをとてれば、にも矢目やめひとつならではかりけり。さりながら、おさへてらるるものならば、時の恥辱ちじよくおもひければ、源太げんだおほきにいかりをなし、「勢子せこやつばらきか。よりて鹿ししれ」。重保しげやすも、こませ、「雑人ざふにんきか。重保しげやすとどめたる鹿ししかはたて」。源太げんだも、ものなりければ、すこしもひるむ気色けしきし。「おくしたるやつばらかな。景季かげすゑとどめたる鹿しかかはたて、きてれ」。重保しげやすらぬていにて、こまけまはし、「雑色ざふしきどもは、など鹿しかをばらぬぞ」と、はや事実じじつなる詰論つめろんなり。源太げんだ手綱たづなかいくり、こませ、小声こごゑりてやう、「恋路こひぢまよかくし文、ものこそぬしさうらふよ」。重保しげやすきて、「やさしくのたまたとへかな。おもひの色の数、までむなしくかへすには、かへたるぞ、ぬしる」。源太げんだわらひ、「吉野よしの立田たつた花紅葉もみぢ(さそ)あらしぬしならずや」。重保しげやすきて、「はれずや、(さそ)あらしままに、つひにつれてかばこそとのたまふ。立田の川波かはなみに、ちりてくもは花のゆき紅葉もみぢにしきわたりなば、中やえなん、さりながら、ながれてとまるところこそ、誠のぬしおもはるれ」「ゆゑりてこえたる。波にもつれてかばこそ。かるいせきも、ぬしなるべき」「いせきも、とどめはてばこそ。ながれてとまる水門みなとこそ、誠の主とはおぼえたれ」。源太げんだ言葉ことばてて、「ふけく月のかたぶくをも、ながらむるものこそぬしとなれ」。重保しげやすきて、たからかにわらひ、「世界せかいをてらす日月を、ぬしのたまふ、過分くわぶんなり」「過分くわぶんは、人によるものを、御分ごぶん一人ひとりすかと」。重保しげやす、たまらぬをのこにて、「一人ひとりすか、せざるか、手並てなみほどせん」とて、すでに矢をこそだす。源太げんだも、しらまぬものなれば、「あんうちよ」とままに、すで中差なかざしだす。梶原かぢはら郎等らうどうふにおよばず、時の綺羅きらなら物無かりしかば、るもらぬもしなべて、梶原かじはらがたへぞりける。三浦みうらの人々も、これて、源太げんだ意趣いしゆる上は、秩父ちちぶがたへは所縁そえんなり、みはなすまじとて、りける。いけの人、児玉こだまの人々は、梶原かじはらがたへぞける。みま・本間ほんまの人々は、秩父ちちぶがたへぞ与力よりきする。駿河するがくにの人々は、梶原かじはらがたへぞよりにける。伊豆いづくにの人々は、北条ほうでう殿どのさきとして、秩父ちちぶがたへぞりける。安房あは上総かづささぶらひは、ふたつにわれてよりにける。常陸ひたち下総国しもつふさの人々は、秩父ちちぶがたへぞあつまりける。東八ケはつかこくのみにあらず、日本国につぽんごくぢゆうらるるほどさぶらひ魚鱗ぎよりんかさなり、鶴翼くわくよくつらなりて、ひたひしめきにひしめきける。畠山はたけやま殿は、はじめよりたまひしが、如何いかがおもはれけん、らぬよしにてぞしましける。頼朝よりともこれ御覧ごらんじて、「あれあれ、義盛よしもりしづさうらへ」とおほくだされければ、和田わだ殿どの両陣りやうぢんあひうまれ、「上意じやういにてさうらふぞ。鹿しかろんことたがひにり。所詮しよせん鹿しかをば上へされさうらふ。両人りやうにん御前ごぜんまゐられよとの御諚ごぢやうにてさうらふ」と、大音声だいおんじやうにてひ、のち勢子せこし、鹿ししをかかせ、六郎ろくらう源太げんだきつれ、御前ごぜんしてまゐられけり。さてこそ、両陣りやうぢんやぶれにけり。あやふかりしことなりればにや、きみおんめぐみあまねく、おんあはれみのふかくして、ことしづまりぬ。 