8-1 譲り受けた源氏重代の神器
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年。復讐の舞台となる「富士の巻狩り」決行当日。
曾我十郎祐成と五郎時致の兄弟は、母との涙の和解を経て、ついに最終チェックポイントへと到達した。
関東第一の霊場、箱根山。後ろには険しい山々がそびえ、前には煩悩を洗い流す生死の海が広がる。文殊師利菩薩が衆生を導くというその聖域は、かつて五郎が稚児として過ごし、復讐の刃を研ぎ澄ませた修行の地でもあった。
今回は、兄弟が恩師である箱根別当に告げた「命懸けの暇乞い」。そして、別当から授けられた「源氏・平氏の歴史を塗り替えてきた伝説の武器」の正体について語ろう。
箱根の山道、冷涼な空気が兄弟の頬を打つ。五郎時致は、かつて自分がいた坊の前に立ち、静かに手を合わせた。
「……帰命頂礼。どうか、俺たちを浄土へ導いてください。十一歳でこの山に来てから今日まで、父上の供養とこの復讐のために、毎日三巻の『観音経』を欠かさず読んできました。……どうか、その功徳を今夜の力に」
五郎にとって、ここは単なる修行の場ではない。毎日欠かさず続けたルーティン――それは、復讐という大願を成就させるための儀式だった。
そこへ、山を統括する最高責任者、箱根別当・行実が現れた。彼は兄弟の顔を見るなり、すべてを悟ったような悲しげな瞳で微笑んだ。
「……よく来たな、十郎。そして時致。立派な男になったものだ」
別当は彼らを奥へと招き入れた。十郎は努めて「巻狩りの見物に来たついでです」と装うが、別当は首を振った。
「よそよそしい芝居はやめなさい。お前たちの心にあるもの、私は最初からすべて知っている。……恨みなどあるはずがない。むしろ、お前たちの志を不便に、そして誇らしく思っているのだよ。……私がもしあと二十年若ければ、袈裟を脱ぎ捨てて、お前たちの『千騎万騎の援軍』となって駆けつけたものをな」
別当は墨染めの袖で顔を覆い、さめざめと泣いた。師の深い愛情に触れ、十郎と五郎もまた、堪えていた涙を流した。
「……師匠。ありがとうございます。……俺たちは今から、富士へ向かいます。生きて帰ることはありません。……どうか、最期の祈祷をお願いいたします」
「承知した。……ならば、お前たちの門出にふさわしい『贈り物』を授けよう」
別当がまず十郎に差し出したのは、一振りの鞘巻だった。
「十郎、これを持っていけ。名を『微塵』という」
『微塵』の由来は木曾義仲が所持していた三つの至宝(龍王の長刀、雲落としの太刀、そしてこの短刀)の一つであり、特性は通らぬ物なし。あらゆる装甲を紙のように切り裂く。
義仲の嫡男・清水冠者が頼朝への人質として鎌倉へ向かう際、必勝を祈願して箱根に奉納したエピソードがある。
「この刃に斬れぬものはない。敵の鎧を微塵に砕き、本懐を遂げなさい」
次に別当が五郎に差し出したのは、重厚な「兵庫鎖」の太刀だった。その刀身から放たれるプレッシャーは、これまでの武器とは一線を画していた。
「時致。……お前にはこれだ。かつて源頼光、頼義、義家……名だたる源氏の英雄たちが継いできた『源氏重代の太刀』だ」
五郎はその太刀を手に取り、息を呑んだ。この太刀には、あまりにも禍々しく、そして華々しい「名称変更の歴史」があった。
■太刀『友切』の進化系統図
【当初:蝶丸】 ―― 頼光が唐の鍛冶師に作らせた二尺八寸の傑作。
【進化:虫ばみ】 ―― 抜くだけで周囲の虫の羽が斬り落とされたことから命名。
【進化:毒蛇】 ―― 頼義の枕元に現れた九尋(約16m)の大蛇を、刀が独りでに抜けて四つに斬り捨てた。
【進化:姫切】 ―― 源義家を川へ引きずり込もうとした宇治の橋姫(鬼女)の腕を、自動迎撃で斬り落とした。
【最終形態:友切】 ―― 源為義が、自分より六寸長い別の太刀と並べておいたところ、夜中に喧嘩して相手を六寸斬り落とし、自分と同じ長さに(友に)してしまった。
