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新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚 〜  作者: 条文小説


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5-7 坂東最強の親分・和田義盛が全てをひっくり返す

挿絵(By みてみん)


 曽我物語そがものがたりは、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia

 建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する軍事イベント「巻狩り」は、信濃からついに復讐の最終舞台、富士の裾野へと向かおうとしていた。


 兄・曾我十郎 祐成すけなり。弟・曾我五郎 時致ときむね。彼らにとって、この富士の巻狩りは単なる狩猟イベントではない。十七年に及ぶ執念に終止符を打つための、片道切符の戦場だ。しかし、復讐の「本番」を前に、兄弟の絆を揺るがす最大の危機が訪れる。それは、信じていた身内の裏切り――。


 那須野での空振りを経て、鎌倉殿・頼朝は再び命令を下した。


「次は富士だ。富士の裾野で、未だかつてない大規模な巻狩りを行うぞ!」


 この報せを聞いた曾我の館に、戦慄が走った。弟の五郎が、兄の十郎に迫る。


「兄上、ついに最後が近づきました。もう、これ以上命を惜しんでチャンスを窺うのはやめましょう。富士の巻狩り……あそこが俺たちの墓場です。昼も夜も関係ない、隙を突くのではない。正面から、あるいは寝首を掻いてでも、何が何でも工藤祐経を地獄へ送る。仕損じれば、死霊となってでも奴の命を奪う。……いいですね?」


 十郎は、弟の修羅の如き瞳を真っ直ぐに見つめ返し、静かに頷いた。


「ああ、承知した。俺も、全く同じ覚悟だ」


 二人は準備を始めた。しかし、復讐を確実に遂げるためには、自分たちの不遇を理解し、力を貸してくれる「信頼できる味方」が必要だった。

 そこで二人が向かったのは、親戚筋にあたる三浦の与一(義直)の元だった。


 「与一殿、折り入って相談がある」


 十郎は、酒を酌み交わしながら声を低くした。三浦の与一は、源平合戦を共に戦った信頼できる親族だ。だが、十郎が「父の仇、工藤祐経を討つために力を貸してほしい」と切り出した瞬間、与一の顔から血の気が引いた。


「……何を言うか、十郎殿。正気か?」


 与一は、震える声で兄弟を諭し始めた。


「今は昔と違うのだ。頼朝様の法は絶対だ。今の時代、仇討ちなどという『悪事』を働けば、一族郎党すべてが滅ぼされる。お前たちだけではない、母上も、義父の曾我太郎殿も、みんな流罪か死罪だ。


 いいか。工藤祐経殿は頼朝様の寵臣。非の打ち所がない権力者だ。そんな男を相手にするのは、無謀を通り越して狂気の沙汰だ。……悪いことは言わん、この件は忘れろ。真面目に奉公して、いつか伊東の旧領を返してもらえるよう努力するんだな」


 与一の言葉は、この時代の「正しい官僚」としての正論だった。だが、五郎の心には、その正論が何よりも汚らわしいものに響いた。


「――ほう。与一殿、あんた、最初は調子いいことを言っていたくせに、いざ命が惜しくなるとそんな言い訳をするのか」


 五郎は立ち上がり、与一を睨みつけた。


「蛇でさえ進むべき方角を知り、ツバメでさえ巣を作るべき時を知る。獣でさえ自分の『分』を心得ているというのに……。あんたは人の形をしていながら、その中身は畜生以下だな! 情けない奴め!」


 五郎は吐き捨てるように言い放ち、十郎を連れて座敷を蹴って出ていった。


 残された与一は、屈辱に震えていた。


「……あの餓鬼、俺に向かって畜生だと? 少しばかり腕が立つのを鼻にかけおって……!」


 与一は恐ろしくなった。あのような「狂犬」を野放しにしておけば、いつか三浦一族まで巻き添えになる。


「そうだ。こいつらの企てを鎌倉殿に密告してしまおう。そうすれば、俺は『謀叛を未然に防いだ功臣』として、ノーリスクで曾我を消せる……!」


 与一はすぐさま馬に鞍を置かせ、鎌倉へと爆走した。曾我兄弟、最大のピンチ。もし通報が受理されれば、富士の巻狩りの前に二人は捕らえられ、処刑される。


 だが、その時。手越てこし川のほとりで、鎌倉から戻る一隊の馬が砂煙を上げた。先頭に立つのは、巨躯に豪胆な面構え。鎌倉幕府の軍事トップ、侍所別当・和田義盛であった。


 「おい、与一! どこへそんなに慌てて行くんだ?」


 義盛が馬を止めると、与一はしどろもどろになりながらも、「鎌倉へ、大事な急用が……」と答えた。だが、百戦錬磨の義盛の目は誤魔化せない。義盛は馬から下り、与一の手綱をひっつかんだ。


