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新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚 〜  作者: 条文小説


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5-11 究極の忍耐 ―― 奴隷となった王

挿絵(By みてみん)


 曽我物語そがものがたりは、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia

 物語の舞台は建久四年(1193年)、富士の裾野。復讐の刃を研ぎ澄ませた曾我五郎 時致ときむねが、捕らわれの身でありながら言い放った言葉。「俺は今、『会稽かいけいの恥』を清めたのだ」この「会稽の恥」とは一体何なのか?


 昔々、大陸には「呉」と「越」という、隣り合う強国があった。呉王・夫差ふさと、越王・勾践こうせん。この二人は代々の仇同士。ある時、勾践は軍師・范蠡はんれいの「今は時期尚早です」という忠告を無視して呉に攻め込んだ。だが、呉には伝説の軍師・伍子胥ごししよがいた。越軍はボロ負けし、勾践はわずかな手勢と共に会稽山かいけいざんに追い詰められた。周囲は二十万の呉軍。食料もなく、矢も尽きた。


「――おのれ、天は俺を見捨てたか!」


 絶望した勾践は、愛する妻や幼い子供を刺し殺し、自分も腹を切ろうとした。だが、その時、もう一人の臣下・大夫種たいふしゅが泣きながら止めた。


「王よ! 死ぬのは簡単です。ですが、生きて恥を忍び、いつかこの雪辱を晴らすことこそが、真の王の道ではございませんか!」


 勾践はプライドを捨てた。彼は白装束を纏い、首に紐をかけ、呉王・夫差の軍門に降った。かつての王は、今や呉王の馬を引く「奴隷」へと転落したのだ。呉王・夫差は、ひれ伏す勾践を見てあざ笑った。


「あんなに威張っていた越王が、今や私の馬の世話係か。愉快、愉快!」


 勾践は、暗い土牢に閉じ込められた。窓もなく、日差しも届かない冥暗めいあんの中、彼は毎日泣きながら、ただ一点を見つめていた。そんなある日、商人あきびとに化けて潜入した范蠡が、魚の腹の中に一通の手紙を隠して勾践に届けた。


「西伯は捕らわれ、幽里の牢で恥を忍んだ。だが、後に天下を獲った。王よ、死を急いではなりません」


 この一言が、勾践の魂を再び燃え上がらせた。

 

(――そうだ。俺は死なない。この恥を、いつか必ず血で洗ってやる……!)


 ある時、呉王・夫差が重い病(石淋:尿路結石の激痛)に倒れた。どんな名医も治せない。そこで他国の医者が言った。


「この病の味(……!)を舐めて、その性質を知る者がいれば、適切な治療ができます」


 側近たちはドン引きして誰も名乗り出ない。チャンスだ。勾践は自ら進み出た。


「――私が舐めましょう。上様の厚恩を思えば、私の舌など汚れても構いません!」


 勾践は、敵王の排泄物(病の元)を自らの舌で味わい、その性質を医者に伝えた。


 これに感激した(というか、完全に騙された)呉王は言った。


「これほどの忠誠心を持つ男が、私に背くはずがない! 勾践よ、お前を許す。本国へ帰り、再び越の国を治めるがいい!」


 軍師・伍子胥が「罠です! 虎を野に放つようなものです!」と必死に止めたが、呉王は聞く耳を持たなかった。


 越に帰った勾践が最初に行ったのは、最高級の「贈り物」を夫差に送ることだった。それが、歴史上もっとも有名な美女・西施せいしである。


「西施を呉王の側に置けば、奴は女に溺れ、政治を忘れる」


 勾践の読みは完璧だった。呉王は西施に狂い、夜通し遊宴にふけり、国費を使い果たし、防衛を疎かにした。忠臣・伍子胥が「西施こそ国を滅ぼす大敵です! 殺すべきです!」と抗議したが、呉王は激怒して逆に伍子胥に「自害」を命じた。伍子胥は死ぬ間際、呪いの言葉を遺した。


「――我が両眼をえぐり、呉の東門に掛けろ。俺の目が腐らぬうちに、越の軍勢が呉を滅ぼすのを見届けてやる!」


 二十年。勾践が土を噛み、恥を忍んでから二十年の歳月が流れた。ついに、越の二十万の大軍が呉を包囲した。呉王・夫差は、わずかな家臣と共に山へと逃げ込んだ。奇しくもそこは、かつて勾践を追い詰めた「会稽山」の麓だった。


