3-9 畠山重忠、処刑をひっくり返す
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
物語の舞台は、鎌倉。流人の身から天下を掴んだ源頼朝の治世。その絶対的な権力の下では、過去の因縁が幼い命を執拗に追い詰めていた。
11歳の一万と9歳の箱王。由比ヶ浜での処刑が刻一刻と迫る中、鎌倉の重鎮たちが次々と助命嘆願に現れるも、頼朝の心は揺るがない。最後に残されたのは、坂東武者の鑑――畠山重忠。
「――上様。一つ、古い異国の物語を聞いていただけませぬか」
緊迫した空気の御所。畠山重忠は、激昂する頼朝の前に静かに跪いた。頼朝は苛立ちを隠さず「物語だと? この期に及んで何を言う」と鼻で笑ったが、重忠は動じない。
「昔、ある国に偉大な王がおりました。王は千人の屈強な家臣を愛し、金や宝石を与えて召し使っておりました。その中に、『ちょうし』という名の賢者がおりました」
重忠の声が、御所に響く。頼朝は不機嫌そうにしながらも、重忠の語る物語に耳を傾け始めた。
「ある日、王はちょうしに命じました。『我が蔵にはありとあらゆる宝がある。だが、まだ足りぬ宝があるはずだ。隣国の市へ行き、我が国にない宝を買ってこい』と。王は莫大な財宝をちょうしに託しました」
ちょうしが市へ行くと、そこには確かに珍しい宝が溢れていた。しかし、どれも王宮の蔵にあるものばかり。そこでちょうしが気づいたのは、王宮に決定的に欠けているものであった。
「ちょうしは、『徳を積むこと』が王宮には足りないと考えました。彼は持ち寄った財宝をすべて、その国の貧しい人々や苦しむ人々に分け与え、手ぶらで帰国したのです」
王は激怒した。「宝はどうした!」
ちょうしは答えました。「『善根』を買って参りました。王宮には金銀珠玉はあれど、慈悲の徳がございませんでしたゆえ」
王は呆れたが、賢者のすることだとそのままにしておいた。
「……数年後、その国で反乱が起きました」
重忠の物語は佳境に入る。王は合戦に敗れ、国を追われた。かつて愛した千人の家臣たちは、王が落ちぶれた途端、恩を忘れて全員逃げ去ってしまった。王が独り、自害しようとしたその時。ちょうしが王を止め、こう言いました。
『王よ、お待ちを。かつて市で買っておいた「善根」の行方を探してまいります』
ちょうしが向かった先には、かつて彼から施しを受けた貧しい人々が集まっていた。その中には、『しほう』という名の武勇に優れた若者がいた。彼はちょうしの慈悲に深く感動しており、仲間を集めて王のために城を築き、命を懸けて守り抜いた。
「やがて王は運を掴み、再び国を取り戻しました。これこそ、ちょうしが買っておいた『善根』の力。一人が千人の敵に匹敵する、『一人当千』という言葉はこの時から始まったのです」
王は、逃げ去った千人の家臣を再び呼び戻した。ちょうしのアドバイスにより、二度の恩を恥じた家臣たちは、今度は命を惜しまず王のために戦い、その王位は永久に保たれたという。物語を語り終え、重忠は頼朝を真っ直ぐに見据えた。
「上様。あの一万と箱王もまた、同じでございます。彼らをお助けになれば、彼らは一生、上様の御恩を忘れぬでしょう。それは将来、千人の凡庸な家臣よりも、上様をお守りする強力な盾となります。どうか私をあの『ちょうし』だと思い、彼らを『善根』としてお預けください!」
頼朝はフンと鼻を鳴らした。
「……面白い話だが、重忠。それは『ちょうし』が賢かっただけのことだ。あの子たちにそんな徳があるとは思えん」
「――ならば、上様。私の命を懸けましょう」
重忠の声に、凄まじい覇気がこもった。
「かつて釈迦如来は、道を作るために自らの髪を泥に敷いて仏を通しました。薩埵王子は飢えた虎に身を投げ、尸毘大王は鳩を救うために自らの肉を削りました。……治世の基本は、理非を正し、慈悲を本とすること。今日、これほど多くの重臣たちが命を懸けて願っているのです。それでもお聞き入れいただけぬのなら、私はこの場で自害し、天に上様の不条理を訴えましょう!」
重忠は、仏法から古事、そして自らの命までを「交渉材料」としてテーブルに乗せた。冷徹なシステムを重視する頼朝も、この「坂東武者の良心」である重忠を失うことの損失を計算せざるを得なかった。重忠を失えば、鎌倉の求心力は一気に瓦解する。
曾我物語 巻第三 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔臣下ちやうしが事〕
