6-2 最強の母、弁才天
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する「富士の巻狩り」の直前、大磯の宿。最愛の女性、大磯の虎との最後の夜を過ごしていた曾我十郎。しかし、そこへ和田義盛が大軍勢を引き連れて乱入してきた。
母に「出仕しなければ縁を切る」とまで脅され、泣く泣く宴席に向かった虎。だが、その愛の葛藤の裏側には、遥か古代から伝わる「弁才天」誕生にまつわる、世にも不思議な親子の物語が隠されていた。
そもそも、虎の母が引き合いに出した「ふん女」という女性の物語から始めよう。昔々、大国の流沙という川の上流に、ふん女という名の女性がいた。彼女は天下に知られた大富豪で、蔵には金銀財宝が溢れていた。だが、唯一の悩みがあった。子宝に恵まれなかったのだ。
彼女が必死に祈り続けた結果、ようやく懐妊した。しかし、産み落とされたのは人間の赤子ではなかった。なんと、五百個の卵だったのである。
「……これはきっと、天に見捨てられたのだわ。この卵から恐ろしい怪物が生まれ、人を害するに違いない」
恐怖に駆られた彼女は、五百の卵を箱に詰め、流沙の川へと流してしまった。川下で釣りをしていた貧しい老人、きよはくがその箱を拾い上げた。
中から出てきたのは五百の卵。老夫婦が温めると、中から可愛らしい男子が次々と生まれた。老夫婦は喜び、貧しいながらも必死に五百人を育て上げた。だが、五百人の息子たちが成長するにつれ、家計は破綻。飢えに苦しんだ彼らは、生きるために略奪を繰り返す悪党へと変貌してしまった。
「おい、川上に『ふん女』という長者がいるらしい。あいつの蔵をぶち破って、お宝を全部奪い取ろうぜ!」彼らは魔神たちの力を借り、禍々しい装備に身を包んだ。迷いの輪廻の鎧。籠手: 悪業煩悩の籠手。三界無安の兜。四苦八苦の馬。まさに「闇堕ちした軍勢」となった五百人の息子たちは、かつて自分たちを捨てたとも知らず、実の母の城へと攻め寄せたのである。
迎え撃つ「ふん女」も、ただの長者ではなかった。彼女の慈悲深さに感銘を受けていた神々が、一斉に援軍として現れた。悪魔を打ち倒す四天王、そして十二天。中でも凄まじかったのは、弓矢の神――水天の姿だ。九品正覚の鎧を纏い、背後には巨大な大蛇を従えている。兜の上で蛇が眼光を放ち、雷を撒き散らし、口から火焔を吐く。
「――阿修羅の軍勢すら恐るるに足りず。ましてや、お前たちのような小物の暴動など、蟻の這い出しも同然だ。城中、鎮まれ!」
神々の圧倒的なオーラに、五百人の略奪者たちは戦意を喪失した。城内から一人の武者が進み出て問う。
「お前たちは何処の国の何者だ!」
「俺たちに親も氏もねえ! 川の上流から流れてきた五百人の流人だよ!」
これを聞いたふん女は、ハッと気づいた。
「……待ちなさい。お前たちが流されてきた時、どんな姿をしていたの?」
「卵だよ。玉の手箱に入っていて、そこには『ほうしょうろう』と銘が書いてあったらしい」
ふん女は確信した。
「……間違いない。お前たちは、私が産んだ子供たちです。証拠に、この箱の底に隠していた私の『判』を見せましょう」
ふん女が懐から取り出した証拠品を見た瞬間、五百人の息子たちは兜を脱ぎ、武器を投げ捨て、大地にひざまずいて号泣した。母もまた、子供たちの愛おしさに、剣の刃が並ぶ中を駆け抜け、一人一人を抱きしめた。その後、ふん女は大弁才天となり、五百人の息子たちは五百童児として彼女に仕える神となったという。
物語は大磯の宴席へと戻る。
「弁才天のような立派な神でさえ母には従った。お前が従わないとは何事だ」と詰め寄る母に、虎は絶望していた。
(十郎様への愛を貫けば、母を裏切り、親不孝の罪を背負うことになる……。どうすればいいの?)