「勾践よ……。昔、私がお前を助けたことを忘れたか。今度は、お前が私の死を助けてくれ……」


 夫差の哀願に、勾践は一瞬、心が揺れた。だが、軍師・范蠡が割って入った。


「王よ! この二十年の苦しみを忘れたのですか! 天が与えたチャンスを逃せば、今度は我らが滅びます! 君主が誤った慈悲を見せる時、従わないのが真の忠臣です!」

 

 范蠡は自ら太鼓を叩いて全軍を突撃させた。捕らえられた呉王・夫差は、縄で縛られ、屈辱の中で東門を通り過ぎる。その時、門の上に掛けられていた伍子胥の腐らぬ両眼が、カッと見開かれ、自分を見捨てた王をあざ笑ったという。夫差は袖で顔を隠し、泣きながら首を撥ねられた。

 

 復讐を終えた勾践は、その後、中国の覇者となった。立役者の范蠡は、「王は苦労を共にできても、成功を分かち合うことはできない」と悟り、名前を変えて姿を消し、伝説の商人「陶朱公とうしゅこう」となった。この物語を聞いた人々は、二つの意見に分かれた。現実派は「勾践は国を取り戻して栄えたが、曾我兄弟は復讐しても命を失う。これじゃあ例えにならない」対して理想派は「いや。命を賭けた覇気、執念。曾我兄弟の振舞いは、あの呉越の戦いすら凌駕している」と言う。


 曾我五郎時致にとって、勾践の二十年は「忍耐」の象徴だった。化粧坂の女に笑われ、エリート景季に馬鹿にされ、母に勘当されても彼が耐え抜いたのは、「いつか必ず、会稽の恥・十七年の屈辱を、富士の裾野で清めてやる」という、この伝説的な確信があったからだ。


 「会稽」から「富士」へ。復讐のバトンは、ついに渡される。




曾我物語 巻第五 (明治四十四年刊 國民文庫本)




