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新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚 〜  作者: 条文小説


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7-4 石を撃ち抜く執念と、神が身代わりとなる奇跡

挿絵(By みてみん)


 曽我物語そがものがたりは、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia

 建久四年(1193年)。復讐の舞台となる「富士の巻狩り」へ、死を覚悟して馬を走らせる曾我十郎祐成と曾我五郎時致。母との涙の和解を終えた兄弟は、もはや「生きて帰る」ことを捨てた。


 彼らの瞳に映るのは、現世の景色ではなく、復讐を果たした後に辿り着くであろう「浄土」の光。


 しかし、道中の会話は、単なる悲壮感に満ちたものではなかった。彼らは己の執念を肯定するために、古今東西の「最強の伝説」を引き合いに出し、互いの魂を鼓舞し合う。


 「……名残惜しかった古里ふるさとも、一度離れてしまえば、心は先へ先へと急がされるものだな」


 馬に鞭を当てながら、兄の十郎祐成がぽつりと呟いた。鎌倉殿・源頼朝の陣営は、すでに富士の裾野、合沢原あいざわがはらに到着しているという。弟の五郎時致が応じる。


「ええ、兄上。想いが募っている間は『現実』ですが、通り過ぎてしまえばすべては『夢』。俺たちの十七年も、この復讐が終われば夢のように消え去るのでしょう。……ですが、その夢の果てに、父上と母上、そして俺たち兄弟が、一つのはすの上で再会できるのなら……それで十分です」


 十郎は少し寂しげに笑った。


「……五郎。俺たちの今の姿を、何かに例えるなら『寒苦鳥かんくちょう』だ。ヒマラヤの雪山に住む、頭が二つで体が一つの奇妙な鳥さ。食うものもなく、夜の寒さに耐えかねて、二つの頭が互いの涙を餌にして命を繋ぐという。……俺とお前も、互いの悲しみを糧にして、ここまで生き延びてきた。……だが、それも今日で終わりだ」


 「――兄上。それは少し、弱気な例えですよ」


 五郎が、力強い声で割って入った。


「俺たちの執念は、そんな悲しいだけのものではありません。……異国の李将軍りしょうぐんの物語を知っていますか?」


 五郎は、父の形見の太刀を握り直し、語り始めた。


「昔、大陸に李将軍という最強の武将がいました。ある時、彼の父が虎に食い殺された。当時まだ母の胎内にいた李将軍は、生まれ落ちた瞬間から父の仇を討つことを誓ったのです。……七歳になった彼は、父の乗っていた愛馬『雲上龍うんじょうりゅう』に跨り、千里の野へ出ました。そして八日目の夜、谷間に潜む巨大な虎を見つけた!」


 五郎の瞳に、暗い炎が宿る。


「李将軍は渾身の力で矢を放った。矢は真っ直ぐに虎の眼を射抜いた! 将軍がトドメを刺そうと駆け寄ると……。そこにあったのは虎ではない。苔むした巨大な岩だった。……凄まじい復讐の執念が、本来なら刺さるはずのない『岩』に矢を突き立たせたのです。至誠しせい、岩をも通す。兄上。俺たちの殺意が本物なら、ターゲットがどれほど強大な軍勢に守られていようが、必ず届く。石竹の花が咲くように、俺たちの矢も敵の喉笛を貫くはずです!」


 十郎は、弟の気迫に圧倒され、「……はは、確かにな」と微笑んだ。


 「ルートをどうするか。俺は足柄あしがらを越えるつもりだが」と十郎。


 「私は箱根はこねを越えたい。最後にお世話になった別当様に挨拶をしておきたいのです」と五郎。


 五郎が箱根にこだわるのは、修行時代の師への恩があったからだ。

 

