4-7 母からの絶縁
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
物語の舞台は、鎌倉時代初期。父を殺された復讐を果たすため、地獄の淵から這い上がってきた兄弟。兄・曾我十郎祐成と、つい先ほど北条時政を烏帽子親として元服を果たした弟・曾我五郎時致(旧名・箱王)。
しかし、彼らの前には「頼朝」という巨大な壁よりも先に、もっとも高く、もっとも慈悲深く、そしてもっとも残酷な壁が立ちはだかった。
それは、彼らを愛し、彼らの命を救うために「出家」を願った母親という存在だ。
箱根権現の住職は、文字通り飛び上がって驚いた。
正式な僧侶になる儀式を明日に控えた大事な稚児、箱王が、忽然と姿を消したのだから。
「枕も布団も昨夜のままだ! いずこへ行った!?」
山は大騒ぎになり、すぐさま曾我の里へ追手が差し向けられた。その頃、里の母は、別当からの「箱王が行方不明だ」という急報を受け、生きた心地がしていなかった。
「まさか……あの子、出家が嫌でどこかで身を投げたのでは……?」
そこへ、数日姿を消していた長男・十郎が、一人の立派な若武者を連れて帰宅した。使用人が叫ぶ。
「奥様! 十郎様がお戻りです! 箱王殿を……いえ、箱王殿を『武士』に仕立てて連れて来られました!」
しかし、混乱の極致にいた母の耳には、その言葉が致命的に「誤変換」されて届いた。
「……え? 箱王が……『法師』になって帰ってきたの?」
母は喜びに震えながら、廊下へ飛び出した。
「ああ、よかった! あの子がようやく私の願いを聞き入れ、仏門に入ってくれたのね! さあ、こちらへお入りなさい!」
だが、五郎(旧・箱王)は、母の呼びかけに応じることができなかった。自分が犯した罪――母の「命を救いたい」という願いを完膚なきまでに叩き潰したことを、彼は誰よりも理解していたからだ。
待ちきれない母が、勢いよく障子を開ける。そこに座っていたのは、つるりとした頭の僧侶ではなく、凛々しく髪を整え、北条時政から贈られた重厚な鎧を纏った、「完成された若武者」の姿だった。
「…………っ!!」
母は、絶句した。二度見することさえ拒絶するように、彼女は震える手で障子を激しく引き立て、その場に崩れ落ちた。
「――これは夢か。現実だというのなら、今すぐ消えておくれ」
障子の向こうから、氷のように冷たく、刃物のように鋭い母の声が響く。
「心憂いこと……。今この瞬間から、私はお前を子とは思わない。お前も私を母と思うな。顔を見せるな。噂も聞かせないでおくれ。どこへなりとも、野垂れ死ぬまで迷い行け!」
五郎が言葉を失って立ち尽くす中、母の罵声は止まらない。
「何を血迷って武士になどなった! 兄の十郎の有様を見て、まだ分からないのか! 一匹の馬さえ満足に飼えず、下人に季節の服さえ着せてやれず、明け暮れ見苦しい暮らしをして……。世間の若君たちが華やかに暮らすのを見るたび、私は涙が止まらないというのに!」
母の怒りの根源は、死んだ夫・河津三郎への「執念」と、残された息子たちへの「絶望」だった。
「お前たちの父ほど罪深い人はいない。その供養をするべき一族は、源頼朝殿の敵としてことごとく滅ぼされた。末娘の私は曾我の太郎に嫁いだけれど、お前たちは曾我の名字を名乗り、父の跡を継ぐこともできない。
そして末っ子のお前(五郎の下の弟)は、父の死後に生まれて捨てられそうになったのを、今は越後の山寺に預けられている。あの子は父母の顔も知らず、他人同然に生きている……。