 〔ゑつたたかひのこと


 そもそも五郎ごらう富士野ふじのにて、会稽くわいけいはぢきよむとひける由来ゆらいくはしくたづぬるに、むかし異朝いてうに、呉国ごこく越国ゑつこくとて、ならびの国有り。呉国王ごこくわうをば、闔閭かうりよにて、呉王ごわう夫差ふさひ、越国ゑつこくわうをば、大帝たいていにて、越王ゑつわう勾踐こうせんとぞひける。しかるに、の両王、くにあらそひ、たたかひをなすことえず。る時は、呉王ごわうほろぼし、る時は、越王ゑつわう退治たいぢし、ときは、おやかたきり、ときは、あたり、義勢ぎせいはなはだしく、累年るいねんおよぶ。此処ここに、越王ゑつわう臣下しんかに、范蠡はんれい武勇ぶよう達者たつしやり、かれまねせていはく、「いま呉王ごわうは、まさしきおやかたきなりこれたずして、いたづらに年をおくりて、あざけりを天下てんがのここと父祖ふそはぢ九泉苔きうせんこけの下にづかしむることうらみつくしがたし。れば、越国ゑつこくつはものもよほし、呉国ごこくえ、呉王ごわうほろぼし、父祖ふそうらみをほうぜんとおもふなり。なんぢは、しばしくにとどまりて、社稷しやしよくまもるべし」とのたまひければ、范蠡はんれいまうしけるは、「しばら愚意ぐいもつことをはかるに、いまゑつちからにて、呉王ごわうほろぼさんこと、すこぶるかたかるべし。ゆゑは、両国りやうごくつはものをかぞふるに、呉国ごこくには、二十万騎にじふまんぎり、はつか十万騎じふまんぎなりせうもつて、おほきにてきせざれとなり。うへ呉王ごわう臣下しんかに、伍子胥ごししよとて、智深ふかうしてさいたかき、人をくる勇士ゆうしり。かれがあらんほどは、呉王ごわうほろぼさんことかなふべからず。麒麟きりんは、つのししりて、たけかたちあらはさず、潛竜せんりゆう三冬とうにうづくまつて、一陽いちやう来復らいふくてんをまつ。しばらつはものふくして、かくし、ときたまへ」といさめければ、越王ゑつわうこれもちひず、おほきにいかつて、「いくさ勝負しようぶは、せいの多少によらず、ただときうんり、又は大将たいしやうはかりことによるなり。れば、ゑつとのたたかひ、度々におよび、雌雄しゆうけつすることなんぢことごとくれり。つぎに、伍子胥ごししよがあらんほどは、かなはじとはば、われつひ父祖ふそかたきたずして、うらみをしやせんことるべからず。いたづらに伍子胥ごししよぬるをたば、生死しやうじかぎり、老少らうせうさだまらず、伍子胥ごししよわれと、いづれをかさきらん。これ、しかしながら、なんぢ愚心ぐしんなり。われまたつはものもよほことさだめて呉国ごこくこゆらん。ことのびば、かへつて呉王ごわうほろぼされなんときに、くゆとも、えきるまじ」とて、越王ゑつわう十一年ねん二月上旬じやうじゆんころ十万騎じふまんぎつはものそつして、呉国ごこくへぞせたりける。呉王ごわうこれき、「小敵せうてきあざむくべきにあらず」とて、みづか二十万騎にじふまんぎせいそつして、ゑつとのさかひ夫椒県ふせうけんところかうて、うしろには会稽山くわいけいざんをあて、まへにはこせんとふ大川をへだてて、ぢんり、てきをはからんがために、三万騎さんまんぎだして、のこ十万騎じふまんぎをば、うしろの山にかくきけり。越王ゑつわう夫椒県ふせうけんにのぞみて、かたきるに、はつか二三万騎にさんまんぎにはぎざりけり。おもはず小勢こぜいなりとて、十万騎じふまんぎつはもの同心どうしんださせ、いかだみて、むまわたす。つはものかねてよりかたき難所なんじよにをびきれて、のこさずたむとさだめしことなれば、わざと一戦せんにもおよばずして、夫椒県ふせうけんぢんき、会稽山くわいけいざんこもる。ゑつつはものつにり、ぐるをおふこと、三十余里。ついのぢん一陣いちぢんはせて、馬のいきるるほどぞ、おうたりけり。つぎに、つはものおもほどかたき難所なんじよにをびきれて、二十万騎にじふまんぎつはもの四方しはうの山よりつていづ。越王ゑつわう勾踐こうせんを中にめ、一人ももらさじとたたかふ。ゑつつはものは、今朝けさたたかひにとほがけをし、うま人共ともつかれたるうへ小勢こぜいなりければ、呉国ごこく大勢おほぜいにかこまれて、一所にり、ひかへたり。すすみてかからんとすれば、てき嶮岨けんそにささへて、矢じりをそろへて、けたり。退しりぞいてはらはんとすれば、鉾先ほこさきにはまれり。