6-1 復讐者の最後のレクイエム
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する軍事イベント「富士の巻狩り」の直前。十七年という気の遠くなるような歳月を、ただ「復讐」のためだけに捧げてきた兄弟、曾我十郎と曾我五郎。
「……明日は、富士野へ打ち出す日か」
曾我十郎祐成は、三浦の地から曾我の里へ戻る道中、ふと足を止めた。この数年間、片時も忘れることのなかった復讐の誓い。だが、死地へ向かう前にどうしても会っておかなければならない相手がいた。
大磯の宿に住む、絶世の美女――虎だ。彼女と過ごした三、四年の月日は、修羅の道を歩む十郎にとって唯一の安らぎだった。
(もし俺が富士で死ねば、もう二度と彼女には会えない。……せめて、最後の一晩だけでも)
十郎は馬を大磯へと向けた。宿に到着した時、折しも街道は巻狩りに向かう武士たちで溢れかえっていた。十郎はふと、
「遊女というのは移ろいやすいもの。俺がいない間、彼女は他の男と楽しんでいるのではないか?」
という、武士らしからぬ不安に駆られ、門前で馬を止めて中の様子を窺った。
虎の部屋からは、仲間の遊女たちの話し声が聞こえてきた。
「虎さん、見てごらんなさいな。今通っているのはどこのお武家様?」
「先陣は波多野殿、後陣は横山殿だそうよ。立派なものねぇ」
そんな喧騒の中、虎の、透き通るような、しかし悲しみに沈んだ声が響いた。
「……あの方たちの馬も、鞍も、鎧も、腹巻も。……すべて、あの人に差し上げたいわ」
「あの人」とは、十郎のことだ。虎は涙を浮かべながら続けた。
「あの方が富士で不自由しないように、最高の装備を持たせてあげたい。……何事もありませんように」
これを聞いた十郎は、己の猜疑心を激しく恥じた。
(……俺は何を疑っていたんだ。これほどまでに俺を想ってくれている女性に対して)
十郎は知らぬふりをして入室した。
「虎、久しぶりだな」
「十郎様……!」
二人は再会を喜び、睦まじく語り合った。夢か現か分からぬほど、幸せな時間が流れる。だが、運命の女神は、この二人を放っておかなかった。
ドドドドドドッ!!
突然、宿の前に地響きのような蹄の音が響き渡った。鎌倉幕府の軍事司令官・侍所別当の和田義盛。彼が一門の精鋭、百八十騎を引き連れて大磯に現れたのだ。
「がははは! 富士へ行く前に、大磯の虎と一杯飲んでいこうじゃないか!」
義盛は、海道一と謳われる虎に目をつけていた。宿の主(虎の母)は大慌てで準備を整えた。接待メンバーは虎に劣らぬ美女三十余人。参戦者は 怪力無双の朝比奈三郎義秀をはじめとする、和田一族の猛者八十余人。広間では、すでに豪華な酒宴が始まろうとしていた。しかし、肝心の「主役」が姿を見せない。
「……おい、虎御前はどうした。俺は彼女に会いに来たんだぞ」
義盛が不機嫌そうに声を荒らげる。虎の母は顔を引きつらせ、奥の間へと走った。
「虎! 何をしてるの! 和田様がお待ちよ! 相手は幕府の超大物なのよ、早く行きなさい!」
だが、虎は十郎の腕の中で、衣を被って横になったまま動かない。
「……嫌です。私は今、十郎様と一緒にいたいのです。他の方になど、指一本触れさせたくありません」
「何を馬鹿なことを言ってるの! この時代の習いでしょう! 嫌な男とも笑って飲むのが仕事じゃないの! さあ、立ちなさい!」
母は必死に説得したが、虎の意志は鋼のように固かった。母は仕方なく広間へ戻り、「ただいま参ります」と嘘をついて時間を稼ぐ。だが、一向に現れない虎に、義盛の怒りは頂点に達しようとしていた。
「おい。俺のことが気に入らないのか? ならばもういい、帰るぞ。二度と来るか!」
青ざめた母は、再び虎の元へ戻った。今度は、涙ながらに、そして冷酷に言い放った。
「虎……。あんた、昔の『ふん女(不運な女)』の物語を知らないわけじゃないでしょう。どうしても出ないと言うのなら、もういいわ。今日限りで親子の縁を切る。あんたは生々世々(来世まで)不孝者として地獄に落ちなさい!」
「…………!」
母の、魂を削るような言葉。虎は震えた。十郎との愛を貫けば、母を捨て、親不孝の罪を背負うことになる。だが、出仕すれば、愛する十郎との「最後の夜」が汚される。虎は、絶望の淵に立たされていた。