その時、奥の間に隠れていた曾我十郎が、静かに言った。
「……虎。いいから出なさい。母上の命に背けば、神仏の罰も恐ろしい。一杯だけ酒を注いで、すぐ戻ってくればいい」
十郎の言葉に背中を押され、虎はついに広間へと足を踏み出した。だが、その懐には「守り刀」を隠し持っていた。
(もし義盛様が私に指一本でも触れようとしたら、この手で刺し、私も死ぬ)
広間では、和田義盛が激怒し、怪力の息子・朝比奈三郎義秀に「虎を引っ張ってこい!」と命じていた。
その頃、曾我の里で兄の身を案じていた弟・曾我五郎時致は、猛烈な胸騒ぎを感じていた。
「――兄上が危ない!」
五郎は緋威の鎧を羽織り、家宝の四尺六寸(約140cm)の太刀を背負うと、鞍を置く暇も惜しんで馬に跨り、大磯へと爆走した。五郎は裏口から潜入し、十郎が隠れている障子の裏へと回り込んだ。
「兄上、時致(五郎)が来ました」
弟の低い声に、十郎は「万騎の援軍を得た」と確信し、死を覚悟した冷静さを取り戻した。だが、朝比奈三郎は気づいていた。障子に映る「巨大な刀の影」と、漂う殺気に。
「おやおや、面白そうな客人が後ろにいるようじゃないか。……さあ、出てこい!」
朝比奈は障子を蹴破るように開け、五郎の鎧の裾(草摺:くさずり)をむんずと掴んだ。
「宴会に参加しろよ、小僧!」
朝比奈が力任せに引く。しかし、五郎は一歩も動かない。巨漢の朝比奈が顔を真っ赤にして踏ん張る。五郎はあざ笑うように踏みとどまる。
バリバリバリッ!!
凄まじい音と共に、五郎の厚い鎧の革紐が千切れ飛んだ。朝比奈は勢い余って後ろへと派手に転倒したが、五郎は仁王立ちのまま、微動だにしていなかった。
「……やるじゃねえか。さすがは河津三郎の息子だ」
朝比奈は起き上がり、素直にその怪力を賞賛した。五郎は悠然と広間を横切り、朝比奈の隣にドカリと座った。十郎もまた、観念して席に付く。和田義盛が、震える手で盃を差し出した。
「……曾我の若僧。まあ飲め」
五郎は三度、酒を飲み干した。そして運命の瞬間。虎が盃を手に取る。義盛は「次は俺に注げ」と期待の眼差しを向ける。だが、虎は義盛を完全に無視し、最愛の十郎の前に盃を置いた。
「十郎様。どうぞ」
「…………っ!!」
義盛の顔が怒りで煮えくり返る。
「おい……。二十年も若ければ、俺はお前をその場で斬り殺していたぞ。この俺を無視して、浪人風情の十郎に差すとは……いい度胸だ。南無阿弥陀仏!」
和田一族が殺気立ち、武器に手をかける。だが、五郎は巨大な太刀の柄に手をかけ、十郎はあざ笑うように義盛を見据えた。
「――義盛殿。申し訳ないが、俺たちは急いでいる。富士の山が、俺たちを待っているんでね」
圧倒的な気迫。曾我兄弟は、幕府の重鎮である和田軍団をその場の気合だけでねじ伏せ、虎を連れて悠然と宿を後にしたのである。
大磯の夜。和田義盛という巨大な試練を乗り越え、兄弟はついにすべての未練を断ち切った。
「兄上。これで、準備はすべて整いました」
「ああ、五郎。……いざ、富士の裾野へ」
弁才天と五百童児がかつて見せたような奇跡は、彼らには起きない。待っているのは、血で血を洗う凄絶な復讐の結末。「富士の巻狩り」決行まで、あとわずか。