されども越王ゑつわうせんは、かたきやぶり、かたきくだこと大勢おほぜいえたる人なりければ、ことともせず、大勢おほぜいの中にりて、十文字じふもんじやぶり、ひまはして、一所にはせて、三所さんじよわかる、四方しはうはらひ、八方はつぱうにあたり、百度たび千度たびたたかひに、勝劣しようれつし。しかりとはいへども、多勢せい無勢ぶせいなれば、つひ越王ゑつわうけて、三万騎さんまんぎちなされけり。れば、越王ゑつわうこらへずして、会稽山くわいけいざんのぼりて、のこされたるせいるに、わづかに三万騎さんまんぎりにけり。むまはなれ、矢種やだねことごとくつき、ほこをれければ、一戦せんにもおよがたし。隣国りんごく諸侯しよこうは、こと両方りやうばううかがひて、いづかたともえず、ひかへたりしが、呉王ごわういくさりとて、ことごとく呉王ごわうせいにぞくははりける。いま三十万騎さんじふまんぎりて、の山をかこむこと稲麻竹葦たうまちくゐごとく、越王ゑつわうかなはじとやおもひけん、油幕ゆまくうちり、つはものあつめていはく、「われ運命うんめいすでにつきて、いまのかこみにて、はらるべし。これ、まつたくいくさとがにあらず、てんわれほろぼせり。うらむべきにあらず。ただ范蠡はんれいがいさめこそづかしけれ。したがひて、しん御志こころざしほうぜざるこそ、無念むねんなれ。さりながら、重恩ぢゆうおん、生々世々にほうがたし。とても、これほどこころざしなれば、けなば、もろともにかこみをでて、呉王ごわうぢんりて、かばね軍門ぐんもんにさらし、再生さいしやうほうずべし」とて、よろひの袖をらしたまへば、つはものも、一途おもさだまるせいて、「今までの旧好きうかう余儀よぎし」とぞどうじける。さて、王石与わうせきよとて、八歳さい最愛さいあひ太子たいしりけり。だして、「なんぢいま幼稚ようちなり。かたき生捕いけどられて、こと口惜くちをし。なんぢさきてて、こころやす討死うちじにして、九泉きうせんこけした三途さんづつゆそこまでも、父子ふし恩愛おんあいてじとおもふなり。いそころすべし」とひければ、太子たいし何心なにごころくてぞりにける。また随身ずいしん重器ちようきをつみかさねて、ことごとくやきうしなはんとす。時に、越王ゑつわう左将軍さしやうぐんに、大夫種たいふしゆ臣下しんかり、すすみでてまうしけるは、「しやうをまつたくして、めいをまつこととほくしてかたし。をかろくして、せつをのぞむことは、ちかくしてやすし。しばら重器ちようきをやき、太子たいしころさんこととどたまへ。我、無骨ぶこつなりといへども、呉王ごわうをあざむきて、君王くんわうをすくひ、本国ほんごくかへり、二度ふたたび大軍ぐんこし、はぢをすすがんとぞんずるなり。しかるに、今、やまをかこみ、一陣いちぢんをはる左将軍さしやうぐんは、太宰喜たいさいひ臣下しんかなり。かれは、いにしへ朋友ほうゆうなり。まこと血気けつき勇士ゆうしひながら、こころよくり。また呉王ごわうも、あさくして、はかりことみじかし。いろいんして、みちくらし。れば、君臣くんしんともに、あざむくにやすところなり。いまたたかひにまくることも、范蠡はんれいがいさめをもちたまはぬにりてなりねがはくは、君王くんわうしばら臣下しんかはかりことゆるして、敗軍はいぐん数万すまんをすくひたまへ」と、なみだながして、まうしければ、越王ゑつわうしあたるりて、「いまよりのち大夫種たいふしゆ言葉ことばしたがふ」とて、重器ちようきをもやかず、太子たいしをもころさざりけり。大夫種たいふしゆよろこびて、かぶとぎ、はたをまき、会稽山くわいけいざんよりり、「越王ゑつわうせいすでにつきて、軍門ぐんもんくだる」とばはりければ、つはもの三十万騎さんじふまんぎ勝鬨かちどきつくりて、万歳ばんぜいよろこびをぞとなへける。大夫種たいふしゆは、すなはち、のゑもんりて、「つつしんで、呉上ごじやう将軍しやうぐんのけしゆつことにぞくす」とひて、膝行しつかう頓首とんしゆして、太宰喜たいさいひまへにひざまづく。太宰喜たいさいひあはれにおもひ、顔色がんしよくとけて、「越王ゑつわういのちをばまうしなだむべし」とて、大夫種たいふしゆをつれて、呉王ごわうぢんわたり、よしかくとふ。呉王ごわうかれて、おほきにいかりていはく、「ゑつとのたたかひ、いまかぎらずといへども、ときにいたりて、勾踐こうせんとらはれ、僻事ひがこととなれり。これてんわれあたへたるにあらずや。なんぢりながら、かれたすけよとふ。へて忠烈ちゆうれつしんにはあらず」とて、さらもちたまはず。