「隠すな。俺とお前の仲だろ。何があった?」


 詰め寄られた与一は、ついに白状した。


「……曾我の兄弟が、工藤祐経殿を討つと抜かしおるのです。五郎という小倅には酷い悪口まで叩かれました。……このままでは三浦の名が汚れます。鎌倉殿に報告し、あ奴らを今のうちに処分してもらおうと……」


 それを聞いた瞬間、義盛はしばらく沈黙した。


そして――「――バカ野郎ッ!!」


 義盛の咆哮が川面に響いた。


「与一、お前、それでも坂東武者か!? 男が命を捨てて『一緒に死んでくれ』と頼みに来たのを断るだけでなく、それを売って出世しようだなんて……! 侍の命はゴミより軽いが、名は金より重いんだぞ。そんな恥知らずな真似をして、明日からどの面下げて鎌倉を歩くつもりだ!」


「で、ですが……あいつらは反逆者で……」


「うるせえ! 確かに法を破るかもしれん。だが、親の仇を討とうとするその志、お前には分からんのか? 俺が若ければ、その場で一緒に立ち上がってやったところだ!


 いいか、与一。今、お前が鎌倉へ行って報告すれば、頼朝様は喜ぶかもしれん。だが、親戚を売るような男を、頼朝様が心の底から信頼すると思うか? お前は一生、『身内を売ったイヌ』として蔑まれるんだぞ。それでもいいのか!」


 義盛の、魂を揺さぶるような説得。


 与一は、あまりの気迫に言葉を失い、自分の浅ましさを思い知らされたように項垂れた。


「……義盛殿、申し訳ございません。私の考えが、あまりにも小さゅうございました」


「分かればいいんだ。さあ、手綱を返せ。曾我へ戻って、酒でも飲んで寝ちまえ。このことは、俺と墓場まで持っていくぞ」


 与一は馬を返し、静かに三浦へと戻っていった。義盛は、遠ざかる与一の背中を見送りながら、富士の山の方角を見据えた。


「……曾我の若僧ども。ヒヤヒヤさせやがって。……まあ、暴れてこい。俺にできるのは、これくらいだ」


 曾我兄弟は、自分たちが今、どれほど絶望的な死線をくぐり抜けたのかを知る由もない。




曾我物語 巻第五 (明治四十四年刊 國民文庫本)