曾我物語 巻第六(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔弁才天の御事〕
抑、ふん女と例へに引きける由来を尋ぬれば、昔、大国流沙の水上に、ふん女といへる女有り。天下に聞こゆる長者也。金銀珠玉のみにあらず、七珍万宝、四方の蔵に余りける。然れども、如何なる前業にや、一人の子無し。悲しみて、祈れども、適はず。或る時、思はざる懐妊す。喜びの内、苦悩言ふ計り無し。され共、出で来たるべき嬉しさに、物の数とも思はざりけり。日数積もる程に、産の紐をとく。見れば、人にはあらで、かひ子を五百うみたり。「是は如何に、一つなりとも、不思議の事ぞかし。五百人まで生まるる事、只事にあらず。縁無き子をしひて祈るに依りて、天のにくみを蒙ると覚えたり。帰りなば、如何なる物にて、親をも損じ、人をも害すべきやらん。其の上、胎卵湿化の内、卵生罪深しととかれたり。おくべからず」とて、箱に入れて、流沙の波に流し捨てけり。不思議なる例也。遙かの川の末に、れうかんと言ふ所に、きよはくと言ふ貧道無縁の老人有り。明け暮れ、此の川の鱗をすなどり、身命を助かる者有り。折節、釣する所へ、此の箱流れ寄りたり。取り上げ、開きて見れば、卵なり。何者の子やらんと思ひ、家に取りて返り、妻にかくと言ふ。女、是を見て、「恐ろしや、如何なる者にか帰りなん。主も様有りてこそ捨てつらん。急ぎ元の川に入れよ」と言ふ。「只おき候へ。斯様なる物には、不思議もこそあれ。仮令僻事有りとも、我等は、齢幾程有るべきならねば、様を見よ」とて、物に包み、あたたかにして置きたりければ、程も無く、いつくしき男子に返りぬ。我、古より、一人も子の無き事を歎きに思ふに、然るべき哀れみにやと喜びて、又見れば、帰り帰りて、五百人にぞ帰りそろひける。一つを捨てて、一つを養はん事、恨み有り。黙し難くて、取り集め、養ひけるに、一つもつつがなく、成長しけるぞ、不思議なる。夫婦二人の時だにも、渡世適ひ難し。此の者共を育てける程に、朝夕の世路にわびければ、此処や彼処に徘徊し、命を助からんとする程に、心ならず猛悪に成り、思はずも、欲心に住す。瞋恚を旨として、驕慢に余りければ、外道にも近付きけり。或る時、彼等言ひけるは、「我等一人ならず、餓死に及べり。然ればとて、徒らに身を捨つべきにあらず、此の川上に、ふん女とて、長者有り。財宝を蔵に置き余る。いざや行きて、打ち破らん。宝は取りあきぬべし」と言ひければ、一人が言ふ様、「然る事なれども、其れ程いみじき果報者を、我等賎しき貧力にて、宝を奪はん事、思ひもよらず、かへつて身の仇となりぬべし、案じ給へ」と言ふ。今一人が言ふ様、「然らば、外道共を語らひ、彼等が神通の力をかりて、破りて見ん」「然るべし」とて、非天外道と言ふ者のもとへ遣りたりければ、もとより闘諍修羅を好む者なりければ、同類を催し、打ち立ちける。装束には、流転生死の鎧直垂に、悪業煩悩の籠手を差し、とくの脇楯に、因果撥無の脛当し、愚痴暗蔽の綱貫はき、極大邪見の鎧に、誹謗三宝の裾金物をぞ打ちたりける。三界無安の白星の兜に、六趣輪廻の頬当し、貪欲心いの刀を差し、邪見放逸の太刀をはき、殺生偸盗の大弓に、破戒無慙の弦を掛けて、苦患無明の箙には、諸法愛著の矢数を差し、四顛倒の馬の太くたくましきに、四苦八苦の鞍を置きてぞ乗りたりける。