太宰喜たいさいひかさねてまうしけるは、「しん不肖ふせうなりといへども、かたじけなくも、将軍しやうぐんかうゆるされて、たたかひにも一陣いちぢんたり。しかれば、はかりことをめぐらし、大敵てきやぶり、めいをかろんじて、ことけつせり。これひとへしん大臣しんこうともひつべし。君王くんわうために、天下てんが太平たいへいをはかるに、あに一日もちゆうをつくすこころあらはさざらんや」。ときに、呉王ごわう、「つらつら、せいをはかるに、越王ゑつわうたたかけて、ちからつきぬとはいへども、のこつはものいま三万騎さんまんぎり。これみな、こへいてつきの勇士ゆうしなり。御方みかたは、おほしといへども、昨日きのふいくさつかれて、前後をうしなひ、かたきは、小勢こぜいなりいへども、こころざしひとつにして、しかも、のがれぬところれり。これや、窮鼠きうそかへりてねこをくらひ、闘雀とうじやくにんおそれずとふべきにや。もしかさねてたたかはば、御方みかたには、あやしみおほかるべし」とのたまへば、太宰喜たいさいひが、「ただ越王ゑつわうたすけて、一天てんあたへ、下臣かしんとなすべし。しからば、ゑつ両国りやうごくのみならず、せいてうの三が国、ことごとくてうせずとふことるべからず。これぞ、ふかうして、をかたくするみちなり」と、ことわりをつくしければ、呉王ごわうきをはりて、よくにふけるこころをたくましくして、「らば、会稽山くわいけいざんのかこみをとき、越王ゑつわうたすくべし」とぞさだめける。太宰喜たひさいひいそ大夫種たいふしゆかたる。おほきによろこびて、越王ゑつわうげければ、士卒しそつ色をなほし、「万事ばんじで、一生いつしやうにあふことひとへ大夫種たいふしゆ智謀ちぼうによれり」とぞよろこびける。ほどに、つはものどもみなくにかへる。太子たいし王石与せきよには、大夫種たいふしゆけて、本国ほんごくかへし、われは、素車そしやりて、ゑつくに璽綬じじうくびけ、いやしくも呉王ごわう下臣かしんしようして、軍門ぐんもんくだたまひにけり。あさましかりし次第しだいなり。れども、なほし呉王ごわうこころゆるしやかりけん。「君子くんし刑人けいじん近付ちかづかず」とて、へて勾踐こうせんおもてをまみえたまはず。あまつさへ、典獄てんごくくわんくだされて、きやうこうゑききうして、枯蘇城こそじやうたまふ。姿すがたる人、そでらさぬはかりけり。にや、昨日きのふまでは、越国ゑつこく大王だいわうとして、なにこころたづさへし。弓矢ゆみやたいするとて、今日けふは、かるにあふべしとは、誰かるべきとて、なみだながさぬはかりけり。越王ゑつわうところりぬれば、手械てがせ足枷あしがせれ、くびつなし、つちろうにぞめられける。夜明あけ日暮くるれども、日月のひかりをもず、冥暗めいあんうちに、年月としつきおくかへしなみだつゆ、さこそはそでもるらめ、おもられてあはなりほどに、くにとどきし范蠡はんれいことき、うら骨髄こつずいとほりて、しのがたし。あはれ、如何いかにもして、きみ本国ほんごくかへたてまつりて、もろともはかりことをめぐらし、会稽くわいけいはぢきよめばやと、肺肝はいかんくだきてぞ、かなしみける。とき范蠡はんれいはかりこともつて、をやつし、かごうをれて、みづかこれをになひ、商人あきびとのまねをして、呉国ごこくをぞめぐりける。じやうほとりにて、勾踐こうせん御所ごしよひそかにひければ、人是これくはしくをしへけり。范蠡はんれいうれしくて、ごくちかきけれども警固けいご隙もかりければ、うをあきなふよしにて、近付ちかづりて、一行かうしようをはらの中にれて、ごく中にれたり。勾踐こうせん、あやしみおもひて、うをはらひらきてれば、書有り。言葉ことばいはく、「西伯せいはくとらはれ遊里ゆうり。てうてうしははしかしよに。みなわうたる。てきゆることかれ」とぞきたりけれ。筆勢ひつせい文章ぶんしやうてい、まがはぬ范蠡はんれいがわざなり。ればにや、いまにながらへて、ため肺肝はいかんしけりと、こころざしほどあはれにも、またたのもしくもぞおもひける。一日いちにち片時へんしのながらへも、うらめしかりつるに、范蠡はんれいがいさめをけて、今更いまさらいのちをもしくおもはれけり。かるところに、かたき呉王ごわうにはか石淋せきりんやまひけて、心身しんじんとこしなへに悩乱なうらんす。巫覡ふげきいのどもしるしく、医師いしすれども、いえずして、命既すであやふかりけり、此処ここに、他国たこくより名医めいいたりて、「やまひまこと(おも)しといへども、医術いじゆつおよがたきにあらず。