曾我そがの人々は、あはれ、ことたれかし、方人かたうどする風情ふぜいにて、ねらりて、一刀差さんとておもひける。かくて、日もがたになりしかば、今日けふかぎりと、かたぶ日影ひかげしみける。此処ここに、伊豆いづくに住人ぢゆうにん新田につた四郎しらう忠綱ただつないま鹿しかにあはずして、鹿しかあひまつところに、いく年ふるともらざるゐのししが、ふし草かか十六つきたるが、ぬしをばらぬ鹿矢ししやども四五よついつつつたりしが、おほきにたけつてけまはる。たとへば、養由やういう術弓じゆつきゆう李廣りくはうしんへんも、およぶべしとはえざりけり。近付ちかづものをたければ、ちあふものくして、いたづらに中をあけてぞとほしける。忠綱ただつなこれさいはひとせけり。御前ごぜんちかうなりければ、「よしや、新田につた、よしや、忠綱ただつな」とぞおほくだされけり。人もこそおほなかに、斯様かやう御諚ごぢやうかうむること生前しやうぜん面目めんぼく何事なにごとこれにしかんとぞんずるあひだ鉄銅てつどうをまろめたるししなりとも、あまさじものをとおもひければ、だい鹿矢ししやだし、ただ一矢にてはなつところに、矢よりもさきたり、りたる馬をぬしともに中にすくうてげ、ちばけんとするところに、かなはじとやおもひけん、弓も手綱たづなてて、かうさまにぞうつる。されども逆様さかさまにこそりたりけれ。鹿ししられて、はらをたて、馬を彼処かしこたふし、雲霞かすみりて、虚空こくうをとんでまはりしは、しう穆王ぼくわう釈尊しやくそん教法けうぼふかんと、八匹ひつこまむちげ、万里の道、刹那せつなきしも、これには如何いかまさるべき、新田につたは、ならひしつなやうこしもきれよとはさみけ、尾筒をづつ手綱たづなり、楽天らくてんつたへし三頭かしら王良りやうせし手綱たづなこれなりけりと、こらへけれども詮方せんかたくぞえたりけり。鹿ししは、いよいよたけりをかき、もとかやの下、いは岩石がんぜききらはずして、ちうつてまはりしかば、烏帽子えぼし竹笠たけがさくつ行縢むかばき、一度にきれてちにけり。大童わらはりて、ただちじとばかりぞこらへける。おほきにたけゐのししも、数多あまたはおひぬ。新田につたにやおされけん、御前ごぜんちか枯株かれくゐに、つまづきよわところに、あやまたずこしかたなをき、胴中どうなかにつきたて、肋骨あばらぼね二三枚まいかきりければ、鹿ししは、四足そく四五寸すん土にれて、ちずくみにこそなりにけれ。新田につたは、いそりて、かずとどめをさす。上下のかり人、これて、「前代未聞ぜんだいみもん振舞ふるまひかな。面白おもしろくもとどめたり。りもりたり、こらへたり」と、かんぜぬものこそかりけれ。きみも、よし御覧ごらんじて、「狩場かりばの内の高名かうみやうは、これにしかじ」と、御感ぎよかんり。富士の下方しもがたにて、五百余町をたまはりにけり。いきほひあまりてぞえし。れども、鹿ししは、富士ふじすそ、かくれいの里とまうところの、山の神にてぞしましける。凡夫ぼんぶかなしさは、ゆめにもこれらずして、とどめにけり、おんとがめにや、やがて、の夜、曾我そがの十郎にひ、数多あまたひ、あやふかりし命、幾程いくほどくて、田村たむら判官はんぐわん謀叛むほん同意どういよし讒言ざんげんせられて、たるべかりしを、重保しげやすまうひらき、御目にかからんとて、さんじける折節をりふししの御馬うまはなれたりしが、御庭にはせばしとせまはる。日本一につぽんいち荒馬あらうまなれば、ひまはす人々、これて、「よしや、新田につたれや、忠綱ただつななはけよ、あやまちすな」と、声々(こゑごゑ)にばはりて、庭上ていしやう騒動さうどうす。