4-3 仇から授かった『刃』と、少年の慟哭
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
物語の舞台は、箱根。鎌倉殿・源頼朝が、その圧倒的な権勢を見せつけるべく行った「二所詣」。
1月15日。箱根権現の境内は、頼朝一行の参拝で熱気に包まれていた。
箱王は、一人の老僧を伴って、御座所の裏に身を潜めていた。その老僧は鎌倉の事情に詳しく、名だたる武将たちの顔をすべて把握している「歩くデータベース」のような人物だった。
「御坊、あれは誰だ? そして、あちらは?」
箱王は、わざと標的以外の者を次々と指差した。怪しまれないための偽装工作だ。
「左に座るのは秩父の重忠殿。右は三浦の義盛殿。あちらは里見の源太殿、豊島の冠者殿……。そして今、上様に何かを奏上しているのが、あの有名な梶原景時殿だ」
箱王の心臓が早鐘を打つ。そして、少し離れた場所に座る、香色の直垂を纏い、数珠を手にした優雅な男に目を留めた。
「……あそこにいる、半装束の男は?」
「ああ、あれこそがお主の一門、今の伊東の主である工藤左衛門祐経殿だ。お主の父上とは従兄弟にあたる。上様の信頼も厚い、稀代の『切れ者』よ」
(――見つけた。奴だ。あの男が、父上を殺した……!)
箱王は、胸の騒ぎを必死に抑えながら、あえて何でもない風を装って尋ねた。
「あの男は、私の父に似ているのかな?」
老僧は、少し寂しそうに首を振った。
「いや、全く似ておらぬ。従兄弟とはいえ、あの方はスマートな文化人だ。お主の父、河津殿は……あのような人ではなかった」
老僧が語る父・河津三郎の姿は、伝説的な英雄そのものだった。
「河津殿はもっと丈が高く、骨太で、前を見れば胸が反り、横から見れば四角い大男だった。馬術も弓術も並ぶ者がなく、その大力は四五カ国に並ぶ者なし。あの相撲自慢の又野五郎を、片手でひねり潰して三番勝負に勝った時のお姿は、まさに軍神のようであった……」
箱王は、自分の記憶にはない父の勇姿を聴き、今更ながらに込み上げる涙を堪えきれなかった。これほどの英雄が、あのような優男の策略によって、呆気なく射殺されてしまったのだ。
「……大力であっても、死の道には力及ばず、か」
箱王は袖で涙を拭い、決意を固めた。
箱王は、懐に赤地の錦で包んだ守り刀を忍ばせた。
「御坊、私は少し近くで見てきます。寺の稚児が近くへ寄っても、咎めはしないでしょう」
大衆の中に紛れ、箱王は祐経の背後へとじわじわと距離を詰める。一瞬の隙を見て、その背中に刃を突き立てるつもりだった。
だが、祐経もまた、修羅場を潜り抜けてきた男だ。彼は、背後から向けられた異様な「眼差し」に気づいた。
「……ほう。この稚児、目が河津の三郎にそっくりではないか」
祐経は、箱王を呼び寄せた。逃げるわけにもいかず、箱王は祐経の膝の近くまで歩み寄る。祐経は左手で少年の肩を抑え、右手で優しくその髪を撫でた。その手は、かつて父を殺した命令を下した手である。
「あっぱれ。父上に実によく似ている。今まで会いに来なかったのは本意ではなかったのだ。お前が河津殿の子か。兄の十郎殿も元服したそうだな」
祐経は、なれなれしくも優しい声で語りかけた。
「私はお前の父とは従兄弟だ。お前にとって、親しい身内は私くらいのもの。……困ったことがあれば、いつでも頼りなさい。寺のことで訴訟があれば私が力になろう。馬や道具が必要なら送ってやる」
箱王は、吐き気を催すような怒りの中で、ただ「はい」と答えるしかなかった。
祐経は懐を探ると、一振りの刀を取り出した。赤木の柄に胴金を入れた、立派な短刀だ。
「これを、見参の印に授けよう。受け取りなさい」
父の仇から、殺害の道具(刀)を贈られる。箱王は震える手でそれを受け取った。今、この瞬間にその喉元を突いてやりたい。だが、祐経は常に自分の刀に手を置いており、周囲には屈強な郎党たちが隙なく立ち並んでいる。
