4-10 かつての恋と、残酷な奪還
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
源頼朝の冷徹な統治下で、牙を剥く機会をじっと待つ曾我兄弟。しかし、彼らの前途には、仇討ちという大願以外にも、過去の「女の因縁」という名の厄介なイベントが待ち受けていた。
それは、曾我兄弟がまだ伊豆の伊東にいた頃の話だ。十郎には、幼馴染の恋人がいた。土肥弥太郎の娘。二人は従姉妹同士であり、幼い頃から共に育ち、やがて自然に惹かれ合った。
(……いつか、この人と添い遂げられたなら)
そんな淡い夢を抱いたこともあった。だが、十郎は自らの宿命を知っていた。父の仇討ち。それは、いつ死んでもおかしくない修羅の道だ。
十郎は彼女を愛しながらも、正式な妻として迎えることをあえて避けた。愛する者を「未亡人」にするわけにはいかない。その優しさが、結果として二人を引き裂くことになる。
事情を知らぬ彼女の父は、年頃になった娘を一人にしてはおけぬと、鎌倉の有力者・三浦平六兵衛義村との縁談を決めてしまった。
彼女は十郎に何度も文を送ったが、十郎は心を鬼にして返事を出さなかった。
結局、彼女は三浦家へと嫁ぎ、十郎の初恋は「未練」だけを残して終わった――はずだった。
数年後。三浦義村が京都での任務(在京)のため鎌倉を離れていた時のことだ。十郎の元に、彼女から一通の文が届いた。
「……まだ、忘れられません」
かつての恋心に火がついた彼女が、留守中に十郎に連絡を取ってきたのだ。十郎は、「これはまずい。今の彼女は三浦の妻だ。返事を出せば、彼女の身を危うくする」と、この文を完全に無視し、返信も一切しなかった。
しかし、鎌倉という場所は恐ろしい。「壁に耳あり」だ。
『曾我の十郎が、三浦の留守を狙って奥方に文を送っているらしい』
そんな歪められた噂が、京都にいる義村の耳に届いてしまった。任務を終え、憤怒の形相で鎌倉へ戻ってきた義村。その脳内には、曾我兄弟への殺意が渦巻いていた。
運命の日。曾我兄弟が三浦から曾我の里へと戻る途中、鎌倉の入り口・腰越の浜辺で、向こうからやってくる重装備の一団と鉢合わせた。
先頭に立つのは、当代随一の智勇を誇る武将、三浦義村。対する曾我兄弟は、貧しい浪人姿の二騎。
兄弟は相手が三浦の軍勢とは知らず、「お偉いさんが通るなら」と馬を傍らに寄せて道を譲った。だが、義村は通り過ぎるどころか、わざと馬を兄弟の目の前に押し寄せ、進路を塞いだ。
「――おい、十郎。俺が京都にいる間、随分と面白いことをしてくれたそうだな」
義村の声は、地を這うような怒りに満ちていた。周囲を六、七騎の精鋭が取り囲む。十郎は、あざ笑うように軽やかに答えた。
「……はて。何のことやら。人の讒言に耳を貸されるとは、三浦殿ともあろうお方が情けない。もしや、身に覚えのない嫉妬でお狂いですか?」
「貴様……ッ!」
義村が刀の柄に手をかけた、その瞬間。背後にいた弟の五郎が、目にも止まらぬ速さで靫から巨大な雁股の矢を引き抜いた。
「――一歩でも動いてみろ。その首、この矢で貫いてやる」
義村は、息を呑んだ。目の前にいる十九歳の少年の顔には、恐怖など微塵もなかった。そこにあるのは、「いつ死んでもいい。だが、死ぬ時はお前を必ず道連れにする」という、極限の狂気。
(……こいつら、本物だ)
義村は計算した。自分はこの後、鎌倉幕府の重職に就き、栄華を極める身。片や曾我兄弟は、明日をも知れぬ浪人。こんな「失うものがない狂犬」と刺し違えるのは、あまりにもコスパが悪い。
「……ふん。冗談だ。十郎の度胸を試しただけよ」
