5-2 潜伏中の出会いそれぞれ
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年。鎌倉殿・源頼朝が主催する一大イベント「富士の巻狩り」を目前に控えた時期。
復讐の炎を胸に宿し、十七年もの間牙を研ぎ続けてきた兄弟――兄・曾我十郎 祐成と、弟・曾我五郎 時致。
曾我兄弟は、ボロボロの蓑を羽織り、編笠を深く被っていた。腰には抜き身の殺意(太刀)を隠し持ち、雑踏に紛れて歩く。彼らの目的はただ一つ、仇・工藤祐経の動静を探ること。
だが、運命は時に残酷なダイスを振る。向こうからやってきたのは、馬に跨った一団。先頭に立つのは、源平合戦で名を馳せた梶原景時の嫡男、源太左衛門 景季だ。景季は、道端を歩く二人の「雑兵」に違和感を覚えた。
「――止まれ。そこの二人」
鋭い声が響く。十郎は笠の下で舌打ちした。視線を合わせず通り過ぎようとしたが、景季の馬がその進路を塞ぐ。
「……何者だ。そのなり、ただの雑色には見えんぞ」
十郎は瞬時に「偽装プロフィール」を脳内で構成し、震える声を装って答えた。
「へ、へい……。あっしは和田義盛様の家来で、藤源次と申す者でごぜえます。主人が御所へ参られている間に、屋形の様子を見学しておりやした。義盛様がお戻りになる時間ですので、急いで帰るところで……」
完璧なアドリブ。はずだった。しかし、景季の背後に控えていた本物の雑色が声を上げた。
「――嘘をつけ! 和田様の家の『藤源次』なら、俺が知っている。こいつは赤の他人だ!」
「やはりな。怪しい奴め、捕らえろ!」
景季の家来たちが一斉にひしめき、二人を取り囲んだ。
「……兄上、もう限界です」
十郎の背後で、五郎が低く唸った。彼の指は、すでに太刀の柄にかけられている。五郎の脳内では、すでに「戦闘シミュレーション」が完了していた。
(……うるせえ雑魚どもめ。雑兵だと思って舐めてんじゃねえぞ。源太の馬の脛を薙ぎ払い、落馬したところをブッ刺して殺す。その後は、腹を切って地獄へ行くだけだ……!)
「待て、五郎!」
十郎が必死に弟を抑えようとするが、五郎から放たれる「殺気」は隠しようもなかった。
十九歳の狂犬が、鎌倉のエリート武将に牙を剥こうとしたその瞬間――。
「――おいおい、何だこの騒ぎは?」
地響きのような豪快な声が、その場の緊張を粉砕した。
馬を駆って現れたのは、鎌倉の軍事司令官・侍所別当、和田義盛。
彼は景季と雑兵たちの言い争いを聞きつけ、野次馬根性で割って入ったのだ。義盛は、笠の下で顔を強張らせている十郎と、今にも飛びかかりそうな五郎の姿を認めた。
義盛は、すべてを察した。彼はかつて由比ヶ浜で彼らの命を救おうと奔走した一人だ。彼らがなぜこんな格好で、こんなところにいるのか。その「志」を、彼は誰よりも理解していた。
「……源太、やめろ。こいつらは間違いなく俺の身内の者だ」
義盛はわざと居丈高に、周囲を威圧するように言い放った。
「いいか、そこの若僧ども! 和田の家の者が、こんなところで梶原殿の邪魔をするとは何事だ! 恥を知れ、さっさと失せろ!」
「し、しかし和田様、こいつらは……」
景季が食い下がろうとするが、義盛は聞く耳を持たない。
「俺が俺の部下だと言ってるんだ、文句あるか! 行け、二度と面を見せるな!」
義盛の圧倒的な迫力に、景季もそれ以上は手が出せない。兄弟は義盛に救われる形で、その場を静かに立ち去った。
その夜。兄弟は街道沿いの粗末な小屋に身を潜めていた。昼間の失態を反省しつつ、五郎は不満を隠さない。
「兄上。源太の首、獲れたはずです。あんな野郎にバカにされて……」
「馬鹿を言うな。俺たちの命は、工藤祐経のために取っておくものだ。……いいか五郎、冷静になれ」
深夜。ウトウトしていた二人の耳に、数十人の足音が飛び込んできた。
「……見つけたぞ、この辺りだ」
「囲め。声を出すなよ」
カチャカチャと鎧の触れ合う音。五郎は跳ね起き、太刀を握りしめた。
「梶原の追手か……。上等だ、血祭りにあげてやる!」
だが、十郎は弟の袖を掴み、暗闇の中で囁いた。
「――落ち着け、五郎。夜戦の心得を教える。まず、部屋の灯火を消せ。暗闇はこちらの味方だ。敵が踏み込んできたら、まず『一番手』を確実に斬り伏せろ。そうすれば二番手、三番手は恐怖で足が止まる。もし敵が窓から乗り込んできたら、裾を払ってバランスを崩させろ。いいか、絶対に離れるな。 二人一緒なら、数十人相手でも突破口は開ける。逃げられぬと悟ったら、差し違えて死ね。だが、名もなき雑兵の手にかかることだけは、絶対に許さんぞ……!」
十郎の言葉は、冷徹なプロの暗殺者のそれだった。二人は暗闇の中で背中を合わせ、死を覚悟して門が開くのを待った。
ドンドンドン!