其の外、異類異形のちた外道共、思ひ思ひの装束に色々の旗差させ、数を知らずぞ集まりける。城中には、鎮まりかへりて、音もせず。され共、用心厳しくて、たやすく入るべき様は無かりけり。時を移して、ゆらへたる。彼のふん女は、同じく福者と言ひながら、三宝を崇め、仁義を乱らで、言ふ計り無き賢人なり。如何でか験無かるべき。諸天、是を哀れみて、ふん女を渇仰し給ひける。かくては、如何有るべきとて、死生不知の外道共、をめきさけびて、乱れ入る時に、悪魔降伏の四天・十二天、影向成りて、四角四方を守り給ふ。四天は、もとより甲冑をよろひ、弓箭をはなさぬ勇士なれば、面もふらで、ささへ給ふ。火天、猛火をはなし、風天、風を深せ、各々 城を守り給ふ。中にも、水天は、弓矢を守らんと誓ひ給ふなれば、数の眷属を引きつれ、妙観みつちの旗差させ、殊にすすみて見え給ふ。其の日の御装束には、九ほん正覚の鎧直垂、相好荘厳の籠手を差し、上求菩提の膝鎧、下化衆生の脛当し、二求両願の綱貫はき、大悲だいじゆ等の頬当し、無数方便の赤糸の鎧に、紫磨黄金の裾金物を打ちける、万徳円満の月、まかうに打ちたる、畢竟空しくの四方白の兜を猪首にき、五劫思惟の厳物づくりの太刀はき、首楞厳定の刀差し、くわしや三昧の月弓に、実相般若の弦を掛け、智徳無量の矢数を、随類化現の筥に差して、はたかに追ひ成し給ふ。もとより手なれたる大蛇、後ろよりはひかかり、左右の肩に手をおき、兜の上に頭をもたし、両眼の光明らかにして、時々雷四方にちり、紫の舌の色あざやかにして、折々火焔をふき出だす勢、天に余る。今の代に、兜の竜頭を打つ事、此の時よりも始まりける。床几に腰を掛け、宣ひけるは、「大阿修羅王が戦ひのこはきも、仏力には適はず。ましてや言はん。彼等がいさみ、蟻のたけりと覚えたり。城中鎮まれ」とぞ下知しける。此処に、城の内より武者一人すすみ出でて申しけるは、「只今寄せ来たる兵は、何処の国の何者ぞ。又、如何なる宿意有るぞ。詳しく名乗れ」と言ひける。五百人の兵聞きて、「彼等には、親も無し。氏も無し。生まるる所を知らざれば、なにじやう誰と名乗るべき。朝夕思ふ事とては、宝のほしきばかりなり。P249急ぎ蔵を開き、財宝を与へよ。我等、思ふ程取りて帰らん」と言ひける。「心得ぬ言葉かな。人に依り、分に従ひ、氏も、名字も有る物を、猛悪の身が不思議なり。申せ」と言ひければ、「問ひては何にし給ふべき。さりながら、此の上より流れ来たる五百人の流人なり。言はれん物も無ければ、人知らず。急ぎ宝を施して、返すべし」と申しけり。流れ来たる兵と言ふを、ふん女、つくづく聞きて、あやしく思ひ、櫓の下に歩み出でて、「五百人の殿原、近くより給へ。尋ぬべき事有り」と言ひければ、一人、塀の際によりたり。「抑、「流れ来たる」と仰せられつる言葉について申すぞとよ。姿は何にて流れけるぞ」「宝をば出ださで、むつかし」とは言ひながら、「我等が昔、如何なる者かうみけん。五百の卵にて、水上より流れけるを、人取り上げて、育てける」と言ふ。然ればこそと思ひ、「其の卵は、何に入りけるぞや」「玉の手箱に入り、上には銘を書きし也」「銘をば何と書きたるぞ」「はうしやうろうの箱と書けり」「さては、疑ふ所無し。