4-2 綺羅、天を輝かす 〜 将軍の凱旋 〜
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
物語の舞台は、箱根。かつて流人の身から「鎌倉殿」へと上り詰めた源頼朝。その権勢が頂点に達した眩いばかりの黄金時代。
建久の春。箱根の山に、驚くべき報せが舞い込んだ。
「鎌倉殿が、箱根参詣に来られるぞ!」
箱根権現で修行に明け暮れていた十三歳の箱王は、その報せを聞いて胸を躍らせた。それは喜びというよりは、獲物を待つ猟師の昂ぶりに近かった。
(……ついに、この時が来たか。八幡大菩薩、いや、箱根権現の御引き合わせに違いない)
箱王は、暗い堂内で一人、老子の言葉を反芻していた。
「九層の台は、累土より起こり、千里の行は、一歩より始まる」
どれほど高い建物も一つの土を積み上げることから始まり、千里の旅も足元の一歩から始まる。
父を殺されたあの日から、自分が耐えてきた屈辱と修行の日々。それらすべては、今日という日のために積み上げられた「土」なのだ。
(工藤祐経……。奴は鎌倉殿の寵臣だ。これほどの行列なら、必ず供の中にいるはずだ。その顔、この目に焼き付けてやる)
箱王にとって、その日を待つ時間は、まるで千年もの歳月を送るかのように長く、重く感じられた。
そして、運命の十五日。
箱根の山道は、見たこともないような華やかさと威圧感に包まれた。頼朝を護衛するのは、鎌倉幕府が誇る最精鋭。
和田左衛門尉義盛
畠山次郎重忠
河越太郎重頼
江戸太郎重継
千葉介常胤
小山朝光、宇都宮朝綱、山名、里見……
数え上げれば切りがない、坂東武者のオールスター。その数、三百五十余騎。
彼らの装束は、まさに「暴力的なまでの美しさ」だった。ある者は季節外れの花を折り、ある者は鮮やかな紅葉の刺繍を重ね、金銀の装飾が日光を弾いて天を輝かせる。水干、浄衣、白直垂。その圧倒的な権勢は、山を歩く風さえも押し止めるかのようだった。
頼朝の行列は、陸路だけでは終わらない。芦ノ湖には、巨大な船団が姿を現した。大船を何艘も組み合わせて作られた頼朝の御船。そこには高価な幔幕が引き回され、四方には高貴な沈の香が満ち溢れている。
その光景は、あたかも「人々を救う諸仏の船」が浄土から現れたかのようだった。周囲を固めるのは、百艘に及ぶ武者たちの船。各船の屋形には、無双の武具が立て並べられ、静まり返った湖面を、一糸乱れぬ櫂さばきで漕ぎ進んでいく。
箱根の住人や稚児たちは、この「末代まで語り継がれるであろう見世物」を一目見ようと、湖畔に群れをなして押し寄せた。船が岸に着くと、頼朝は四 方輿に乗り換え、箱根権現の社頭へと進んだ。
社頭では、最高級の儀式が用意されていた。禰宜・神主が、大 床の上に幣帛を捧げる。別当・社僧が、経典の紐を解き、玉のような瓦の並ぶ本殿で祈祷を捧げる。神楽男が、銅拍子の音を響かせ、神楽を舞う。
山全体が、頼朝の参拝を祝福するひとつの「巨大な装置」と化していた。伶人たちは伎楽を奏でて袂を翻し、舞人たちは鼓を打って踵を鳴らす。耳を打つ音楽、目を刺す色彩、鼻をくすぐる香煙。頼朝の権力は、もはや地上の人間のみならず、箱根の神々さえも従えているかのように見えた。
この喧騒と熱狂の渦中。箱王は、他の稚児たちと共に、迎えの列の末端にいた。誰もが頼朝の神々しさに目を奪われ、その後に続く名だたる武将たちの姿に感嘆の声を漏らしている。だが、箱王の目は、ただ一人を探していた。
(……どこだ。工藤祐経はどこにいる)
列の中ほど。一際スマートな着こなしで、優雅に、しかし隙のない所作で頼朝に侍る男がいた。
工藤左衛門尉祐経。
頼朝の寵愛を一身に受け、その才能で鎌倉の政務を支えるデキる男。
彼が笑顔で頼朝に言葉をかけている。その横顔。
(――見つけた)
箱王の全身に、静かな震えが走った。これが、父を殺した男。自分と兄を死の淵まで追い込み、母を一生の悲しみに沈めた男。
目の前の祐経は、あまりにも華やかで、あまりにも「幸福」そうだった。その輝きが強ければ強いほど、箱王の心にある闇は、より深く、冷たく研ぎ澄まされていく。
(笑っているがいい、祐経。お前のその首、いつか必ず私が、この箱根の神前で地面に転がしてやる……!)