「兄上。師匠の恩というものは、時に死の運命さえもひっくり返します。……三井寺の『泣不動なきふどう』の奇跡を覚えていますか?」


 それは、安倍晴明が活躍した時代の物語だ。三井寺の高僧、智興ちこう上人が重病で死の淵に立たされた。晴明の占いは残酷だった。


「上人の命は助かりません。……ただし、誰か弟子が身代わりに死ぬというのなら、命を入替トレードえることは可能です」


 二百人の弟子たちは、みな目を逸らした。だが、一番若く貧しい証空しょうくう阿闍梨だけが前に出た。


「……私が、代わります。師匠の法恩に報いるためなら、命など惜しくありません」


 証空は、八十歳の老母に最期の別れを告げに行った。母は狂わんばかりに泣き、証空を止めた。


「なぜ、私を捨てて死ぬのですか! 師匠よりも親の方が大事でしょう!」


 証空は、泣き崩れる母に静かに説いた。


「母上。この世は夢幻ゆめまぼろしです。私が師の命を救い、仏の道を守ることは、結果として母上の功徳にもなる。……浄土で、一つの蓮の上でお会いしましょう」


 儀式が始まった。安倍晴明の祈祷により、智興上人の苦しみは、すべて証空へと移された。証空は、内臓を灼かれ、骨を砕かれるような激痛にのたうち回った。


(……阿弥陀仏。……不動明王様。どうか、私を極楽へ導いてください……)


 証空がそう念じた、その時。寺に祀られていた不動明王の絵像が、カッと目を見開き、真っ赤な「血の涙」を流したのだ。


「――証空よ。お前の志、しかと見た。……その苦しみ、この不動が代わりに引き受けてやろう!」


 明王の絵像から猛火が吹き出し、証空の苦痛を吸い取った。奇跡的に、上人も、証空も、二人とも生き延びたのだ。これが、今も三井寺に伝わる国宝『泣不動』の由来である。


 「……師匠の恩さえ、死を克服する力になる。ならば、父上の恩のために死ぬ俺たちに、神仏の加護がないはずがありません」


 五郎は、箱根の山を仰ぎ見た。十郎は、弟の横顔を見つめ、改めて確信した。李将軍のように岩を撃ち抜き、証空のように奇跡を呼ぶ。自分たちの死は、ただの犬死にではない。歴史に深く、赤く、その名を刻むための「聖なる夜襲」なのだ。


 富士の裾野は、重く垂れ込めた暗雲に包まれていた。激しい雨と雷鳴が、軍勢の物音を消し去っていく。


 「行くぞ、五郎。……これが、現世うつつでの最後の戦いだ」


 「はい、兄上。……地獄の門の前で、工藤祐経を待たせてやりましょう」


 復讐の刃が、ついに鞘を離れる。




曾我物語 巻第七(明治四十四年刊 國民文庫本)




