4-8 仲間に誘った異母兄、論破王・小二郎
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
復讐の炎を絶やさない兄弟。復讐を完遂するためには、信頼できる「三本目の矢」が必要だ。
十郎は、ある男に目をつけた。しかし、それは兄弟の絆さえも引き裂きかねない、危険な賭けだった。
「なぁ、五郎。もう一人、仲間に引き入れたい男がいるんだ」
十郎が切り出したのは、京都に住んでいた頃に父がもうけた異母兄弟、京の小二郎のことだった。しかし、弟の五郎は冷ややかだった。
「兄上、やめておいたほうがいい。同じ母から生まれた兄弟なら、どんなに臆病でも逃げられずに協力するでしょう。でも、あいつは別だ」
五郎は、中国の古い諺を引用して皮肉った。
「橘は、淮北に生じて、枳殻と成り……」
「ミカンも川の北側で育てば、酸っぱいカラタチになる。育った環境が違えば、血がつながっていても心は別物ですよ。あんな奴に大事な計画を話せば、ろくなことにならない」
だが、お人好しで理想主義な十郎は聞かなかった。
「いや、男なら、頼られれば断るはずがない!」
十郎はさっそく小二郎を呼び出し、復讐の計画を打ち明けた。
「三人寄れば文殊の知恵だ。俺たちを助けてくれ」
それを聞いた小二郎の反応は、十郎の予想を斜め上に裏切るものだった。小二郎は盛大に引いていた。
「……はあ? お前ら、正気か?」
小二郎は、当時としては驚くほど「近代的で現実的」なカウンターを食らわせた。
「今どき親の仇討ちなんて、流行らないんだよ。みんな適当に仲直りして、膝を突き合わせて所領をもらって、うまくやってる時代なんだ。そんなことするのは、剛の者じゃなくてバカだぞ。
どうしても祐経が許せないなら、京都に上って院宣をもらい、鎌倉殿に働きかけろ。記録所で論破して、裁判で勝って、合法的に所領を奪い取れ。それが賢い大人のやり方だ。
だいたい、あんなに絶好調の工藤祐経を、お前らみたいな浪人がどうこうできるわけないだろ。……やめとけやめとけ」
小二郎は捨て台詞を残し、座敷を蹴り立てて去っていった。後に残されたのは、あまりの「論破」っぷりに呆然とする兄弟だった。
「……言わんこっちゃない」
五郎が、低い声で呟いた。その瞳には、暗い殺意が宿っている。
「兄上、あいつは最悪だ。父を殺されたことより、今の自分の所領や裁判の方が大事なんだ。……あんな不覚悟な奴を生かしておけば、必ず密告される。今すぐ追いかけて、あいつの細首を叩き落として、軍神の血祭りにあげましょう!」
五郎は真剣だった。秘密を漏らされる前に、裏切り者の候補を消す。それが彼の論理だ。
しかし、十郎が必死に止めた。
「待て、五郎! 仏様だって、怒りに任せて無罪の者を殺すなと仰っている。小二郎だって、俺たちの身を案じて言ってくれたのかもしれないんだ。……今はただ、口を固めさせるだけでいい」
十郎は小二郎を追いかけ、「さっきのは冗談だ、誰にも言うなよ」と釘を刺した。
だが、そんな口約束が通用するほど、この世界の「毒」は甘くなかった。
小二郎は案の定、すぐに母のもとへ駆け込み、すべてをぶちまけた。母は、十郎を呼び出した。五郎は物陰に隠れ、その会話を盗み聞きした。
「……本当なのですか、祐成(十郎)」
母は女房たちを遠ざけ、震える声で泣き崩れた。
「お前たちは、そんな恐ろしい謀叛を企てているというの? 死んだ父親ばかりを思って、今ここに生きている私は親ではないというのですか!」
母の訴えは、あまりにも重かった。
「お前たちが幼い頃、頼朝殿に殺されそうになったのを、畠山重忠殿が命懸けで救ってくださったのを忘れたの? その恩人を裏切り、再び世を乱そうというのですか! 恥は末代まで残る。……お願い、復讐なんてやめて、どこかの誰かの婿になって、静かに父の供養をしてください……!」
