4-5 修羅の道へ踏み出す、運命の夜
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
物語の舞台は、霊峰・箱根。かつて流人の身から天下を掴んだ源頼朝の治世。
しかし、その輝かしい時代の裏側には、十七年間もの長きにわたり、暗い情念を研ぎ澄ませてきた一人の少年がいた。名は箱王。
十七歳という、少年から大人へと脱皮する境界線に立った彼は今、人生最大の決断を迫られていた。
「箱王殿。お前もはや、十七になったな」
箱根権現の別当(住職)は、成長した箱王を呼び寄せ、静かに、しかし抗いようのない口調で告げた。
十七歳。当時の基準では、もう立派な大人だ。
「そろそろ京へ上り、正式に受戒を受けるべき時だ。垂髪のままでは格好がつかぬ。明日の朝、この場所で髪を下ろし、出家せよ。それがお前の母上への孝行であり、亡き父上への供養となるのだ」
別当の言葉は慈悲に満ちていた。だが、箱王の心はその瞬間、凍りついた。
「……御はからいの通りに」
口ではそう答えながらも、箱王の胸中には激しい嵐が吹き荒れていた。
(明日、髪を剃れば、私は一生『僧侶』として生きることになる。経を読み、仏に仕え、殺生を禁じられる……。そんな身体で、どうやって父上の仇を討てというのだ?)
心の中に「復讐」という猛毒を隠し持ったまま、清らかな仏門に入る。それは神仏を欺く大罪ではないか。箱王は、自らの魂が叫ぶのを聞いた。
(嫌だ。俺は、武士として死にたい。父上の仇を、この手で葬るまでは!)
その日の夜。寺の修行僧たちが眠りについた頃。箱王は、わずかな荷物だけを抱え、漆黒の箱根山を駆け下りた。
「山月東に昇り、前途を照らす……」
かつて高名な詩人が詠んだ、別れの詩が脳裏をよぎる。冷たい秋の雲が流れ、月光が箱王の決意を青白く照らし出す。母を裏切る罪悪感。師を捨てる申し訳なさ。だが、それらすべてを焼き尽くすほど、彼の中に眠っていた「河津三郎の血」が激しく脈動していた。
(兄上……十郎兄上! 今すぐ会いに行きます!)
闇を切り裂き、草木を分け、箱王は一度も振り返ることなく曾我の里を目指した。
曾我の里。十郎の乳母の屋敷。深夜、突然現れた弟の姿に、曾我十郎 祐成は驚愕した。
「箱王……!? どうしてここに。明日はお前の出家の日だと聞き、明朝、箱根へお祝いに上がろうと思っていたところだぞ」
兄の呑気な言葉に、箱王は激しい口調で詰め寄った。
「兄上、のんびりしすぎです! 明日の朝まで待っていたら、私は髪を剃られ、一生坊主にされていたところだったんですよ! 私は……私は、どうしても納得がいかないんです!」
箱王の瞳には、かつて鎌倉殿の参詣で工藤祐経を見た時の「殺意」が、ありありと蘇っていた。
「たとえ法師になっても、この復讐心は晴れません。形だけの僧侶になって親の供養をするくらいなら、私は身を隠し、乞食となってでも、父上の後世を弔いながらチャンスを待ちます。……それとも、兄上。私を元服させ、共に戦わせてくれますか!? 今ここで、私の浮沈(運命を決めてください!」
十七歳の弟の、必死の叫び。十郎はしばし沈黙し、弟の真っ直ぐな眼差しを受け止めた。
「……箱王。お前がそこまでの覚悟を持っているか、試させてもらった」
十郎は、ふっと優しく微笑んだ。
「実を言えば、私も明日、お前を連れ戻しに行くつもりだったのだ。お前に烏帽子を着せ元服させ、本物の武士にすることこそが、私の本意。お前が自ら山を下りてきたこと、これほど嬉しいことはない」
箱王の顔に、ようやく安堵の光が差した。だが、問題は残っている。
「母上や師匠の御心に背くことになりますが……いいのでしょうか?」
十郎は力強く頷いた。
「その罪は、すべて兄であるこの祐成が引き受ける。母上には私がうまく話しておこう。……さあ、夜明けだ。ぐずぐずしてはいられないぞ」
東の空が白み始めた頃。曾我の里を、二騎の馬が駆け抜けた。目指すは、頼朝の岳父であり、鎌倉幕府の実力者・北条時政の館。