(……今ではない。今ここで失敗すれば、兄上と誓った大願は潰える)
箱王は、屈辱に涙を滲ませながら、ただ平伏した。
その夜、箱王は祐経の宿坊の近く、石橋の辺りで夜通しチャンスを伺った。だが、祐経の周囲は火が焚かれ、兵たちが「天の眼」のように目を光らせていた。少しの隙もなかった。
翌朝。頼朝の一行は、きらびやかな屋形船に乗って箱根を後にした。箱王は船着場まで走り、遠ざかる祐経の船を、人目を忍んで見送った。その姿は、かつて恋人の船を見送って石になったという「松浦佐用姫」のようだったという。
坊に戻った箱王は、経文をすべて投げ出した。神仏への祈りは、もはやただ一つ。
「――箱根権現よ。次に会う時は、必ず、この男を我が手で仕留めさせたまえ」
彼が手にした祐経からの「贈り物」は、感謝の品ではない。それは、いつか必ずその心臓を貫くための、呪いの砥石となったのである。
曾我物語 巻第四 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔箱王、祐経にあひし事〕
箱王は、御 奉幣の時までも、人一人もつれず、介錯の僧一人 相具し、御 座所の後ろに隠れ居て、御供の人々(ひとびと)を、「彼は誰そ、是は如何に」と、詳しく問ひければ、此の僧、鎌倉の案内者にて、大名・小名のこさい知りたれば、教へけり。され共、未だ祐経をばあかさず。哀れ、問はばやと思へども、あやしく思はれじとて、残りの人を問ひまはす。「君の左の一座は誰そ」「彼こそ、秩父の重忠よ」「右の一座は如何に」「是ぞ、三浦の義盛よ」「さて、其の次は誰人ぞ」「里見の源太と言ふ人よ」「さて、其の次は」「豊島の冠者と言ふ人なれ」「只今、もの仰せらるるは、誰やらん」「是こそ、当時聞こゆる梶原平三景時とて、侍共の、鬼うらめに思ふ者よ」「又、右手の方に、少し引きのきて、半装束の数珠持ちて、香の直垂きたるは、如何なる人にて有るやらん」「彼こそ、御分達の一門、今伊東の主、工藤左衛門祐経よ。御分の父河津殿とは、従兄弟也。御前然らぬ切り者」とぞ教へける。さては、其れにて有りけるよ。此の事思ひ寄りて、言ふやらん、知りぬれども、何事かあらんと、思ひこなして、言ふやらんと、いつしか胸打ち騒ぎ、思ひ寄らざる様にて、「此の者は、よき男にて有りけるや。三十二三にぞ成るらん。自らが父にや似たる」と問ふ。「少しもに給はず。まさしき兄弟さへ、似たるは少なし。まして、従兄弟に似たる者は無し。年こそ、河津殿の打たれ給ひし程なれ、其の坐しまさば、四十余りの人なるべし。是より遙かに丈高く、骨太くして、前より見れば、胸そり、後ろより見れば、うつぶき、側より見れば、四角なる大男にて坐しませしが、馬の上、かちだち、並ぶ人無し。殊に鹿の上手にて、力の強き事、四五か国には、並ぶ人無き大力なり。然れば、相模の国の住人大庭の三郎が弟、又野の五郎景久とて、相撲に負けざる大力を、伊豆の奥野の狩場にて、片手をはなちて、相撲に三 番勝ちてこそ、いとど名を上げ給ひしか。其れを最後にて、帰り様に、敢へ無く打たれ給ひき。大力と申せ共、死の道には、力及ばず」とぞ語りける。箱王は、父が昔をつくづくと聞きて、今更なる心地して、忍びの涙にむせびけり。やや有りて、我、此の間祈りし願ひの、適ふにこそ有るべし。窺ひ寄りて、便宜よくは、一刀差し、如何にもならんと思ひ定めて、「御坊は、是に坐しませ。法師こそよらね、童は近くよりても、苦しからず。山寺にすめばとて、人を見知らぬはむげ也。近くよりて、見知らん」とて、赤地の錦にて、柄鞘まきたる守り刀を、脇に差し隠し、大衆の中をぬけ出でて、祐経が後ろ近くぞ、狙ひ寄りける。