7-7 遅いか速いか、それだけの事
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する史上最大の軍事イベント「富士の巻狩り」の決行当日。
復讐の刃を研ぎ澄ませ、十七年という気の遠くなるような時間を耐え抜いてきた兄弟、曾我十郎祐成と曾我五郎時致。
「――急げ、五郎。一刻も早く富士へ!」
曾我十郎祐成の声が、箱根の静かな森に響く。母の許しを得て、感情の整理をつけた今の十郎には、もはや迷いはない。馬に鞭を入れ、凄まじいスピードで山道を駆け上がっていく。
「兄上! そんなに急いで、馬が持ちますか!」
「どうせ捨てに行く命だ。遅かろうが速かろうが、結果は同じ。……だがな、もし天が俺たちに味方する『隙』をくれるなら、一秒でも早くその場に辿り着きたいんだ」
復讐の実行犯にとって、もっとも恐ろしいのは「機会の損失」だ。二人は砂煙を上げ、かつて「湯本の杉」と呼ばれていた巨大な巨木の前に辿り着いた。
そこは、知る人ぞ知る、武士たちの聖地――『矢立の杉』であった。
そもそも、なぜこの杉がこれほどまでに神格化されているのか。五郎は馬を止め、その巨木の由来を記憶から引き出した。
昔々、九州に阿蘇の平権守という、化け物じみた老将がいた。年齢は 七十二歳。戦歴:は五十回以上の合戦を勝ち抜いた猛者。二名は 虎や狼のように獰猛な反逆者を意味する「虎狼の臣」。
阿蘇の平権守は九州九カ国を武力で従え、さらには天下を我が物にしようと兵を挙げた。これに対し、当時の六孫王、源経基は関東の精鋭たちを討伐隊として派遣した。
決戦を前に、関東の武士たちはこの杉の木の下で足を止めた。
「九州に下り、あの老害を打ち倒し、無事に都へ帰還して名を上げることができるなら……。この杉に放つ矢を、どうか受け取り給え!」
武士たちが一斉に矢を放つ。驚くべきことに、放たれた矢は一本も外れることなく、吸い込まれるように杉の幹へと突き刺さった。
結果、討伐隊は筑紫の地で見事な大勝利を収め、全員が無傷で帰還したという。以来、この木は門出を祝う『矢立の杉』として、旅人や武士が「上矢」を献じる「必勝祈願の聖地」となったのである。
「五郎、俺たちもやろう。……俺たちが抱く、この十七年の願い。それが届くかどうか、この木に問うてみるんだ」
十郎が弓を構える。彼は復讐を志す者。生き残るための「必勝」ではなく、敵を討つという「本意」が遂げられるかどうかを神に問うた。
ヒュンッ!!
十郎の放った矢は、高い位置にある「一の枝」に深く突き刺さった。
「……次は俺だ!」
五郎もまた、自慢の剛弓を引き絞る。
ドシュッ!!
凄まじい風切り音と共に放たれた矢は、十郎の矢よりも少し低い位置、「二の枝」に突き立った。
「……ふふ。外さなかったな、五郎」
「当たり前です、兄上。……これで、工藤祐経の首も、俺たちの矢を避けられなくなりましたよ」
二人は満足げに笑い、再び馬に飛び乗った。自分たちの願いが、伝説の巨木に受理された。その確信が、彼らの闘志に「不退転」のバフをかけた。
だが、この時。矢が刺さった「位置」の差が何を意味していたのか、二人はまだ気づいていなかった。
後世の歴史家は、この時の奇妙な瑞相についてこう語っている。十郎祐成が「一(上)の枝」に射止めたのは、彼が夜襲の「宵(最初)」に討たれる運命を示していた。五郎時致が「二(下)の枝」に射止めたのは、彼が「翌朝(最後)」に処刑される運命を示していた。
たった一本の枝の隔たり。それは、兄弟が共に過ごせる「最後の数時間」の猶予。矢は単なる成功の印ではなく、彼らの命の灯火が消える正確な「時刻表」だったのである。
運命の矢を残し、兄弟はさらに山を登る。
空気は冷たさを増し、森の密度が濃くなっていく。ついに二人は、霊峰・箱根の御山へと足を踏み入れた。
ここを越えれば、そこはもう駿河の国。鎌倉殿の軍勢がひしめき、ターゲットが酒に酔いしれている「富士の裾野」だ。
「兄上、見えてきました」
「ああ……。五郎、いよいよだ。……地獄への門は、もう開いている」
建久四年五月二十八日、夕刻。雨がポツリと降り始めた。箱根の神仏が見守る中、復讐者たちはついに最終チェックポイントを通過した。
曾我物語 巻第七(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔矢立の杉の事〕
「とても捨つべき命、遅速同じ事也。さりぬべき便宜もこそあらめ、一時も急げや」とて、駒め早めて打つ程に、矢立の杉にぞつきにける。此の杉と申すは、もとは湯本の杉と言ひけるを、九州に阿蘇の平権守とて、虎狼臣有り。九国を打ち従へて、きちやうする事、四か年也。軍する事、五十余度也。其の時、生年七十二歳也。剰へ天下を悩まし奉らんとて、国を催す聞こえ有りければ、六孫王の御時、其の討手の為に、関東の兵を召されて上りしに、此の杉のもとに下り居て、祈りけるは、「九州に下り、権守を打ち従へ、難無く都に帰り上り、名を後代に上ぐべくは、一の矢受け取り給へ」とて、各射けるに、一人も射損ぜず。扨、筑紫に下り、合戦するに、難無く打ち勝つて、帰り上りぬ。其の時よりして、矢立の杉と申しけり。「門出めでたき杉とて、上下旅人、心有るも無きも、此の木に上矢を参らせぬは無し。況や、我等、思ふ事有りて行く者ぞかし。如何で、上矢を参らせざらんとて、十郎、一の枝に止む。五郎は、二の枝にぞ射たてたる。何と無く射留めけれ共、十郎は、宵に打たれ、五郎は、朝切られにけり。此の瑞相現れて、一二の枝の隔て、不思議也とて、思ひ合はせける。さて、駒を早めて打つ程に、箱根の御山にぞ付きにける。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




