5-10 十六歳の尼僧。愛を捨てた女たちが辿り着く場所
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する「富士の巻狩り」が、ついにその幕を開けようとしていた。
だが、復讐という名の修羅道を突き進む兄弟、曾我十郎と五郎の周囲では、彼らの執念に引き寄せられるように、あまりにも美しく、そしてあまりにも凄絶な「愛と死」の物語が完結を迎えようとしていた。
前回、王を道連れに深淵へと沈んだ貞女の物語を語ったが、実はその話には、震えるような「後日談」が存在する。
そしてその伝説は、五郎がかつて想いを寄せた鎌倉・化粧坂の女性の運命を、劇的に変えることになる。
今回は、異国の王を討った「剣の羽」の伝説。そして、五郎の愛した女性が十六歳で髪を下ろした、あまりにも早すぎる出家の真実を語ろう。
貞女が夫の後を追って深淵に身を投げた後、その場所には不思議なことが起きた。暗い淵の底から、二つの赤い石が浮かび上がってきたのだ。その石は、まるで生きているかのように、互いに固く抱き合ったまま離れようとしなかった。
「これは、亡くなった夫婦の化身に違いない」
噂を聞きつけた大王は、自らの傲慢が招いた悲劇を忘れることができず、再びその淵へと行幸した。王の目に映ったのは、寄り添う二つの石。
すると突然、その石の上から一対の鴛鴦が飛び立った。仲睦まじく戯れる鳥の姿に、王が見惚れたその瞬間――。
鴛鴦の一羽が、空中で鋭く身を翻した。その美しい翼の先端、「思羽」と呼ばれる場所が、陽光を反射して一振りの鋭利な刃と化したのだ。
ザシュッ!!
鳥が通り過ぎた後には、首を失った大王の体が残されていた。鳥はそのまま、愛する者の眠る淵へと消えていったという。それ以来、鴛鴦のその羽は、敵を討つ刃――「剣羽」と呼ばれるようになったのである。
この伝説を、鎌倉・化粧坂の女性は自らの運命に重ね合わせていた。彼女は、エリート武将・梶原景季と、復讐に燃える浪人・曾我五郎、二人の男に想いを寄せられ、その板挟みとなっていた。
(……貞女は両夫にまみえず。私は、どちらの男のものにもなれない)
五郎が残していった悲痛な和歌。「夢の中でしか逢えないのなら、その夢から覚めない宿が欲しい」という彼の想いに、彼女の心は決まった。
「女は自分を知る者のために、その姿を美しく整えると言います。……ですが、今の私を本当に知ってくれる人は、もうすぐこの世からいなくなる。ならば、この若さも、この美貌も、何の意味がありましょうか」
彼女は、鏡の前で自らの長い黒髪を、一筋の迷いもなく切り落とした。生年、わずか十六歳。
花の盛りを捨て、彼女は墨染めの衣に身を包んだ。梶原景季の権力も、五郎の激しい情愛も、もはや彼女の心に触れることはできない。彼女は、復讐のために死にゆく五郎と、彼を嘲笑う景季の姿を、仏門という静寂の中から見守る道を選んだのだ。
この知らせは、すぐに梶原景季の元に届いた。
「……何だと!? あの女が出家しただと!? まだ十六だぞ!」
景季は激しく動揺した。自分が権力と和歌で手に入れたと思っていた「愛」が、掌から砂のようにこぼれ落ちていったのだ。
彼はその怒りと悔しさを、曾我五郎への憎悪へと変換した。
「すべては五郎のせいだ。あいつを平塚の宿で追い詰めた時、あの場で殺しておけばよかった……!」
一方、このことを風の便りに聞いた五郎は、ただ静かに天を仰いだ。
「……優しい人だ。そして、残酷な人だ」
五郎は、彼女が自分のために「未来」を捨ててくれたことを悟った。彼女が尼となり、祈りの道に入ったことで、五郎は自分を繋ぎ止めるこの世の最後の未練を断ち切ることができたのだ。
