4-6 十七歳の覚醒、巨大な後ろ盾
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
物語の舞台は、伊豆の北条館。箱根の山を捨て、修羅の道を選んだ箱王。そして、彼を支える兄・曾我十郎。
二人が向かったのは、鎌倉殿の舅にして、坂東武者の重鎮――北条四郎 時政の元だった。
箱根の山を夜逃げ同然で飛び出した俺――箱王
俺たちが馬を飛ばして向かったのは、伊豆にある北条時政殿の屋敷だった。時政殿は、かつて俺たちが幼かった頃から何かと目をかけてくれていた、いわば「親戚の恐いおじさん」のような存在だ。
「……ほう、十郎に箱王か。これは珍しい客人が来たものだ」
時政殿は、突然の訪問にも動じることなく、俺たちを奥へと通した。兄上は居住まいを正し、笏を握り直すと、芝居がかった口調で話し始めた。
「時政様、実は折り入ってご相談が。この弟の箱王のことなのですが……」
兄上の「交渉」が始まった。
「母上は箱王を箱根へやり、立派な法師にしようといたしました。ですが、箱王はどうしようもない『不良弟子』で学問はさっぱり、お経の名字も覚えない。それどころか、寺の掟を破って『鹿や鳥を食わなきゃやってられない!』と暴れる始末。……師匠の別当様も愛想を尽かして、『親元へ帰せ』と追い出されてしまったのです」
俺は隣で「……えっ、俺そんなキャラだったっけ?」と思いながらも、神妙な顔をして俯いていた。
兄上の嘘は続く。
「母上や継父の曾我祐信は、今でも箱王を出家させようと必死に止めています。ですが、俺たち一門の者として、このまま引き下がるのは無念。そこで、時政様……貴方様のお前で、箱王を一人前の『男』にしてやってはいただけませんか。……たとえこの場で箱王の首を撥ねることになろうとも、貴方様の下した沙汰であれば、曾我の家も文句は言わせません!」
時政殿は、じっと俺の目を見つめてきた。そこには、寺の小僧のそれではない、獲物を狙う鷹のような鋭い眼光があったはずだ。時政殿はフッと笑い、膝を叩いた。
「面白い。十郎、お前たちの覚悟、確かに受け取ったぞ。……伊東の血を引くお前たちのこと、俺が見放すわけがなかろう。余所で勝手に元服されては、俺のメンツも立たんからな」
時政殿は立ち上がり、俺の前に立った。
「よし、決めたぞ! 箱王、今日からお前は時政の『子』として扱ってやる。俺が烏帽子親だ!」
その言葉の意味は重い。北条時政という巨大な後ろ盾を得るということ。それは、鎌倉殿の義父という「最強の特権」を、復讐のための盾にすることを意味していた。
儀式は、厳かに行われた。時政殿の手によって、俺の長い髪が切り落とされる。さらさらと床に落ちる髪は、母の愛と、箱根での孤独な二年間、そして「平和な人生」の残骸だった。頭に重みのある烏帽子が載せられる。時政殿は、自分の名から一字を与え、俺に新しい名を与えた。
「――お前の名は、今日から曾我五郎時致だ。北条の『時』を忘れるなよ」
(……曾我五郎時致。これが、俺の『戦うための名前』か)
俺の心の中に、新しい魂が宿ったような感覚があった。
もはや俺は、泣き虫の箱王ではない。父の仇・工藤祐経を屠るための、研ぎ澄まされた一振りの刃。「曾我五郎」という名の、復讐の権化だ。元服の儀が終わると、時政殿は庭を指差した。
「時致。門出の祝いだ、これを受け取れ」
そこには、一頭の逞しい馬が引かれていた。筋骨隆々とした見事な鹿毛の馬。白銀の縁取りが施された、最高級の白覆輪の鞍。重厚な鎧。武士としての立ち上がりに必要な、最高ランクの装備一式だ。
「これから時々、俺のところへ遊びに来い。……まあ、お前の母上は怒り狂うだろうがな。その時は、俺がうまく言っておいてやる」
時政殿の不敵な笑み。俺たちは深く頭を下げ、新たな相棒(馬)に跨った。伊豆の道を、二騎の馬が駆け抜ける。
後ろを振り返れば、箱根の山が遠ざかっていく。前を見れば、かつて自分たちを死に追いやろうとした工藤祐経が、栄華を極める鎌倉がある。
(見ていろ、祐経。俺はもう、お前に頭を撫でられるだけの子供じゃない)
俺は、時政殿から贈られた黒糸の腹巻をギュッと締め直した。母の涙も、世の理も、もう俺たちの足を止めることはできない。
曾我十郎祐成。曾我五郎時致。「曾我兄弟」の伝説が、ついにここに幕を開けた。
曾我物語 巻第四 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔箱王が元服の事〕
さきざきもつねに越えて、遊ぶ所なりければ、時政見参して、「如何に、珍しや」と、色代しければ、十郎、笏取り直し、申しけるは、「弟にて候ふ童を、母が箱根へ上せて、法師になさんと仕り候へば、世に不用にて、学問の名字をも聞かず、剰へ、鹿・鳥くはで適はじと申し候ふ間、堅固の徒ら者、教へに従はざらん弟子をば、早く父母に返すべきと言ふ言葉に付き、里へ追ひ下さるる折をえて、男にならんと仕り候ふを、母にて候ふ者、曾我の太郎など、しきりに制し候ふ間、親しき三浦の人々(ひとびと)、伊東の方様にてと存じ、相具して参りて候ふ。仮令道の辺にて、頭を切りて候ふとも、御前にてと申し候はば、其の身の勘当は候ふまじ」と申しければ、「誠に、面々(めんめん)の御事、見はなし申すべきにあらず。然れば、余所にても、さあらば、無念なるべし。もつ共本望也。時政が子と申さん」とて、髪を切り、烏帽子をきせて、曾我の五郎時致と名乗らせける。鹿毛なる馬の、五臓太くたくましきに、白覆輪の鞍置かせ、黒糸の腹巻一領添へて、引かれけり。「つねに越えて、遊び給へ。定めて、母の心には違ひ給ふべし」と、色代して、帰りけり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