祐経も、しばしの冥加や有りけん、梶原三郎兵衛を隔てて、箱王を見付けて、是なる童の眼ざし、河津の三郎に似たる者かな、誠や、此の御山に、伊東が孫の有りと聞けば、もし是にてもや有るらんと、目をはなさず、守りければ、左右無くよらざりけり。祐経、猶よくよく見れば、眼の見返し、顔魂、少しも違ふ所無し。祐経は、念誦はてて後、大衆の中へ立ち入りて、「伊東の入道が孫、此の御山に候ふと聞く。何処の坊に候ふぞや。名をば何と申すぞ」と問ひければ、或る僧申す様、「御名をば、箱王殿と申して、別当の坊に坐しまし候ふ」「此の頃は、里に候ふか、是に候ふか」と問ひければ、「是にこそ」とて、東西を見めぐらし、「長絹の直垂に、松に藤をぬひて、萌黄の糸にて、菊綴して、此方向きにたち給ふこそ」と教へければ、然ればこそと思ひ、本座に帰り、箱王を招きければ、願ふ所と喜びて、祐経が膝近く添ひ寄りける。左の手にて、箱王が肩を抑へ、右の手にては、髪をかきなでて、「あつぱれ、父にに給ふ物かな。今まで見奉らざる事の本意無さよ。わ殿は河津殿の子息と聞くは、誠か。兄は男になり給ふか。曾我の太郎は、いとほしくあたり奉るか。知らざる者の、なれなれしく、斯様に申すとばし思ひ給ふな。御分の父河津殿とは、従兄弟子なり。殿原にも、親しき者とては、祐経ばかり也。見奉れば、昔の思ひ出でられて、今更哀れに存ずるぞ。急ぎ法師に成り、別当に継ぎ給へ。弟子多しと言ふとも、祐経程の方人持ちたる人あらじ。便宜を以て、上様へも、よき様に申し、寺門の訴訟あらば、申し達すべし。今より後は、如何なる大事なり共、心を置かず、仰せられよ。適へ奉るべし。わ殿の兄にも、斯様に申すと伝へ給へ。父にも添はで、如何に頼り無く坐しますらん。行縢、乗馬などの用の時は、承るべし。身貧にして、他人に交はらんより、親しければ、つねに問ひ給へ。誠や、古き言葉に、「尊きは賎しきがそねみ、智者をば愚人がにくむ。さいちよは千歳に絶えず、むくわひは千劫絶えず」と申し伝へたり。さても、見参の始めに、折節、引出物こそ無けれ、又空しからんも、無念なり。是を」とて、懐より赤木の柄に胴金入れたる刀一腰取り出だし、箱王にこそとらせけれ。何と無く受け取れ共、箱王は、涙にむせびけり。便宜よくは、一刀差さんと思へども、目をはなさず、其の上、大の男、つねに刀に手を置きければ、なましひなる事をし出だし、小腕取られて、人に笑はれじと、思ひ止まりぬ。只言ふ事とては、「さん候」とばかり也。「卒爾の見参こそ、所存の外なれ。さりながら、喜び入りて存じ候ふ。里下りのついでには、わ殿の兄十郎殿と打ちつれて、来たり候へ、返す返す」と言ひて、立ちにけり。箱王、力に及ばず、止まりぬ。日暮れければ、もしやと便宜を窺ひけれども、宵の程は、御前に祗候しをれば、夜ふけて、罷り出づる所を伺ひけれども、庭上に、兵いらかをなす。火は天の眼の様なれば、返りて、我が身を隠さんと立ち忍ぶ声、人までの事は、思ひもよらず。左衛門の尉が宿坊と御前との間なる石橋の辺に、徘徊し待ちけれども、鰭板の陰に、郎等共立ちかこみ、前後左右に有りければ、其れも適はで、暁に及ぶまで、心をつくし狙へども、少しの隙無ければ、徒らに夜をあかす、心の内ぞ、無慙なる。次の日は、君の御下向の船に召され、滄海を渡り給ふ。箱王は、船出まで、人目がくれに交はりて、敵の後ろを見送れば、侍共、思ひ思ひの屋形船にて、御共申す。箱王は、左衛門が船の内のみ見送りて、泣くより外の事ぞ無き。彼の松浦佐用姫が、雲井の船を見送りて、石となりけん昔、思ひ遣られて、空しく坊に帰りけり。其の後、いよいよ此の事のみ心にかかりて、一 字も忘れじと思ふ経文をも打ち捨てて、昼夜権現に参り、「今度こそ、空しく候ふとも、遂には、我が手に掛け給へ」と、祈り申すぞ、哀れなる。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