「……この太刀はその後、九郎判官義経が鞍馬山から盗み出し、奥州の強盗十二人を一人で斬り伏せた時にも使われた『高名の太刀』だ。……今は、縁あってこの箱根にある」
別当は真剣な表情で五郎を見据えた。
「もし、これを奪ったことが鎌倉殿にバレて『狼藉者め!』と不審がられたら、こう言いなさい。『京都の四条の町で適当に買ったものです』とな。……いいか、この刀がお前の『志』を完遂させてくれるはずだ」
「……師匠。……必ず、やってみせます」
五郎は腰の新たな太刀の感触を確かめ、深く頭を下げた。十郎もまた、短刀を懐に納める。
師匠との三三九度の盃。それは、この世での最後のご馳走だった。別当は縁側まで立ち出て、馬を飛ばして去っていく兄弟の背中を、いつまでも、いつまでも、涙ながらに見送っていた。
「……ああ。あの子たちが帰ってきた時、私はどんな顔で迎えてやればいいのだ……」
師匠の祈祷を受け、伝説の武器という名の「神器」を手にした曾我兄弟。彼らはもはや、ただの浪人ではない。
源氏の歴史を象徴する刃をその身に宿した、最強の復讐者へと進化したのだ。駒に鞭を打つ。三島が近づき、富士の裾野が見えてくる。
建久四年五月二十八日、夜。降りしきる雨、轟く雷鳴。ターゲット、工藤祐経の寝所まで――あと、わずか。
曾我物語 巻第八(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔箱根にて暇乞の事〕
抑、彼の箱根山と申すは、関東第一の霊山なり。後ろには、高山峨々と連なりて、真如の月影を宿す。前には、生死の海漫々として、波煩悩の垢をすすげば、無始の罪障も消滅すと覚えたり。本地文殊師利菩薩、衆生を化度し給へば、有為の都と名付けたり。然れば、一度縁を結ぶ者は、長く悪所に落とさじと誓ひ給ふ事、頼もしくぞ覚えける。此の人々は、御前に参り、「帰命頂礼、願はくは、浄土に向かへ取り給へ。時致十一より、此の御山に参り、今に至るまで、毎日に三巻づつ、普門品怠らず読み奉るも、只此の為なり。哀れみ給へ」と念誦して、別当の坊へぞ行きたりける。 行実、やがて出で合ひ給ひて、古今の物語し給ふ。「男になり給へばとて、昔に代はりて思ふべきにあらず、御身こそよそがましくし給へ、面々の心中、始めより詳しく知りて候ふぞ。哀れにのみこそ思ひ奉れ。如何でか恨み申すべき。人に頼まるる事は、在家出家によるべからず、愚僧も、年だに若く候はば、などかは頼りにならざるべき」とて、墨染の袖を顔に押し当て、さめざめと泣き給へば、十郎承り、「御意は、畏まり入り候へ共、更に野心の候はず。時宗も、其の後、やがて罷り上り、男に成りて候ふ怠りをも申すべきにて候ひしを、母には不孝せられ候ひぬ。又、恐れをなし奉る故、今におそなはり候ふ」。別当聞き給ひ、「祈祷は頼もしく思ひ給へ。千騎万騎の方人と思し召せとて、酒取り出だして、三三九度すすめ給ひつつ、 「何を以てか、方々の門出いははん」とて、鞘巻一腰取り出だし、十郎に引かれけり。「此の刀と申すは、木曾義仲の三代相伝とて、三つの宝有り。第一に、竜王作の長刀、第二に、雲落としと言ふ太刀、第三に、此の刀也。名をば微塵と言ふ。通らぬ物無ければなり。然れば、此の三つの宝を秘蔵して持たれたり。御子清水御曹司、鎌倉殿の聟になり給ひて、国の大将軍賜はりて、海道を攻め上り給ひ候ふ由聞こえければ、彼の宝を祈りの為とて、此の御山へ参らせらる。宝殿の事は、一向別当の計ひたるに依りて、是を御分に奉る。高名し給へ」とて、引かれけり。五郎には、兵庫鎖の太刀を一振り取り出だし、引かれけり。「此の太刀と申すは、昔頼光の御時、大国よりぶあく大夫と言ふ莫耶を召し、三ケ月に作らせ、一月にみがかせ二尺八寸に打ち出だす。秘蔵並ぶ物無くして持たれける。或る時、此の太刀を枕にたてられし時、俄に雨風ふきて、此の太刀をふき動かしければ、刃風に、側なりける草紙三帖が紙数七十枚きれたりけり。頼光、てうかと名付けて持たれたり。其れより、河内守頼信のもとへ譲られぬ。