だからこそ! せめてお前だけは法師になって、父の、そして一族の菩提を弔ってほしかった! なぜ……なぜそれを裏切った!!」
母は泣き崩れた。
「良薬は口に苦くして病に利あり。忠言は耳に逆らいて行を利す」
「私の言葉をお前は毒だと思ったのか。だが、それはお前の命を守るための薬だったのだよ。……もういい。去れ。二度と私の前に現れるな」
障子の外で、五郎は声を上げて泣いた。母の言うことは、すべてが正論だった。死んだ父のために生きている母を不孝のどん底に叩き落としたのは、自分なのだ。
「……兄上。私は……私は今すぐ、この髪を切って、また寺へ戻ります。母上のあのような悲しみ、見ていられません」
震える弟の肩を、十郎が強く掴んだ。
「――馬鹿を言うな、時致」
十郎の目は、驚くほど冷静だった。
「母上の勘当は、最初から分かっていたことだ。だが、昨日『男になる』と北条殿に誓い、今日また『坊主に戻る』などという軟弱な真似ができるか。そんなことをすれば、北条殿の面目も潰れ、我らはただの物狂い、笑い者として歴史に名を残すだけだ」
十郎は、弟を強引に立ち上がらせた。
「今は耐えろ。いざ、いずこへでも行こう。母上の顔が見たくなったら、またこっそり戻ってきて、隙間から盗み見ればいい。今は……修行の時だ」
その日から、曾我兄弟の「流浪の旅」が始まった。彼らは伯母の夫である三浦介義澄や土肥弥太郎、あるいは姉婿の二宮太郎などの屋敷を転々とし、武芸の腕を磨きながら、暗殺のチャンスを窺った。数日、あるいは数週間ごとに曾我の里の近くを通る際、五郎は決して母の前に姿を見せなかった。
彼は物陰に隠れ、母が庭を歩く姿や、持仏堂で祈る背中を、そっと見つめるだけだった。
(……母上。ごめんなさい。……でも、私は、やるしかないんです)
白駒が隙間を駆け抜けるように、月日は無慈悲に過ぎていく。自分たちも、そして母も、いつ死ぬか分からない「老少不定」の世の中。五郎は焦っていた。
「兄上、早く……早く工藤祐経を。これ以上、母上を待たせるわけにはいかない」
十郎は頷いた。
「ああ。だが、確実に仕留めるには、もう一人……心強い味方が必要だ。あいつを仲間に引き入れよう」
母に捨てられ、世界に背を向けられた兄弟。二人の心は、もはや「孝行」ではなく、純粋な「殺意」によってのみ繋がっていた。「勘当」という名の呪縛が、逆に五郎を「最強の凶器」へと変えていく。
曾我物語 巻第四 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔母の勘当蒙る事〕
箱根の別当、是をば知らで、箱王を尋ねけるに、閨の枕も衾も変はらで、主は見えざりければ、急ぎ曾我へ人を下し尋ねけれども、「是にも無し」と答へければ、別当、大きに騒ぎ、方々(はうばう)を尋ね給ふぞ、愚か也。其の後、十郎は五郎と打ちつれて、曾我へ帰りぬ。内の者共見て、「箱王殿を男になし、十郎殿のつれ参らせて坐しましたり」と言ひければ、母聞きて、「別当の物騒がしく尋ね給ひけるぞや。十郎、昨日より見えざると言ひつるが弟が、法師に成るを見んとて、箱根へ上りけるかや。稚児にてよりもわろきやらん」。「男になりたる」と言ふを、「法師になりたる」と聞きまがひ、いつもの所に出で、「是へ」と宣へ共、身の科に依り、五郎、左右無く内へも入らざりけり。母待ち兼ねて、急ぎ見んとて、障子をあけければ、男に成りてぞ居たりける。母思ひの外にて、二目共見ず、障子を引きたて、「是は夢かや、現かや、心憂や、今より後、子とも母共思ふべからず。仮初にも見えず、音にも聞かざらん方へ惑ひ行け。