3-10 地獄の淵から奇跡の生還
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
11歳の一万と9歳の箱王。由比ヶ浜の砂を血で染めるはずだった処刑は、坂東武者の鑑・畠山重忠の命懸けの直談判によって、劇的な「助命」という結末を迎えた。
「――祐信殿、おめでとう。あの子たちの命、確かに預かったぞ」
御所での激しい舌戦を終えた畠山重忠は、汗を拭いながら、待機していた曾我祐信の元へと歩み寄った。重忠の顔には、大仕事を成し遂げた安堵の笑みが浮かんでいた。
「さあ、早く帰りなさい。曾我の館では、皆が心もとなく思っているはずだ。本当なら私が直接、頼朝殿の側から離れて見送りに行きたいところだが……今はまだ、主君の機嫌を損ねるわけにはいかないからな」
重忠はそう言って、祐信の肩を力強く叩いた。祐信は、信じられないという顔で、何度も何度も地面に頭を擦りつけた。
「……ありがとうございます、畠山様。この御恩、生涯忘れません……! ありがとうございます!」
溢れる涙で言葉にならない祐信。彼は震える手で、一万と箱王をそれぞれの馬に乗せた。数時間前、死を覚悟して通った同じ道。だが、今はその景色が、まるで黄金色に輝いて見えた。
鎌倉を後にし、一行は曾我の館を目指して馬を走らせた。急ぐ必要はない。だが、一刻も早く、あの悲しみに沈む母親にこの吉報を届けたい。その一心で、祐信は駒を進めた。
11歳の一万と9歳の箱王。二人の顔には、まだ死の恐怖の余韻が残っていたが、父・祐信の明るい表情を見て、ようやく幼い子供らしい安堵の表情を取り戻しつつあった。道中、祐信は何度も二人の無事を確認した。
(夢ではないな……。本当にな、あの子たちが生きている)
馬の足音は軽やかだった。それは、地獄の処刑場へと向かった「羊の歩み」とは正反対の、命の躍動を伝えるリズムだった。
その頃、曾我の館では。母は、子供たちが連れ去られたあの日から、一睡もできずにいた。彼女は持仏堂に籠もり、ただひたすら仏に縋っていた。
「……もし、あの子たちが斬られたのなら、どうか私の命も今すぐにお取りください。あの子たちが一人で三途の川を渡らぬよう、私が手を引いていかなければならないのです」
館の女房たちも、主人の悲しみに触れて声を出すこともできない。そこにあるのは、葬列のような静寂と、死を待つような冷たい空気だけだった。
そこへ――。
「――お、お戻りです! 旦那様が、若君たちが戻られました!!」
門番の叫び声が、館の静寂を切り裂いた。
この知らせに、誰よりも早く飛び出したのは一万の乳母――月という女房だった。
彼女は、子供たちが殺されると信じ込み、精神的に極限状態にあった。
「あああ! 若君たちが! 若君たちが帰ってこられた!!」
彼女は裸足のまま庭へと走り出し、砂煙を上げてやってくる一団を見つけた。馬の背に揺れる、懐かしい二人の小さな影。月はあまりの興奮と混乱で、頭の中が真っ白になってしまった。
馬の口に取り付こうとして、彼女はありったけの声で叫んだ。
「――皆様! 馬たちが帰ってきました! 馬たちが帰ってきましたよ!!」
「……馬?」
出迎えた一門の人々は、一瞬ポカンとして顔を見合わせた。言いたかったのはもちろん「若君たち」が帰ってきた、ということである。だが、彼女の心は言葉よりも先に暴走し、主役である子供たちを差し置いて「乗り物」の無事を報告してしまったのだ。
馬上の兄弟は、そのあまりの慌てぶりに、思わず吹き出した。
「私たちは馬じゃないよ」
9歳の箱王が笑いながら馬を下りると、月は顔を真っ赤にしながら、今度は号泣して二人を抱きしめた。
母は、夢ではないかと自分の頬を抓りながら、一万と箱王を力一杯抱きしめた。冷たかった二人の身体に、まだ温かい血が流れている。その鼓動を感じた瞬間、母は崩れ落ちるように泣き伏した。それは悲しみの涙ではなく、凍りついた時間が動き出した歓喜の涙だった。
曾我の一門が駆け集まり、館は瞬く間に喜びの宴となった。この奇跡を語り合う中で、人々は頼朝という男の深さを改めて思い知った。
「明典の君は、時に蔽壅の累をなし、俊円の臣は、しばしば親士の悲しみを抱く」
(賢明な君主であっても、時には周囲の意見に惑わされることがある。だが、優れた家臣がいれば、その過ちを正し、悲劇を防ぐことができる)
中国の古典『文選』の言葉が、今まさに現実に現れた。頼朝という絶対的な力を持つ主君。その憤りは雷のように激しく、しかし同時に、重忠のような賢臣の言葉を受け入れるだけの「器」を持っていた。
頼朝が厳しく罰しようとしたのは、彼の「法」ゆえ。頼朝が助命を許したのは、彼の「仁」ゆえ。曾我兄弟の命を救ったのは、単なる偶然ではない。鎌倉という新しき世を支える、頼朝と重忠という「君臣の絆」がもたらした、必然の奇跡だったのである。
曾我の館に、平和な夜が戻ってきた。だが、頼朝が下した助命には、ある「条件」が含まれていた。一万は家督を継ぐための教育を受け、そして九歳の箱王は――。
「……箱王。お前は箱根権現の稚児として、修行に出るのだ」
祐信の言葉に、箱王は真っ直ぐに頷いた。拾った命だ。この命を使って、いつか本当の「武士」になる。そして、父の仇である工藤祐経と、正々堂々と対峙するその日まで。
曾我物語 巻第三(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔曾我へつれて帰り、喜びし事〕
其の後、畠山の重忠、成清を呼び、「幼き人々の事、やうやうに申し預かり候ひぬ。はやはや御帰り候へ。曾我に、心許無く思ひ給ふべし。見参に入れたく候へ共、御前に候ふ間」と言ひ送りければ、曾我の太郎、是非をわきまへ兼ねて、只、「畏まり存ずる」とばかりぞ申しける。さて、二人の子供の馬を先にたて、曾我へ帰りける心の内、例へんかた無し。母が宿所には、是をば知らで、只泣くばかりなる所へ、人々、「帰り給ふ」と告げければ、母を始めて、喜ぶ事限り無し。一万が乳母、月さへと言ふ女房、庭上に走り向かひ、馬の口を取り、「君達の御帰り」と言はんとて、余りにあわてて、「馬達の帰り給ふぞや」と呼ばはりけり。兄弟の人々、「馬より下り、母が方に行きければ、一門馳せ集まり、喜びの見参、隙も無し。然れば、頼朝御憤り深く、御哀れみのあまねき事は、「めいてんの君は、時に蔽壅の累をなし、しゆんゑんの臣は、しばしばしんしの悲しみをいだく」とは、文選の言葉なるをや、今更思ひ知られたり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