 〔李将軍りしやうぐんこと


 さても、鎌倉かまくら殿どのは、合沢原あひざはがはらに御座のよしこえしかば、の人々も、こまむちへて、いそぎける。道にて、十郎じふらうひけるは、「名残なごりしかりつる古里ふるさとも、一筋ひとすぢおもりぬれば、こころきかへて、さきへのみぞいそがれさうらふぞや」。時致ときむねきて、「さんざうらふおもほどうつつ、すぐればゆめにて、こころまま本意ほんいげ、ゆめしはてて、はや浄土じやうどまれつつ、こひしきちち名残なごりしかりつるはは、かくまうわれまで、一蓮ひとつはちすえんとならん」とて、ひつけひつちてく。ややりて、十郎じふらうまうしけるは、「われ有様ありさまを、ものにたとふれば、寒苦鳥かんくてうたり。如何いかにとふに、大唐だいたうしくうざんに、ゆきふかうして、春秋をわかざるやまなり。やまに、かしらふたつ、ひと鳥有り。やまには、あを草無ければ、くふべき物無し。れば、かしらみぎらんとし、みぎかしらひだりらんとする。かなしみのなみだ餌食ゑじきとして、命をのぶるとりなりわれも、てきにやかからん、てきをやけんとおもふ、のながらへて、いつまでものおもはまし。の度は、さりとも」とまうしければ、五郎ごらうきて、「よわおんたとおほさうらふ。なにによりてか、むなしくてきにかかりさうらふべき。本意ほんいげてのちは、さうらはず、れは、ともかくもさうらひなん、ことながさうらどもむかし大国たいこくに、李将軍りしやうぐんとて、たけくいさめる武勇ぶよう達者たつしやり。一人のこと、天にいのる、あはれみにや、妻女さいぢよ懐妊くわいにんす。将軍しやうぐんよろこところに、女房にようばうやう、「いきたるとらきもこそねがひなれ」。将軍しやうぐんやすこととて、おほくのつはものきつれ、野辺のべでて、とらをかりけるに、かへつて、将軍しやうぐんとらにくはれてせぬ。りたりける雲上龍うんしやうりゆうくらうへむなしくしてかへりぬ。女房にようばうあやしみて、「将軍しやうぐんとらにくはれけるや」とへば、りゆうなみだながし、ひざををり、なけどもかなはず。胎内たいないは、ちちがいするてきなり、まれちなばてんと、日数ひかずをまつところに、月日つきひ関守せきもりければ、ほどまれぬ。なれば男子なんしなり。いつしか、つべきことわすれ、げ、をかふりよくとけて、もてなしけり。名将軍めいしやうぐんにて、胎内たいないより、ちちとらにくはれけるを、やすからずにおもひ、かたきるべきことをぞおもひける。光陰くわういん矢のごとし。かふりよく、はや七歳さいにぞなりにける。ときちち重代ぢゆうだいの刀をし、つの槻弓つきゆみに、神通じんづう鏑矢かぶらやへ、馬屋うまやり、ちちりてにける雲上龍うんしやうりゆういはく、「なんぢむまなか将軍しやうぐんなり。しかるに、ちちかたきこころざしふかし、ちちられける野辺のべに、われ具足ぐそくせよ」とふに、なるなみだながして、高声かうしやうにいばえけり。かふりよく、おほきによろこびて、りゆうり、むままかせて、ほどに、千里の野辺のべでて、七日七夜ぞたづねける。八日の夜半やはんおよびて、谷間たにあひに、けだものおほあつまりねたり。なかに、臥長ふしたけ一丈いちぢやうあまりなるとらの、両眼りやうがんは日月をならべたるやうにて、くれなゐしたり、しければ、きもたましひうしなふべきに、将軍しやうぐんなりければ、これこそちちてきよと、つてしつがひ、よきてはなつ。あやまたず、とらひだりまなこたてたり。すこよわるとえければ、かうりよく、むまよりとんでり、こしかたなき、とららんとければ、とらにてはし。としへたるいしこけむしたるにてぞりけり。斯様かやうこころざしにて、つひかたきつ。いまに、石竹せきちくくさ、かふりよくがけるなりとぞまうつたへたる。れば、ゆみりのは、七歳さいになれば、おやかたきつとは、こころなり。こころざしり、いしにものたちさうらふぞや。こころうたにもみけるとぞ、とらる矢のいしものをなどがこひのとほらざるべき」十郎じふらうきて、「や、殿とのうた然様さやうなりとも、祐成すけなりにあひての物語ものがたり、「などかたきたでるべき」とかたれかし」「にや、をりによるうた物語ものがたりしくまうしておぼゆるなり。うたはともあれ、かくもあれ、の度は、てきたんことやすかるべし。老少らうせう不定ふぢやうならひなれば、われは、悪霊あくりやうともりて、るべきにや」とたはぶれて、むちちてぞ、いそぎける。