新田につた郎等らうどう門外もんぐわいあつまりて、「われしゆう只今ただいまかららるるぞや。しゆうたるるをてて、何処いづくまでのがるべき」とて、おもりたる兵二三十人抜きつれて、御前ごぜんしてきつてる。新田につたうんきはなり御所ごしよがたの人々、これて、「新田につた謀叛むほんまことなりあますな、方々(かたがた)」とて、日番・当番たうばんの人々ひて、づるほどこそたたかひけれ。御所ごしよがたの人々、数多あまたたれしかば、新田につた陳法ちんぽふのがれずして、二十七にてたれけり。不便ふびんなりしことどもなり。これも、しかしながら、富士の裾野すそのゐのししとがめなりと、したをまかぬはかりけり。 梶原かぢはら源太げんだ左衛門さゑもん景季かげすゑは、いま鹿ししにあはずして、鹿ししけつつ、ならべ、よつぴきてはなつ。されどもうへはるかにこしてとほしけり。景季かげすゑへずかくこそまうしけれ。夏草なつくさのしげみがした鹿しかのそての横矢よこやにくかりけるきみこしして、神妙しんべうなりとて、これ富士ふじ裾野すその百余町をぞたまはりけり。人々、これきて、「鹿ししはづし、うたみてだに、恩賞おんしやうあづかる。まして、よくとどめたらんともがら如何いかに」とぞまうしける。御寮れうは、左衛門さゑもんじよう祐経をして、「不審ふしんなる事有り、用心ようじんせよ」とおほくだされければ、かしこまりぞんさうらよしまうしける。此処ここに、梶原かぢはら源太げんだ景季かげすゑさぶらひ所司しよしにて、総奉行そうぶぎやうなるうへ、わざん第一だいいちものにて、上の御諚ごぢやううけたまはり、曾我そがの人々を近付ちかづけてまうしけるは、「神妙しんべう御供おんともまうされてさうらふ。奉公ほうこうは、いづれもおなこと御宿やどに、大事だいじ御物ものり。留守るす御宿直おんとのゐまうされよ。いかさま今度こんど鎌倉へらせしまして、御免ごめんかうぶたまふべし。奉公ほうこうこころれられよ。」とまうしければ、祐成すけなり是非ぜひおよばずして、「かしこまりさうらふ。よきやう御申おんまうしさうらへ。たのたてまつる」とぞ、返事へんじしける。源太げんだかさねてまうやう、「御給仕きうじりて、本領ほんりやう子細しさいあらじとぞんさうらふ」とひてこそ、かへりにけれ。時致ときむねこれきて、「あはれ、源太げんだ、我々(われわれ)をすかさんとおもひたる気色きしよくあらはれたるやつかな。じや一寸いつすんだして、大小せうり、人は一言ごんもつて、賢愚けんぐる。きつねは、子狐ぎつねより、ちちそんぎて、冠者くわんじやつらしろさよ。いつの奉公ほうこうりてか、御気色ごきしよくもよかるべき。さだめて、御寮れうおほせには、冠者くわんじやばらは、誰がゆるして、狩場かりばへはでけるぞ。よくよくすかしきて、くびをきれとの御諚ごぢやうか、流罪るざいせよとのおほせにてぞるらん。にや、ふる言葉ことばあんずるに、くにけんもつこうし、へつらひをもつおとろふ。きみちゆうもてあんじ、いつはりをもつあやふし。人は、たくみにしていつはらむよりも、つたなうしてまことるにはしかず。もの振舞ふるまひ・言葉ことばのわづらひともなりぬべし。うへ奉公ほうこうまうすべきためならず。あはれ、おもひだにかりせば、冠者くわんじやつら、一太刀きつてなぐさまんずるものを」とぞまうしける。さて、兄弟きやうだいは、えがくれにつれつはなれつ、こころをつくしねらひけるこそ、無慙むざんなれ。