もし石淋せきりんをなめて、五味やうる人あらば、こころけて療治れうぢせんに、すなはちいゆべし」とまうしければ、「誰か、石淋せきりんをなめて、あぢはひのやうるべきか」とふに、左右さう近臣きんしんみなあひかへりみて、なむるものし。勾踐こうせんこれたまひ、「われ会稽山くわいけいざんにかこまれ、すでちゆうせらるべかりしを、いままでたすかれて、天下てんがしやをまつことひとへ君王くんわう厚恩かうおんなり。いまわれこれもつほうぜずは、いつの日をかせん」とて、ひそかに石淋せきりんりてなめ、のあぢはひを医師いしげければ、医師いしすなはちあぢはひをきて、療治りやうぢをくはふるに、呉王ごわうやまひたちまちに平癒へいゆうす。呉王ごわうおほきによろこびて、「人、こころり、たすけずは、如何いかでかいま謝心しやしんあらん」とて、越王ゑつわうつちろうよりだし、あまつさゑつくにあたへ、「本国ほんごくかへたまふべし」と宣下せんげせられけり。此処ここに、呉王ごわう臣下しんかに、伍子胥ごししよものり、呉王ごわうの前にてまうしけるは、「天のあたへをらざるは、かへつて、とがをうるとえたり。ときゑつくにらずして、勾踐こうせんかへたまはんこと、千里の野辺のべに、とらをはなつがごとし」といさめける。呉王ごわうもちひずして、勾踐こうせん本国ほんごくに帰されけるぞ、うんきはめとおぼえける。越王ゑつわうよろこびて、くるまながゑをめぐらし、いそくににぞかへりける。道のほとりに、かはづおほあつまりて、路頭ろとうをふさぐ。勾踐こうせんこれて、「勇士ゆうしをえて、素懐そくわいたつすべき瑞相ずいさう、めでたし」とて、くるまよりりて、これをがみてとほられけるが、たしてごとく、本意ほんいたまひにけり。不思議ふしぎなる奇瑞きずいなり。さて、越王ゑつわうくにかへり、故郷こきやうるに、いつしか三年にあれはてて、鳥、松桂せうけいえだにすくひ、きつね蘭菊らんぎくの草むらにかくる。はら人無閑庭かんていには、落葉らくえふみちて、蕭々たり。越王ゑつわうかへたまひぬときければ、かくたる范蠡はんれい太子たいし王石与せきよ宮中きゆうちゆうたてまつる。また越王ゑつわうきさき西施せいし美人びじんり。これぞ、呉国ごこくこゆるなんこく・南威なんい・とうい・西施せいしとて、四人の美人びじんりける中にも、西施せいしは、頸色がんしよくにすぐれ、嬋娟せんげんたるかほばせ、たぐひかりしかば、越王ゑつわうこと寵愛ちようあいして、しばしもかたはらをはなしたまはざりき。越王ゑつわう呉王ごわうにとらはれしほどは、なんのがれんがために、をそばめ、かくたまひしが、越王ゑつわうかへたまふとき、よろこびて故宮こきゆうまゐたまふ。の三年をちわびしおもひに、ゆきはだへ、しはしはおとろへたる御容かたち、いとどわりおぼえたり。余所よそたもとまでも、しをるるばかりなり。越王ゑつわうかほばせに、いよいよこころたまひけり。ことわりとぞえける。此処ここに、呉王ごわうより使つかり。越王ゑつわうおどろきて、范蠡はんれいだしてくに、「きみいんこのみ、色をおもくして、美人びじんたづぬること天下てんがにあまねし。しかれども、西施せいしごとくの顔色がんしよくをえず。越王ゑつわういにしへ会稽山くわいけいざんでしとき一言げん約束やくそくり、わすたまふべきにあらず。はやはや西施せいしのこきゆうへ冊入しやくじうたてまつり、貴妃きひくらゐにそなへん」との使つかひなり。越王ゑつわうき、「われ呉王ごわうにとらはれ、はぢわすれ、石淋せきりんをなめて、命をたすかりしことも、ただ西施せいし偕老かいらうの契りをむすびしゆゑなり。れば、西施せいし他国たこくつかはさんことかなふべからず」とふ。范蠡はんれいまうしけるは、「まこと君王くんわうてんしたるおもひをはるるに、しんこころさるにはあらねども、もし西施せいししみたまはば、ゑつのへいき、二度破やぶれて、くにらるるのみならず。西施せいしをもうばはれ、社稷しやしよくをもかたぶけらるべし。つらつら、これをはかるに、呉王ごわういんこのみ、色にまよことうたがし。くにつひえ、たみそむかんときおよびて、つはものこし、められんに、こと立所たちどころなるべし。らば、夫人ふじんの御契、長久ちやうきうならん」と、なみだながしてくどきければ、越王ゑつわう、「我、さき范蠡はんれいがいさめをもちひずして、呉王ごわうにかこまれ、命つきなんとす。