表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚 〜  作者: 条文小説


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

57/109

5-9 純粋すぎる魂は、この世界を拒絶する

挿絵(By みてみん)


 曽我物語そがものがたりは、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia

 建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する一大イベント「富士の巻狩り」の直前。


 十七年という歳月を復讐の刃を研ぐためだけに費やしてきた兄弟、曾我十郎祐成と曾我五郎時致。彼らにとって、この世のことわりは「忠」と「貞」。揺るがぬ志を持つ者が、その純粋さを汚された時、どのような行動に出るのか。


 「兄上。世俗の汚れを払うとは、どういうことだと思いますか?」


 五郎が、野営の火を見つめながら問いかけた。十郎は、静かに異国の古い物語を語り始めた。


 昔々、大国に穎川えいせんという清らかな川があった。そこには許由きよゆうという、天才的な賢人が隠れ住んでいた。ある日のことだ。許由が川のほとりで、必死に「左の耳」だけを洗っている。そこへ、牛を引いて通りかかった友人の巣父そうふが声をかけた。


「おい、許由。何をしてるんだ? なぜ左の耳ばかり念入りに洗っている?」


 許由は、忌々しそうに答えた。


「……聞いてくれ。私はこの国で名の知れた賢人だ。父は九十歳を超えてボケることもなく、私はまだ若い。だが、今の都の政治は乱れ、神への祈りも形だけだ。そんな無意味な世から逃げてきたというのに……さっき、使いが来て『王になってくれ』などとほざきおった。その言葉を聴いた左の耳が、あまりにも汚れてしまったから、こうして洗っているのだ」


「……何だって?」


 巣父は、呆れたように、しかしさらに厳しい顔をして言った。


「さては……お前のせいで、この川は七日間は濁りっぱなしだな。そんな『汚れた耳』を洗った水を、我が家の牛に飲ませるわけにはいかん!」


 巣父は牛を引いて立ち去ろうとしたが、ふと足を止めて振り返った。


「それで、お前はこれからどこの国へ行き、誰を頼るつもりだ?」


 許由は、ただ一言、こう答えた。


「賢臣は二君に仕えず、貞女は両夫にまみえず(優れた臣下は二人の主君を持たず、貞淑な妻は二人の夫を持たない)」


 彼はその後、首陽山に籠もり、ワラビだけを食べてその一生を終えたという。


 権力や名声。それらを「耳が汚れる」とまで言い切る極限の潔癖さ。それが、曾我兄弟が理想とした「純粋な武士」の原風景だった。


 十郎は、さらにもう一つの物語を続けた。それは、「みさお」という名の美学が引き起こした、残酷な悲劇だ。


 同じく大国に、しそうという名の王がいた。ある時、側近の家臣であるかんはくが、不注意で一通のふみを落とした。王がそれを拾って見てみると、それは家を空けて仕事に励む夫へ、妻が送った愛の言葉に満ちた手紙だった。


「……ほう。これほど美しい言葉を紡ぐ女が、この世にいるのか」


 王は下卑た好奇心に駆られ、命じた。


「その女を、今すぐ宮殿に連れてこい。宣旨せんじだ、拒否は許さぬ」


 無理やり王宮に連れてこられた妻。王は彼女の美しさに魅了され、そのまま手元に留め置いた。だが、女は王の贅沢な暮らしには見向きもせず、ただひたすらに、元の夫である「かんはく」のことを思い、泣き沈むばかりだった。


「……何が不満だ。私がこれほど愛してやっているのに、まだあの男が良いというのか?」


 王の愛情は、次第に歪んだ憎悪へと変わっていった。


 王は、側近の「りょうはく」という関白に相談した。


「どうすれば、あの女は私の方を向く?」


 関白は、悪魔のような知恵を授けた。


「夫の姿を、直視できないほど醜くしてやればいいのです。そうすれば、女の恋心も冷めるでしょう」


 王は実行した。夫の耳と鼻を削ぎ落とし、口を引き裂いた。そして、その無惨な姿を、女の前に突き出したのだ。


「見ろ! これがお前の愛した男の成れの果てだ! さあ、絶望して私の胸に飛び込んでこい!」


 だが、逆だった。女は、自分を愛したばかりにこれほどの苦しみを受けた夫を見て、いよいよその悲しみと愛情を深めてしまった。彼女は食事も喉を通らず、ただ伏して泣き続ける。業を煮やした王は、ついに最終手段に出た。


「……ならば、殺せ。その男を、深い淵に沈めてしまえ!」


 夫は処刑された。それを聞いた女は、憑き物が落ちたように穏やかな顔をして言った。


「……分かりました。今はもう、彼への想いも捨て去りました。せめて最後のお別れに、彼が沈められたあの淵を見せてくださいませ」


 王は大喜びした。「ようやく諦めたか!」


 王は家臣や公卿を引き連れ、その淵のほとりで、勝利を祝う盛大な宴(管弦遊宴)を開いた。

 

