5-8 景季の嫌がらせと、復讐者が隠した真の牙
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する一大イベント「富士の巻狩り」の直前。17年という、あまりにも長い年月を復讐のためだけに捧げてきた兄弟、曾我十郎祐成と曾我五郎時致。彼らにとって、この巻狩りは単なる狩猟行事ではない。ターゲットである父の仇・工藤祐経を討ち、自らも死ぬための「終着駅」だ。
だが、死を覚悟した男たちには、最後にどうしても会っておきたい女性がいた。
三浦の地で味方を募り、いよいよ富士への出発が近づいたある日のこと。十郎が弟に言った。
「五郎、曾我へ帰る前に大磯へ寄ろうと思う。虎に最後のお別れをしておきたいんだ。……このまま富士へ行けば、もう二度と生きては会えまいからな」
五郎は深く頷いた。
「そうですね、兄上。……実は私も、鎌倉の化粧坂の下に、どうしても顔を見ておきたい者がおります。一晩だけ時間をください。明日、大磯で合流しましょう」
こうして兄弟は別れ、五郎は独り、夜明けの鎌倉へと馬を走らせた。
五郎が腰越を抜け、片瀬の宿に差し掛かった時のことだ。向こうから、十数騎の精鋭を引き連れた華やかな一団がやってくる。先頭に立つのは、鎌倉幕府の超エリート、梶原 源太左衛門 景季だ。景季は、ボロを纏った浪人姿の五郎を見つけると、ニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「おい、そこの者。止まれ。景季様がお呼びだ!」
家来の足軽が五郎の進路を塞ぐ。だが、今の五郎にとって、景季などという「お坊ちゃん」に構っている暇はない。
「急用だ。後日にしてくれ」
五郎は馬を止めず、そのまま駆け抜けた。
「……ほう、逃げるか。曾我の五郎ともあろう者が、情けない奴よ」
景季は嘲笑いながら、わざと馬を急がせて五郎を追った。
平塚の宿。馬の息を休めていた五郎の元へ、景季が追いついてきた。
「ここにいたか、曾我の五郎。お前の馬、なかなか良いものを持っているようだが……主人は随分と臆病なようだな」
景季の家来たちが、わざとらしく広縁に上がり込み、五郎を威圧する。 五郎は内に入り、じっと耐えた。
(……ここで一太刀、このエリート野郎を斬り伏せてやりたい。だが、俺の命はこいつのためにあるんじゃない。工藤祐経、あの男を地獄へ送るまでは、どんな恥をかいても生き抜くと決めたんだ)
『事を遂げんには、いさまずして、万事を咎めざれ』
(大望を成す者は、小事にこだわらず、怒りを抑えよ)
論語の教えを胸に刻み、五郎は「不覚人」という罵声を受け流した。周囲の者たちは「五郎も落ちぶれたものだ」と噂したが、これこそが、復讐を完遂するための「忍耐」であった。
五郎がこれほどまでに景季を嫌悪するのには、別の理由があった。それは、五郎が通っていた化粧坂の遊君を巡る、三角関係だ。ある時、五郎が想い人の家を訪ねたが、彼女は面会を拒んだ。理由を聞けば、最近、景季が入り浸っているというのだ。景季は鎌倉きってのセレブ。対する五郎は、所領も持たない貧乏な浪人。
かつて景季がその女の元を去る時、腰の刀を忘れていったことがあった。女が慌てて刀を届けると、景季は馬の上で颯爽とこう返した。
「形見とて おきて来し物 そのままに 返すのみこそ さすがなりけれ」
(形見としてわざと置いてきたものを、律儀に返してくるとは。お前のそんな純粋なところが、さすがに愛おしいよ)
平安時代から続く「和歌」の才能までひけらかし、女の心を掴む景季。五郎は、自分の「貧しさ」を呪った。
(……貧しさは、諸道の妨げか。……ふん、笑わせてくれる。俺は彼女に、和歌を遺して去るとしよう)
「逢うと見る 夢路にとまる 宿もがな つらき言葉に またも帰らん」
(夢の中であなたに会えるのなら、その夢から覚めない宿があればいいのに。現実ではあなたの冷たい言葉に、また追い返されてしまうのだから)
五郎が書き置きしたこの歌を読み、女は泣き崩れたという。彼女も、景季の権力に逆らえず、本心では五郎を想っていたのだ。「恥」を知り、愛に破れ、それでも復讐の道を選ぶ。 五郎の心は、もはや人間としての感情を超越した領域へと踏み出していた。
物語は一気に加速する。富士の巻狩り、嵐の夜。曾我兄弟は見事に工藤祐経を討ち果たした。捕らえられた五郎の前には、あの梶原景季もいた。頼朝の御前で、五郎は堂々と胸を張った。
「梶原景季! 貴様は平塚の宿で、俺のことを臆病者と笑ったな。……見ろ。俺はあの日、お前のような小物を相手にして命を無駄にしなかったからこそ、今日、本懐を遂げることができたのだ!」
五郎は、頼朝への返答よりも先に、景季に向かって吠えた。
「今なら、いつでも俺を殺せ。俺に、もう思い残すことは何もない!」
景季は、絶句した。自分が「小物」だと思って馬鹿にしていた男が、これほどまでに巨大な「大願」を秘めていたとは。五郎が平塚で耐えた屈辱は、中国の故事になぞらえ、「会稽の恥」を雪いだものとして、後の世に語り継がれることになる。
五郎が化粧坂に残した歌は、その後、鎌倉の街で語り草となった。女は、五郎の最期を聞いて、何度もその手跡を顔に押し当てて泣いた。