 〔三井寺みゐでら大師だいしこと


 十郎じふらうは、「足柄あしがらえてかん」とふ。五郎ごらうは、「箱根はこねえん」とふ。いはれり。の三四年、別当べつたうたまどもをとこになりける面目めんぼくさに、見参げんざんらず、ついでにりて、御目かるべし、最後さいごいとまをもまうさんとてまゐりたりとおぼさば、聖教せうぎやう一巻くわん陀羅尼だらに一返ぺんなりとも、とぶらたまふべき善知識ぜんぢしきなり。の上、おんおもくすれば、ほふあづかるためしり。ちかころことにや、園城寺をんじやうじに、智興ちかう太子たいしとて、めでたき上人しやうにんわたらせたまひけり。顕密けんみつ有験うげん高僧かうそうとはまうどもいま肉身にくしんはなたまはざりけるゆゑに、重病ちやうびやうにをかされて、苦痛くつうなう覧わきまへ難し。すなはち、晴明せいめいびてうらなはせけるに、「定業ぢやうごふかぎりにて、たすかりたまことるべからず。ただし、おほ御弟子でしの中に、法恩ほふおんおもくし、命をかろくして、御命おんいのちはるべき人坐しまさば、まつりかへん」とまうす。上人しやうにんは、苦痛くつうままに、誰とはのたまはねども御目げて、御弟子でしまはしたまふ。ならたま御弟子でし二百余人よにんなれども、われはらんとおほせらるるかた一人もし。はせ、赤面せきめんたまいろあらはれにけり。うたてかりし御事おんことなり此処ここに、証空しようくう阿闍梨あじやりまうして、十八になりたまふが、末座ばつざよりすすみでて、「われ法恩ほふおんあはれみ、つくしがたし。なににかほうたてまつるべき。われいのちなりとも、はりたてまつなりせば、よろこびのうへよろこび、何事なにごとこれにしかんや。はやはや」とて、墨染すみぞめ御袖そでをかきはせたまひて、晴明せいめいが前にひざまづきたまふ。上人しやうにんこしし、なやめる御眦まなじりに、御涙なみだかべさせたまひて、御顔かほげ、本尊ほんぞん御方かた御覧ごらんじけるは、証空しようくうの命をおんしみりて、御身おんみ如何いかにもとおぼさるる御顔かほばせのあらはれたり。これまた御慈悲じひ御心中しんちゆうとぞえける。証空しようくうかさねてまうされけるは、「ふかおもさだめてさうらふ。へんずべきにもさうらはず。うへ上人しやうにん苦悩くなうたてまつるに、刹那せつなの隙もしくこそさうらへ。御心おんこころまかすべきにあらず。いそ法会ほうゑおこなひ、まつりをいそがれさうらへ。ただし、八旬はつしゆんあまははちてさうらふ。いま一度、今生こんじやう姿すがた見みえさうらひて、帰りまゐるべし。たまふべし」とて、たまふ。証空しようくうあはれとはぬものし。の後、ははのもとにき、ことくはしくかたたまふ。ははきもはてず、証空しようくうの袖にき、「おもひもよらず、師匠ししやう御恩ごおんばかりにて、ははあはれみをばたまふべきか。御身おんみのこし、みづからさきだちてこそ、順次じゆんしなるべけれ。おもひもよらぬためし」とて、証空しようくうひざたふれかかり、なみだにむせぶばかりなり。証空しようくうは、ははこころしづめて、「よくよくこしせ、師匠ししやう御恩徳おんどくに、なにをかたとさうらふべき。はかなきおほせとぞおぼえてさうらへ」「はかなきははがうみきてこそ、たふとき師匠ししやう恩徳おんどくをもかうぶたまへ。ははおん大海だいかいよりもふかしとは、たれやのものかいひそめける」「おや一世三世あさあはれみなり。らせたまふらん」「なにとて、なさけしまさぬぞ。今日けふの命をらぬの、はぢをばたれかくすべき。かなふまじ」とて、きたり。「たまはずや、浄飯じやうぼん大王だいわう御子悉達太子しつだたいしは、一人御座おはしますちち大王だいわうてて、阿羅邏仙人あららせんにん給仕きうじたまひしぞかし」「れは、いきてのおんわかれ、これは、すべきわかれなり。たとへにもるべからず」「おん言葉ことばおもきとて、只今ただいまかくたま師匠ししやうをやころたてまつるべき」「まことに、みづかものならずは、いとまをこひても、なにかせん。七生しやうまで不孝ふけうぞ」とふ、まろびたまひける。証空しようくう進退しんだい此処ここにきはまり、師匠ししやう恩徳おんどくほうたてまつらんとすれば、はは不孝ふけう永却えいごふにもうかびがたし。どころかりければ、はは御前ごぜんにひざまづき、「不孝ふけうおほせ、かなしみてもあまり。奈落ならくめ、いつをかせん。は、かりの宿やどりなり。未来みらいこそ、まことにてさうらへ。師匠ししやうの命にはりたてまつらば、おんかひにもまゐるべし。さあらば、一蓮ひとつはちすえんにも、などかはならでさうらふべき。おぼさうらへ」とて、名残なごりたもときわくる。ははは、なほもしたひね、「らば、みづからをもつれ、一蓮ひとつはちすえんになしたまへや。てられて、おいの、なにるべき」と、もだかなしみたまふ。阿闍梨あじやりは、ははをなだめね、斯様かやうならんとおもひなば、中々まうだすまじかりつるものを、又は、ははいとままうさずとも、おもさだむべかりつることを、こころよわくて、斯様かやうことよ。