義村は、にがにがしい表情を作りながら、無理やり笑って刀から手を離した。
「……行け。お前たちの不遇に免じて、今日は見逃してやる」
兄弟は悠然と、義村の軍勢の間を通り過ぎていった。五郎が弓を仕舞いながら呟く。
「……兄上。あいつ、次は殺しておきましょうか」
「よせ。今は工藤祐経が先だ」
この日、兄弟が生き延びたのは、彼らが「弱く見えなかった」からではない。「命を軽く見せ、名を重く見せた」からだ。死を恐れぬ執念は、数千騎の軍勢をも凌駕する武器になる。
しかし、女の因縁はこれで終わったわけではない。この一件により、三浦一族と曾我兄弟の間には、消えない「火種」が残されることになった。
曾我物語 巻第二 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔平六兵衛が喧嘩の事〕
此処に、十郎が身にあてて、思はざる不思議こそ出で来けれ。故を如何にと尋ぬるに、三浦平六兵衛が妻女は、合沢の土肥の弥太郎が娘なり。此の人々とは従姉妹なり。幼少より、叔母に養ぜられて、伊藤に有りける程に、十郎と一所に育ちけり。やうやう成人する程に、十郎、彼に忍びて、情を懸けたりける。互ひの志深ければ、家にも取りすゑ、誠の妻にも定むべかりしを、敵を打たんと思ひける間、家を忘れて、只女のもとへぞ通ひける。かくて、日数をふる程に、父、是をば知らずして、平六兵衛にあはすべしとてこひけり。忍ぶ事なりければ、知らで、成人の娘、一人おくべきにあらずとて、三浦へ遣りにけり。女又、「斯かる事有り」と言ふべきにあらねば、十郎が方へ、忍びて文を遣り、詳しく問ふ。然れども、けはけはしく、誠の妻とも頼まざりければ、恨みの袖しをるるのみにて、親にはからはれて、力及ばずして、義村が方へ行きにけり。然れども、志の深ければ、或る時、義村が在京の隙に、忍びて十郎がもとへ文を遣はしけり。従姉妹の文也ければ、祐成見て、苦しからずと思ひけれども、留守の間は、然るべからずとて、返事もせざりけり。人の口のはかなさは、義村に知らせたりけり。不思議に思ひ、内々(ないない)尋ね聞かばやと思ふ程に、京都の御用過ぎて、鎌倉へ参りけるに、曾我の人々(ひとびと)は、三浦より帰り様に、腰越にて行き合ひけり。兄弟の人々(ひとびと)は、三浦の殿原とは知らで、馬鞍見苦しと思ひければ、傍へ駒打ち寄せ、人々(ひとびと)を通さんとす。平六兵衛は、曾我の十郎と見て、日頃の便宜を喜び、郎等二三騎有りけるを、遙かの後に残しおき、むねとの者六七騎相具して、此の人々(ひとびと)の隠れ居たる船の陰に押し寄せ、「誠や、御分は、義村が在京の間に聞く事有り」と、にがにがしく言ひ掛けたり。然れども、十郎事ともせず、あざ笑ひ、「いかさま、人の讒言と覚え候ふ。よくよく尋ね聞こし召し候へ。斯様の次第、見参に入り、ぢきに承り候ふ所、所縁の証と存ずる也。仮令身に誤り有り共、一度は御免にや蒙るべき」とぞ言ひける。五郎は、義村が大きに怒りたる気色を見て、靫より大の雁股抜き出だし、矢先を義村にあて、只一矢と思ふ顔魂、差し現れたり。義村、五郎が勢を見て、誠に大剛のをこの者也、命勝負しては、損なり、後日をこそと思ひ鎮めて、何と無き辞儀に言ひ成して、鎮まりぬ。此の人々(ひとびと)、事弱くも見えなば、即ち内も違へべき体なりしかども、五郎も、思ひ切りたる色見えければ、其の儘通りにけり。身をかろくして、名を重くすれば、十分に死ぬべき害を逃るるとは、斯様の事を言ふべきにや、不思議なりし事共なり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