 〔三浦みうら与一よいちたのみしこと


 けぬれば、きみ鎌倉かまくらたまふ。兄弟きやうだいの人々も、曾我そがにぞかへりける。にや日本国につぽんごく名将軍めいしやうぐん貴辺きへんにして、此処ここしのび、彼処かしこにまはり、いのちて、しまで、かたきおも心中しんちゆう、やさしとふもあまり。無慙むざんなりしたしなみなり。また鎌倉かまくら殿どの梶原かじはらされて、おほくだされけるは、「さぶらひどもに、いとまらすべからず。狩場かりばおほしといへども、富士野ふじのまさ所無し。ついでにからん」とおほせられければ、景季かげすゑむね披露ひろうす。曾我そが五郎ごらうことき、あにまうしけるは、「われ最後さいごこそ、近付ちかづさうらへ。ろしされさうらはずや。国々のさぶらひどもかへさずして、富士野ふじの御狩みかりるべきにてさうらふなる。ながらへておもふもくるしし。おぼさださうらへ」とひければ、祐成すけなりきて、「うれしきものかな。今度こんどは、ほどちかければ、むま一匹ぴきづつだにあらば、あらはれて、御供おんともまうすべし」。時致ときむねやう、「つらつらことあんずるに、ひまもとめて、便宜びんぎうかがさうらへばこそ、いままで本意ほんいをばげざれ。今度こんどにおいては、一筋ひとすじおもり、便宜びんぎよくは、御前ごぜんをもおそるべからず、御屋形やかたをもはばかるべからず、よるともはず、ひるともきらはず、とほくはとし、ちかくはみて、勝負しようぶせん。ものにせばこそ、ひまをもうかがひ、ところをもきらはめ。もししそんずるものならば、悪霊あくりやう死霊しりやうりて、いのちうばふべし。なまじひなる命いきて、おもふもかなし。今度こんどでなんのち二度ふたたびかへるべからず、おもりてさうらふは、如何いかがおぼさうらふ」。祐成すけなりき、「子細しさいにやおよぶ。それがしも、かくこそおもさだめてさうらへ」とて、各々 ちけるぞ、あはれなる。すでに、鎌倉かまくら殿どのおんしましければ、の人々(ひとびと)は、三浦みうら伯母おばのもとへぞきける。此処ここに、三浦みうら与一よいちものり。平六兵衛へいろくびやうゑ一腹いつぷくあになり。ちちは、伊東いとう工藤くどう四郎しらうなり。与一よいちははは、伯母をばなり。いづかたもしたしかりければ、むつびけるもことわりなり十郎じふらうおととひけるは、「与一よいちたのみてん。さりとも、いなとははじ」。五郎ごらうき、「小二郎こじらうにも、おんこりさうらはで」とはひながら、もしやとおもひけれども与一よいちがもとにき、ほど、久しく対面たいめんせざるよしひしかば、「めづらし」とて、さけだしすすめけり。さかづき二三返べんぎければ、十郎じふらうちかり、「これさんずることべつ子細しさいにはあらず、大事だいじまうはせんためなり」とふ。与一よいちき、「何事なにごとなるらん。仮令たとひ如何いかなる大事だいじなりとも、たのおほせられんに、如何いかでかそむたてまつるべき。りのままに」とひければ、十郎じふらう小声こごゑりて、「かねてもこしさるらん。われに、おもりとは、人知りてさうらふ。しかるに、かたきは、大勢おほぜいにてさうらふに、ひんなるわらは二人して、ねらどもかなはず。御分ごぶんたのまれたまへ。われ三人、ものならば、如何いか本意ほんいげざるべき。おやかたきちかくおきておもふが、せんかたさに、まうはせんとて、まゐりたり。たのまれたまへ」とひければ、与一よいちしばらあんじて、「ことこそ、ふつつとかなふまじけれ。おもとどまりたまへ。当世たうせいは、むかしにもず、然様さやうの悪事するものは、片時へんししのことし。れば、おやかたきかたき宿世しゆくせかたきまうどもことし。ましてやはん、御供おんともつかまつりたるものを、狩場かりばにても、旅宿りよしゆくにても、あやまりては、ひとまどもつべきものか。今度こんどおもひとまりて、わたくしありきをねらたまへ。うへ祐経すねつけは、きみおんものにて、先祖せんぞ伊東いとう安堵あんどするのみならず、荘園しやうゑん知行ちぎやうすることかずらず。かたきりとぞんじ、用心ようじんきびしかるべし。なまじひなることつかまつだし、面々のみならず、はは曾我そがの太郎、まどものになしたまふな。まげておもとどまり、如何いかにもして、御不審ふしんゆるされたてまつり、奉公ほうこういたし、先祖せんぞ伊東いとう安堵あんどたまへ。面々の有様ありさまにて、たう御代に、敵討沙汰かたきうちざたとどたまへ」と、おほきにおどろまうしければ、十郎聞きて、「いとほしの人や。こころみんとてひつるを、まことがほせいするぞや。今時いまどきわれにては、おもひもよらず。むまたざれば、狩場かりばたからず。努々 披露ひろうるべからず」と、くちかため、たむとす。五郎ごらうは、たまらぬをのこにて、「ことはじめの言葉ことばにはず。おもへば、おそろしさに、辞退じたいたまふか。史記しき言葉ことばをばたまはずや。じやは、わだかまれども、生気しやうげかたき、さぎは、太歳たいさいかたそむきてひらき、つばめは、戊己つちのへつちのとに巣をくひはじめ、比目魚かれいは、みなとかひかたたがひす。