其れにての不思議に、此の太刀をぬかれければ、四方五段ぎりの虫も、翼もきれ落ちにければ、虫ばみとぞ付けられける。其れより、頼義のもとへ譲られたり。其れにての不思議には、折々御所中震動して、人死にうする事、度々なり。或る時、頼義、此の太刀を枕にたてられしに、例の如くに、雷電はげしくして、御所中騒がし。此の太刀、己とぬけ出でて、大地一丈が底に入り、斯かる悪事仕る大蛇の尾頭九尋有りけるを、四つにこそは切りたりける。其の後よりぞ、御所中の狼籍も止まりける。あやしみて、跡を尋ね尋ねて見給へば、斯かる不思議をしたりければ、毒蛇と名付けて、持たれたり。其れよりして、八幡殿へ譲られける。其れにての不思議には、其の頃、宇治の橋姫の、あれて人を取ると。或る夕暮に、八満殿、宇治へ参られけるに、人の申すに違はず、川の水波しきりにして、十八九計なる美女一人、橋の上に上がりて、八満殿を馬よりいだき下ろし、川の中へ入れんとす。彼の太刀、己とぬけ出でて、橋姫の弓手の腕を切り落とす。力及ばず、川へ飛び入りぬ、其れより、宇治の狼籍も止まりけり。然れば、此の太刀、姫切と名付けて、持たれたり。其れより、六条の判官為義のもとへ譲られたる。其れにての奇特には、此の太刀に六寸ばかり勝りたる太刀を立て添へて置かれたり。夜に入りぬれば、切り合ひける。判官、此の由聞き給ひて、予てより様有る物をとて、五夜までこそ立て添へて置かれけれ。五夜の間、隙無く戦ひて、六夜と申すに、我が寸に勝りたるを、安からずとや思ひけん、余る六寸を切り落とす。然れば、友切と名付けて、持たれたり。源氏重代にも伝ふべかりしを、保元の合戦に、為義切られ給ひ、嫡子左馬頭義朝の手へ渡りけるに、仏法守護の仏とて、鞍馬の毘沙門に込め給ふ。然れども、過ぎにし合戦に、父を切り給ひしかば、多聞も受けずや思し召しけん、合戦に打ち負け、東国差して落ち給ふ。尾張の国知多郡野間の内海と言ふ所にて、相伝の家人鎌田兵衛正清が舅、長田の四郎忠致に打たれ給ひて後、伝ふべき人無かりしに、義朝の末の子九郎判官殿、未だ牛若殿にて、鞍馬の東光坊のもとに、学問して御座しけるが、如何にして聞き給ひけん、折々、毘沙門に参り、「帰命頂礼、願はくは、父義朝の太刀、此の御山に込められて候ふ。父の形見に、一目見せしめ給へ」と、祈念申されければ、多聞、哀れとや思しけん、此の太刀を下し給ふと、夢想を蒙り、喜びの思ひをなし、急ぎ参りて見奉り給へば、現に御戸開き、此の太刀有り。盗み出だし、深く隠し置きて、十三になり給ひける年、相伝の郎等、奥州の秀衡を頼み、商人に伴ひて、下り給ひけるに、美濃の国垂井の宿にて、商人の宝を取らんとて、夜討の多く入りたりしか共、おきあふ者も無かりしに、牛若殿一人おき合ひ、究竟の兵十二人切り止め、八人に手を仰せて、多くの強盗追つ返す、高名したる太刀也とて、奥州まで秘蔵せられけるに、十九の年、兵衛佐殿謀叛を起こし給ふと聞こし召し、鎌倉に上り、見参に入り、幾程無くして、西国の大将軍にて、発向せられけるに、今度の合戦に打ちかたせ給へとて、此の御山へ参らせられ給ひて候ふ。自然に僻事し出だし候ひて、上より御尋ねあらば、法師が御辺に奉りて、狼籍なりと、御不審あらん時は、京に上り、四条町にてかひ取りたる由申さるべし。御分男になり給へば、今は見参には入りたくは無けれども、志を思ひ遣られて、哀れなるぞとよ。祈祷頼もしく思ひ給へ。此の法師が息の通はん程は、明王攻め奉らんに、何の疑ひか有るべき」と宣ひける。時致承りて、「仰せ忝けれ共、更に野心の儀は候はず。御不審の条、もつともにて候へども、恐れ奉りて参らぬなり。狩場よりの帰りには、参るべく候ふ。又は、思し召し合はする事も候ひなん」とて、罷り立ち、然らぬ体にはもてなせども、今を限りなれば、忍びの涙を流しける。別当も、縁まで立ち出で給ひて、はるばる見送りつつ、名残惜しくぞ思はれける。兄弟の人々は、駒に鞭を上げて、急がれける程に、三島近く成り、
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