 酒の香りと音楽が満ちる中、女は静かに水際へと歩み寄った。少しだけ、立ち止まり――。

 

 彼女は、一筋の光のように淵へと飛び込み、夫の元へと逝った。大王をはじめ、その場にいた者たちは、あまりの呆気なさと彼女の覚悟に、ただ空しく立ち尽くすしかなかった。


 二つの物語を語り終えた十郎は、夜の風に目を細めた。

 

「五郎。許由は耳を洗い、あの女性は淵に沈んだ。……どちらも、自分たちの『志』が汚されることを、死よりも嫌ったのだ」


 五郎は、黙って自分の拳を見つめた。自分たちも同じだ。父を殺され、仇である工藤祐経が、頼朝の側で「賢臣」としてデカい顔をしている。そんな世の中を認めて生きることは、彼らにとって「汚れた耳」を持ち、「別の夫」に仕えることに等しい。


「……兄上。俺たちの川も、もうすぐ濁ります。俺たちの淵も、すぐそこです」


「ああ。……だが、俺たちが飛び込んだ後、この物語は永遠に清らかなまま残るはずだ」


『賢臣は二君に仕えず、貞女は両夫にまみえず』


 その言葉を刻んだ兄弟は、翌朝、再び馬に跨った。目指すは富士。そこが、彼らにとっての「穎川」であり、「淵」になる。




曾我物語 巻第五 (明治四十四年刊 國民文庫本)




 〔巣父さうふ許由きよゆうこと


 むかしためしり。大国たいこくに、潁川えいせんかわり。巣父さうふものなるうしきてたるところに、許由きよゆう賢人けんじんの川のはたにて、ひだりみみをあらひたり。巣父さうふこれを見て、「なんぢ、何にりて、ひだりみみばかりをあらふにや」とひければ、許由きよゆうこたへていはく、「われは、くにかく賢人けんじんなり。ちち、九十余にして、老耄らうもうきはし。われいま幼少えうせうなり。れば、神拝じんばいまつりごとみだりにして、甲斐かひなれば、みやこでぬ。ほどきつることみなひだりみみなれば、よごれたるなり。れをあらふにや」とひけり。巣父さうふきて、「さては、の川、七日濁にごるべし。よごれたるみづかひて、えきし」とて、うしきてかへりしが、またかへり、「さては、なんぢは、何処いづくくにき、如何いかなる賢王けんわうをかたのむべき」とふ。「賢臣けんしん二君じくんつかへず、貞女ていぢよ両夫りやうふにまみえず」となりれば、首陽しゆやう山にわらびををりてぎけるとぞまうつたへたる。


 〔貞女ていぢよこと


 また貞女ていぢよ両夫りやうふにまみえざるとは、大国たいこくに、しそうと王有り。かんはくと臣下しんか使つかひ、とき、かんはく、むすびたるふみとしたり。わう御覧ごらんじて、「如何いかなるふみぞ」と、おんたづりければ、「われ宮仕きゆうじひまくて、日数ひかずおくり、いへかへらずさうらふ。こころもとしとて、さいのもとよりくれたるふみ」とまうす。なほあやしみ、「叡覧えいらんあらん」と、宣旨せんじり。かくすべきことならねば、叡慮えいりよささぐ。「ふみぬしびてせよ」とおほくだされければ、宣旨せんじそむがたくて、をんなびてたてまつる。わう御覧ごらんじて、とどめおきたまふ。かんはく、やすからずにおもひけれども、かなはず。をんなも、王宮わうくうまひ、ものくて、ただをとこことのみ、おもなげきければ、わうおどろおぼす。とき関白くわんばくりやうはくとものし、「こと如何いかがせん」とたまふ。「らば、かれをとこのかんはくを、かたはになしてたまへ。おもひはさめぬべし」とまうしたりければ、「しかるべし」とて、みみはなをそぎ、くちをさきてたまふ。をんなわれゆゑかるにあふよとなげき、いよいよしづかなしみければ、また臣下しんかたまふ。「らば、かんはくをころしてたまへ」とまうしければ、やがて、ふかふちしづめられけり。女聞きて、おもすこしなほざりにし、「ふちん」とひけり。大王だいわう、はやおもてけりとよろこびて、大臣だいじん公卿くぎやうもろともに、ふちにのぞみ、管絃くわんげん遊宴いうえんしてあそたまときに、をんな、みぎはにで、やすらふとぞえし、ふちりて、にけり。大王だいわうはじめとして、かぎくて、むなしくかへたまひけり。

〜参考記事〜

国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室

https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