十郎じふらうの日の装束しやうぞくには、萌黄もえぎにほひのうらちたる竹笠たけがさ村千鳥むらちどり直垂ひたたれに、夏毛なつげ行縢むかばきわきふかきこうで、たかうすべうの鹿矢ししや筈高はづだかつてけ、重籐しげどうゆみのまんなかり、葦毛あしげなる馬に、貝鞍かひくらきてぞりたりけり。五郎ごらうの日の装束しやうぞくには、薄紅うすぐれなゐにてうらつたる平紋ひやうもん竹笠たけがさ、まぶかにきて、唐貲布からさいみに、てうふたつ所々(ところどころ)にけたる直垂ひたたれに、紺小袴こんこはかま秋毛行縢むかばき、たぶやかにはきくだし、つる本白もとじろ征矢そや筈高はづだかし、二所籐ふたところどうゆみのまんなかり、鹿毛かげなる馬に、蒔絵まきゑくらきてりたり。はるかにとほく敵をけて、十郎じふらうげ、たがひに、こころかよはしけり。人はみな鹿しかこころれ、如何いかにもして、上の見参げんざんに入らんと、みねのぼり、たにに下り、け、里をたづねけれども余所目よそめ如何いかがおもひしに、勢子せこやぶりて、鹿ししこそ三頭かしらたりけれ。これ如何いかにとところに、祐経すけつねこそ、おつすがひてはとしけれ。装束しやうぞく、花やかなり。浮線綾ふせんれう直垂ひたたれに、大斑まだら行縢むかばき切斑きりうの矢おひ、吹寄籐ふきよせどうの弓のまんなかり、金紗きんしやにてうらちたる浮紋うきもん竹笠たけがさあらしにふきなびかせ、くろき馬のふとくたくましきに、白覆輪しろぶくりんくらきてぞりたりける。うまこふる名馬めいばなり、ぬし究竟くつきやうなり。鹿しかへだたりぬ。うまもよかりける。十郎じふらうこれて、「鹿しかは、らちほかに、勢子せこやぶりてたるにや、かへしてたてまつらん」とて、十三束ぞくだい中差なかざしりてつがひ、矢所やどころおほしといへども、奥野おくのかりかへさまに、ちちられけんくら山形がたはづれ行縢むかばきはせ、むくいのらするうらみのところをばふべからず。如何いかなる金山鉄壁きんざんてつぺきとも、こころざしのなどかとほらざらんと、左手ゆんでになしてぞくだりける。五郎ごらうも、おなじく中差なかざしりてつがひ、左衛門さゑもんじようくびほねけ、大磐石だいばんじやくかさねたりとふとも、などかきつててざらんと、むちあぶみをもへて、右手めてあひならべ、鹿しか左衛門さゑもんをまんなかめ、矢先やさき左衛門さゑもんてて、かんとするところに、祐経がしばしのうんのこりけん、祐成すけなりりたる馬を、おもはぬ伏木ふしきけて、真逆様まつさかさまにころびけり。あやまたず弓のもとをこして、むまかしらつたり。五郎ごらうは、これらずして、矢筈はづがりける。あに有様ありさま一目ひとめて、もくれ、こころえにけり。の隙に、かたきは、はるかにせのびぬ。鹿しかをも、人にられけり。五郎ごらうむなしくかへし、いそむまよりつて、あに介錯かいしやくしけるこころの内こそかなしけれ。「あはれ、われほどかたきえんものあらじ。只今ただいまは、さりともとこそおもひしに、むまつよかりせば、斯様かやうにはかじ。これも、ただひんよりこることなり。ひとうらむべきにもあらず。かなはぬいのちながらへて、ものおもはんよりも、自害じがいして、悪霊あくりやう死霊しりやうにもりて、本意ほんいげん」とぞかなしみける。十郎じふらうこれきて、「しばらたまへ。泰山たいざんらいは、いしをうがつ。つるべのなわは、いげたつ。みづは、石鑽いしのみにあらず。なはは、のこぎりにあらず。せんひのしからしむるところなり。ただこころべて、こうをつみたまへ。今宵こよひは命をたまへ」とて、うまりけり。 