「……あの人は、不覚人なんかじゃなかった。誰よりも深く愛し、誰よりも強く戦った、本物の武士だったのだわ」
和歌。それは、殺し合いの世にあって、唯一、魂の真実を伝える言葉。
復讐という修羅道を完遂した五郎時致。彼が遺したのは、血の雨だけではなかった。富士の裾野に消えた命。だが、その執念と悲恋の物語は、和歌の調べと共に、永遠の伝説へと昇華していく。
曾我物語 巻第五 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔五郎、女に情懸けし事〕
さても、此の人々は、三浦より帰り様に、「大磯に打ち寄りて、虎に見参せん」と言ひければ、「然るべく候ふ。此の度出でて、長き別れにてもや候ふべからん。思ひ出だして、一返の訪ひも、計り難き事にて候ふぞかし。誠に思ひ切られぬ道にて候ふ。時致も、化粧坂の下に、知りたる者の候ふ。五日・十日をへて、行く道にても候はず。此の度出でなん後は、又相見ん事かたし。明日、参り合ひ申さん」とて、打ち別れにけり。さて、五郎は、一夜を明かし、払暁に鎌倉を出でて、腰越より片瀬の宿へぞ通りける。折節、梶原源太左衛門、十四五騎にて、彼の宿に下り居たりしが、五郎が通るを見て、「申すべき子細候ふ、しばし止まり給へ」とて、足軽を走らしむ。五郎、予て聞く事有りければ、「さしたる急事の候ふ。後日に、見参に入るべし」とて、通りにけり。定めて、五郎は止まるらんと、片瀬川を掛け渡し、向かひの岡に駒打ち上げて見ければ、遙かに打ちのびぬ。「此の者は、何と心得て、斯様には振舞ふらん」とて、駒を鎮めて、打つて行く。時致は、馬の息やすめんと平塚の宿に下り居て、暫く有りける所へ、景季、打つて来たる。「是にひかへたるは、曾我の五郎が乗りたる馬ごさんめれ」とて、縁の際に、駒打ち寄せける気色、怒り余りければ、乗りがへ五六騎、馬より下り、広縁に上がる。五郎、是を聞きて、悪しかりなんとや思ひけん、急ぎ内にぞ入りにける。源太、此の上は、尋ぬるに及ばずとて、手綱かいくり、通りけり。五郎、物ごしに聞き、世におごり、又人も無げなる奴かな、走り出でて、一太刀切り、如何にもならばやと思ひけれども、此の二十余年、惜しかりつる命は、景季が為にはあらず、祐経にこそと思ひて、止まりけり。是や、論語に曰く、「事を遂げんには、いさまずして、万事を咎めざれ」とは、今の五郎が心なるをや。見聞く輩は、「五郎が不覚なり」と言ひけれども、敵の祐経を打ち、引き据ゑられし時、君の御返事をば申さで、先づ源太に向かひ、「わ君は、年頃、時致に意趣有り。今は、時致が身に、思ふ事無し。本意を遂げよ本意を遂げよ」と言ひければ、景季、御前を罷り立ち、五郎有りける程は、参らざりけり。時致は、和田・畠山、左右に座して有りける方を見遣りて、ゑみをふくみける、理過ぎてぞ覚えける。是や、松柏は、霜の後に現れ、忠臣が、世の危ふきに知らるるとは、今こそ思ひ知られたれ。暫くも無かりけり、「時致、平塚の宿にては、さこそ思ひつらめ、大事有りて、小事無し、身に思ひあれば、万事を捨て、平塚の宿まで逃げたりし、会稽の恥を、只今すすぐ」と申しあへり。「思ふ事だに無かりせば、源太命危ふし」とぞ沙汰しける。抑、此の意趣を尋ぬれば、化粧坂の下に、遊君有り、時致、情を懸け、浅からず思ひしに、引く手数多の事なれば、梶原が、浜出して帰り様に、此の女のもとに打ち寄りて、夜と共に遊びけり。暁、帰るとて、如何しけん、腰の刀を忘れ出でけるを、女の美女をして送るとて、急ぐとてさすが刀を忘るるはおこしものとや人の見るらん景季、馬に乗りながら、左手の鐙を未だ踏みもなほさず、返事をぞしける、形見とておきて来し物其の儘に返すのみこそさすがなりけれ其の頃、源太左衛門は、歌道には、定家・家隆なりともと思ひしなり。さても、此の歌の面白さよと思ひ染めて、景季みみなれけり。余所のことわざなど、たはぶれければ、女引き籠り、五郎一人にも限らず、出仕を止めけり。是をばしで、五郎或る時、彼のもとに行き、尋ねけれども、あはざりけり。何によりけるやと危ふく、友の遊君に問ひければ、「梶原源太殿の取りて置かれ、余の方へは思ひもよらず」と言ひければ、五郎聞きて、流れをたつる遊び者、頼むべきにはあらね共、世に有る身ならば、源太には思ひかへられじと、身一つの様に思ひけり。「貧は諸道のさまたげ」とは、面白かりける言葉かな、人をも、世をも恨むべからずとて、此の歌を詠み置きて、出でぬ。あふと見る夢路にとまる宿もがなつらき言葉にまたも帰らんと書きて、引き結びて置きたりけり。五郎帰りて後、此の女、立ち出でて見れば、結びたる文有り。取り上げて見れば、日頃なれにし五郎が手跡なり。歌をつくづく見て、文顔に押し当て、さめざめと泣きつつ、友の遊君に、「御覧ぜよや、人々。恥とも知らで、恥づかしや。日本我が朝は、みづのおの里として、神明光をやはらげ、天の岩戸に取り籠らせ給ひし時、「あら面白」と言ひそめ給ふ、此の三十一字の故ぞかし。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