十郎は、流れる涙を袖で拭い、ただ黙って耐えていた。五郎もまた、物陰で息を殺していた。母の愛は痛いほどわかる。しかし、彼らの魂は、もう「普通に生きる」という機能を失っていたのだ。
館を出た五郎は、兄に淡々と告げた。
「兄上、小二郎を殺しておけばよかった。……でも、もう後戻りはできません。母上の『妻子を持って落ち着け』という言葉も、耳に残って離れませんね」
五郎は自嘲気味に笑った。
「でも、俺たちに妻子なんて無理だ。死ぬことが決まっている俺たちが、誰かを残していくのは不憫すぎる。……だから、兄上。これからは手越や黄瀬川の宿場町へ通いましょう。いい女を見つけるんです」
「……五郎、お前、この状況で女遊びか?」
十郎の問いに、五郎は真顔で答えた。
「違いますよ、兄上。宿場町は、道の傍らです。そこは、祐経が鎌倉と領地を行き来する際に必ず通る場所。女遊びにふけるフリをしながら、敵の動きを監視し、暗殺の絶好のタイミングを待つんです。」
遊びさえも、復讐のための「カムフラージュ」にする。五郎の徹底した「修羅の思考」に、十郎はただ「阿弥陀仏……」と唱えるしかなかった。
母の愛を裏切り、家族を騙し、遊び人に身を落としたフリをする。すべては、富士の裾野で放たれる、一撃のために。
「でも、兄上。一人、どうしても誘わなきゃならない男がいます。小二郎みたいな半端者じゃない、本物の『狂犬』が」
二人が次に向かったのは、伊豆の奥深く。そこには、後に「曾我の仇討ち」の隠れた功労者となる、ある男が潜んでいた。
曾我物語 巻第四(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔小二郎語らひ得ざる事〕
「誰にや」と問ふ。「京の小二郎とて、河津殿在京の時、人に相なれて、設け給ふ子なり。彼を呼び寄せて、語らはん」と言ひければ、五郎聞きて、「よくよく御ためらひ候へ。一腹一生の兄ならば、如何に臆病に候ふ共、罪科逃れ難くて、同意すべし。彼は、別の事。如何で左右無く、大事を仰せ出だされん。をさまり難く覚え候ふ。御契約には過ぐべからず候へ共、もし聞き入れずは、わろき事や出で来なん。橘は、淮北に生じて、枳殻と成り、水土の事なればなり。隔てのあれば、兄弟なりとも、心をおくべき物をや」と言ひければ、十郎聞きて、「さりとも、其の儀はあらじ。男と言はるる程の者が、異姓他人なり共、打ち頼まんに、聞かざる事やあらん。まして、一腹の兄弟にて、如何でか同心せざるべき」とて、小二郎を呼びて言ふ様、「かねても、大方知り給ひぬらん。此の事を思ひ立ちて候ふ。然れば、一期の大事なれば、只二人して遂げ難し。三人寄り合ふ物ならば、安かるべし」と言ひければ、小二郎聞きて、大きに騒ぎ、「此の事、如何思ひ給ふ。当代然様に成りては、親の敵、其の数有りと雖も、勝負を決する事無し。只、上意を重くして、肩を並べ、膝をくむ次弟なれば、是を恥とも言はずして、所領をもつ折節なり。当時、然様の事する者は、剛の者とは言はで、しれ者とこそ申せ。誠に、敵をまのあたりにおきて、見給ふ事のめざましくは、京都に上り、如何にもして、本所の末座に連なりて、院内の御見参にも入り、冥加あらば、御気色を窺ひ、院宣・令旨を申し下し、鎌倉殿に付け奉り、敵を本所に召し上せ、記録所にて問答し、敵人をまかし、所領を心に任すべし。君敵と成りては適ふべからず。古人の言葉にも、「徳を以て人に勝つ者はさかえ、力を以て人に勝つ者は、遂に滅ぶ」と見えたり。其の上、さばかり果報めでたき左衛門の尉を、各々(おのおの)の分限にて、打たん事は適ふまじ。とまり給へ」と言ひ捨てて、立ちにけり。