5-5 伝説の狩場を消滅させた鹿の鳴き声
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する大規模イベント「那須野の巻狩り」の最中だ。
浅間野、三原野と続いた狩りの旅。十万人の軍勢を引き連れた頼朝は、今夜、下野の国にある板鼻の宿に腰を落ち着けていた。
そこは、青竹を切り出して突貫工事で建てられた、豪華な移動式リゾート屋敷「青竹下ろしの屋形」。外では十万の兵が静まり返る中、屋敷の内側では、最高級の酒と料理、そして文化的な余興に溢れた「勝者の宴」が繰り広げられていた。
「……ははは、弥三郎(朝綱)。今日の狩りも見事であった。褒めて遣わすぞ」
頼朝は上機嫌で盃を傾けていた。接待役の宇都宮朝綱は、主君の機嫌を損ねぬよう、趣向を凝らした様々な曲や芸を披露し、宴を盛り上げていた。
その時だった。ふと頼朝が盃を止め、耳を澄ませた。屋敷の遥か遠く、板鼻の山影から、微かに、しかし悲しげな動物の鳴き声が聞こえてきたのだ。
「……キュイィィ……」
「弥三郎、今の声は何だ? どこで鳴いている?」
「はっ。あれは板鼻の辺りで鳴く、鹿の声にございます」
頼朝は眉をひそめた。
「鹿か。……妙だな。古来より歌人たちは『鹿の音近き秋の山越え』と詠んできたもの。鹿が鳴くのは秋の季語だ。今のこの夏の野に、鹿が鳴くとは……不吉な予兆か?」
静まり返る宴席。この「理屈に合わない現象」をどう説明するか。知識人としての頼朝のプライドが、解答を求めていた。
ここで朝綱は、歴史の知識から一つの逸話を取り出した。
「上様、実は昔、これと似たようなことが丹後の国でもあったのです。……藤原保昌という男をご存知でしょうか」
頼朝は頷く。
「平家にもゆかりのある名将だな」
「その保昌殿が丹後に下った時のことです。そこには『朝妻』という、日本一の呼び声高い狩場がございました。そこの鹿たちは、夜になると山を下り、渚に集まって一列に並んで眠るという習性があったのです」
朝綱は、保昌が仕掛けた狩りの様子を語り始めた。
「保昌殿は考えました。山から下りてくる鹿を、逃げ場の無い浜辺で一網打尽にしようと。
彼は射手三百人を配備し、夜中のうちに山へ勢子を送り込み、海には船を浮かべました。逃げようとする鹿を船の櫓や櫂で叩き落とし、陸へ上がれば三百の矢が降り注ぐ。……まさに、必勝の布陣でした」
「――ところが、夜明けを待つ午前二時のことです」
朝綱の語りは熱を帯びる。
「静まり返った陣営に、一頭の鹿の声が響き渡りました。その時、保昌殿の側に仕えていた伝説の女流歌人・和泉式部が、その声を聞いて、一首の歌を口ずさんだのです」
「理や 如何でか鹿の鳴かざらむ 今宵ばかりの命と思へば」
(道理ですわ。どうして鹿が鳴かずにいられましょう。今夜が自分たちの最後の命だと思えば、悲しくてたまらないのでしょう)
「…………!」
保昌はこの歌を聴いた瞬間、全身の血が凍りついたといいます。さっきまで『効率的な獲物』にしか見えていなかった鹿たちが、今夜を限りに殺される悲劇の主人公に見えてしまった。和歌によって、彼の殺意が、強烈な道心へと書き換えられてしまったのです」
「保昌殿はどうした?」
頼朝が身を乗り出して尋ねる。
「彼は即座に狩りを中止しました。それだけではありません。連れてきた三百人の郎党までもが、その場で出家を決意したのです。さらに、保昌殿は過去に殺めてきた鹿たちの菩提を弔うため、六万本もの率塔婆を書き上げ、六万人の僧侶を招いて大規模な供養を行いました。
そして、『朝妻の地では二度と狩りをしてはならぬ』という禁止令を出し、今に至るまでそこは平和な聖域となったのです。……ですから上様、今夜板鼻で鳴く鹿も、明日の御狩りを察して命を惜しんでいるのかもしれません」
朝綱が話を終えると、頼朝はフッと不敵な笑みを浮かべた。