是は、そなたの支証なり。此方よりの証據には、「もし此の卵つつがなく成長あらば、尋ねこよ。ふん女」と書きて、判をおし、箱の底に入れたりしが、刹那も膚をはなさじと、首に掛けて持ちたり」とて、懐よりも取り出だす。「さては、疑ふ所無し。汝等は、自らが子供なり」と、戸を開きて、出でければ、尾花の如くささへたる鉾剣をも捨てにけり。母も子供のなつかしさに、剣の刃を忘れ、彼等が中に立ち入りて、見まはしければ、兵も、兜を脱ぎ、弓矢をよこたへ、各々大地にひざまづく。いつしか母はなつかしく、思ひの涙うかびければ、なみ居たりける兵の中を、彼方此方に行きめぐり、彼もか、是もかと言ふ露の袖のにほひもかうばしく、哀れみ哀れむ装ひは、見る目もすすむ涙なり。実にや、恩愛の中程、悲しき事あらじ。夜叉羅刹をだにも従へて、猛くいさめる武士も、母一人の言葉に、皆々靡くぞ哀れなる。かくて、城中にいざなひ、親子のむつび、懇ろなり。 後には、ふん女、大弁才天と現れ給ふとかや。五百人の人々は、五百童児と成り、其の一つは、印鎰預かり、神と現れ給ふ。はうしやうろうの箱をも、其の中にもたし給ふ。一切衆生の願ひをことごとく見て、安楽世界に向かへむと誓ひ給ふ。「斯様に猛き弓取りも、母には従ふ習ひぞかし。 何とて、虎は、母に従はざるや」とぞ言ひける。虎は、猶も涙にむせび、「流れをたつる身程、悲しき事は無し。夫の心を思ひ知れば、母の命に背く。又、母に従へば、時の綺羅にめづるに似たり。とにもかくにも、我が思ひ、乱れ染めける黒髪の、あかぬ情の悲しさよ。如何なる罪のむくいにて、女の身とは生まれけん。然ればにや、五障三従ととき給ひけるぞや」とて、さめざめと泣き居たり。十郎、此の有様を見て、「何かは苦しかるべき。一獻の程の隙、出だし給へかし。母の命背きなば、冥の照覧も恐ろし」と申しければ、虎は、是にも従はで、只泣くより外の事は無し。義盛、是をば知らずして、「何とて、虎は遅きやらん」とて、一さいに興を失ひけり。母も又、待ち兼ねけるにや、「曾我の十郎殿坐しますが、さてや、出で兼ね候ふらん」。和田は、是を聞きて、「心得ぬ振舞ひかな。我こそ出でて、対面せざらめ、流れの遊君をふさぐべきか。誠に僻事なり。四郎左衛門、朝比奈は無きか。御向かひに参れ」と言ふ。四百余人の殿原も、はや事出で来ぬと、色めきける。祐成が有り所近ければ、義盛が言葉、手に取る様にぞ聞こえける。「不思議やな。思はぬ最後の出で来たるぞや。身に思ひのあれば、千金万玉よりも惜しき命也。され共、逃れぬ所は、力無し。徒らなる死にして、五郎に恨みられん事こそ、思ひ遣られて悲しけれ。さりながら、斯様の所は、神も仏も許し給へ」と観じて、烏帽子押し直し、直垂の露結びて、肩に掛け、伊東重代の赤銅づくりの太刀を二三寸抜き掛け、片膝押したて、一方の戸を開き、「ことことし、三浦の者共、何十人もあれ、一番にいらん朝比奈が諸膝なぎふせ、続かん奴原、物の数にや有るべき、伊東の手なみ見せん。遅し」とこそは待ち掛けたり。虎も、此の有様を見て、実にや、冥途より来たるなる獄卒の追つ立つる道だにも、主君・師匠の命には変はるぞかし。