鹿しかは、玉所ぎよくしよかひてさうらふなる。斯様かやうけだものだにも、ぶんしたがこころるぞとよ。おもてばかりは人ににて、たましひ畜生ちくしやうにてものかな」とてて、ちにけり。与一よいちは、五郎ごらう悪口あつこうせられて、如何いかにもならばやとおもひしが、われは一人、かれ二人也なりうへ五郎ごらうは、こゆる大力だいぢからなり、小腕こがひなられて、かなふべからず、所詮しよせんこと鎌倉かまくら殿どのまうげて、かれほろぼさんことちからもいらでとおもしづまりぬ。さて、かれはるかにきつらんとおもときいそぎ馬にくらかせり、鎌倉かまくらへこそまゐりけれ。こと兄弟きやうだいは、ゆめにもらでぞたりける。此処ここに、和田わだ義盛よしもりは、鎌倉かまくらよりかへりけるに、てこし川にてひたり。与一よいちれば、かほ気色けしきはり、こまあしなみはやかりければ、義盛よしもりしばらこまをひかへ、「何処いづくへぞ」とふ。与一よいちものをもはで、こまはやめけるが、ややりて、「鎌倉かまくらヘ」とばかりこたふ。「さても、鎌倉かまくらには、何事なにごとこり、三浦みうらには、如何いかなる大事だいじさうらへば、ほどにあわてたまふぞや。いづかたのことなりとも、義盛よしもり、はなるべからず。御分ごぶんまたかくすべからず」とて、与一よいちが馬の手綱たづなり、ひまひければ、与一よいちまうでう、「べち子細しさいにてはさうらはず。曾我そがものどもたりさうらひて、おやかたきたんとて、義直よしなほたのさうらあひだ、「かなふまじき」とまうしてさうらへば、五郎ごらうまうすをこのものが、散々に悪口あつかうつかまつさうらふ。当座たうざに、如何いかにもるべかりしを、かれは二人、それがしただ一人候さうらひしあひだかなはで、斯様かやう子細しさいうへまうしいれて、かれうしなはんため鎌倉かまくらいそさうらふ」とひければ、和田わだこれき、しばらものをもはず。ややりて、「や、殿との与一よいち殿どの弓矢ゆみやるも、らざるも、をとこくびをきざまるるほどものが、いざや、ににかんとたのまんに、辞退じたいするほどやからをば、人とははで、犬野干いぬやかんとこそまうせ。就中なかんづく弓矢ゆみやほふには、いのちをば塵芥ちんがいよりもかろくして、をば千鈞せんきんよりもおもくせよとこそふに、さぶらひいのちは、今日けふあれば、明日あすまでもたのむべきか。くべしとてこそ、かほど大事だいじかせつらめ。しかも、したしき中ぞかし。あたる道理だうりかせてはば、領状りやうじやうして、かなはじとおもはば、のち辞退じたいするまでぞ。左右さうはなき、あまつさへ、上へまうさんとな。ほど大事だいじこころにかくるうへは、穏便おんびんものにてこそ、当座たうざも、わ殿とのが命をばたすけ。上様さままうぐるときては、一遣りもらじ。いのちしくは、とどまりたまへ。いのちりてこそ、きやうへも、鎌倉かまくらへもまうたまはめ。義盛よしもりがわかざかりならば、座敷ざしきにてもつべきぞ。よくよくまうげて、うしなたまへ。きみも、一旦いつたんは、しかりとおぼすとも、したしきものことざままうさんを、神妙しんべうなりとて、たのもしくはおぼさじ。うへかれうしなたまふとも、親類しんるいおほければ、御身おんみ如何いかでか安穏あんをんなるべき。孔子こうし言葉ことばにも、「善人ぜんにんまじはれば、蘭麝らんじやまどるがごとし、のかほばせのこり、悪人あくにんまじはれば、かきよのいちぐらるがごとし、くさきことのこれる」とえたり。御身おんみにおきては、おなみちをもくべからず。こころかへしてたまふべし。朝恩てうおんほこかたきまへにおきて、るもめざましくてこそ、ひつめら。こと訴訟そしようまうして、いかほど勲功くんこうにかあづかるべき。武蔵むさし相模さがみには、殿とのばら一門いちもんならぬものさうらふ。かくまう義盛よしもりも、むすぼるるは、たまはずや。むかしの御代とだにおもはば、などや一訪とぶらはざるべき。たう御代なればこそ、おそれをなし、かたきをば、すぐにおきたれ。かれ心中しんちゆうはかられて、あはなり」とて、双眼さうがんなみだをうかめければ、義直よしなほ、つくづくきて、しかりなんとやおもひけん、「これも、一旦いつたんことにてこそさうらへ。うへは、とかくの子細しさいおよばず」とて、こま手綱たづなかへす。のちは、四方よも山の物語ものがたりして、三浦みうらちつれてかへりけり。こと年頃としごろ仏神ぶつじんいのまうせし感応かんおうにや。しからずは、如何いかでか、ことのがるべき。不思議ふしぎなりし振舞ふるまなりれば、ただ人はしんむねとし、神明しんめいをもつぱらにすべきをや。いまはじめぬことなれどもがたかりしめぐみなり。

〜参考記事〜

国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室

https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。

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