「……面白い。保昌は平氏に近い者だったな。奴のような『おこぼれ者』でさえ、和歌一つでそれほどの善行を積んだというのか」
頼朝の瞳に、独裁者としての、そして源氏の長としての負けん気が宿る。
「我は源氏の正統である。 慈悲の心において、保昌に劣ってなるものか! 奴が六万の僧を呼んだなら、頼朝は歴史そのものを書き換えてやろう」
頼朝は力強く盃を置き、朝綱に宣言した。
「よし! 明日の板鼻の狩りは中止だ! それだけではない、この野を『未来永劫、狩り禁制の地』とする! 朝綱、今すぐ私の判を書いた公文書を作れ! 末代まで、ここの鹿の命は頼朝が保障する!」
「おおおっ……! これぞ鎌倉殿の御慈悲!」
朝綱をはじめ、居並ぶ御家人たちは一斉に平伏した。保昌という過去のライバルにマウントを取るための、壮大な「殺生禁断(狩りの中止)」。
頼朝の気まぐれは、一瞬にして広大な山野を「動物保護区」へと変貌させたのである。
翌朝。十万の軍勢は、板鼻の獲物を一頭も狩ることなく、静かに次の目的地へと出発した。
山に残された鹿たちは、自分たちが天下の主君によって保護されたことなど露ほども知らず、ただ夏の朝露を食んでいた。
この一件により、頼朝の名声は「冷酷な独裁者」から「慈悲深い賢王」へとさらに塗り替えられた。しかし、その様子を遠くから冷ややかに見つめる二人の男がいた。
曾我十郎と五郎。
「……鹿の命は助けるのに、俺たちの父上の命は助けてくれなかった。面白い人だ、鎌倉殿は」
五郎の呟きは、誰にも聞こえなかった。
曾我物語 巻第五(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔朝妻狩座の事〕
御寮は、青竹下ろしの屋形に入り給ひぬ。更たけ、世人鎮まりけれども、御酒宴有りけり。朝綱、御気色に参らんとて、とりどりの曲共申し御徒然慰め奉りけり。君、御盃をひかへさせ給ひける時、鹿の音かすかに聞こゆる。「何処ぞ」と、御尋ね有りければ、「板鼻の辺」と申す。君聞こし召し、「古の歌人も、「鹿の音近き秋の山ごえ」とこそ詠みし。夏野に、鹿の鳴くこそ不思議なれ」と仰せ下されければ、朝綱、畏まつて申しけるは、「然る事の候ふ。昔、保昌と言ひし人、丹後の国に下り給ふ。彼の国に、朝妻とて、日本一の狩座有り。其の山の鹿は、夕よりも夜に入れば、山には住まで、渚に下りて、数をつくして並び伏す。其の隙に、山へ勢子を入れて、夜中に引きまはし、海には船を浮かべ、暁に及び、ひろき浜に追ひ出だし、思ひ思ひに射取る。海に入るをば、櫓=櫂にて打ち取らんとす。保昌、是を聞き、朝妻に陣を取り、射手を三百人添へ、勢子を山に入れ、明くるを遅しと待ちける所に、夜半ばかりに及び、鹿の声聞こえけり。折節、和泉式部を召し具したりければ、鹿の音を聞きて、理や如何でか鹿の鳴かざらむ今宵ばかりの命と思へばと詠みたりければ、保昌、歌の理にめで、其の日の狩を止め給ふ。心無き鹿の思ひを哀れみ、道心を起こし給ふ。三百人の郎等まで、道心を起こし候ふとなり。是にも、猶あきたらで、過ぎにし鹿の為に、六万本の率塔婆をかき供養し、六万人の僧を請じて、彼の菩提を弔ひ給ひけるとかや。其れよりして、「朝妻の狩座を末代止むべし」との御判を申し下され、諸共に判形を添へて置かれければ、今に至るまで、狩場にはならずと申し伝へたり。然れば、此の野の鹿も、明日の命をや悲しみて、泣き候ふらん」と申しければ、頼朝聞こし召し、「其れは、平氏の一類にて、斯様の善事をなしけるにや。我、源氏の正統也。如何でか、是を知らざらむ」とて、其の日の御狩を止め給ふのみならず、「末代までも、此の野に狩を止むべし」と、朝綱方へ御判を下されけり。是、偏に保昌の例を引かるるにこそと、感じ申さぬは無かりけり。是も、殺生を禁じ給ふにや。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