ましてや、夫婦恩愛の契り浅からずとは、古今までも伝へ聞くなる物を、後の世までも離れじと思ひ切りて、守り刀、衣の褄に取りくくみ、三浦の人々、如何にいさみ乱れ入るとも、何と無く立ちまはり、よき隙に、義盛を一刀差し、如何にもならんと、只一筋に思ひ定め、祐成近く居寄り、今やとまつぞ、哀れなる。時移りにければ、和田、いよいよ腹をたて、「如何に、朝比奈は無きか。御向かひに参れ。無骨の訴訟も苦しかるまじ」とぞ怒りける。義秀聞き兼ね、座敷を立ち、虎が向かひに行きけるが、つくづく案ずる様、十郎と言ふも、伊東の嫡々(ちやくちやく)たり、心も又、立て切りたり、始めより出ださで、斯様に成りては、よも出ださじ、我又、あらく怒りて出ださんも、恥辱也、所詮、難無き様に打ち向かひて、すかさばやと思ひければ、静かに歩み入りけるが、此の殿原、兄弟は、身こそ貧なりとも、心は貧にあらばこそ、楚忽に入りて、細首打ち落とされ、悪しかりなんと思ひ、扇、笏に取り直し、畏まりて、「是に、曾我の十郎殿の御入りの由、父にて候ふ者承り、御向かひの為に、義秀を参らせられて候ふ。何かは苦しく候ふべき。御出有りて、親にて候ふ者に、御対面や候ふべき。其れに又、某一期に一度の所望の候ふ。御前の事、ゆかしき事に、義盛思ひ候ふが、御座を存知して、義秀申し止めて候ふ。然るべくは、諸共に御出で有りて、父が所望をも養ひ、義秀も、面目有る様に御はからひ候へ、一向頼み奉り候ふ。さりながら、御心に違ひ候はば、罷り帰り候ふべし」と、障子ごしに言ひければ、十郎聞きて、「頼む」と言ふに、やはらぎて、「左右にや及ぶ、朝比奈殿、如何でか異議に及ぶべき。たち給へや、御前。祐成も出でん」とて、烏帽子の筒押したて、直垂の衣紋引きつくろひ、虎を先にたてて、各々三人出でたり。さてこそ、なみ居たりける人々も、いきたる心地はしたりけれ。誠に、義秀の振舞ひ、優なる物かな、座敷に事も起こらず、虎も出でて、十郎も心を破らで、事過ぎにける。是や、せようろんに、「国の誠興貴する事は、諌臣に有り、家のまさにさかんにたつとうする事は、諌子によつてなり」と、斯様の事をや申すべき。朝比奈無かりせば、由無き事出で来、十郎も打たれ、和田にも、人多く滅びなん。深淵にのぞんで、薄氷を踏むが如く、危ふかりし事なり。 義盛、ゑみをふくみ、「十郎殿の坐しましけるや。余所の人の様に、隔心候ふ物かな。御入りを知り奉らば、最前より申すべかりつる物を。是へ是へ」と請じける。十郎、笏取り直し、「さん候。もつとも御目にかかり候ふべきを、御存知の如く、異体の無骨に、斟酌を致し候ひぬ」。本意にあらざる由、色代して、左手の畳になほりける。虎も、座敷に定まりければ、盃前にぞ置きたりける。義盛、虎をつくづく見て、「ききしは物の数ならず、斯かる者も有りけるよ。十郎が心をかねて出でざるさへ、やさしく覚ゆるにや、其れ其れ」と言ふ。何と無く盃取り上げ、其の盃、和田のみて、祐成にさす。其の盃、義秀のみて、面々に下し、思ひざし、思ひどり、其の後は乱舞に成る。此処に、又始めたる土器、虎が前にぞ置きける。取り上げけるを、今一度としひられて、受けて持ちける。義盛、是を見て、「如何に御前、其の盃、いづかたへも思し召さん方へ、思ひざしし給へ。