の後は、人々如何いかるらんとて、十郎じふらうかくれば、五郎ごらうひかへ、五郎ごらうけば、十郎止とどまり、余所目よそめをもつつみけりは、ときうつり、ことのびきければ、の日も、すでれなんとす。畠山はたけやま殿は、ほどちかしませば、兄弟きやうだい有様ありさまをつくづくと御覧ごらんじて、今まで本意ほんいげぬぞや、あはれ、平家へいけの御代とおもはば、などかひととぶらはざらん。たうきみの御代には、斯様かやうことかなはず、重忠しげただも、わか子供こどもちぬれば、人のうへともおもはずして、まこと無慙むざんおぼえたり。梶原かぢはら触状ふれぢやうには、明日、鎌倉かまくらへ入らせたまふべきなれば、今宵こよひたではかなふまじ、よしらせんとおもたまへども、人々数多あまたりければ、うたにてぞとぶらたまひける。まだしきにいろづく山の紅葉もみぢかな夕暮ゆふぐれちてよかしとながめたまひて、なみだぐみたまひけり。折節をりふし梶原かじはら源太げんだ左衛門さゑもんがちかうひかへたりしが、「何事なにごとにや、曾我そが殿とのばらに、「まだしきにいろづく」とえいたまふは、こころず」。重忠しげただきて、「夏山なつやまゆふ日影ひかげのこる、風情ふぜい初紅葉はつもみぢずや。夕暮ゆふぐれこそ、なほうつかば、まこと秋にやかん」。源太げんだは、なほ言葉ことばがほなりしを、きみよりいそされしかば、とほるとて、「重忠しげただ御歌うた不審ふしんのこりて」とひながら、きければ、人々きて、「いまはじめぬ梶原かぢはら和讒わざんとはひながら、ことにかかりてえぬるをや」とまうひける。重忠しげただおほせけるは、「「いのちやしなものは、やまひさきくすりもとめ、代ををさむるものは、みだれのさきけんならふ」と、さんふろんにえたり。れまでこそくとも、斯様かやうのえせものちか使つかひて、すゑ世如何いかが」とぞおほせける。の後、曾我そがの人々を近付ちかづけて、「今夜、重忠しげただところしませ。歌の物語ものがたりまうさん」とのたまへば、かしこまりぞんずるよし返事へんじして、十郎じふらうおととひけるは、「畠山はたけやま殿は、なさけもつて、はや、ことたまひけるぞや。「みみしんじて、うたがものは、みみつねへいなり。たつとみて、近付ちかづくをいやしむるものは、人のつねなさけ」と、抱朴子はうぼくしえたり。れば、うたこころ如何いかに」とへば、「らず」とふ。十郎じふらうは、よろづなさけふかくして、うたこころをえたり。「「おもことあらば、今宵こよひかぎり」とたまふぞや。きみは明日、伊豆いづ国府こう、明後日、鎌倉かまくららせしますよしこえり。おもさだたまふべき」とふ。「めづらしくもおもさださうらふべきか」「まうすにやおよぶ」とぞまうしける。元来ぐわんらいかうなる時宗が、重忠しげただにいさめられ、いよいよ今宵こよひかぎりとぞさだめける。かねてよりおもさだめしことなれどもしあたりてのこころぼそさ、おもられて無慙むざんなる。日暮、きみ井出ゐで屋形やかたたまひしかば、国々の大名だいみやう小名せうみやう御供おんともしてぞかへりける。曾我そが兄弟きやうだいも、ひとなみなみに、しばいほりへぞかへりける。

〜参考記事〜

国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室

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〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。

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