5-3 鎌倉殿の気まぐれ報酬と夏の怪奇
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年(1193年)。鎌倉殿・源頼朝が主催する大規模軍事パレード「巻狩り」の真っ最中
浅間野に続き、日本中から「我こそは」と名乗りを上げた有力御家人がやってきたのは信濃の国、三原野。
トッププレイヤーたちが集結し、野山が揺れるほどの熱気に包まれていた。だが、このお祭り騒ぎの裏側で、ボロ蓑を纏って隠密を決め込む二人の復讐者がいた。
三原野の巻狩りは、まさに豪華絢爛だった。プロデューサーの梶原景季が馬を走らせ、「いいか、今日の手柄は上様が直々にご覧になるぞ! 全員、気合を入れろ!」と檄を飛ばす。
近年では珍しいほどの獲物の数。老いも若きも家を忘れ、頼朝の目に留まろうと必死に獲物を追っていた。ところが、昼時(午の刻)。またしても空が急変する。
「……また雨か」
頼朝は少し不機嫌そうに、傍らの景季に命じた。
「昨日、浅間野で降った雨はまあ許そう。だが、今日のこの三原野の雨は無念だ。景季、この空に向けて歌を一首詠め」
無茶振りである。だが、景季はエリート中のエリートだった。彼は間髪入れずにこう詠み上げた。
「昨日こそ あさまは降らめ 今日はただ 三原(見はら)泣き給え 夕立ちの神」
(昨日は『あさま(浅間)』しく降ったでしょうが、今日はどうか『見はら(三原)』すこの地を泣かせないでください、夕立の神様)
「浅間」と「浅ましい」、「三原」と「見張る(眺める)」をかけた見事な即興。するとどうだろう。雷鳴は止み、雲の間から日が差し込んできたではないか。
「見事だ! 景季!」
頼朝は上機嫌になり、その場で報酬として碓氷の麓、五百余町の所領を景季に与えた。一首の歌が、広大な領地に化けた瞬間である。
周囲の武士たちが「さすが梶原殿だ、羨ましい!」と騒ぎ立てる中、その輪から遠く離れた場所に、二人の男が立っていた。
兄・曾我十郎 祐成。弟・曾我五郎 時致。彼らは馬にも乗らず、汚れた蓑を被り、雑兵の中に完全に溶け込んでいた。彼らにとって、頼朝の機嫌も、景季の栄光も、どうでもいいノイズに過ぎない。
(……どこだ。工藤祐経はどこにいる)
彼らが探しているのは、ただ一点。自分たちの人生を壊した仇の首。一日に一度、遠くの方で祐経の姿を確認するだけで、彼らの一日は終わる。華やかな「巻狩り」という名のゲームの中で、彼らだけが命懸けの暗殺クエストを継続していた。
狩りが佳境に入った頃、さらに不思議なことが起きた。夏の盛りだというのに、どこからか「コン、コン」と狐の鳴き声が聞こえ、一匹の狐が北を指して走り去ったのだ。「おい、捕らえろ!」と矢を番える武士たちを、頼朝が制した。
「待て。秋ならいざ知らず、夏の野に狐が鳴くのは不吉、あるいは不思議な兆しだ。……誰か、この状況を歌にできる者はいないか?」
またしても歌のミッションである。大名から小名まで、皆が顔を見合わせて黙り込んでしまった。そこへ、武蔵の国の住人、愛甲三郎がスッと前に出た。
「夜ならば こうこうとこそ 泣くべきに あさまに走る 昼狐かな」
(夜なら『こうこう』と鳴くはずなのに、なんとまあ『あさま(浅間)』しくも、真昼間に走り去る狐だこと)
これもまた、地名(浅間)と「浅ましい(あさまに)」をかけた機知に富んだ一首。頼朝は感嘆した。
「神妙である! 狐もこれには降参だろう」
愛甲三郎には報酬として、上野の国・松井田三百余町が与えられた。
木賊原に沈む夕月が、名所の美しさを引き立てる。頼朝は、この風流なひとときを心から楽しんでいた。
【閑話】平安時代の「キツネ嫁」エピソード
さて、なぜ「夏の狐」がこれほどまでに注目されたのか。当時の人々にとって、狐は神の使いであり、時に人を惑わす神秘の象徴だった。ここで、語り部が一つ、古の伝説を引用しよう。
昔々、稀代の色男・在原業平が、都へ向かう途中の木幡山で、一人の気品ある女性に出会った。
二人は恋に落ち、しばらく共に暮らしたが、ある日突然、彼女は姿を消してしまう。業平が彼女の住処を訪ねると、そこは古びた墓地だった。そこには年老いた狐や若い狐が集まり、業平が贈った返事の歌を読みながら泣いていたという。
(……人の気配を感じ、狐たちは瞬く間に美しい女性へと姿を変えた)
驚く業平に、彼女は正体を明かした。
「私は和歌浦の玉津島明神の使いです。あなたの歌の才能を確かめるために参りました」
そう言い残すと、彼女はかき消えるように消えてしまった。狐、和歌、そして神の使い。この「夏の狐」の騒動は、かつての業平の伝説を彷彿とさせる、風流な余興として鎌倉殿の記憶に刻まれたのだ。
三原野の夜は更けていく。歌を詠んで所領を得た者たちの笑い声が、陣屋のあちこちから聞こえてくる。だが、曾我兄弟が潜む闇は、深く、冷たい。
「兄上。景季も愛甲三郎も、歌を詠んで土地をもらいました。……俺たちは、あいつの首をもらって、地獄へ行きましょう」
五郎の言葉に、十郎は静かに頷く。
