5-9 純粋すぎる魂は、この世界を拒絶する
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する一大イベント「富士の巻狩り」の直前。
十七年という歳月を復讐の刃を研ぐためだけに費やしてきた兄弟、曾我十郎祐成と曾我五郎時致。彼らにとって、この世の理は「忠」と「貞」。揺るがぬ志を持つ者が、その純粋さを汚された時、どのような行動に出るのか。
「兄上。世俗の汚れを払うとは、どういうことだと思いますか?」
五郎が、野営の火を見つめながら問いかけた。十郎は、静かに異国の古い物語を語り始めた。
昔々、大国に穎川という清らかな川があった。そこには許由という、天才的な賢人が隠れ住んでいた。ある日のことだ。許由が川のほとりで、必死に「左の耳」だけを洗っている。そこへ、牛を引いて通りかかった友人の巣父が声をかけた。
「おい、許由。何をしてるんだ? なぜ左の耳ばかり念入りに洗っている?」
許由は、忌々しそうに答えた。
「……聞いてくれ。私はこの国で名の知れた賢人だ。父は九十歳を超えてボケることもなく、私はまだ若い。だが、今の都の政治は乱れ、神への祈りも形だけだ。そんな無意味な世から逃げてきたというのに……さっき、使いが来て『王になってくれ』などとほざきおった。その言葉を聴いた左の耳が、あまりにも汚れてしまったから、こうして洗っているのだ」
「……何だって?」
巣父は、呆れたように、しかしさらに厳しい顔をして言った。
「さては……お前のせいで、この川は七日間は濁りっぱなしだな。そんな『汚れた耳』を洗った水を、我が家の牛に飲ませるわけにはいかん!」
巣父は牛を引いて立ち去ろうとしたが、ふと足を止めて振り返った。
「それで、お前はこれからどこの国へ行き、誰を頼るつもりだ?」
許由は、ただ一言、こう答えた。
「賢臣は二君に仕えず、貞女は両夫にまみえず(優れた臣下は二人の主君を持たず、貞淑な妻は二人の夫を持たない)」
彼はその後、首陽山に籠もり、ワラビだけを食べてその一生を終えたという。
権力や名声。それらを「耳が汚れる」とまで言い切る極限の潔癖さ。それが、曾我兄弟が理想とした「純粋な武士」の原風景だった。
十郎は、さらにもう一つの物語を続けた。それは、「貞」という名の美学が引き起こした、残酷な悲劇だ。
同じく大国に、しそうという名の王がいた。ある時、側近の家臣であるかんはくが、不注意で一通の文を落とした。王がそれを拾って見てみると、それは家を空けて仕事に励む夫へ、妻が送った愛の言葉に満ちた手紙だった。
「……ほう。これほど美しい言葉を紡ぐ女が、この世にいるのか」
王は下卑た好奇心に駆られ、命じた。
「その女を、今すぐ宮殿に連れてこい。宣旨だ、拒否は許さぬ」
無理やり王宮に連れてこられた妻。王は彼女の美しさに魅了され、そのまま手元に留め置いた。だが、女は王の贅沢な暮らしには見向きもせず、ただひたすらに、元の夫である「かんはく」のことを思い、泣き沈むばかりだった。
「……何が不満だ。私がこれほど愛してやっているのに、まだあの男が良いというのか?」
王の愛情は、次第に歪んだ憎悪へと変わっていった。
王は、側近の「りょうはく」という関白に相談した。
「どうすれば、あの女は私の方を向く?」
関白は、悪魔のような知恵を授けた。
「夫の姿を、直視できないほど醜くしてやればいいのです。そうすれば、女の恋心も冷めるでしょう」
王は実行した。夫の耳と鼻を削ぎ落とし、口を引き裂いた。そして、その無惨な姿を、女の前に突き出したのだ。
「見ろ! これがお前の愛した男の成れの果てだ! さあ、絶望して私の胸に飛び込んでこい!」
だが、逆だった。女は、自分を愛したばかりにこれほどの苦しみを受けた夫を見て、いよいよその悲しみと愛情を深めてしまった。彼女は食事も喉を通らず、ただ伏して泣き続ける。業を煮やした王は、ついに最終手段に出た。
「……ならば、殺せ。その男を、深い淵に沈めてしまえ!」
夫は処刑された。それを聞いた女は、憑き物が落ちたように穏やかな顔をして言った。