是ぞ、誠の心ならん」と有りければ、七分に受けたる盃に、心をちぢに使ひけり。和田に差し奉らん事、時の賞玩のいかんなし、然れども、祐成の心恥づかしさよ、流れをたつる身なればとて、人を内に置きながら、座敷に出づるは、本意ならず、ましてや、此の盃、義盛に差しなば、綺羅にめでたりと思ひ給はんも口惜し、祐成にさすならば、座敷に事起こりなん、かく有るべしと知るならば、始めより出でもせで、内にて如何にも成るべきを、二度思ふ悲しさよ、よしよし、是も前世の事、もし思はずの事あらば、和田の前下がりに差し給ふ刀こそ、童が物よ、さゆる体にもてなし、奪ひ取り、一刀差し、とにもかくにもと思ひ定めて、義盛一目、祐成一目、心を使ひ、案じけり。和田は、我にならではと思ふ所に、さは無くて、「許させ給へ、さりとては、思ひの方を」と打ち笑ひ、十郎にこそ差されけれ。一座の人々、目を見合はせ、「是は如何に」と見る所に、祐成、盃取り上げて、「身の賜はらん事、狼籍に似たる。是をば御前に」と言ふ。義盛きいて、「志の横どり、無骨なり。如何でか然るべき。はやはや」と色代也。さのみ辞すべきにあらず、十郎、盃取り上げ、三度ほす。義盛、ゐだけだかに成り、「年程、物憂き事は無し。義盛が齢、二十だにも若くは、御前には背かれじ。仮令一旦嫌はるる共、斯様の思ひざし、余所へは渡さじ。南無阿弥陀仏」と、高声也ければ、殊の外にて、にがにがしく見えければ、九十三騎の人々も、義秀の方を見遣りて、事や出で来なんと色めきたる体、差し現れける。十郎、もとより騒がぬ男にて、何程の事か有るべき、事出で来なば、何十人もあれ、義盛と引き組みて、勝負をせんずるまでと思ひ切り、あざ笑ひてぞ居たりける。 此処に、五郎時致、曾我に居たりけるが、父の為に法華経読みて、本尊に向かひ、念誦しけるが、しきりに胸騒ぎしけり。心得ぬ今の胸騒ぎや、いかさま、祐成の大磯へこし給ひぬるが、東国の武士、富士野へ打ち出づる折節なり。流れの遊君故、事し出だし給ふにやと、心許無く思ひければ、帳台に走り入り、緋威の腹巻取つて引き掛け、伊藤重代の四尺六寸の赤銅づくりの太刀、十文字に結びさげ、鞍おくべき暇無ければ、膚背馬に打ち乗りて、二十余町の其の程、只一馬場に掛け通し、門外を見渡せば、長者の門の辺、鞍おき、馬一二百匹ひつたてたり。侍所には、物の具の音しきりにして、只今、事出で来ぬとぞ見えける。入るべき所無くして、門の外をめぐり、日頃、祐成に行きつれて通りしかん小路にめぐり、竹垣をくぐり、虎が居所にこそつきにけれ。「十郎殿は、如何に」と問へば、「和田殿と盃を論じて、只今事出で来ぬ」と申す。然ればこそと思ひ、透垣をはね越え、兄の居たりける後ろの障子を隔て立ちけり。時致、是に有りと知られん為に、かうがひにて、障子ごしに、袴の着際を差しければ、十郎「誰そ」と問ふ。五郎、小声に成りて、「時致、是に有り」と言ふ。十郎聞きて、万騎の兵を後ろに持ちたるより頼もしくぞ思ひける。義盛の声して、「上も無く振舞ふ物かな」と聞こえける。祐成の御事ぞと心得て、何事もあらば、障子一重踏み破りて、飛び出でて、一の太刀にて義盛、二の太刀にて朝比奈、其の外の奴原、何十人もあれかし、物の数にてあらばこそと思ひ切り、四尺六寸の太刀、杖につきて立つ。