「ああ。次は富士だ。そこが俺たちの最後の戦場になる」
曾我物語 巻第五(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔三原野の御狩の事〕
其の日は、同じ国の三原野をからるべきにてぞ有りし。各々(おのおの)花ををり、出で立ちけるは理也。日本国に名を知らるる程の侍、参りつどひければ、天下におきてのはれ、何かは是に勝るべき。既に君御出有りければ、御供の人々は申すに及ばず、見物の貴賎、野山もゆるぐばかりなり。梶原源太、馬掛けまはし、「誰も愚かは有るまじけれども、今日の御狩、御前におきて、高名の人々は、勲功有るべし。忠節をはげませとの御諚」とて、馳せめぐる、或る、あたりを払ひてぞ見えし。近年からざる野なりければ、鹿数をつくす。老若家を忘れて、我も我もと、君の御見参に参る。其の日午の刻に、また空俄にくもり、神なりて、雨やうやうこぼれ、笠をうるほす。大将殿、景季を召して、「昨日、浅間野の雨は、さて置きぬ。又、三原野の雨こそ、無念なれ。歌一首」と仰せ下されければ、源太承つて、取り敢へず、昨日こそあさまはふらめ今日は只みはら泣き給へ夕立の神と申しければ、鎌倉殿、御感の余りに、碓氷の麓五百余町の所をぞ賜はりける。なる神も、此の歌にやめでたりけん、即ち雨はれ、風やみければ、いよいよ源太が面目、是にはしかじとぞ、人々 申し合はれけり。君も、誠に、御心よげに渡らせ給ひければ、御前祗候の侍共、御眦にかからんと思はぬ者は無かりけり。然れども、曾我兄弟の人々は、君の御前をも知らず、野干に心をも入れず、其の人ばかりをぞ尋ねける。雑人に交はり、馬にも乗らざれば、一日に一度、余所ながら見る日も有り、只空しくのみぞ、日を送りける。さても、御狩の人々は、日のくるるをも、時の移るをも知らずして、かりけるに、馬の刻ばかりに、狐鳴きて、北を差して飛びさりけり。人々(ひとびと)是を止めむとて、矢筈を取りて追つ掛けたり。君御覧ぜられ、彼等を召し返し、「秋野の狐とこそいへ、夏の野に狐鳴く事、不思議也。たれか候ふ、歌詠み候へ」と仰せ下されければ、祐経承りて、「誠に源太が歌には、なる神めでて、雨はれ候ひぬ。是にも歌あらば、苦しかるまじ。誰々も」と申されければ、大名・小名、我も我もと案じ、詠じけれども、よむ人無かりけり。此処に、武蔵の国の住人愛甲の三郎、ゐだけだかに成り、浮かべる色見えければ、源太左衛門、「いかさま、愛甲が仕りぬと見えて候ふ。はやはや」と申しければ、やがて、夜るならばこうこうとこそ泣くべきにあさまに走る昼狐かなと申したりければ、君聞こし召して、「神妙に申したり。誠に狐に仰せて、けつけう有るべからず」とて、上野の国松井田三百余町をぞ賜はりける。さて、木賊原より伏屋に至るまで、静かにかりくらし給ひ、誠に聞こゆる名所なり、実にや所の名にしおふ、木賊原の夕月は、嵐やみがき出でぬらん。伏屋に近き軒の山、有りとは見えて見えざるは、もし又雲や掛かるらん。空すみ渡る折からや、くるるも惜しくぞ思し召しける。抑、夏野に狐の鳴きたる例にて、昔を思ふに、在中将業平、姿よからん女を求めんと思ひしに、伏見の山荘より都へ行きけるに、木幡山の辺にて、由有る女に行き合ひぬ。とかく言ひ寄りて、語らひ具していににけり。かくて、しばし日頃へて、打ち失せぬ。如何なる事にかとしたへ共、適はずして、思ひの余りに、彼の女の常に住みける所を見れば、出でていなば心かろしと言ひやせん身の有様を人の知らねばと、此の歌を書き置きぬ。如何なる事やらんと思ひて、過ぎ行きける夕暮に、ふるされ色着たる女一人来たりて、文を前に置きぬ。取りて見れば、有りし女の文なり。今はとて忘れやすらん玉かづら面影にのみいとど見えつつと書ける。男、やがて返しに、思ふ甲斐無き世なりけり年月をあだに契りて我や住まひし斯様に書きて遣りけるが、猶あやしくて、使ひの帰るにつきて、自ら行きて見れば、女の着たりつるふるされ色、次第にうすく成りて、木幡山の奥に入りぬ。いよいよあやしくて、続き分け入り見れば、古き墓の中に、塚の有りけるに、おいたる狐、若き狐、集まり居たるが、此の文の返事を見て、泣き居たり。やや有りて、人影のしければ、多かりつる狐共、即ち女になりにけり。塚と見えつる所は、いみじき家に成り、内より若き女出でて、「是へ」と言ひけり。不思議に思ひながら、入りぬ。女出で合ひ、様々にもてなし、「今宵は是に」と言へば、止まりぬ。女の振舞ひ、有様、露程も昔に違はず。夜明けぬれば、女、「我も故郷に帰りなん」と言ふ。「故郷とは何処ぞ」と問へば、「和歌浦より、玉津島明神の御使ひなり。御有様知らんとて、来たれり。今より後も、忍びて来たるべし」とて、かきけつ様に失せにけり。別れをば誰か哀れと言はざらむ神も宮居は思ひ知れかし其の後も、通りけれども、人には知られざりとなん。伊勢物語の秘事を言ふなるをや。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