「……分かりました。今はもう、彼への想いも捨て去りました。せめて最後のお別れに、彼が沈められたあの淵を見せてくださいませ」
王は大喜びした。「ようやく諦めたか!」
王は家臣や公卿を引き連れ、その淵のほとりで、勝利を祝う盛大な宴(管弦遊宴)を開いた。
酒の香りと音楽が満ちる中、女は静かに水際へと歩み寄った。少しだけ、立ち止まり――。
彼女は、一筋の光のように淵へと飛び込み、夫の元へと逝った。大王をはじめ、その場にいた者たちは、あまりの呆気なさと彼女の覚悟に、ただ空しく立ち尽くすしかなかった。
二つの物語を語り終えた十郎は、夜の風に目を細めた。
「五郎。許由は耳を洗い、あの女性は淵に沈んだ。……どちらも、自分たちの『志』が汚されることを、死よりも嫌ったのだ」
五郎は、黙って自分の拳を見つめた。自分たちも同じだ。父を殺され、仇である工藤祐経が、頼朝の側で「賢臣」としてデカい顔をしている。そんな世の中を認めて生きることは、彼らにとって「汚れた耳」を持ち、「別の夫」に仕えることに等しい。
「……兄上。俺たちの川も、もうすぐ濁ります。俺たちの淵も、すぐそこです」
「ああ。……だが、俺たちが飛び込んだ後、この物語は永遠に清らかなまま残るはずだ」
『賢臣は二君に仕えず、貞女は両夫にまみえず』
その言葉を刻んだ兄弟は、翌朝、再び馬に跨った。目指すは富士。そこが、彼らにとっての「穎川」であり、「淵」になる。
曾我物語 巻第五 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔巣父・許由が事〕
昔、然る例有り。大国に、潁川と言ふ川有り。巣父と言ふ者、黄なる牛を引きて来たる所に、許由と言ふ賢人、此の川の端にて、左の耳をあらひ居たり。巣父、是を見て、「汝、何に依りて、左の耳計をあらふにや」と問ひければ、許由答へて曰く、「我は、此の国に隠れ無き賢人なり。我が父、九十余にして、老耄きは無し。我未だ幼少なり。然れば、神拝・政みだりにして、有る甲斐無き身なれば、都を出でぬ。此の程、聞きつる事、皆左の耳なれば、よごれたるなり。其れをあらふにや」と言ひけり。巣父聞きて、「さては、此の川、七日濁るべし。よごれたる水かひて、益無し」とて、牛を引きて帰りしが、又立ち帰り、「さては、汝は、何処の国に行き、如何なる賢王をか頼むべき」と問ふ。「賢臣二君に仕へず、貞女両夫にまみえず」と也。然れば、首陽山に蕨ををりて過ぎけるとぞ申し伝へたる。
〔貞女が事〕
又、貞女両夫にまみえざるとは、大国に、しそうと言ふ王有り。かんはくと言ふ臣下を召し使ひ、或る時、かんはく、結びたる文を落としたり。王御覧じて、「如何なる文ぞ」と、御尋ね有りければ、「我、宮仕暇無くて、日数を送り、家に帰らず候ふ。心許無しとて、妻のもとよりくれたる文」と申す。猶あやしみ、「叡覧あらん」と、宣旨有り。隠すべき事ならねば、叡慮に捧ぐ。「此の文の主、呼びて見せよ」と仰せ下されければ、宣旨背き難くて、此の女を呼びて見せ奉る。王御覧じて、押し止めおき給ふ。かんはく、安からずに思ひけれども、適はず。女も、王宮の住まひ、もの憂くて、只男の事のみ、思ひ歎きければ、王、驚き思し召す。時の関白りやうはくと言ふ者を召し、「此の事如何せん」と問ひ給ふ。「然らば、彼が男のかんはくを、かたはになして見せ給へ。思ひはさめぬべし」と申したりければ、「然るべし」とて、耳鼻をそぎ、口をさきて見せ給ふ。女、我故、斯かる憂き目にあふよと歎き、いよいよ伏し鎮み悲しみければ、又臣下に問ひ給ふ。「然らば、かんはくを殺して見せ給へ」と申しければ、やがて、深き淵に沈められけり。女聞きて、思ひ少しなほざりにし、「彼の淵見ん」と言ひけり。大王、はや思ひ捨てけりと喜びて、大臣・公卿諸共に、彼の淵にのぞみ、管絃遊宴して遊び給ふ時に、此の女、みぎはに出で、やすらふとぞ見えし、淵に飛び入りて、死にけり。大王を始めとして、敢へ無さ限り無くて、空しく帰り給ひけり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