激しく門が叩かれる。二人が飛び出そうとしたその時、門の外から聞こえてきたのは、予想外の言葉だった。
「……曾我の若旦那! 和田様からの使いでごぜえます!」
十郎が警戒しながら「……誰だ」と問う。
「和田様の郎党、志戸呂の源七です! 昼間の喧嘩、ハラハラしながら見ておりやした。旦那様が、『あの子たちは今、飲まず食わずで戦っているはずだ。これを届けてやれ』と仰いました」
門を開けると、そこには数人の男たちが。彼らが差し出したのは、武器ではなく、数樽の酒と、たっぷりの兵糧米だった。
「主人は直接お会いできませんが、心より応援しております。……どうか、お気をつけて」
十郎は、溢れそうになる涙を堪えた。
「……和田殿に、伝えよ。この御恩、必ずや『あの日』に報いますと」
届けられた酒を、兄弟はつれた仲間たちと分け合った。冷えた身体に、義盛の優しさが染み渡る。
夜が明け始めた。二人は再び、ボロ蓑を纏い、藁沓を締め直した。草の陰で見守っているであろう亡き父、河津三郎。そして、自分たちの背中を押してくれる宿場の人々。
「行くぞ、五郎」
「はい、兄上」
ターゲット、工藤祐経の潜む富士の裾野まで、あとわずか。
曾我物語 巻第五(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔五郎と源太と喧嘩の事〕
曾我の人々は、雑人にやまぎるると、古き蓑に、編笠深く引きこみて、太刀脇はさみ、通る所に、折節、源太左衛門景季、三浦の屋形より返るに、十文字に行き合ひぬ。此の人々は、源太と見成し、笠を深く傾け、眦に掛けてぞ通りける。源太、是をひかへつつ、「是なる者共のあやしさよ、止まれ」とぞ咎めける。十郎立ち返り、笠の下より、「和田殿の雑色也」と言ふ。「其れは何とて忍ぶぞや。名をば何と言ふぞ」「藤源次と申す者なり。和田殿、御所へ参られ候ひつる暇を量り、御屋形の次第を見物仕り候ふ。義盛帰る時になり候ふ間、急ぎ帰り候ふ」と言ふ所に、梶原が雑色すすみ出でて、「藤源次は、某見知りて候ふ。是は、あらぬ者にて候ふ」と言ひければ、「然ればこそ、あやしかりつれ。先づ打ち止めよ」とて、ひしめきけり。五郎、こらへぬ男にて、太刀取り直し、「ことことし、雑人に目はかくまじ。源太が駒の向かう脛なぎ落とさんに、よもこらへじ。落ちん所を差し殺し、腹切るまで」とつぶやきて、兄を押しのけ、かかりけり。十郎、「しばし」と止むる時、折節、義盛は、御前より帰り給ひしが、源太が声の高ければ、何事にやとて、立ち寄りたり。「是は、和田殿の御内の者」と言ふ声、十郎祐成と聞き成し、よく見れば、案にも違はず、兄弟の人々、思はぬ姿に身をやつし、思ひ入れたる志、見るに涙ぞこぼれける。「あの冠者原は、義盛が内の者にて候ふ。奇怪なり。罷りしされ」と怒られければ、此の人々(ひとびと)、死にたき所にてあらざれば、傍にこそ忍びけれ。源太は、其の後、駒打ち寄せ、大方に色代して、互ひに屋形へぞ帰りにける。「さても、源太が勢は如何に」。五郎聞きて、「鬼神なりとも、御首は、危ふくこそ覚えしか」。十郎聞きて、「身に思ひだに無くは、言ふに及ばず。心の物にかかりては、如何でか然様の事有るべき。源太打たん事は、いと安し。我等が命もいき難し。さては、梶原を打たんとて、心をつくしけるか。向後は、心得給ひて、身をたばひ、命をまつたくして、心を遂げ給ふべし。返す返す」と言ひながら、夜ふくるまでぞ、居たりける。 夜半ばかりに、数十人の声して、「まさしく此の辺なり。此方にめぐれ。彼処を尋ねよ。声な高くせそ」とて、物の具音しきりなり。五郎聞きて、「昼の梶原が遺恨にて、徒らなる者共、討手に起こせりと覚えたり」。十郎聞きて、「鎮まり候へ。楚忽の沙汰有るべからず。内の体も見苦し。先づ燈火をけせ」とて下知し、今やと待ち掛けたり。五郎は、太刀追つ取つて、既に屋形を出でんとす。十郎、袖をひかへて、「鎮まり給へ。昼こそあらめ、夜なれば、一方打ち破りP203て、忍ばん事いと安し。仮令何十人来たると言ふとも、先づ一番を切りふせよ。二番続きて、よも入らじ。まして三番しらむべし。仮令乗り越え切り入る共、裾をなぎふせよ。構へて、御分はなるるな。隔てられては適ふまじ。急ぎて、外へは出づべからず。隙間を守りて、諸共に出で、逃れば逃るべし。もし又、逃れがたなくは、差し違へては死ぬる事も、雑兵の手にばし掛かるな」と言ひつつ、脇に立ち寄りて、「今や入る」と待ち掛けたり。来たる者共、思はずに、鎮まり返りて、音もせず。不思議なりとて、聞く所に、秘かに門を叩きけり。人を出だして、「誰そ」と問ふ。「和田殿よりの御使ひなり。昼の喧嘩、危ふくこそ見えしか、御志に、思はず袖をこそ絞り候ひつれ。わざと此方へは申さず候ふ。御用意こそとは存ずれども、国より持た/せ候ふ」とて、樽二三、粮米添へて」と言ふ声聞けば、義盛の郎等に、志戸呂の源七が声と聞き、急ぎ十郎立ち出でて、返事にも及ばず、「畏まり入り候ふ。罷り返り候はば、参り申すべし」とて返しけり。さて、酒共取り散らし、つれたる者共にものませ、夜も明けがたになりぬれば、雑人に交はらんとて、蓑笠・藁沓しばりはき、夜と共に出でし志、草の陰なる父聖霊も、哀れとや思ひ給ふらん、心細さは限り無し。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