一万(十郎)がかつて密かに元服したように、箱王もまた、北条の加護を得て「真の名」を手に入れるための旅立ちだった。
「今生では縁が薄くとも、来世では……」
かつて義父・祐信が泣きながら語った言葉。だが、今の二人には来世など関係ない。
「今、この時、この手で、地獄を終わらせる」
箱王は、寺で学んだ経典をすべて捨て、代わりに懐の「守り刀」を強く握りしめた。
少年の名は、この日を最後に歴史から消える。代わって現れるのは、後に日本最強の兄弟として語り継がれることになる、復讐の権化たち。
曾我物語 巻第四(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔箱王、曾我へ下りし事〕
然る程に、年月過ぎ行きければ、十七にぞなりける。或る時、別当、箱王を近付けて、「御分は、はや十七になり給へば、上洛し、受戒をし給ふべしなれば、垂髪にて上り給はば、ものくきよらで適ふまじ。其れ又、大事なり。是にて、髪を下ろして、上るべし」と宣ひければ、身に思ひの有る物をと思ひながら、「御はからひ」とぞ申されける。「然らば」とて、大衆にふれ、出家の用意有り。母の方へも、言ひ下しけり。既に明旦とぞ定まりける。箱王、つくづくと思ひけるは、我法師になりたりとも、折節に付けて、此の事思ひ思はば、罪深かるべし、一向に思ひ切り、男に成りて、本意をとぐべし、其のみぎりに成りては、後悔すとも、適ふまじ、此の事を、十郎殿と言ひ合はせて、とにもかくにも定めんと案じ、人にも知らせずして、只一人夜にまぎれて、曾我の里へぞ下りける。「山月東に、前途を差して、しかも思ひを労ず、辺雲秋すずしくして、こうくわを同じくして、しかも魂をけす」と言ふ、藤原の篤茂が餞別の詩、今更思ひ出でられて、曾我の里にぞつきにける。十郎が乳母の家に立ち入りて、十郎を呼び出だし、対面しければ、「如何にして坐しますぞや。明日は、一定出家の由、聞きつる間、上りて見奉らんと存ずる所に、下り給ふ嬉しさよ」と言ひければ、箱王聞きて、「のびのびの御心なるべしと思ひつるに、少しも違はず。斯様の事、きはきはと、予てより御定め候へかし。既に明けなば、事定まるべし。打ちのびて、道行くべきにあらず。よくぞ参り候ひける。御左右を待ち参らせなば、空しく髪をそられなん。其れにつきては、一年、鎌倉殿箱根参詣の時、祐経御供せしを見そめしより、少しも忘るる隙無し。仮令法師に成りて候ふとも、此の悪念は、はれ候ふまじ。一念無量劫と成る事、今に始めざる事にて候へば、思ひわづらひて、罷り下りて候ふ。定めて、御上り候はんと存じ候ひしかども、其の儀も候はず。申し合はせてこそ、とにもかくにもなり候はめ。もし又思し召し捨てさせ給はば、りのついでに上洛して、我が山にて髪そり落とし、膚を墨に染め隠し、足に任せて、頭陀乞食して、一期の程、親の後世、懇ろに弔ひ奉るべし。又、男に成り、御あらましの御事、適はぬまでも、仕るべきか。はやはや是非の御返事を承り切るべし。身の浮沈、今に候ふなり。なまじひに罷り下りて、帰山も見苦し。あとに如何ばかり、騒ぎ候はん。夜もふけ行き候ふ」と攻めければ、やや有りて、「祐成が心を見んとて、斯様に宣ふか。烏帽子をきせん事こそ、本意なれ。思案に及ばず」と言ふ。箱王聞きて、「さ程思し召し定むる事、などや、予てより承り候はぬや。某、罷り下り候はずは、御 左右有るまじきにや」と言ひければ、十郎聞きて、「此の事は、内々(ないない)別当も知り給はぬ事あらじ。夜明けて上らむと存じ候ひしに、嬉しくも下り給ひける」と言ひければ、箱王申しけるは、「母や師匠の御心に違はん事、如何すべきなれ共、いづかたの御事も、一旦の事と覚えたり」と言ひければ、十郎聞きて、「其の科をば、祐成に任せよ。如何にも申し許すべし」。夜も明けければ、「いざや」とて、馬に打ち乗り、只二騎、曾我を出でて、北条へこそ行きにけれ。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