しみたまふも、ことわりなりただ一人有なり。月ともほしとも、われをならでは、たのたまはぬ御事おんことなり。一日いちにち片時へんしも、たてまつらぬだに、こころもとくて、隙無行法ぎやうぼふあひだは、こころならずたてまつことし。おそときは、つゑにすがりたりたまひて、ひざまづき、うしろにち、夏はあふぎ使つかひ、冬はあたたむるやうにたためたまふ。「これしかるべからず」とまうせば、「幾程いくほどみづからがこころまかせてくれよ」とおほせければ、上人しやうにんも、あはれみりて、「こころまかせよ」と、御慈悲じひるにつて、片時へんしはなたま事無し。われまたおんあはれみのもだがたさに、ひまをはからひ、たてまつらんと、かよひしぞかし。にも、いまわかたてまつりなば、さこそかなしくしまさめとおもへば、なみだもせきへず。まことに、みづかせなば、やがてもりしにたまふべきこころざしなれば、つもたれず、ぬるもねられず、黯然あんぜんとして、くばかりなり。なほしも、ははは、ひかへたるたもとをはなさで、りかかり、しづたまひければ、そでがたくて、たなごころはせ、「みづからがまうことわり、よくよくこしさうらへ。しみおぼさるる御事こと僻事ひがこととはぞんさうらはず。さりながら、かねてもまうししごとく、は、ゆめまぼろしたまへ。仏とまうことほかし。がなすむねうちあきらかなる。月輪ぐわちりんのくもらぬをさとりとまうし、うづもるるをまよひとまうさうらふ。れば、ほとけは、衆生しゆじやう善悪ぜんあくへだよし、ときかせ御座おはしますものを。さあらば、おやり、り、り、弟子でしり、これみな一心いつしんぐわんり、山河さんが大事だいじ、ことごとく阿字あじ一字にこそをさまりてさうらへ」といかりければ、はは、ひかへたる袖をすこゆるしけるところに、棄恩入無為きおんにふむゐ真実しんじつ報恩者はうおんしやことわりをつぶさにときければ、ははなみだおさへて、「らば」とて、ゆるしけり。証空しようくううれしくて、いそばうかへりけり。孝行かうかうほどたのもしき。 晴明せいめいおそしと、ちしことなれば、七尺しやくゆかをかき、五色のへいならべ、金銭散供きんせんさんぐかず菓子くわしをもりたて、証空しようくうなかゑて、晴明せいめい礼拝らいはい恭敬くぎやうして、数珠じゆずはらはらとみ、上は梵天ぼんでん帝釈たいしやく四大天王てんわう、下は堅牢地神けんらうぢじん八大龍王はつだいりゆうわうまで勧請くわんじやうして、すで祭文さいもんおよびければ、護法ごほふわたるとえて、色々の金銭幣帛きんせんへいはくあるいはそらがりて、あそび、あるいは壇上だんじやうをどりまはる。絵像ゑざう大聖だいしやう不動明王ふどうみやうわうは、利剣りけんたまひければ、とき晴明せいめい、座をつて、数珠じゆず証空しようくうかうべをなで、「平等びやうどう大慧一乗いちじよう妙典めうでん」とひければ、すなはち、上人しやうにん苦悩くなうさめて、証空しようくううつりけり。やがて、五体ごたいよりあせながし、五蘊ごうんやぶり、骨髄こつずいくだことふにおよばず。これひと晴明せいめい奇特きどくのたふとき、証空しようくうこころざしがたさに、色々のそでしぼるばかりなり。さて、証空しようくうかたよりは、けぶりちて、苦悩くなうしのがたかりしかば、年頃としごろたのたてまつ絵像ゑざう不動明王ふどうみやうわうをにらみたてまつり、「われ二無いのちりて、かばね壇上だんじやうとどむ。正念しやうねんぢゆうして、安養浄刹あんやうじやうせつかへたまへ。知我心者ちがしんしや即身そくしん成仏じやうぶつあやまたまふな」と、一心いつしんぐわんをなしければ、明王みやうわうあはれとやおぼしけん。絵像ゑざう御眼まなこより、くれなゐの御涙はらはらとながさせたまひて、「なんぢ、たふとくも法恩ほふおんおもくして、一人のおやて、めいはるこころざしほうじてもあまり。われまた如何いかでかなんぢいのちはらざるべき。行者ぎやうじやたすけん。かたいしゆくのちかひは、地蔵ぢざう薩埵さつたかぎらず。うくる苦悩くなうよ」と、あらたに霊験れいげんあらはれければ、明王みやうわう御頂いただきより、猛火みやうくわふすぼりで、五体ごたいをつつめたまふ。たふとしとも、かたじけなともがたし。すなはち、証空しようくう苦悩くなうとどまりけり。智興ちこう上人しやうにんたすかりたまことがたかりしためしなり。れば、三井寺みゐでら泣不動なきふどうとて、寺の重宝ちようほうひとなりながさせたまひし御涙紅くれなゐにして、御胸むねまでながれかかりて、いまるとぞうけたまはつたへたる。師匠ししやう御恩ごおんは、斯様かやうにこそおもことにてさうらへ。

〜参考記事〜

国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室

https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。

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