重忠畏まつて、「恐れ存ずる次第にて候へども、昔、大国に太王有り、武勇の臣下を集めて、千人愛し、玉の冠、金の沓を与へて、召し使ふ。其の中の臣下に、ちやうしと言ふ賢人有り。大王是を召し、「此の仰せを保つて、七珍万宝、一つとして不足なる事無し。然るに、並びの国の市に、宝の数をうるなり。汝、彼の市に行きて、我が倉の内に、無からん宝をかひて来たるべし」とて、多くの宝を与へぬ。ちやうし、是を受け取り、彼の市に行きて見るに、王宮の宝に、一つとして漏れたる物無し。然れども、王宮、善根長く絶えて無かりけり。是をかひ取らんと思ひて、保つ所の財宝を、彼の国のひ人共を集めて、ことごとく施し、手を空しくして帰りぬ。大王問ひて曰く、「かひ取る所の珍宝如何に、見ん」と宣ふ。其の時、ちやうし答へて曰く、「王宮の宝蔵を見るに、金銀珠玉を始めとして、不足なる事無し。然れども、善根の無かりしかば、かひ取りぬ」と答ふ。大王、歓喜して、「其の善根見む」と宣ふ。ちやうしが曰く、「彼の国の貧者を集め、もつ所の宝をとらせぬ」と答ふ。大王、不思議に思ひしかども、賢人のはからふ事なりしかば、さてのみ過ごし給ふ。其の頃、国の兵起こりて、大王を傾く。合戦に打ち負けて、並びの国に移りぬ。其の時、千人の臣下、さしも愛せし恩を捨てて、一度に逃げ失せにけり。王一人に成りて、既に自害に及びける時、ちやうしが、暫く抑へて曰く、「待ち給へ。此の国の市にてかひ置きし善根、尋ねて見ん」とて行く。其の宝をえたりし貧人の中に、しはうと言ふ武勇の達者也。深き志を感じ、多くの兵を語らひ、此の王の為に、城郭をこしらへ、暫く引き籠りぬ。時有つて、運を開き、二度国に帰り給ふ。これ偏に、ちやうしがかひ置きし善根の故と、国王感じ給ふ。一人当千と言ふ事、此の時より始まりける。其の時、もと逃げ失せし千人の臣下、又出でて、「仕へん」と言ふ。大王聞き給ひて、「又事あらば、逃げぬべし。あたらしき臣下を召し使ふべし」と宣ふ。ちやうしいさめて、「始めたる臣下を、心知り難し。只もと逃げ失せし臣下を、召し使ひ給へ。人心有りて、二度の恩を忘れんや」と言ふ。大王、理を案じて、逃げ失せし臣下を、ことごとく尋ね出だして、召し使ふ。時に又、国大きに起こりて、王の都を傾く。帰り来たる所の臣下、二度の忘恩を恥ぢて、身を捨て、命を惜しまず、防ぎ戦ふ。然れば、勝つ事を千里の外にえ、位を永久に保ち給ふと申し伝へて候ふ。彼等も、然る者の子にて候へば、御恩を忘れ奉るべきにあらず。遂には、御用にこそたち申し候はんずれ」。君聞こし召し、「其れも、臣下尊きにあらず。ちやうしが賢に依つて也」「然らば、某をちやうしと思し召し、彼等を臣下になずらへて、御助け候はば、後の御せんどにもや、たち候ひなん。君君たる時は、臣礼を以てし、臣臣たる時は、君哀れみを残すとこそ、見えて候へ」。頼朝、「彼等、何の礼か有りし」。重忠承つて、「御助け候はば、如何でか、其の礼無かるべき。君御許し無くは、我々までも、果におごるべきにあらず。さあらんに取りては、あはざる訴訟なりとも、一度は、などや御免無からん」「理を破る法はあれども、法を破る理は無し。罪科と言ひ、法と言ひ、如何でか、彼等逃るべき」。重忠も、申しかかりたる事なれば、身をも命をも惜しまず、高声に成りて、申しけるは、「国を滅ぼすてんけんも、さんせは聞かずとこそ、承りて候へ。釈迦如来の昔、善恵仙人と申せし時、道を作り給ふ中間に、燃燈仏を通り給ふ。道悪しくして、わづらひ給ふ時に、仙人、泥の上に伏し給ひて、御髪をしき、仏を通し奉る。さつたい王子は、うゑたる虎に、身を与へ、尸毘大王は、鳩の量りに、身をかくる。是等皆、末代の衆生を思し召す、御慈悲の故ぞかし。就中、諸国を治め給ふ事、理非を正し、情を旨とし、哀れみを本とし給ふべきに、是程面々の申す、彼等を御助け無くては、人頼み少なく思ひ奉るべし。重忠が一期の大事と思し召し、助け置かれ候へかし」と、誠思ひ切りたる気色で、仏法世法、唐土天竺の事まで、引き掛け引き掛け、申されければ、君御思案有りて、「誠此の人は、内には五戒を守り、外には仁義を本とす、賢人ぞかし。此の重忠を失ひなば、神の恵みに背き、天下も穏やかなるまじ」と思し召しければ、「然らば、此の者共助け候へ。但し、御分一人には預けぬぞ。今日の訴訟人共に、ことごとく許す」と仰せ下されけり。御前祗候の侍共、思はずに、あつとぞ感じける。実にや、重忠、身にかへて申さるる一人には、御許しも無くて、「今日の訴訟人共に」と、仰せ下さるる有り難さよ。然れば、天下の主ともなり給ふと、重忠、感じ申されけるとかや
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