兄弟の人々(ひとびと)は、大事をば言ひ聞かせ、言葉にも掛けず、座敷をけたてられぬ。あきれはてて居たりける。やや有りて、五郎申しけるは、「然ればこそ、今はよき事あらじ、日本一の不覚悟人にて有りける物。所知荘園の敵ならばこそ、訴訟をも致さめ。不思議の事を言ひつる物かな。金を試みるは火なり。人を試みるは酒なり。彼の者は、酒をだにのみぬれば、何事がな言はんと思ふ者なり。夫れ、大海の辺の猩々(しやうじやう)は、酒に著して、血を絞られ、滄海の底の犀は、酒を好みて、角を切らるる也。斯様の理を知りながら、言ひつる事こそ悔しけれ。一定、二宮の太郎に言ひつること覚えたり。其れ、曾我殿に語りなん。さあらば、母も知り給ふべし。彼是以て、祐経に知られ、返りて狙はれん事、疑ひ無し。斯かる大事こそ候はね。第一、上へ聞こし召されては、死罪・流罪にも行はれ、身を徒らにせん事の無念さよ。いざや、此の事漏れぬ先に、小二郎が細首打ち落とし、九万九千の軍神の血まつりにせん。我等がしたるとは、誰か知るべき」と怒りければ、十郎聞きて、「然ればとて、か程の大事、如何でかもらすべき。罪の疑ひをばかろくし、功の疑ひをば重くせよ。喜ぶ時は、みだりに無功を賞し、怒る時は、みだりに無罪を殺す。是は、大きなる誤り也。仏も深く戒め給ふ。心得べし」と言ひければ、五郎聞き、「是は無罪を殺すにては候はず。斯かる不覚人、有罪とも、無罪とも、言葉に立たざる奴めをば、急ぎ暇をくれ候ふべきにて候ふ」と申しければ、「如何で、他人に、かくとは言ふべき。是も、只、我等を世にあれと思ひてこそ、言ひつらめ。然らば、口を固めよ」とて、追ひ付きて、「只今申しつる事は、たはぶれごとなり。誠し顔に、人に語り給ふな。もし聞こゆる物ならば、偏に御辺の所為と存じ、長く恨み奉るべし。返す返す」と言ひければ、「さ承る」とて、さりぬ。此の約束有りながら、小二郎思ひけるは、余所へもらさばこそ悪しからめ、母に見参して、此の事を詳しく語る。母、聞きも敢へず、十郎を呼びければ、五郎、先に心得て、「此の事と覚えたり。時致も、身を隠し、御供して聞き候はん」とて、十郎とつれて、母の有り所へ来たり、ものごしに聞けば、母、女房達を遠くのけて、泣く泣く宣ひけるは、「誠か、殿原は、さばかり恐ろしき世の中に、謀叛を起こさんと宣ふなるか。童や二宮の姉をば、何となれと思ひて、斯かる悪事をば、思ひ立ち給ふぞ、死したる親のみにて、いきたる我は親ならずや。箱王が男に成るにて、一定悪事せんと聞く。わ殿がすかしてこそ、男にはなしつらめ。わ殿、無用の事くはたてつる物かな。恥は家の病にて、末代失せずと申ども、事にこそよれ。世にあらんと思はば、恥を忍びて、益を蒙れとこそ申せ。実にや、河津殿の打たれし時、童思ひに絶え兼ねて、言ひし事を聞き持ち給ふか。一旦はさこそ思ひしか。狩場へ打ち出で給ふに、四五百 騎の中に、すぐれて見えしが、帰り様に、引きかへたりし悲しさ、火にも水にも沈まんと思ひしに、五つや三つになりしを、左右の膝にすゑ、「二十にならざる先に、親の敵を打ちて見せよ」と、童言ひし時、箱王は聞きも知らず、わ殿は言ひつる、「おとなしく成りて、父の敵の首を切らん」と言ひしこそ、多くの人をば泣かせしか。其れを忘れずして、母が言ひし事なればとて、斯様に思ひ立ち給ふかや。うたてさよ。返す返すもとまり給へ。此の頃は、昔の世にも似ず、平家の世には、伊豆・駿河にて、敵打ちたる人も、武蔵・相模・安房・上総へも越えぬれば、日数積もり、年隔たりぬれば、さてのみこそあれ。当代には、いささかも悪事をする者は、蝦夷が千島へ至りても、其の科逃れず、又親しき者までも、其の科逃れ難し。女とて、所にも置かれず。幼ければとて、助かる事無し。斯様に、さしも厳しき世の中に、如何で悪事を思ひ立ち給ふぞ。