何のいさましさに、男にはなりたるぞや。十郎が有様を、羨ましく思ふか。一匹持ちたる馬をだにも、けならかにかはず、一人具したる下人にだにも、四季折節に扶持をもせず、明け暮れ見苦しげにて、目もあてられず。世に有る人々(ひとびと)の子供を見る時は、誰かは劣るべきと思ふにも、涙の隙は無きぞとよ。思ひ知らずして、物に狂ふか、恨めしや。法師になりぬれば、上臈も下臈も、乞食頭陀をしても苦しからず。又、下臈なれども、智恵才覚あれば、法師にそしり無し。十郎だにも、男になせし事の悔しくて、入道せよかしと思うたる所に、口惜しの有様や。「善を見ては喜び、悪を見ては驚け」とこそいへ。哀れ、河津殿程、罪深き人は無し。後世弔ふべき人々(ひとびと)は、御敵とて滅びはてぬ。たまたま持ちたる子供さへ、孝養すべき物一人も無し。誠に末の絶えなば、まのあたりの本領を余所に見んも悲しくて、もしやと思ふ頼みに、兄は男になしたれども、親の跡をこそつがざらめ、名をさへかへて、曾我の十郎なんどといはるるも、口惜しし。一人の子は、父死して後、生まれしかば、捨てんとせしを、叔父伊東の九郎が養育せしが、其れも平家へ参り給ひて後は思ひ掛けざる武蔵守義信、取りて養育して、今は、越後の国の国上と言ふ山寺に有りと聞けども、父をも見ず、母にも親しまねば、思ひ出だして、一返の念仏を申す事もあらじ。其れは只他人の如し。彼の子をこそ法師になして、父の孝養をもさせんと思ひしに、斯様に成り行く事の悲しさよ。しかも、忘るる事は無けれども、心ならずに、忍びてこそ過ごせ、今は、誰にか、後の世をも問はるべき。哀れ、斯かる憂き身の生をかゆるならば、昔よりなどや無かるらん。夫れ、「良薬は口ににがくして、しかも病に利有り。忠言は耳にさかひて、しかも行を利せり」と申す言葉の有るなるぞ。よくよく案じても見給へ」と、泣く泣くくどきければ、五郎物ごしに聞きて、泣き居たりけるが、兄の方に帰りて、申しけるは、「只今の母の仰せられし事共、一々(いちいち)其のいはれ有りて覚え候ふ。死し給へる父を悲しみて、孝養を致さんとすれば、いきて坐します母の不孝を蒙る事、これ誠にひたうの故なり。身の罪の程こそ、知られて候へ。あまねく人の知らざる先に、髪切り候はん」と申しければ、十郎言ひけるは、「母の御 勘当は、予てより思ひ設けし事なり。然ればとて、昨日男に成りて、今日又入道するに及ばず。人こそ数多知らず共、先づ北条殿の思はれん事も、かろがろしし。かつうは、物苦はしきにも似たり。ししやうの事にてはあらじ。いざや、いづかたへも行きて、慰み候はん」とて、打ちつれてぞ、出でにける。遊ぶ所は、三浦介義澄は、伯母聟なり、土肥の二郎が嫡子弥太郎も、伯母聟也、平六兵衛は、従姉妹聟、北条殿は、烏帽子親、二宮の太郎は、姉聟なれば、彼等がもとに通ひつつ、二三日、四五日づつぞ遊びける。たまたま曾我に帰りて、五郎は不孝の身なれば、十郎がもとに隠れ居て、母の恋しき折々(をりをり)は、物の隙より見奉れども、我が身は見えじと隠れける。「然れば、人界に生まるるとは雖も、白駒の隙を過ぐるに似たり。老少不定の習ひなれば、彼も我等も、おくれ先立つ習ひ、空しかるべきこそ、無念なれ。時致も、法師に成るべき身の、男に成りて、母の勘当を蒙るも、只此の故なり。如何にも、とく急ぎ給へ」と申しければ、祐成も、「さぞ思ひ候へ。さりながら、いま一人も人をからふべし」。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




