5-4 十万人の軍勢に埋もれる復讐者の焦燥
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する大規模軍事演習「巻狩り」は、信濃の浅間野から、ついに下野の国、那須野へとその舞台を移そうとしていた。
浅間野での豪雨による「仕切り直し」を経て、頼朝の情熱はさらにヒートアップ。参加人数は、もはや「演習」のレベルを遥かに超えた大規模なスケール。
だが、その十万人の軍勢という巨大な「壁」に阻まれ、必死にターゲットを追いかける二人の男がいた。兄・曾我十郎 祐成。弟・曾我五郎 時致。
信濃・三原野での巻狩りを終え、頼朝は上機嫌だった。しかし、彼の欲望は止まらない。頼朝は宇都宮の重鎮、宇都宮弥三郎 朝綱を呼び出した。
「弥三郎。信濃の狩りも悪くなかったが、やはり関東で一番の狩場といえば、下野の那須野であろう。ついでにあの広大な野を枯らして見せようではないか」
それは、実質的な「国家予算を投じた大演習」の通達だった。朝綱は「御意!」と平伏し、すぐさま地元・宇都宮へと戻った。彼は自分の烏帽子子である権守の屋敷をゲストハウスへと改装し、天下の主・頼朝を迎え入れる準備を整えた。
板鼻の宿を抜けて、頼朝一行は宇都宮へと入った。ここから、歴史に残る「那須野の大軍勢」が動き出す。
「那須野は広すぎる。少人数では獲物を追い詰められん。総員、集結せよ!」
頼朝の号令により、坂東八カ国の全戦力が那須野へと集められた。その顔ぶれと兵数は、まさに鎌倉幕府の軍事パレードだった。
さすがの動員力、和田左衛門義盛 1000人。坂東の鑑、気合が違う、畠山重忠1000人。川越太郎・小山朝光、各1000人。武田・小笠原、各500人。渋谷・糟屋、各500人。土肥・岡崎、各500人。松田・河村、 各300人。諸々の雑兵や従者まで合わせれば、その数なんと十万人。
広大な那須野が、人で埋め尽くされ、足の踏み場もないほどになったという。
「……何だ、この数は」
その十万人という「人間山脈」の末端に、二人の復讐者がいた。兄の十郎と、弟の五郎だ。兄弟は、かつてない苦境に立たされていた。彼らは馬を持たず、高価な鎧も持たない。唯一の潜入ルートは、獲物を追い出す「勢子」の雑兵に紛れること。
「兄上……。これじゃあ、どこに誰がいるのかさっぱり分かりませんよ」
五郎が、深く被った編笠を直し、不満げに呟く。目の前にあるのは、きらびやかな御家人たちの背中ではなく、土煙を上げる数万の雑兵たちの群れ。
彼らは竹の杖を振り回し、茂みに潜む獣を追い立てる。復讐のターゲット、工藤祐経は、頼朝のすぐ側、すなわちこの十万人のピラミッドの頂点付近にいるはずだ。対して自分たちは、その底辺。
(……距離が、遠すぎる)
夕風が草の原を揺らすたび、兄弟は目を凝らした。しかし、誰が誰だか判別がつかない。人波に揉まれ、草を分け、彼らは暗殺者としてのチャンスを探し続けたが、物理的な「壁」はあまりにも厚かった。
そんな時だった。突如、青竹がしなるような音と共に、一陣の風が吹いた。
「――出たぞ! 牝鹿だ!」
叫び声と共に、一頭の鹿が猛スピードで狩場を駆け抜ける。その先で、悠然と馬を操り、弓を引き絞る一人の男がいた。
工藤左衛門尉祐経。彼は、頼朝のすぐ側で、まるで演舞を見せるかのような優雅な動作で矢を放った。ヒュッ、という鋭い風切り音。矢は見事に牝鹿を捉え、獲物は坂を転がり落ちていった。
「おおおっ! さすがは左衛門尉殿! 見事な一射!」
周囲から沸き起こる称賛の嵐。その様子を、遥か遠くの茂みの陰から、五郎は血の出るような思いで見つめていた。
「……いた。あいつだ。兄上、祐経です!」
五郎は今にも飛び出そうとした。太刀を抜き、十万人の兵を押し退けてでも。だが、十郎がその肩を強く抑えた。
「よせ、五郎。……無念だが、今は無理だ。周りのガードが固すぎる。今行けば、祐経に届く前に俺たちは数千の矢の的になるだけだ」
祐経は、仕留めた鹿を見向きもせず、次の獲物を求めて再び馬を走らせていった。一瞬、その姿を確認できただけ。それだけで、那須野の日は無慈悲にも暮れていったのである。
「……今日も、空しく終わったか」
十万人の熱狂が静まり、那須野に夜の闇が降りる。焚き火の煙があちこちで上がり、武士たちの宴の笑い声が聞こえてくる。兄弟は、その喧騒から離れた場所で、ボロボロの草鞋を脱ぎ捨てた。
全身泥まみれ。ターゲットの顔を拝むのに、一日中泥水をすすって歩き回らなければならない。復讐という願いは、那須野の広大さと十万という数字の前に、あまりにもちっぽけに見えた。
「兄上。那須野は広すぎました。……次は富士ですね」
五郎の瞳には、消えることのない暗い炎が宿っていた。
「無念と言うも、余りあり」
那須野での失敗。それは、兄弟にとって「もう後がない」という崖っぷちの自覚をもたらした。
次は、富士の裾野。歴史という名の怪物が、いま、復讐の終止符を打つために、富士の山頂で大きく口を開けて待っている。
曾我物語 巻第五(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔那須野の御狩の事〕
さて、君、宇都宮の弥三郎を召して、「信濃の御狩とは雖も、下野の那須野に勝る狩場無し。ついでに、彼の野をからせて御覧ぜん」と仰せられければ、朝綱承りて、御設けの為に、暇申して、宇都宮へぞ返りける。烏帽子子の権守がもとをこしらへて、君を入れ奉る。板鼻の宿より宇都宮へ入らせ御座します。彼の那須野ひろければ、無勢にては適ふべからずとて、「面々に参らせよ」とふれられければ、仰せに従ひて、和田の左衛門、千人参らす。畠山も千人、川越・小山も千人あて、武田・小笠原五百人、渋谷・糟屋も五百人、土肥・岡崎も五百人、松田・河村三百人、分々に従ひて、東八ケ国の侍共、思ひ思ひに参らせければ、既に十万人に及びけり。那須野ひろしと申せども、何処に所有りとは見えざりけり。曾我の人々は、勢子の者共にかきまぎれ、人目がくれにまはりけり。然れども、余所目しげみの草の原、わきて知らるる夕風の、誰ともさだかにわきまへず、青竹下ろしの狩場にて、左衛門の尉祐経は、つれたる牝鹿に目を懸けて、下り様に落とせしを、一目見たりしばかりにて、其の日も空しく暮れにけり。無念と言ふも余り有り。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