忍び兼ねたる有様は、刀八毘沙門の悪魔を降伏し給ふかとぞ覚えける。夕日脚の事なれば、太刀影の障子にすきて見えければ、朝比奈、是を見て推量し、誠や、彼等兄弟は、兄が座敷に有る時は、弟が後ろに立ち添ひ、弟が座敷に有る時は、兄が後ろに有る物を。いかさま、五郎は、後ろに有りと覚えたり。さしたる事も無きに、大事引き出だして、何の詮かあらん。又、いつしやう他人にもあらざるなり。何と無き体にもてなし、座敷を立たばやと思ひければ、紅に月出だしたる扇開き、「何とやらん、御座敷鎮まりたり。うたへや、殿原、はやせや、舞はん」とて、既に座敷を立ちければ、面々にこそはやしけれ。義秀、拍子を打ちたてさせ、「君が代は千代に八千代をさざれ石の」としをり上げて、「巖と成りて苔のむすまで」と、踏みしかくまうてまはりしに、 五郎が立ちたる前の障子を引きあけ見れば、案に違はず、時致は、四天王を作り損じたる様にて、踏みしかりてぞ立ちたりけれ。朝比奈、過たず、狂言に取り成して、「是にも、客人坐しますぞや。此方へ入らせ給へ」とて、草摺一二間、むずと取りて引きけれども、少しも働かず。磐石なり共、義秀が手を掛けなば、動かぬ事有るべきかと思ひ、力に任せ、ゑいやゑいやと引きけれ共、五郎物とも思はねば、引くとも無く、引かるる共無く、あざ笑ひてぞ立ちたり。大力に引かれて、横縫草摺こらへず、一度にきれて、朝比奈は、後ろへ、どうど倒れければ、五郎は、少しも働かで、二王だちにぞ立ちたり。さて、五郎時致は、みぎは勝りの大力と、余所の人まで知りける。誠や、此の者父河津の三郎は、東八ケ国に聞こゆる又野の五郎に、片手をはなちて、相撲に三番勝ちてこそ、大力の覚えは取りたりしが、其の子なるをや、力くらべは適ふまじ、すかさん物をと打ち笑ひ、「是へ是へ」と請ずれば、「余りの辞退はいこく人、異体は御免候へ」と言ふ言ふ、座敷に出でけるが、持ちたる太力と草摺にて、末座なる人々の首まはり、側顔を打ちなぐり、差し越え差し越え行き過ぎて、朝比奈が下なる畳になほりける、座敷に余りて見えたり。朝比奈、急ぎ座敷を立ちて、義盛の前に有りける盃を五郎が前にぞ置きたりける。時致、盃取り上げて、酌に立ちたる朝比奈に色代して、「御盃の前後は、遅参の無礼、御免あれ。御盃は賜はり候ふ」とて、三度までこそほしたりけれ。其の盃、朝比奈取り、「遙かに久しう候ふ御盃、思ひどり申さん」とて、元の座敷になほりけり。五郎も、酌に手を掛け、「近くも参らぬ御酌に、時致立たん」とゆるぎ立つ。四郎左衛門、座を立つて、「某、是に候ふ」とて、銚子に取り付けば、五郎もしばし色代す。義盛、是を見て、「客人の御酌、然るべからず。其れ其れ」と有りければ、つねうぢ、酌にぞ立ちける。朝比奈、盃取り上げ、三度ほし、其の盃を虎のみて、義盛にさす。其の時、五郎、扇、笏に取り直し、「今暫くも候ふべけれども、曾我にさしたる急ぐ事の候ふ。後日に恐れ申さん」とて、兄諸共に立ちければ、虎も、同じく立ちにけり。一座も、無興至極にして、和田は、鎌倉へ通りければ、此の人々は打ちつれて、曾我へとてこそ返りけれ。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