いままたのいさめかずは、さだめて天の照覧せうらんにもそむきなん」とて、西施せいし呉国ごこくへぞ送られける。たがひのわかれのそで愁歎しうたんのこるとふもあまり。されども范蠡はんれいがいさめをたがへず、一人の太子たいしをもたま御心おんこころも、ただすゑおもたまゆゑなり。さりながら、一方ひとかたならぬわかれのかなしさ、たとへんかたし。さて、西施せいしは、一度ひとたびゑめば、ももこびり、一度ひとたび宮中きゆうちゆうりぬれば、呉王ごわうこころまどはす。呉王ごわうは、おもひよりもこころあくがれて、婬楽いんらくこのみて、ともらず、遊宴いうえんをもつぱらとして、くにあやふきをもかへりみず、まこと范蠡はんれいがいさめたがはずとえける。此処ここに、呉王ごわう臣下しんか伍子胥ごししよこれなげき、呉王ごわうをいさめていはく、「君見ずや、いん紂王ちうわうは、妲己だんきまよひて、みだし、しゆう幽王いうわうは、褒姒ほうじあいして、くにかたぶけられしこととほきにあらず」と、度々いさめけれどもへて、これかず。とき呉王ごわう西施せいしえんせんとて、群臣くんしんあつめ、枯蘇台こそたいにして、花にゑいをすすめけるが、さしもたまをしき、こがねおほうする瑶階ようかいのぼるとて、もすそたかかかげて、ふかみづわたときごとくにせり。人是これをあやしみ、ゆゑへば、「枯蘇台こそたいいま越王ゑつわうほろぼされ、くさふかく、つゆしげとならんこととほからず。われ、もしれまでいのちあらば、むかしあとんに、袖よりあま荊棘けいきよく露深ふかかるべき行末ゆくすゑの秋、おもへば、斯様かやうにしてわたらん」とぞまうしける。君王くんわうはじめて、もの奇異きいおもひをなせり。たしておもはせられけり。またとき伍子胥ごししよ青蛇せいぢやごとくなるつるぎきて、呉王ごわうの前にきて、やう、「つるぎをとぐことじや退しりぞけ、てきはらはんためなり。つらつら、くにかたぶくべきもとゐたづぬるに、みな西施せいしよりこれり。れば、これぎたる大敵てきし。ねがはくは、西施せいしかうべをはねて、社稷しやしよくあやふきをたすけん」とひて、がみをしてぞ、つたりける。にや、忠言ちゆうげんは、みみにさかふならひなれば、呉王ごわうおほきにいかり、まへきて、国傾かたぶくとふとも、かろくわれをやそむかん。まして、いまじや路にことかずならず。これひとへ怨敵おんできかたらひをけたりとおぼえたり。さあらんにおいては、是非ぜひををかさざるさきに、伍子胥ごししよちゆうせらるべきにぞさだめける。伍子胥ごししよへてこれをいたまず、「我、君臣くんしん朝恩てうおんつべきにあらず。くにみだれば、一番いちばんでて、呉王ごわうために、かばねをさらすべきなり越王ゑつわうつはものにかからんより、君王くんわうにかかり、なんことうらむべきにあらず。ただし、きみしんがいさめをかずして、いかりをひろくして、われあたふること天既すできみつるはじめなり。きみ越王ゑつわうほろぼされて、刑戮けいりくつみにふせられんこと、三ケ年をぐべからず。ねがはくは、両眼りやうがんをうがちて、東門とうもんけて、の後、かうべをはねたまへ。一双眼さうまなこれずして、まうすべし。きみ勾踐こうせんほろぼされんをて、わらはん」とまうしければ、呉王ごわう、いよいよいかりをなして、つひ伍子胥ごししよられけり。無慙むざんなりし有様ありさまなりしかども呉王ごわう後悔こうくわいさきたざることわりおもはせられけり、伍子胥ごししよねがひしごとく、ふたつのまなこきて、東門にきたり。しかうして後、悪事あくじいよいよもれども伍子胥ごししよはてて、へていさむる臣下しんかし。あさましかりし有様ありさまなり。越国ゑつこく范蠡はんれいこれき、時既すでにいたりぬとよろこびて、みづか二十万騎にじふまんぎつはものそつしてかひけり。折節をりふし呉王ごわうは、しんくにそむくときて、つはものそつし、くにかはれたる隙なりしかば、ふせつはもの、一人もし。范蠡はんれい王宮わうくうみだり、西施せいしかへし、ゑつ王宮わうくうかへたてまつり、すなはち、枯蘇城こそじやうをやきはらふ。せい両国りやうごくも、越王ゑつわうこころざしつうずる子細しさいりければ、三十万騎さんじふまんぎつはものだし、范蠡はんれいせいちからをぞはせける。呉王ごわうこれき、おほきにおどろき、しんくにたたかひをきて、くにかへし、越王ゑつわうたたかひをなす。れども、ゑつせいつはもの雲霞うんかごとく、前よりきほへば、うしろよりは、しんくに強敵ごうてきつにりて、けたり。