6-7 山彦山の残照 ―― 遅れてきた兄
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する「富士の巻狩り」の決行当日。兄・曾我十郎祐成は、最愛の女性、大磯の虎と山彦山の峠で涙の別れを告げ、弟の待つ合流地点へと急いでいた。
復讐という名の修羅道を歩む兄弟にとって、時間は何よりも尊い。しかし、十郎の心にはまだ、愛する女を振り切ってきた痛みが熱く残っている。一方、待たされていた弟・曾我五郎時致。彼は怒るどころか、兄の遅参を「ある伝説」になぞらえて肯定する。
「――遅れたな、五郎」
中村通りの細い坂道を駆け抜け、曾我十郎祐成がようやく合流地点に現れた。彼の直垂には、今朝まで一緒にいた大磯の虎の「紅梅の香り」が微かに残っている。馬の息は荒く、十郎の瞳には、愛する者を捨ててきた男特有の、深く静かな悲しみが沈んでいた。
「……虎を送り届けていた。山彦山の峠で名残を惜しむあまり、これほど時を移してしまった。……五郎、不覚な兄を、呆れて思うか?」
十郎は、馬から下りながら弟の顔を伺った。これから向かうのは、失敗すれば即座に死が待つ「富士の夜襲」。その直前に女と別れを惜しんで遅刻するなど、武士としては言語道断の失態だ。だが、弟の五郎は、太刀を杖にして悠然と立っていた。
「――いいえ、兄上。気にする必要はありませんよ」
五郎は、意外なほど柔らかな笑みを浮かべた。そして、彼はその屈強な体に似合わぬほどの深い知識を披露し始めた。
「昔、天竺でも似たようなことがあったのです。お釈迦様でさえ、死に別れた母・摩耶夫人の恩に報いるため、天界に上り、三ヶ月もの間、人間界を留守にされたことがありました」
「釈尊が……天界へ?」
「はい。その時、地上に残されたウ天王は、釈尊に会いたくて会いたくて、恋煩いで死にそうになったのです。それを見かねた天の王・帝釈天は、天界一の技術を持つ大工、毘首羯磨を地上に派遣しました」
五郎の語りは、まるでその場を見てきたかのように熱を帯びる。
「ウ天王は喜び、最高級の香木・赤栴檀を差し出しました。毘首羯磨はその腕を振るい、釈尊の生き写しの像を彫り上げた。出来上がった像は、あまりに見事で、釈尊が天から降りてきた時、その像が歩み寄って釈尊を出迎えたという伝説があるほどです」
「ウ天王は、その像があまりに素晴らしかったので、大工の毘首羯磨を地上に引き止めようとしました。ですが毘首羯磨は、『私は天の大工です。ここには止まれません』と言って空へ帰っていった。
……その像こそが、後に玄奘三蔵によって東方に運ばれ、今ここ日本、京都・嵯峨の清涼寺に祀られている『嵯峨の釈迦如来』なのです」
五郎は十郎の目を真っ直ぐに見つめた。
「仏でさえ、愛する者を想う恩愛をきっかけに、このような奇跡を生んだ。ならば人間である兄上が、愛する女との別れに時を忘れるのは、あまりにも当然のことではありませんか」
しかし、十郎は自嘲気味に笑い、首を振った。
「――いや。五郎、お前の解釈は、少し『甘い』な」
「……何がですか?」
「ウ天王が釈尊を想ったのは、人々を救うための尊い愛――すなわち『方便』だ。仏教を広めるための慈悲の心だよ。
だが、俺が虎を想って流した涙は……違う。それは、ただの凡夫が迷い、輪廻の鎖に縛られているだけの、ドロドロとした『執着』に過ぎない」
十郎の言葉は、冷徹なまでに自己批判的だった。
「俺たちは、人を殺しに行くんだ。父上の仇とはいえ、これから血の雨を降らせようとする男が、仏の慈悲を語るなどおこがましい。……俺の恋も、お前の執念も、所詮はこの泥沼の世界で足掻いているだけの醜い本能だ。ウ天王の恋と一緒にされては、お釈迦様も困るだろうよ」
十郎はそう言って、快活に笑い飛ばした。その笑いには、己を「悪」と断じ、それでも突き進むという、修羅の覚悟が宿っていた。
「……ははは! 確かに、兄上の仰る通りかもしれません」
五郎も笑った。伝説の美談で己を飾る必要などない。自分たちは、地獄に落ちることを承知で、親の仇を討つ。それだけで十分だ。
「さあ、兄上。能書きはこれくらいにしましょう。……行きましょう。富士が俺たちを呼んでいます」
「ああ。……行くぞ、五郎」
兄弟は再び馬に跨った。目指すは、源頼朝の大陣営が広がる富士の裾野。
曾我物語 巻第六(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔嵯峨の釈迦作り奉りし事〕
五郎、待遠なる折節、十郎来たりて、「此の者送りしとて、今まで時を移しぬ。如何に不思議に思ひ給ひけん」と申しければ、「何かは苦しく候ふべき。昔も、然る事の候ふ。釈尊、母の報恩の為に、忉利天に上り給ふ。帝釈聞き給ひて、毘首羯磨と言ふ天人を下し給ふ。う天王喜びて、赤栴檀にて、如来を作り奉り、何れを移したる姿共見えずぞ作りける。う天王、喜びの余りに、毘首羯磨を留められければ、「我は是、善法の大工也。止まるべからず」とて、遂に天に上りぬ。其の像を玄弉三蔵盗み取りて、此の国に渡し、多くの衆生を済度し給ふ。今の嵯峨の釈迦、是也。ましてや、人間として、如何でか恩愛思はざるべき」。十郎聞きて、「大きに違ふ心かな。う天王は、利益方便の恋也。薄地凡夫、輪廻の執着也。一つにあらじ」と笑ひて、各富士野の出立をぞ急ぎける。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