箱根の神感は厳重を極め、参拝は莫大な功徳を残して終わろうとしていた。頼朝は満足し、家臣たちはその強大な権勢を再確認した。
しかし、この華やかな「参拝」こそが、曾我兄弟の復讐という名の爆弾に火をつけることになったのだ。ターゲットを確認した、十三歳の冬。箱王の修行は、ここから「実戦」の色を帯び始める。
神仏への祈りの言葉の裏で、彼は刃を研ぐための呪文を唱え続ける。――父の仇討ちまで、あと数年。
曾我物語 巻第四 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔鎌倉殿、箱根御参詣の事〕
御 感応にや、同じき正月十五日に、鎌倉殿、二所御 参詣とぞ聞こえける。箱王、是を聞き、年来の祈りの功(こう慮の御哀れみにしかじとぞ、喜びける。実にや、「九層の台は、累土より起こり、千里の行は、一歩より始まる」と言ふ老子の教へも、功は積もりて、遂に事をなす物をと、頼もしくぞ思ひける。工藤祐経は、切り者にて有るなれば、定めて御供には参り候はんを、見知らん事よと喜び、其の日を待ちし心の内、只千年を送るばかりなり。伝へ聞く、北洲の命も、千年の限りを保つなり。其れも限りあればにや、つながぬ日数重なりて、其の折節にもなりにけり。御供の人々(ひとびと)には、和田、畠山、川越、高坂、江戸、豊島玉井、小山、宇都宮、山名、里見の人々(ひとびと)を始めとして、以下三百五十余騎、花ををり、紅葉を重ね、装束共、綺羅天をかかやかし、陣頭に雲をおほひ、水干、浄衣、白直垂、布衣、権勢あたりを払ひ、行粧目を驚かす。凡そ、中間・雑色に至るまで、気色に色をつくす。後陣の警固の武士、甲冑をよろひ、弓箭を帯する隨兵、上下につがひ、左右の帯刀、二行に並び、御調度懸の人、左手、右手に相並ぶ。御向かへの伶人は、伎楽を調へ、羅綾の袂を翻す。御前の舞人は、奚婁を打つて、舞行の踵をそばだつ。君の召さるる御 船は、大船数多組み合はせ、幔幕を引き、沈のにほひ、四方にみつ。是や、諸仏の弘誓の船も、かくやと思ひ知られたり。侍共の乗りける船数、百艘に及べり。いづれも、屋形を打ちたりける。無双の武具を立て並べ、鎮まり返り、漕ぎつれたり。上代は知らず、末代斯かる見物あらじと、貴賎群集をぞなしける。大衆、稚児達を引きつれ、船付きまで、御向かひに参る。船より社頭までは、四 方輿にぞ召されける。神前には、禰宜・神主、幣帛を大床に捧げ、別当・社僧は、経の紐を玉の甍にとき、神楽男は、銅拍子を合はせて、拝殿に祗候す。しかのみならず、臨時の陪従、当座の神楽、朝倉がへしのうたひものは、拍子の甲乙をしらべて、れいはんしよさいの儀を返りまうす。神感の起こるを厳重にして、掲焉も莫大なり。耳目の及ぶ所、こくちんにいとまあらず。高察仰ぐのみにぞ覚えける。