「これで、もう何も怖くない。……景季、お前が俺を臆病者と呼びたければ呼ぶがいい。俺はもう、お前たちの住むこの歪んだ世界にはいないのだから」
物語には、遥か未来の結末がある。化粧坂の女性は、その後、諸国を巡る修行の旅に出た。やがて彼女は、大磯の地で、同じく十郎という愛する人を失った虎と出会う。曾我兄弟を愛した二人の女性は、手を取り合い、共に仏道に励んだ。彼女たちは、五郎や十郎が駆け抜けた「一瞬の閃光」のような人生を、八十歳を超える長寿の中で語り継ぎ、静かに往生の素懐を遂げたという。
「人は世に有りとも、よくよく思慮有るべきものを」
五郎時致が富士の裾野で工藤祐経を討ち、その首を掲げた時、かつて彼を笑った景季は、その圧倒的な「志」の前に一言も発することができなかった。
復讐、愛、出家、そして伝説。すべてが富士の煙の中に消えていく中で、彼女たちの祈りだけが、今も風の中に響いている。
曾我物語 巻第五 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔鴛鴦の剣羽の事〕
幾程無くして、此の淵の中に、あかき石二出で来たり、いだき合はせてぞ有りける。「是、不思議なり。かんはく夫婦の姿なるをや」と、人申しければ、大王聞こし召し、猶も有りし面影の忘れ難くて、又官人諸共に、彼の淵の辺に行幸成り、叡覧有りければ、申すに違はず、誠に石二有り。不思議に思し召す所に、彼の石の上に、鴛鴦鳥一つがひ上がりて、鴛鴦の衾の下なつかしげにたはぶれけり。是も、彼等が精にてもやと御覧じけるに、此の鴛鴦飛び上がり、思羽にて、王の首をかき落とし、淵に飛び入り失せにけり。其れよりして、思羽をば剣羽とも申すなり。
〔五郎が情懸けし女出家の事〕
貞女両夫にまみえずとは、此の女の事なり。如何なる貞女か、二人の夫に見えし、如何なる身にてか、引く手数多に生まれつらん。然らぬだに、我等風情の者は、欲心に住まひすると、言ひ習はせり。「士は己を知る者の為に、容をつくろふ」と、文選の言葉なるをや。我又、かひがひしく無ければ、景季が誠の妻女に成るべき身にても無し、来世こそ遂の住み処なれ。其の上、歌には、神も仏も納受し、慈悲をたれ給ふ。然れば、花に鳴く鴬、水にすむ蛙だにも、歌をばよむぞかし。況や、人として、如何でか是を恥ぢざるべき」とて、此の歌を詠みて、数ならぬ心の山の高ければ奥の深きを尋ねこそ入れ捨つる身に猶思ひ出でと成る物は問ふに問はれぬ情なりけり誠や、「天人の婬せざる所は、禍有りて、しかも禍無し」と、東方朔が言葉、思ひ知られて、然るべき善知識を尋ね、生年十六歳と申すに出家して、諸国を修行して、後には、大磯の虎が住み処を尋ね、道心に行して、いづれも八十余にして、往生の素懐を遂げにけり。有り難かりし志とぞ聞きし。源太左衛門景季は、此の事を聞きて、もとより此の女の心様、尋常にして、歌の道にもやさし。今は、曾我の五郎こそ敵なれ。行き合はん所にて、本意を達せんと思ひければ、さてこそ、平塚の宿まではおひたりけれ。其の時、景季勢、又並ぶ人や有るべきなりしか共、富士野裾野にては、誠に男がましくも見えざりしぞかし。然れば、「人は世に有りとも、よくよく思慮有るべき物を」とて、皆人申し合はれけり。五郎も、此の事を伝へ聞きて、やさしくも、又心許無くもぞ思ひける。是に依りて、いよいよ身を身とも、世を世共知らで、思ふ事のみ急ぎけるは、理過ぎてぞ、哀れなる。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