広間から聞こえてくる、荒々しい武士たちの笑い声と、義盛の怒鳴り声。虎はゆっくりと、被っていた衣を脱ぎ捨てた。
「……十郎様。……行って参ります」
その瞳には、もはや迷いはなかった。愛する男を守るため。そして、母への義理を果たすため。彼女は今、戦場へと向かう。
曾我物語 巻第六 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔大磯の盃論の事〕
さても、十郎祐成は、三浦より曾我へ帰りけるが、定め無き浮き世の習ひ、つくづくと案ずるに、明日富士野に打ち出でて、帰らん事は不定なり、此の三四年情を懸けて浅からぬ虎に暇こはんとて、宿河原・松井田と申す所より、大磯にこそ行きにけれ。折節、鎌倉殿召しに従ひて、近国の大名小名、打ちつれて通りけり。十郎、虎が宿所に立ち寄りて有りけるが、心をかへて思ひけるは、国々の待多く通る折節、流れをたつる遊び者、我ならぬ情もやと、心にふしが思はれて、暫く駒をひかへつつ、内の体をぞ聞き居たり。折節、虎が帳台には、友の遊君数多なみ居て、物語しける中に、虎が声して、「只今上る人々(ひとびと)は、何処の国の誰ぞ」と言ふ。「聞き給はずや、先陣は、波多野の右馬助。後陣は、横山の藤馬允」とぞ申しけれ。虎聞きて、「誠や、孔子の言葉かや、「耳の楽しみ所に、つつしむべからず、心起こる所に、ほしい儘に習はざれ」とは申せども、哀れ、実に、此の殿原の馬・鞍・鎧・腹巻を童にくれよかし」。女房立ち聞きて、「あはぬ御願ひ、何の御用とも知らざるにや」と。「祐成に参らせ、思ふ事を」とばかり言ひて、涙を浮かべけり。友の遊君聞きて、不思議やな、思ふ事は何なるらんとあやしみながら、問ふべきにあらず、敵打ちて後こそ、此の事よとは思ひ合はせられけり。然れば、此の人も、予てより知りけるよとは申し合ひけり。祐成、物ごしに聞きて、如何でか是程情深き者に、たちぎきしたりと思はれては、後の恨み残るべし、其れ程に思ひなば、こぬこそと思ひつつ、知らざる体にもてなし、駒の口をしばしひかへ、何と無く広縁に下り、行縢脱ぎて、鞭にて簾を打ち上げて、内に入りぬ。虎も、やがて出でて、いつより睦ましく語り寄り、あかぬ世の中の夢か現かと思ひ居たりける所に、思ひの外なる事こそ出で来たりける。 由来を尋ぬるに、和田の義盛、一門百八十騎打ちつれ、下野へ通りけるが、子供にあひて言ふ様、「都の事はそ限り有り、田舎辺には、黄瀬川に亀鶴、手越に少将、大磯に虎とて、海道一の遊君ぞかし。一獻すすめて、通らばや」「然るべく候ふ」とて、長の方へ使ひをたてて、かくぞ言はせける。なのめならずに喜びて、遠侍の塵とらせ、「義盛、是へ」と、請じけり。虎に劣らぬ女三十余人出で立たせ、座敷へこそは出だしけれ。朝比奈の三郎義秀、古郡左衛門、種氏を先として、八十余人居流れ、既に酒宴ぞ始まりける。され共、虎は、座敷へ出でざりける。義盛、心得ず思ひて、「此の君達も、然る事なれども、虎御前の見参の為なり。などや見え給はぬ。義盛悪しくや参りて候ふ」と言ひければ、母聞きて、「此の程、心わづらはしくて」と言ひながら、座敷を立ち、虎が方へ行きて、「などや遅く出で給ふ。とくとく」と言ひ置きて、母は、座敷に出で、「只今、虎は参り候ふ」と言ひけり。義盛、盃抑へて、今やとまてども、見えざりけり。中々(なかなか)始めより、「心地例ならで」と言ひなば、よかるべき物を、「只今」と言ふに依りて、義盛、気を損じ、「御心に背く事あらば、罷り立ちて、後日に参るべし」と言ふ。母聞き兼ねて、又座敷を立ち、「何とて出で給はぬぞや。時世に従ふ習ひ、思はぬ人になるるも、さのみこそ候へ。恨めしの御振舞ひや」とてたたずむ。虎は又、十郎が心をかねて、衣引きかづき、打ち伏しぬ。母は、此の心を見兼ねて、「如何にやは君、昔のふん女が事をば知り給はずや。然様の事だにも有りしぞかし。猶も出でまじくは、六字の名号も御覧ぜよ、生々(しやうじやう)世々(せせ)まで不孝ぞ」と言ひ捨てて、座敷へ出でにけり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