呉王ごわう大敵てきに前後をつつまれて、のがるべき方無かりければ、をかろうしてたたかこと三日三夜也なりすなはち、范蠡はんれい、あられかへて、いきをもつがせず、めけるほどに、呉王ごわうつはもの三万さんまん余人よにんたれしかば、はつかに百余人よにんになりにけり。呉王ごわうみづかあひたたかこと、三十二ケ度也なり夜半やはんおよびて、百余人よにんつはもの、六十騎にり、枯蘇こそ山にのぼりて、越王ゑつわうかた使つかひをてて、「君王くんわうむかし会稽山くわいけいざんくるしめおき、越王ゑつわう勾踐こうせんが命をたすけしことわすれべきにあらず。みづからが臣下しんかり、いまらんこすことひとへたすけし重恩ぢゆうおんにあらずや。われも、今よりのち越王ゑつわうごとく、また君王くんわう玉趾ぎよくしいただかん。きみ、もし会稽くわいけいおんわすれずは、今日けふたすたまへ」と、言葉ことばをつくしけり。越王ゑつわうこれきて、いにしへおもひ、今の人のかなしみこそおもられて、呉王ごわうころすにおよばず、をすくはんことおもひわづらひたまへり。范蠡はんれいこれき、おほきにいかり、越王ゑつわうの前にたり、おもてををかしてまうしけるは、いにしへは、天、ゑつあたへたり。しかるに、今は、またゑつほどこす。ぎにし方のあたへを、呉王ごわうらずして、がいにあひ、ゑつまた、かくのごとがいあはれむ事。君臣くんしんともきもくだきて、呉王ごわうをうること、二十ケ年の春秋、あにおもらざんや。君非おこなときしたがはざるは忠臣ちゆうしんなり」とてて、呉王ごわう使つかいまだ帰らざるに、范蠡はんれいみづかつづみちて、兵をすすめ、つひ呉王ごわう生捕いけどりにして、軍門ぐんもんの前にだす。范蠡はんれい年月としつきののぞみ、いきどほり、さこそとおもられたれ。呉王ごわうは、すで面縛めんばくせられて、東門とうもんとほたまひけるに、呉王ごわう忠臣ちゆうしん伍子胥ごししよがいさめかなはずして、かうべをはねられしとき両眼りやうがんはたほこけたりしが、呉王ごわうはてんとして、三年までれずして、ひらきてりしが、呉王ごわう面縛めんばくせられ、一双さうまなこまへわたりけるをて、みづかうごはたらきて、わら気色けしきえけり。執情しうじやうほどおそろしき。呉王ごわうかれおもてはせんこと、さすがづかしくやおもひけん、袖をかほて、かうべかたぶけて、とほたまふぞ、いたはしき。数万すまんつはものこれて、くちびるかへさぬはかりけり。さて、伍子胥ごししよまなこ呉王ごわうはておくりて、霜の日影ひかげにとくるがごとく、時のえてせにけるぞ、無慙むざんなる。すなはち、呉王ごわう夫差ふさをば、典獄てんごくくわんくだされて、会稽山くわいけいざんふもとにて、つひかうべをはねたてまつる。あはれなりしためしとぞまうつたへける。れば、いにしへよりいまいたるまで、ぞくことわざに、「会稽くわいけいはぢきよむ」とは、ことふなるべし。さて、越王ゑつわうは、呉国ごこくるのみならず、隣国りんごくまでしたがへ、いしやのちしゆとなりしかば、こうしやうじて、范蠡はんれいをば、万戸首領しゆれうになさんとしたまひしかども范蠡はんれい、かつてろくけず、「大名だいみやうの下には、久居きうきよすべからず。こうなりげて、退しりぞくは、天の道也なり」とて、つひに、名をかへ、陶朱公とうしゆこうはれて、五湖ところかくし、のがれて、つりして、白頭はくとうおきなりて、後には、行方ゆきがたらずとぞまうつたへける。る人のいはく、「越王ゑつわうは、会稽くわいけいはぢをすすぎ、うんひらき、にさかふなり。今の時宗は、はぢをすすぐといへども、一命をうしななりたとへにもるべからず」とぞまうしける。またものいはく、「の人々(ひとびと)、弓矢ゆみやつてのいきほひ打物うちものつての振舞ふるまひ、ゑつたたかひにはまされるものかな」とかんずる人もおほかりけり。く人、「ことわり」とぞまうしける。

〜参考記事〜

国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室

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〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。

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