汝等十一・九になりし時、祖父伊東の御敵とて、召し出だし、既に切らるべかりしを、畠山殿、「自然の事あらば、かかり申すべし」とて、預かり申し、命共を助けられしぞかし。数ならぬ童が事は、さて置きぬ。重忠の大事をば、如何し給ふべき。童がいきたらん程は、目をふさぎ、恥をも余所にして坐しませ。心憂き目を見せ給ふな。殿原、今まで有り付けざるこそ、心にかかり候へども、何事も思ふ様にあらねばぞとよ。童が身にては、憚りあれども、男は、思はしき物にだにあへば、然様に詮無き心はうするぞや。哀れ、父だに坐しまさば、童に、心はつくさせじ。如何なる人の聟にも成り、思ひ止まりて、念仏をも申し、父にも回向、童をも助けよ。論語に曰く、「極めて衰ふる時は、必ず又さかんなる事有り」と申すに、などや、方々(かたがた)のさのみ申す事の適はざらん、悲しさよ。箱王、如何に男にならんと言ふとも、御分として止めんに、左右無く男に成るべからず。哀れ、実に適はぬ事なれ共、童死して、父だにいきて坐しまさば、如何なる不思議を思ひ立つとも、父の命をば背かじ。二宮の娘、如何なる有様を思ひ立つとも、童が打ちくどき言はんに、などか聞かで候ふべき。男子の為に、母親は何にも立たず」とて、さめざめと泣き給ふぞ、哀れなれ。十郎、流るる涙を直垂の袖にて押し止め、つしんでぞ居たりける。やや有りて、母宣ひけるは、「此の事を小二郎大きに驚き、制させんとて、聞かせたるぞ。然ればとて、小二郎恨み給ふな。人に知らすなとて、自らが口を固めつるぞ。「其れ程の大事を左右無く語り申すは、此の殿原返り聞きては、悪し様に思ひ候はんずれども、人々(ひとびと)の祖父こそあらめ、さのみ末々(すゑずゑ)まで絶えせん事、不便なりと思し召され、君より御尋ね有りて、先祖の所領を安堵するか、しからずは、別の御恩を蒙り候はば、各々までも、面目にて候ふべし」と申して立ちつる。其れも、殿原を思ひてこそ、言ひつらめ。努々 憤り給ふべからず。理をまげて、思ひとまり給へ」と宣ひければ、十郎、「承りぬ。但し、此の事は、何と無きたはぶれに申しつるを、誠し顔に申されつらん不覚さよ。かつうは、御推量も候へ。当時、我等が姿にて、思ひもよらぬ事」とて立ちければ、五郎も足抜きして立ちけるが、十郎に申しけるは、「然ればこそ申しつれ、小二郎を失ふべかりつる物を、助け置きて、斯かる大事をもらされぬる事こそ、安からね。心にかからん事をば、ためらひ候はず、逸早にすへべき物を。哀れみ胸をやくとは、斯かる事をや申すべき。今は適はじ。我等が所為と思さめ」とて、息継ぎ居たる。「さても、此の事思ひ止まるべき様に、妻子持ちて、安堵せよと仰せられつるこそ、耳に止まりて、哀れにこそ候へ。寒き者は、尺玉をもむさぶらで、たんかを思ひ、うゑたる者は、千金をも顧みずして、一食を美す。身に思ひのあれば、顧みずして、所領所帯も、のぞみ無し。只思ふ事こそ、忙はしくは存ずれ。男の心止まる物は、妻子に過ぎずと雖も、我等討死の後、残り止まりて、山野に交はらんも不便なり。又、男女の習ひ、若き子一人も出で来たらば、我法師に成るべき身なれ共、此の為に斯様になりぬれば、定めたる妻もつべからず。遊びなんどは、夫の僻事掛かるまではあらじ。然れば、手越・黄瀬川の辺にて、さりぬべき遊君あらば、相なれて通ひ給へ。しかも、道の辺なり。敵を窺ふべき便りも、然るべし」と申しければ、「執心、後生の為、然るべからず。一日も命あらん限りは、心静かに念仏申して、後生を願ふべし。我等が命、今あれば有るが、只今も便宜よくは、打ち出でなん。阿弥陀仏」と申して、過ぎ行ける心の内こそ、無慙なれ。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




